第三六九話 バレエの成果
今勝敗は決した。そう、ナガレとジャンヌの戦いは、ナガレがジャンヌのパートナーを完璧にこなし、見事なまでのバレエを披露し、大団円と相成ったのだ。
途中、ナガレが何故王子に扮する事が出来たのか、そもそも衣装はどうしたのか? など疑問は付きないだろうが、そんな事は大した問題ではない。
なぜならここは鬱蒼と茂る森の中だ。周囲に生え渡る樹木や草があればナガレであれば即席で衣装を紡ぐことなどわけがなく、草花は合気で染料に早変わり、ナガレに隙はない。ナガレは裁縫技術も一級品だ。地球で最高の性能を誇るミシンでも一億揃えても足りはしない。
つまりそういうことなのだ。
惜しみない拍手が会場(?)へ鳴り響き続けた。誰ひとりとしてその場を離れようとしない。拍手に応じるように、ふたりが更にダンスを続けている。このサービス精神があるからこそ、ふたりの人気は揺るぎないのであろう。
だが、AIKI異世界バレエ団の公演はまだまだ始まったばかりだ! そうナガレ達のバレエはこれからだ――
「いやいやいやちょっと待って! おかしい、これ絶対おかしいよ!」
ふと、ピーチが我に返って叫んだ。だが、その心の叫びを聞いた周囲は一様に不思議顔だ。
これだけのバレエを見せてもらいながら、一体何が不満なのかと――
「いや、これ一体何の勝負なのよ!」
ピーチが叫ぶ。それでようやく全員がハッとした顔を見せた。そうである、そもそもこれはお互いの実力を知るための手合わせであり、AIKI異世界バレエ団の公演などではないのだ。興行収入に期待してはいけない。
そんなわけでいつの間にか集まっていた騎士たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「でも、確かにそう言われてみると、これだと勝敗は決められないかもね……」
そして騎士が去り、関係者だけになった事でメグミが口を開く。確かに、結局ふたりが最後にやったのはバレエであり、周囲で見ていた仲間が思っていたような勝負ではなかったであろう。
「――いえ、この勝負、私の負けです」
だが、そんな最中、わりとあっさりとジャンヌが負けを認めた。
「ナガレ様は、敢えて私と同じ土俵に立ち、バレエで私を圧倒するほどの華麗な演技を見せてくれました。たとえ異種試合でお互いルールが違っていても、力士は土俵の外に出れば素直に負けを認めたといいます。それが日本の武士道――ならば私は素直に負けを認めましょう」
「どうしてそこで力士が……」
「そもそも何か色々ごっちゃになっている気がしないでもないけどね――」
サトルがツッコミ、マイが疲れたような目でつぶやく。バレリーナとしてのジャンヌは尊敬に値するが、それ以外はもしかしたら少し残念な方なのかもしれない、と、もしかしたら思っているかもしれないが。
とはいえ、ジャンヌが負けを認めたことで勝敗は決した。ナガレの勝ちである、それは間違いないであろうが――
「ですが、どうしてナガレ様は突如私のパートナーを? も、もしかして……」
しかし、とは言えやはりジャンヌもそこは気になったようだ。何せ突如ナガレが王子に扮し、パートナーを務め始めたのだ。何か特別な意味があったのでは? と思ってもおかしくはないだろう。
「――ジャンヌ様の早着替え、見事だったと思います。あれだけの速さで完璧に着替えをこなせる方はそうはいないでしょう」
だが、ナガレはそこで別の観点から話を進め始めた。
「え? あ、はいありがとうございます」
それに、一応は礼を述べるも、戸惑い気味のジャンヌであり。
「……ですが、実は、私は普通の人よりは目がいいのです」
「……はい?」
更に続けられたナガレの告白に、わけがわからないとジャンヌは目を丸くさせた。だが、それでもナガレの話は続いていく。
「そして、恐らく勘も良い方だと思ってはいます」
「は、はぁ……それが何か?」
ジャンヌはもしかしてはぐらかされているのか? と不安に思ったであろうが――
「――ですので、勿論そこは見ないように努めましたが、だからといってそのままにしておくのはあまりに不誠実かと思いまして」
「ふ、不誠実……」
このあたりから、ジャンヌの顔つきが変わり始め――
「かと言って、あの場で視える状況にありますと伝えるのは勝負に水を差す結果になりかねないと、そう考え――それ故に、こういった形で応じさせて頂いたわけです」
「――視える、状況……」
そしてその頬が紅潮していき、口元に手を持っていった。どうやらナガレの言っていることの意味を理解したようであり。
「……もしかしてナガレ、お姉様の裸、見た?」
それを聞いていたビッチェが核心を突く質問をナガレにぶつける。当然それを聞いていた残りの一同は驚いた。
「え! 嘘! ナガレってば試合の間そんなことしてたの!」
「な、ナガレ様でもそういう事に興味があるのですね」
「ナガレっちだって男の子だもんね~」
「せ、先生! しょ、正直うらやましいかも……」
「あ、あんな美しいジャンヌさんの裸を……」
「サトルくん、何を考えているのかしら~?」
「でも、あんなの普通の人は判らないわよね。それでも視えるなら、ナガレさんはやっぱり凄いんだね……」
「わ、私も助けてもらいましたし。でも、裸を見るのはちょっとえっちぃです……」
そして口々に思い思いの言葉が飛び出していくわけだが――
「いや、皆さん少し誤解をされているようですが、確かに視える状況にはありましたが、私は視ていませんので」
しかし、ナガレは彼女の裸を見たという点は率直に否定した。だが、何故か女性陣から疑いの目を向けられてしまう。ナガレ、ここにきてまさかの覗き魔疑惑である。
「……ナガレ様」
「はい――」
そしてジャンヌが再びナガレに声を掛け、それに応じるが――
「本当に、見ていないのですか?」
「……合気に誓って見ておりません」
合気に誓う――そう言われては誰もが納得せざるを得ないだろう。
「――その曇の一切感じられない瞳、残念ですが、どうやら本当に見ていないのですね」
しかし、ジャンヌは得心が言ったように瞑目し、ナガレの誤解を解くセリフを述べる。
するとナガレがニコリと微笑み。
「貴方ほどのお美しい御方ですから、どうしても心は揺さぶられはしましたが」
「ふふっ、そう言って頂けると光栄ですが、でもやはり少し残念です。ナガレ様とであれば、婚姻しても良いと思ったのですが――」
その言葉に、は? と主に女性陣が眼を丸くさせた。
「え、ちょ、ちょっと待って! 今婚姻って言った!」
「……お姉様は確かにそういった」
「いやいや、それは、確かに裸を見られるのは恥ずかしかったり、特別な人じゃないと見せたくないとかあるかもしれないけど……いくらなんでも重すぎない?」
苦笑交じりにマイが言った。確かに裸を見られたからと、結婚の話になるのは少々段階を飛ばし過ぎである。
「……仕方ない。お姉様は今二八歳だけど、あの隙がありそうで、声をかけるには躊躇われる、その麗しさが災いして、この年までいい人が現れず、男性とまともに付き合ったこともない。だから、そういうことに対して神聖的な物を感じている。お姉様にとっては裸を見られることは契を籠むのと同意義。それに、年齢的にどうしても――」
「ビッチェちゃ~ん」
すると、音もなく忍び寄っていたジャンヌが、彼女の褐色の肩を押さえつつ、甘い声で笑いかけた。
思わずビッチェの肩がビクリと震え、そろそろと後ろを振り向く。気配に敏感なビッチェにすら悟られず後ろに回り込むその実力は流石NoⅡとも言えるが。
「少し、向こうでお話しましょ?」
「……あ、あの、お姉様、今のは、その――」
しかし問答無用でジャンヌはビッチェの首を掴み、ずりずりと何処かへと引きずっていった。あのビッチェをだ。
そして――
「……お姉様怖い、お姉様怖い――」
戻ってきたビッチェは膝を抱えガクガクと震えていた。
一体何が起きたのか、と怯えた目を見せる女性陣であるが。
「なんだ、つまり行き遅れで焦ってるってわけか。先生、あの手のには気をつけた方がいいですよ。いくら綺麗だと言っても、年が嵩むと――」
「フレムく~ん」
「……え?」
「ちょっとお姉さんと向こうでお話しよっか?」
「え? ちょ、先生たす――」
フレムは森の奥へ引きずられていった。しかし自業自得なのでナガレは特に助けるマネはしなかった。
「……ジャンヌ怖い、ジャンヌ怖い――」
そしてやはりビッチェと同じように膝を抱えガクガク震えるフレムであった。だから何があった。
どちらにしても、どうやらジャンヌに年齢の話は厳禁なようであるが。
「コホン、ですが、今の勝負でナガレ様の実力が尋常では無いことが判りました」
とりあえず、いまだ青い顔をしているも、ビッチェとフレムが立ち上がれるほどには回復したのを見計らい、ジャンヌがナガレを評した。
「……これで、マスターから言われていた条件も果たしましたね。本当は、だまし討ちみたいで心苦しかったですが」
「え? マスターって?」
「……お姉様が言っているのは、冒険者連盟のマスター、つまり一応立場で見れば全てのギルドマスターを纏めるグランドマスター……」
ジャンヌの言葉に、疑問顔を見せるピーチだが、その回答はビッチェが行った。
「ええ! そのような凄いマスターから、ジャンヌ様は何かを言われていたのですか?」
「話がまた壮大になってきたわね」
そして驚くローザ、苦笑交じりのマイ。だが、ビッチェは短く息を吐き。
「……別に、グランドマスターと言っても、大したことない……」
ビッチェがどこか淡々とした口調で答える。それに、ふふっ、とジャンヌが笑みをこぼし。
「ビッチェはマスターに対しては相変わらずですね。ですが、確かに変わり者のマスターです。今回も、こんなものを私に託しましたから」
そう言って、ジャンヌがタグを一つ取り出した。みたところ、普通に冒険者に支給されるタグと一緒のようだが。
「そのタグがどうかしたのかよ?」
「あ、それがジャンヌちゃんの特級タグとか?」
フレムが訝しげに、カイルは無邪気な笑顔で問いかける。
すると、いえ、とジャンヌが答え。
「これは、マスターより、テストをしてその実力が確かであればナガレ様に渡して欲しいと預かっていたもので、それこそが言われていた条件だったのです」
つまり、手合わせはナガレがこのタグを渡すに足りるかを確かめるためのものだったと、そういう事なようだ。
「……お姉様、もしかしてそれは、特級冒険者としてのタグ? でも、それならナガレは断っていて――」
「ええ、それは判っています。ですからこれはナガレ様を特級にするためのタグではありません」
ビッチェが不安そうにジャンヌに述べるが、彼女はそうではないことを告げた上で、ナガレに視線を合わせた。
「ナガレ様、これはSランク特級の申し出を辞去したナガレ様への、マスターからの回答となります。今を持ちましてナガレ様、貴方をFランク冒険者に任命させて頂きます」