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第三五六話 ハラグライの過去~楔~

昨日は更新出来ませんでした。

少々一話の文字数が増えることがありその場合他の更新も再開させたこともあって更新が遅れることもあります。ご了承いただければと思いますm(_ _)m

「何故だーーーー! 何故貴様がついていながら、どうして妻をみすみす死なせた! どうして息子はあんな目にあったーーーー! 何故だ! 何故だーーーー!」


 王都から城に戻るなり妻と息子の変わり果てた姿を目の当たりにしたアクメツは激昂し、特に何の説明も聞くまでもなくハラグライに飛びかかり馬乗りになって叫び、吠え、涙し、怒りの形相で彼を殴り続けた。


 ハラグライはそれを甘んじて受け入れた。受け入れるしかなかった。恩義あるアクメツを裏切った上、そこまでして愛した女性をむざむざ死に至らしめ、その上ふたりにとっての最愛の息子まで薬漬けにされ意識が回復しない状態が続いているのである。


 拳が振り下ろされるたびにハラグライの顔に新たな痣が刻まれていく。鼻からも口からも出血し、ボロボロになっていくが、殴っているアクメツの拳すらも傷つき赤い雫がこぼれ落ちてしまっている。


 ハラグライを殴るたびに己の拳も傷ついていく。だが、外傷だけならばいずれ傷は癒える。

 しかし心の傷はそうはいかない。その深淵まで刻まれた亀裂はどれほどの薬や魔法でも修復は叶わない。


 ハラグライにしろアクメツにしろ、二度と癒えることのないであろう傷を内側に負ってしまった。もうこの関係すら修復は不可能だろうとアクメツは覚悟している。

 

 結局周囲で見ていた団長や執事の手でアクメツはハラグライから引き剥がされた。

 だが、これは別にハラグライを心配してのことではない。むしろアクメツの拳がこれ以上傷つくことを危惧しての事だ。


 今城内にハラグライを擁護するものなど誰ひとりとしていない。あれだけ偉そうな事を行っておきながら、得られた結果は夫人の惨たらしい遺体と、二度と話すことがないかもしれないアクドルクの身体だけだ。


 盗賊にも身代金を奪われおめおめと逃げられたのである。言い訳一つ思い浮かばない。そんな気力も沸かない。


 正直ハラグライはとっくに死ぬ覚悟ぐらいは出来ていた。今アクメツに首を掻ききって死ねと言われれば喜んでその指示に従っていただろう。

 

 いや、むしろ彼自身、死を望んでいたのかもしれないが。


「――ふぅ、ふぅ、とにかく、詳しい話はこやつらから聞く。ハラグライ、お前は暫く謹慎だ。私がいいと言うまで部屋から出ることも罷り成らぬ。判ったら今すぐここから出て行け!」


 居丈高に怒鳴りつけられ、ハラグライは深く頭を下げアクメツの前から罷り出づ。


 沈黙を保ち、今にも死にそうな表情でそれから数日の間、ハラグライは部屋に閉じこもった。


 正直な話、このまま自ら命を断とうかと、そんな考えすら脳裏をよぎったが、流石にそれは無責任すぎるだろうと思いとどまる。


 もし自分に対し死を宣告できる者がいるとしたら、それは己自身ではなくアクメツをおいて他にはいない。

 

 当然だ、今回の件で勿論ハラグライも絶望に似た感情にさいなまれているが、それ以上にアクメツの悲しみは底知れない筈である。


 盗賊は勿論だが、それ以上にハラグライのことを憎み、殺したくても殺し足りないぐらいに思っているに違いない。


 そう考え、ハラグライは自虐的な笑みを浮かべた。自分がアクメツの事を心配する資格などあるのか? とそう思ったのだ。


 なぜなら、自分に目をかけ側近という立場にまで任命してくれた恩義ある彼を裏切ったのは何を隠そう自分なのだから――彼の前では平然と留守はおまかせください、その間、ご家族の事は私が見ておりますなどと偉そうな事を言っておきながら、その裏で彼の愛した妻とベッドを共にしていたのだ。


 まして今回の件に関しては己のするべき職務も忘れ、アフェアとそのような行為に、彼女の身体を貪っていたばかりに起きた事。


 慢心せず、己のためではなく二人のためにしっかりと考えて行動していれば、少なくともこのような失態には繋がらなかったのかもしれないのだ。


 だが、今更それを言ったところでどうしようもない。失った時は戻らず、アフェアとて戻ってはこない。


 しかもこの状況において、もしかしたら死ねばあの世でアフェアと再会出来るかもしれない、と、そんな事をふと考えてしまう自分が、たまらなく嫌だった。


 そんなどうしようもない悲しみにくれる中、数日経ちアクメツから再びお呼びがかかった。


 ハラグライは、呼びに来たメイドが思わず声を上げるぐらい変わり果てていた。

 一応最低限の食事は届けられていたが、ハラグライはそれには一切手を付けず、水分すらろくにとっていなかった。


 その上でこの精神状態である。髪もすっかり色が抜け落ち、頬も痩せこけ、まるでミイラのようですらあった。


「……随分とやつれたではないか」


 部屋に通され、開口一番アクメツに言われた言葉がこれである。


 だが、ハラグライからすれば彼とて似たようなものであった。きっと自分と同じようにろくにめしも喉を通らなかったのだろう。


 この数日の間で、お互い随分と老け込んだように思えた。


「さて、あれから色々と城のものに話を聞いてな。それでお前の処遇が決まったわけだがな」


 きたか、とハラグライは少しだけ安堵した。これでようやく楽になれるような、そんな気がしていたからだ。彼はとっくに覚悟は出来ている。


「今回の件に関して、お前への罰は向こう一年間の給金の減額とする。どうやら身代金はお前個人が捻出したらしいが、それの保証もなしだ。これぐらいの責任は取ってもらわねばな」


 だが、直後に命じられた処罰に、ハラグライは驚いた。一瞬言葉を失い、聞き間違えたのかと頭のなかで反芻したぐらいだ。


 それは、別に処罰が重すぎるから、などではなく、むしろ軽すぎたからだ。何せハラグライは今すぐ死んでみせろと言われるぐらいはあり得ると思っていた。そうでなくとも五体満足などありえなく、四肢切断の上で放逐ぐらいは覚悟していた。


 なのに、与えられた罰は給金の減額、身代金に関しては最初から保証などされるとは思っていなかったので論外だ。


「……処罰というのは、誠にそれですか?」

「そうだが、何だ不満か?」

「も、勿論恩義あるルプホール卿の命でございます。不満などあるはずもありませんが、ですが、私の立場などは流石にそのままというわけにはいかないのでは?」

「確かにそれに関しては周囲からの反撥は大きかったが私が黙らせた。お前はこれまでどおり私の側近として仕えさせる。ただし、敢えて言うならお前にはこれまで以上に私の側にいてもらう。単純な執務はもうしなくて良い。私の身の回りの事が主な仕事だ。それと――もう一つアクドルクの世話も全てお前に任せる」


 え? と思わず素の感情が表に出てしまうハラグライ。直ぐに手て口を塞ぎ取り繕い。


「私がご子息のお世話をですか?」

「そうだ。それともうご子息などと形式的な物言いはよせ。今後は息子が意識を回復できるよう、貴様が全ての世話を焼き、しっかりと声掛けし少しでも早く目覚めるよう務めるのだ」

「し、しかし本当に私で宜しいのですか?」

「くどい! それと言っておくがこれは簡単な事ではないぞ。今も言ったがアクドルクの世話はお前に一任させることで既に決まっている。お前一人でだ。メイドの助けもない。食事もお前が作れ、確かお前は息子の好みも熟知していた筈だしな。当然身体も毎日しっかりと拭き、着替えもさせ、下の世話だってするのだぞ? その上で私専属の側近の仕事もしっかりこなすのだ。出来るな?」

 

 アクメツに確認される。ハラグライには当然戸惑いはあった。これは出来る出来ないという話ではなく、何故それを自分などに任せるのか? という疑問だ。

 

 だが、領主たるアクメツにこう命じられてはハラグライに断る権利などあるはずがなかった。


「……このような失態を犯してしまった私に寛大な処置を頂きありがとうございます。その気持ちに応えられるよう誠心誠意務めさせていただきます」

「……寛大、か――」


 アクメツはどこか遠くを見るように目を細め一つ呟く。

 そして、もう良い下がれ、と言われた事でハラグライも辞去した。


 そしてハラグライはその日のうちには仕事に復帰。

 アクドルクの世話からアクメツの業務のサポートなどその毎日は多忙を極めた。

 だが、それ自体は問題はない。むしろ忙しいぐらいの方が気が紛れる。


 問題は、やはりハラグライへの処罰が軽すぎた事だ。その為、騎士団長や他の執事の間でもハラグライに対する不満が募り、陰口は勿論の事、あからさまな嫌がらせも受けるようになった。

 

 以前はその仕事ぶりからかなりの人望を集め、信頼もされていたハラグライだが、信頼を勝ち取るのはあれほど時間掛かるのに、失う時は一瞬だなと自虐的な笑みを浮かべたりもする。

 

 メイドや使用人ですら腫れ物を扱うように近づいてはこなかったが、ハラグライはそれで構わなかった。本来は死すら覚悟したのだ。むしろこの程度は生ぬるいとも言えるだろう。


「アクドルク様、本日は鶏肉のスープをお作りいたしました。グリンウッド地方の――」


 そんなことを説明しながらハラグライはアクドルクの口にスプーンを当てていく。

 

 だが、やはり辛いのはアクドルクの症状がいつまで経っても好転しないことか。

 その理由を目の当たりにしているだけに心苦しくなる。


 勿論ハラグライもただ自分で世話しているだけではなく、色々と情報を集め、様々な治療のための薬を試したり、聖導門の総本山とも知られる神聖教国ソフォスから高名な聖魔導師に願い、わざわざ城まで出向いて貰った上で聖魔法を試してもらったりもしたが、それでもやはり効果は芳しくなかった。


 そんな事を繰り返している内にあっという間に月日は流れ、一年を過ぎ、それでも反応を見せないアクドルクの姿にアクメツが怒りを露わにすることも多くなった。


「ハラグライ! 貴様一体何をしているのだ! アクドルクの世話を無駄にさせるためだけに貴様に任せているわけではないのだぞ!」

「……申し訳ありません――」

「謝って済む問題か! この! この!」


 この頃からアクメツはよく棒型の鞭でハラグライを打ち据える事が多くなった。

 イライラのはけ口としてもハラグライに当たり散らすようになっていた。


 だが、それすらもハラグライは甘んじて受け止めていた。城には味方など一人もいなかったが、己のしてきたことを考えればそれも仕方がなかった。


「ふん、ハラグライよ。貴様は相変わらずのようだな。たった一人であの息子の臭い下の世話までしてるそうじゃないか、ご苦労なことだ」


 ある日すれ違った騎士団長が厭みったらしくそんな事を言ってきた。この団長は特にハラグライに絡んでくる。選ぶ言葉にも遠慮がない。

 

 ただ、ハラグライは自分が何を言われようが気にする事はなかったが――


「貴方もこの城で騎士団長という立場を任されているなら、言葉はよく選んだほうがいい。今のはアクドルク様を貶める発言ですぞ」

「……ふん、口だけは減らないな。大体いつまでたっても症状に全く進展がないそうではないか。今も変わりなくまるで人形のようだともっぱらの噂だぞ? それもこれも全て無能で脆弱な貴様のせいだと言うのに、閣下も何を考えているのやら。今万が一何者かに狙われでもしたら、このような腑抜けでは守りきることなど出来ぬぞ。まあ最もあのような出来損ない、誰が狙うのかと言った話だが――ッ!?」

「私は、口を慎めと言ったつもりだが?」


 下卑た笑みを浮かべ小馬鹿にするように言いのける団長であったが、その瞬間、肉薄したハラグライの短槍がその喉に突きつけられた。


「な、な、んだ、と?」

「私はこれでも反省しているのですよ。私が弱かったばかりにあのような目に合わせてしまった。だから、あれから暇をみてこれの訓練を続けておりました。これであれば、利き腕でなくてもなんとか扱えそうですし、携帯用にもぴったりだ。いざという時の護衛に役に立つ」


 そういいつつ、袖の中に短槍をしまい込む。どうやら常に隠し持てるよう袖の部分にも仕掛けが施されているようだ。


「それにしても、少々腕が訛り過ぎでは? 私についてとやかく言うのは好きにしてくれて構いませんが、侵入者が現れた場合、先ず最初にどうにかしなければいけないのはあなた達騎士団だ。平和ボケも結構ですがもう少し気を引き締めて頂かねば安心して城の警護を任せられませんぞ」


 そう言い残しハラグライはその場を立ち去った。悔しそうに血走った瞳を向け歯ぎしりしている団長を他所に――





 それは青天の霹靂であった。

 あれから更に時が過ぎ、丁度アクドルクが一〇歳の誕生日を迎えたその日の事であった。


 いつも通りスープを飲ませ、全く反応を見せないその姿に嘆息しつつ、皿を下げようとしたその時――アクドルクの指がピクリと動いたような、そんな気がした。


 え? とゆっくりと振り返ったアクドルクの視界に飛び込んだのは――ベッドから上半身を起こすアクドルクの姿。


「……長い、夢を見ていたようだ――」

「あ、ああ、ああ、ああぁあああああぁああぁあ!?」

 

 感激のあまり腰が砕けそうになるが、直ぐ様ハラグライはアクメツに知らせに走った。


 話を聞いたアクメツは弾けたように部屋を飛び出し、アクドルクの下へ息せき切って駆けつける。


 そしてニコリと微笑んだ我が子の身体を強く強く抱きしめた。


「……痛いよ父様。まだ上手く力が出ないんだ、もう少し、優しくしてくれると嬉しいかな」

「ああ、済まない、ああ、アクドルク、アクドルク、我が、最愛の息子よ――」


 アクドルクが目を覚ましたという知らせはその日の内に城を駆け巡り、街にまで広まった。


 正直言えば、アクドルクにとってもあまりに壮絶な出来事が多すぎたわけだが、この日ばかりは城を上げて彼の目覚めを喜んだ。


 そして、次の日、改めて母の死やアクドルクがこれまでどのような状態であったかを知らされた。


 ただ、どうやら記憶がいまいちはっきりしないようだったので、薬の事や盗賊に何をされたかなどは敢えては伝えることはなかった。


 そして、彼が目覚めてから元の身体にいや、それ以上の状態にまで健康状態を戻すために復帰のための訓練が開始された。


 しかし、アクドルクは泣き言一つ言わずそれをこなし、更に積極的に学業に努め、空白の三年間を僅か半年で埋め、そこからは帝王学を学び、父親の仕事も手伝い、領地経営についても積極的にかかわっていくようになったのだが――


 アクメツが大病を患ったのはアクドルクが一六歳になってからの話であった。

 それでも彼にしっかりと領地について学ばせ何の悔いもなく世襲するため、父として病に蝕まれる身体に鞭を打ち、彼に様々なことを教えていった。


 勿論ハラグライも一生懸命尽くした。そして――アクドルクが一八歳の誕生日を控えたその日、ハラグライは、遂に動くこともままならなくなり、ベッドで寝たきりになっていたアクメツの部屋に一人呼ばれる事となる。


「……お身体の具合は如何でしょうか?」


 ハラグライが部屋に入り、無言で暫く虚空を見つめ続けるアクメツに切り出した。


 正直言えば恩義あるアクメツの変わりきった姿を見ているのが辛かった。彼の身体は病魔に蝕まれ既に骨と皮だけといった様相だ。髪の毛すら完全に死滅してしまっている。


「……見れば判るであろう。私はもう、長くはない」

「そんなこと――」

「気休めはよせ。自分の身体の事ぐらい自分が一番良くわかっておる」


 そう言われては、ハラグライにはそれ以上何も口にすることが出来なかった。正直ハラグライとて理解しているからだ。もうアクメツは長くないという事実に。


「私が、お前を呼んだのはそんな事を話すためではない。これからのことを伝えるためだ」

「これからのことですか?」

「そうだ、私はもうすぐ死ぬだろう。そして私が死んだ後、爵位もこの領地も息子のアクドルクに引き継ぐつもりだ」

「それは存じあげております。ルプホール様が辛い身体に鞭を打って、王国に報告に向かい、各地の領主にも顔合わせを済まし、私の方でも懇意にしている商会関係へのある程度話は通してあり、大体のお膳立ては整っておりますので」

「……ああ、そうだな。そして、当然だが私が死んだ後はお前を扱う権利も息子に引き継ぐことになる」


 それを耳にし、ハラグライは、私のですか? と問い返した。


「そうだ、なんだ不満か? そろそろ解放されたいとでも思っているのか?」

「いえ、そのような事は。ですが、私などで本当に宜しいのでしょうか?」

「逆だ、お前でなければ駄目なのだ」

「……ルプホール様にそこまで買って頂けるとは感謝の言葉もありません。正直言えば今でも側近として務めさせて頂けているのが信じられないのですが」

「余計な話は良い。引き続き、今度は息子の側近として尽くす、それで問題はないな?」

「そう言って頂けるなら、これほど光栄な事はございません」

「……本当にそう思っているのか? そんな事を言いながら、貴様はまた(・・)裏切るのではないか?」

 

 その問いかけに、ハラグライは目を伏せ答えあぐねる。だが、判っております、と口にし。


「アクメツ様のお気持ちは尤もです。私とてあの日の事は一日たりとも忘れたことはありません。私が不甲斐ないばかりに――奥方の命を失う結果となり、アクドルク様も、一〇歳になるまで意識が戻られなかった」

「勿論それもそうだが、私が言っているのはそれだけの話しではない」


 過去を思い出し、拳を握りしめ、悔しさを滲ませるハラグライであったが、アクメツから続けられた言葉に、え? と顔を上げた。


 そんなハラグライにアクメツは顔を向け、そして告げる。


「お前、私の妻と寝てただろ?」


 ふぉおおぉっ!? とわけのわからない感情が去来し、息を呑む音が静かな部屋には良く広がった。


 顔をひきつらせ、目を見開き、口は半開きといった様相。


 その顔を見て、やはりな、とアクメツは確信したように呟き、ハラグライは覚悟を決めた。


「……い、一体いつごとから、き、気づかれていたのですか?」

「……それはだ――」


 アクメツがそれを伝えると、再びハラグライは驚愕した。


 なぜならアクメツが気づいたと告げた日は、最初に彼がアフェアを抱いた直後のことだったからである。


「私とて馬鹿ではない。見ていればそれぐらい判る」

「な、ならばどうして今まで黙っていたのですか?」

「フンッ、最初は八つ裂きにしてやろうかとも思ったものだけどな。だが、私はあいつの気持ちにも気がついていた。それを思うと不憫でな。私は不器用な男だ。愛することと仕事とを両立することなど上手くは出来なかった。だから、それならせめて浮気ぐらい許してやろうと思った。その相手が、お前であれば、まだ許せるとも思った」


 それを聞いた途端、ハラグライの中に芽生えていた罪悪感がよりいっそう強まった。


「……あの時、私が暫く留守にし王都に向かうことになった時に、お前にふたりの事を託したのも、そういった思いからのことであった。だが、だがお前は見事に私を裏切った!」

「……返す言葉もありません」


 もはや謝罪の言葉などいくら述べたところで意味が無いことは彼が一番判っていた。


「……私を部屋に呼んだのは、そのことを告げるためだったのですか?」

「違う、肝心なのはここからだ」


 そしてアクメツはキッとハラグライを睨み据え断言した。


「私は、あの日から、一日たりとも貴様を許したことはない!」

「……え?」

「判らないか? お前は以前、私にこういったな。側近として残したことに寛大な処置だと。だがな、それは違う。私には判っていた。あの状況で貴様の立場をそのままにしたならどうなるか。そして実際お前はこの城でも孤立した。後ろ指をさされ、やっかみを受け、毎日のように嫌がらせを受け続けた。お前のそんな姿を見て、私は溜飲を下げていたのだ! アクドルクの世話を任せたのは、貴様が忘れない為だ! 何も守れなかった、愛した女すら見殺しにした、そんな惨めな自分を、情けない自分を! そして生涯自分を責めさせるため、息子の世話を続けておけば、お前は忘れたくても忘れない! あの日の事を風化などさせてなるものか!」

「ルプホール様……」

「だが、そんなことをしても無駄だった。そんなのは精々一時的なものでしかない! お前がどれだけ惨めであろうが、お前がどれほど罪を悔いようが、私の気持ちは晴れない! 晴れることない! はっきりと断言してやろう! 私はお前を今も! これからも! 恨み続ける! 例え今日明日死ぬような事があっても、この恨みは墓場まで持っていく! 魂だけの状態になっても決して消えぬ! 私は! 私は、ゴホッ! ゴホッ!」

「る、ルプホール様! それ以上はお体に障ります」

「えーい! 私に触れるな忌々しい!」


 立ち上がり伸ばされたその腕をアクメツは振りほどいた。


「はぁ、はぁ、だが、結局死んでしまえば、お前に私の恨みが届くことはないだろう。だから、引き継ぐのだ。アクドルクに、私の、この思いを! 怨嗟を! ゴホッ! お前には教えてやる、あいつは以前の記憶はあまりないと皆には言っていた。だが、あれは嘘だ! とっくに息子は思い出している! 自分の母親がお前とどういう関係にあったか! 森で貴様があいつとの情事にうつつを抜かしている間に、襲われたことも! 拐われて、目の前で母が死に、惨たらしくバラバラにされたことも! その後自分がどんな目にあったかも、その全てを! 覚えておけ! あいつの恨みは私なんかよりずっと深い! だがそれは、ゴホッ、お、お前だけに対するものではない――はあはあ、だが、約束しろ! 誓え!」


 ハラグライはただ黙って彼の言葉を聞き続けた。なんとなくであるが、これが自分への遺言になることは察することが出来たからだ。


「お前が、本当に私や息子に対して償いたいという気持ちがあるなら! 贖罪の気持ちがあるなら! これから生涯、お前は絶対に、息子を裏切るな! 例え何があっても、例え息子が人の道を外れようと! 世界中を敵に回すことになろうと! それでもお前だけは、ハラグライ、お前だけはあいつを裏切らないと、側で仕え続けると、誓うのだ! 何があっても、何があってもだ!」


 吐血し、鼻血を垂らし、それでもアクメツは語り続けた。喉が枯れても、最後までアクメツはハラグライに言って聞かせた。


「はぁ、はぁ、ゴホッ、覚えておけハラグライ、これは、楔だ! お前を一生捕らえ続けるための、決して裏切らないための、怨嗟の楔だ! お前は、お前はーーーーーー!」


 血反吐を垂らし続けながらもハラグライに訴える。そんなアクメツにハラグライは決意めいた瞳を向けた。


「……判っております」

「……ハラ、グライ――」

「とっくに私には覚悟が出来ております。だから約束いたしましょう。何があっても、例え世界を敵に回そうとも、私はアクドルク様を、決して裏切りません」

「……ふふっ、その言葉が聞きたかった、頼んだぞ、アクドルク――」


 そしてこの直後、アクドルクが一八歳の時を迎えたその瞬間、アクメツは眠るように息を引き取ったという――

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