第三七二話 サトルの決意
アケチと同じく罪人として連行されることをジャンヌから告げられたサトル。
しかし、マイ、メグミ、アイカの三人は納得がいかず、なんとか連れて行かないよう食いついた上、遂には悪魔の書すらもサトルを庇うような発言をしてみせたのだが――しかしそんな中、サトルが出した答えはジャンヌに従うということ。そして生きる道を選んだからこそ、罪は償うという決意。
「サトルくん……」
「マイさん、ありがとう。こんな俺でも庇ってくれて嬉しかったよ。メグミさんもアイカさんも、俺は、あんなことをしようとしたのに――」
メグミは涙を溜め、どう言葉をかけていいかわからない様子。それはアイカにしても一緒だろう。
だが、サトルはここに来て初めて、張りつめたような緊張から開放された相手を気遣う笑みを浮かべた。
「……悪魔の書も、ありがとう。まさか、君が嘘をついてまで庇ってくれるとは思わなかったけどね」
『……馬鹿者が。我ではない、中の悪魔たちがどうにかして欲しいとうるさいのだ。特に、ヘラドンナがな……こんな事、我が、一番驚いておるわ』
悪魔の書から届いた念に、そうか、と――サトルが呟き。
「それなら、彼女にはごめんと伝えておいて欲しい。でも、君がいてくれて助かったとも――」
『ごめんであるな。そんなもの、自分で伝えるがよい』
「それが無理だから、お願いしてるんじゃないか」
『……ふん、お前もナガレも、大馬鹿者であるな――』
その念はいつものようにどこか尊大でもあり、そして、淋しげでもあった。
そしてサトルは、離れた位置に立つ黒騎士、アレクトに顔を向け、彼女と目があった。
アレクトはどこか神妙な面持ちでサトルの方を見ていた。
会話は恐らく聞こえていない筈だが、何か感じる物があったのかもしれない。
サトルは、彼女に向けて頭を下げた。それで通じるかは判らないが――彼女の夫への償いだってある。
「……もう、自分はいつでも大丈夫です」
そしてジャンヌの前に立ち、両腕を前に突き出した。すると彼女は笑顔を浮かべ。
「大丈夫です、貴方には枷などはつけませんよ」
そう告げる。ただ、アケチは別のようで、既に両手両足とも枷が嵌められていた。しかも術式が刻まれているので、ただの枷ではなくなんらかの制約が課せられるものであろう。
尤も、アケチが目覚めることは暫くないであろうが。
「さて、これで確かに目的の多くは達成されました、といいたいところなのですが――」
そこまで口にした後、ジャンヌはナガレに近づき、そして眉を落としながらも。
「申し訳ありませんナガレ様、その悪魔の書はどうしてもこちらでお預かりしなければいけないのです」
「え! そうなの!?」
ジャンヌの発言に、隣にいたピーチが驚く。
それに、ええ、と答え。
「先程も申し上げましたが、その悪魔の書はある場所から忽然と姿を消したもの。本来は封印されるべき悪魔の書です。それを流石にそのままというわけにはいきません。ですので、お渡し頂けますか?」
「はい、それは謹んでお断り致します」
ジャンヌがやんわりと本を引き渡すよう要求するが、ナガレはそれを笑顔で拒否した。
物腰はとても柔らかく、一見素直に渡してくれそうな雰囲気を出しつつの、見事なまでの拒否である。
「……え? あ、あのそれも、冗談、なのでしょうか?」
「いえ、これは本当です。それに今これを渡してしまうと、私はサトルとの約束が守れなくなってしまいます」
「え? や、約束? そうなのですか。ですが、困りましたね。正直特別な理由でもないかぎり、その本をそのままにしておくわけにはいきません」
『……ナガレよ、もう良い。我は何か疲れた。なぜ我を庇い立てするか判らぬが、素直に引き渡せば良かろう』
そんな会話をするふたりであったが、そこへ悪魔の書の念が割り込む。
『何を勘違いしているのですか? 私は別に貴方の為になどと思ってこのようなことはしておりませんよ。それよりも、サトルを少しでも助けたいという気持ちがあるならご協力下さい。何せ――』
『何? それは本当か? しかし肝心のサトルがいなければ……』
だが、ナガレからあることを聞かされ悪魔の書が疑念を送るが、ナガレが、それは考えがありますから大丈夫です、と告げることで悪魔の書は決心がついたようであり。
『ク、クククッ! ヌハハハハハ! この愚か者が!』
突如、全員に聞こえる念で悪魔の書がそんな事をいいだした。勿論これは、ナガレの力によってだが。
「え? また突然どうしたってのよ……」
ピーチが若干呆れたような目で訴え、ジャンヌもため息混じりに、今度はなんですか? と問いかける。
すると――
『ふん、いいか? よく聞くが良い! お前たちがグズグズしておるから、我は今このナガレと契約を交わしたぞ! これで我の所有権はサトルからナガレに完全に移った』
「……へ?」
その得意げな念に、当然ピーチはポカーンとした顔を見せた。勿論それはサトルもだが。
「な、なんだってーー! あの本、やっぱとんでもない奴だ! 先生を誑かしやがったな! 先生待っててください! こうなったら俺の手で焼き尽くして! ギャッァアアアァアア」
悪魔の書の話を聞いていたフレムも憤り、その双剣に炎を纏わせかけたが、落ち着けバカ、とビッチェの剣で思いっきり背中を打たれのたうち回った。
「……これも作戦、お前少し黙ってろ」
ビッチェはやれやれといった口調でフレムに告げ、そしてナガレとジャンヌへと顔を向ける。
すると、ジャンヌは、少々大げさなほどに身体を震わせ。
「ま、まさか! この短い間にそんな事になるなんて! クッ、こうなっては力づくで!」
『馬鹿め! 我はナガレの所有物となったといったであろう! もし今、無理やり我をこのナガレから引き剥がそうとすれば、我の中に眠る六六六億の悪魔の軍勢が、この大陸を飲み込み滅ぼし尽くすであろう! それでも構わぬというつもりか?』
「な、なんですって~~~~!」
「え、え~と、あの、ジャンヌさん?」
あまりに芝居がかった口調に、ピーチは戸惑いを隠せない様子だ。勿論それは、サトルや他の面々も一緒である。
「なんてことでしょう。これではナガレ様から悪魔の書を奪うのは事実上不可能! この、私としたことが~~~~!」
ジャンヌは地面にガクリと倒れ、五体投地の状態から流れるように上半身を振り上げ、そして頭を抱えてみせた。
『ふん、判ったか愚か者が。それが嫌であれば、今すぐ我をこのナガレから引き剥がそうなどと考えぬ事だな』
「……確かにそれであれば仕方がないですね。まさしくこれは特別な理由が出来たと言うべきでしょうね。ですから、こうなっては仕方がありませんので、その悪魔の書は暫くナガレ様に預けておくと致します」
「ご理解頂きありがとうございます」
笑顔でジャンヌに敬意を表するナガレ。一見とんだ茶番に思えるが、無理を通すにはこういった理由付けも必要だということなのだろう。
となりで聞いていたピーチも、このやりとりで得心がいったようだ。
「そ、そうね、リーダーとしてもこの状態で悪魔の書を渡させるような危険な真似は許可できないわ!」
「ふふっ、リーダーにまで言われたのならこれは本当に諦めるしかありませんね」
そして当然フレム以外もこの意味は理解できたようだが、しかしフレムだけは頭に疑問符が浮かび上がっていた。
「ですがナガレ様、本当に険しい道を選ばれるのですね……」
「約束したことですから。それにそこまで険しいとは思っておりませんよ」
「ふふっ、ナガレ様ならそうかもしれませんね。さて、とりあえず悪魔の書の件はおまかせ致しましたが、もう一点、今回の件に関してはナガレ様にも後々事情を聞くことになると思います。ですので、その際はご協力頂けますか?」
「はい、それは勿論。ところでその際には請願書などは受け取って頂くことは可能ですか?」
ジャンヌの申し出は快く引き受け、そしてナガレからもジャンヌに尋ねるが。
「はい、サトル様に関してはそういった物があれば有利に働くこともあるかと思います。勿論今後の帝国の動向などにもある程度影響されると思いますが」
「それなら断定は出来ませんが、近いうちに色々と決着が付くと思いますよ。帝国にとっては大きな変化を生むかもしれませんが……」
そこまで聞いてジャンヌは目をパチクリさせ、そしてフフッと笑みをこぼし。
「本当にナガレ様は、色々とお見通しなのですね」
「いえ、私はただ、感じたままを口にしているだけなので」
あくまで自然体で応じるナガレに、敬うような瞳を向けるジャンヌ。
そして、いよいよジャンヌはアケチとサトルを連れ、一旦この場を離れるという話になったのだが――
「おっと、いたいたジャンヌちゃ~ん、いやぁ探しちゃったよ~」
「あら、ジョニー? 来てしまったの?」
突如、森の奥から妙に軽い感じで登場し、ジャンヌに声を掛けた男。
ジャンヌの知り合いなようだが、かなり奇抜な格好であった為か、ナガレとビッチェを除いた皆の目が点になった。
そんな中、一足早くマイが立ち直り、え? ガンマン? と口にした。
それを耳にしたガンマン風の男はその特徴的なウェスタンハットを押し上げ、ワオッ、と一言発し、愛嬌と野性味が混合したような碧眼をパチパチさせた。
「これは驚いた! おいらはこの幸運の星の下に生まれてきた事を神に感謝したいね。まさかここが女神の園とは!」
両手を大げさに広げジョニーと呼ばれていた彼は喜んだ。どうやらこの場に集まる女性陣を指して言っているようだが。
「……なんだあのカイルみたいなナンパ野郎は?」
そんな彼を訝しげに見やるフレム。するとカイルが驚嘆し声を上げる。
「え! おいら? そんな、おいらあそこまで節操なさそうじゃないよー!」
「あの手の男性って皆おいらって言うものなのかしら?」
「ローザまで酷いよ!」
カイルが抗議するが、確かに似たような空気を感じる。
「う~ん、でもやっぱり、おいらにとっての一番は、ジャンヌちゃんかな~」
そしてジョニーは、改めてジャンヌに向けてそう述べた後、彼女に向けて歩みを進める。
すると――その足下を鞭のようなソレが撫でた。
おわっ! と思わずジョニーが足を上げる。ブーツの踵に取り付けられた拍車がカラカラと回った。
そんなジョニーを睨みつけているのは、ビッチェであった。そして鞭のように見えたのは彼女のチェインスネークソードである。
「ビッチェちゃんってば酷いな~久しぶりの再会なのに。あ、もしかして――焼いてる? うわ!」
「……お前にちゃんづけされる覚えはない。焼いてもいない、とっとと消えろ、お前に近づかれたら、お姉様が穢れる」
「ひどっ!?」
そんなやりとりをしながらも、ビッチェはジョニーに向けてチェインスネークソードを乱れ打つ。
だが、驚きなのはこのジョニー、その攻撃の全てを躱している。いや、ただ躱すだけであれば、ビッチェも流石に手加減している可能性があるため、驚くことではないのかもしれないが、彼はなんとそれを片腕で逆立ち状態になりながらの跳躍など、曲芸のような動きで躱し続けたのである。
「へ~驚いたな~ビッチェちゃん見違えちゃったよね~こりゃおいら、まともにやったら負けるかも――」
そういいつつも、くるりとバク転をしてみせたジョニーが着地すると同時に手元から火吹が上がる。
刹那、ビッチェの振るった刃が弾かれ風を切りながら強制的に後方へと流されていった。
むぅ、と唸るビッチェを尻目にその隙にジョニーが滑るようなジャンプを見せ、ジャンヌの正面に立ちその手を取った。
「お待たせ、お姫様」
「ふふっ、別に待ってませんよ」
「あらっ、と!」
しかし、軽くあしらわれるジョニー。取っていた手が剥がれ、かと思えばジャンヌの背中を撫でるような手捌きによってバランスを崩され、つんのめりそうになるジョニーである。
「全く、相変わらずつれないねぇ」
腰を上げ、肩をすくめた後、ハットのずれを直すジョニー。
そんな姿をみやりながら、やはり一部を除いてポカーンとする一同であった――