第三十四話 異常事態
「こ、これなんか凄い……」
「わ、私ナガレに抱きかかえ、はぁ……」
ナガレは両脇でふたりを抱えながら目的地へと脚を進めていた。
その足取りは一見するとゆったりとした歩法なのだが、その実相当な速さである。
ピーチに関しては少々思考が別のどこかへ飛んでいってしまっているが、ローザに関してはその次々と移り変わる景色に思わず見とれてしまう有り様だ。
それは貴族の乗るような窓付きの高級馬車に乗り込み、外を眺めてるような景色ともまた違う。
何せ景色は動くことなく、静止した場面が次々と現れては消え現れては消えを繰り返しているのだ。
こんな現象、少なくともローザの記憶には身に覚えがない。
しかもその現象を引き起こしてるのは一人の十五歳(ローザから見ればだが)の少年である。
「ローザさん、目的地にはまもなくつきます。必要になるのは麻痺系の解毒効果のある魔法となりますので」
「え? あ、はい」
ナガレの言にローザが反応を示す。
それを耳にしながらナガレは後ろにも注意を伸ばした。
(二人を抱えているので全力ではないとはいえ、ついてこれてますか。流石ですね)
そう思いながらも移動を続けていると、正面に件の森が見えてきた。
そして、その周囲には馬車が数台、馬のみの姿もちらほら見える。
そして――
「た、助けてくれーーーー!」
「くそ! スイートビーだと聞いていたのに、なんだってプレートキラーホーネットなんかがいやがるんだ! 糞! 糞!」
「おい! 誰か薬もってないかーー! 仲間がやばいんだ!」
「ばっきゃろぉ! それどころじゃねぇよ!」
そして森から次々と冒険者が外に飛び出し、怒号がなりひびく。
更に、出てきたのは冒険者だけではない、森のなかからブォンブォンと耳障りな音を奏でながら姿を見せる数十匹の蜂の大群。
それは、彼らの言うように、今回の討伐対象となっている蜜蜂タイプの魔物などでは確かにない。
それの見た目はナガレの知る限りオオスズメバチ。しかしその身体は黒鉄色の堅固な外皮に包まれており、オオスズメバチとチャイロスズメバチの特性を合わせ持ったような魔物でもある。
勿論その体長は大きく異なり、このプレートキラーホーネットの大きさは体長二メートル程とスイートピーよりも更に巨大だ。
性格も獰猛で、尾に槍の如く鋭い針を持ち、更に強靭な顎で相手を噛み砕く。
体内に毒を有しており、針だけでなく顎で噛んだ箇所からも注入されてしまう。
この毒もかなり強力な代物で、体内に入った瞬間には全身麻痺状態に陥り、放っておけばいずれ心臓麻痺で死ぬという凶悪なものだ。
「着きました。ローザは早速毒を受けた者達の治療を、ピーチはローザが治療中にあの魔物が近寄ってこないようサポートをお願いします」
「わ、わかりました!」
「でもナガレは?」
「私はとりあえず外に出てくる魔物を処分します。それから中に向かいますので、この周辺の冒険者の事はよろしくおねがいしますよ。ビッチェさんと協力して、ピーチ、信じてますから」
「……判った」
ナガレがそこまでいって立ち止まると、すぐ後ろからビッチェの声。
それに驚くふたり。
しかし――
「ナガレ……私に期待――判った! 頑張るね!」
「頼りにしてますよ」
ナガレがニコリと微笑むとピーチの頬が紅潮するが、すぐにローザ、ビッチェと共にけが人や毒を受けたもののフォローに向かった。
(さて、私は……)
ナガレはその場で軽く脚を開き、静かな構えを取る。
そして一瞬、眼力を強めたその瞬間、大量のプレートキラーホーネットが森から飛び出し、ナガレの周囲に集まりだした。
「お、おい! なんだあの大群! 三〇〇匹はいるぞ!」
「あんな中に! あいつ死ぬぞ!」
「大丈夫!」
解毒作業に入るローザを護衛しながらピーチが叫んだ。
「ナガレが、ナガレがやるといったら、絶対やるんだから!」
「無、無茶だ……」
「あ! 怪我してる方はムリしないで!」
上半身を起こし呻くように発す冒険者。それを静止するローザでもあるが。
「あの魔物は顎を小刻みに鳴らし相手の目眩を引き起こすスキルを持っている。あんなに囲まれてたら逃げ場ない――」
その言葉に、思わずピーチはナガレを見やった。
その瞳には彼を案ずる感情がありありと滲み出ている。
そしてその瞬間、彼が言っていたようにナガレを囲んだプレートキラーホーネット達が一斉に顎を鳴らし始めた。
この魔物は超高速で顎を鳴らす事で空気を振動させ、そして強力な超音波を相手に向けて発射する。
蝙蝠に近い性質をも併せ持つ魔物。
そしてこの超音波を受けると目眩が引き起こされバランス感覚を狂わされる。
その隙に蜂共は一斉に獲物を喰らいに掛かるのである。
ナガレ絶体絶命のピンチ! そう普通であれば思うのだろうが――
プレートキラーホーネット達が一斉に顎を鳴らし始めたのと、ナガレが己の左右の手をこすり合わせたのはほぼ同時であった。
その瞬間、周囲から一切の音が消えた。完全な無音状態。
それは時にしてみればほんの一瞬の出来事だ。だが、体感者からしてみれば一〇分にも二〇分にも感じられた時間だったかもしれない。
プレートキラーホーネットはスキル顎鳴らしを発動させると、人が瞬きしてる間に数万回顎を鳴らす。
これが超音波を凌駕する超・超音波へと昇華させ、相手の脳を揺らし目眩を引き起こす。
ならばそれに対するにはどうすればいいか。ナガレの導き出した答えが己の手を同じように超高速で擦り合わす事である。
勿論相手は一匹ではない。三〇〇匹からなる大群だ。それを相手するのに同じ回数手を合わせても勝ち目はない。
そこでナガレは瞬きしてる間に、数千万回手を擦りあわせた。
相手の顎鳴らしは精々数万×三〇〇、しかしナガレは数千万回、当然質、量共にナガレの発した超音波の方が強大となる。
そしてナガレの発した超音波、いやもう超音波という事すら躊躇われる、超巨大な音の波は彼を囲むプレートキラーホーネットの発する矮小な超音波を全て飲み込んだ。
周囲から音が消えたのはこの影響ゆえである。
そして、超音波を飲み込み、更に膨れ上がったナガレの音の兵器は、次の目標をプレートキラーホーネットに変え、そして――喰らう!
刹那――ナガレの周囲を囲んでいた凶暴な蜂の魔物たちは、その身が原子レベルにまで粉砕され、消失した。
「な!?」
「あ、あんだけいたプレートキラーホーネットが……」
「一体どうなってやがるんだ?」
その一部始終を見ていた冒険者達から驚きの声が上がる。
しかしこのナガレの凄いのは、これだけの事をしておきながら魔核と素材となる尾針、そして討伐部位である翅を残している事だろう。
「……当然よ、だって、だってナガレだもん!」
ピーチがそういって顔を綻ばす。
するとナガレが一瞬ピーチを振り返り、そして頷いたかと思えば森のなかへと入っていった。
「……判ったナガレ、ここは、ここは私がなんとかする!」
「……ん、私も協力する」
「はい! これでこっちも解毒完了です! 後はどなたか治療の必要な方はいませんか? 毒や怪我の大きい方から見ていきま~す!」
「嬢ちゃん! こっち頼む! 息が荒いんだ!」
「はい! ただいま!」
「て、おい! またあの蜂出てきやがったぞ!」
「マジかよ! あんだけやられたってのに」
「一体何匹いやがるんだ!」
「そっちは任せて!」
言うが早いかピーチが飛び出し、攻めてくるプレートキラーホーネットを迎え撃つ。
「えい!」
「ギュギィ!」
ピーチに襲いかかろうとした蜂の一匹は、その魔力を込めた杖に叩きつけられ見事バラバラに粉砕された。
「お、おいあの嬢ちゃんあれだけの固い外皮を持つあの魔物を……」
「しかも杖で殴るなんて、そんな戦い方聞いたことねぇぞ!」
周囲がざわつき始める中、ピーチは一匹、また一匹とプレートキラーホーネットの硬い皮膚を粉々に砕き大地に叩き落としていく。
「……これもナガレのおかげ? ふふっ、やっぱり彼、おもし、ろい――」
蠱惑的な笑みを浮かべつつ、どこか妖艶な仕草でビッチェが、どこからともなく己の武器を取り出した。
「……スネークハンティング」
そして一言呟き、ビッチェが手にした剣を振ると、刃が伸び次々と迫る蜂達を串刺しにしていく。
「お、おいなんだあの武器? 剣が伸縮自在に変化してるぞ!」
「あれは、チェインスネークブレイドか……」
「確か刃が細かく分かれていて、それで刃が変化するんだったな……」
「でも取り扱いが難しいって噂だ、俺も実物みたの初めてだぜ」
そんな冒険者達を振り返り、妖艶な微笑を浮かべるビッチェ。
その姿に見ていた冒険者の顔が一様に紅くなった。
「てか! てめぇら戦える奴はさっさと武器を持て! あんな姉ちゃんや女の子にだけ働かせて恥ずかしくないのか! 俺らもやるぞ! 冒険者の底力を見せてやる!」
一人が立ち上がり叫びあげた事で、これまで完全に戦意を失っていた冒険者達の目に光が取り戻された。
そして鬨の声が鳴り響き、一丸となって迫る脅威に立ち向かっていったのである――




