第三五五話 ハラグライの過去~罪~
気がついた時、ハラグライは己の無力さに、不甲斐なさに、絶望した。
既に盗賊たちの姿も、アクドルクとアフェアの姿も見えなくなっていた。
空を見上げると既に陽は西に大きく傾き始め、湖はすっかり茜色に変化していた。
やたらと頭がズキズキする。気絶するにしても時間が長すぎる。頭の傷みと合わせて考えると、倒れた後も何らかの薬を嗅がされたか、魔法を受けたか――恐らく前者であろう。連中には魔法の使い手らしき者の姿はなかったが、会話から罠の使い手がいるのは判断できた。
それであれば、ある程度薬学に精通している可能性も高い。
立ち上がり、思い出す。正面の木を見ろと。そしてハラグライは言われたとおり湖を背にして正面を向くが、そこから見える樹木の一本に、ナイフが突き刺さり固定された羊皮紙。
ハラグライは急ぎ足で樹木の前に向かい、そしてナイフを抜き取り、紙に目を通した。
その内容は、いわゆる脅迫状である。
しかも、身代金目的の物だ。それによると、三日後にここから更に南西に向かったストーンウォール山脈の洞窟へ、身代金を持ってハラグライに一人でやってこいとあり、人質はその時に交換するとも記してあった。
身代金の金額は五〇〇〇万ジェリー。もし用意できなかった場合にふたりがどうなるかは――この奥にいる騎士の姿を見れば嫌でも想像がつくだろう、とそうも書かれていた。
ハラグライはその紙を引き千切らんばかりに強く握りしめたが、とにかく残された服に着替えを済ますと、護衛に連れてきた騎士を探した。
そして騎士はそれほど時間もかからず見つけることは出来た。
だが、紙に記されていた内容から予想はしていたが――それはあまりに酷い光景であった。
騎士団一の体格を誇り、重装鎧を着こなしていたマラガーに関しては、先ず兜は脱がされ、その上で顔はズタズタに切り裂かれ耳や鼻も切り落とされ、両目ともにくり抜かれてしまっていた。
何より酷いのは、鎧から滲み出る出血から、相当甚振られた事が察せられることだろう。マラガーは筋肉もあり、奴らは鎧の隙間から刃を通し、切り刻んでいったのだろうが、その分簡単には死ぬことが許されない。
その状態で散々傷つけられ、抉られ、そして最後にその顔を判別できないぐらいにまで刻まれたのだ。
ドンにしても、その有様はやはり壮絶としか言いようがない。恐らく奴らはまず彼の両足を切断し、残った両腕を縄で縛り木と木との間で吊るすようにした後、切り落とした脚から出た血を利用してその身体に的を描いたのだ。
両足を切り落としても生き長らえたのは、やはり奴らの中に薬に精通する誰かがいたからなのだろう。どちらにせよ的にされたドンには、胴体に無数の矢が突き刺さっていた。
そうとう苦しかったのか、苦悶の表情を貼り付けたまま息絶えてしまっている。どうやら額は一番高い点数を設定したようだが、それをトドメに利用されたようだ。
最後に、リースになるが――彼女に関して言えば別な意味で惨たらしいことになっていた。
鎧は剥ぎ取られ、内着もビリビリに破かれ半裸の状態であり、彼女が何をされたかなど残された匂いと状況を見れば容易に想像がつく。
しかもやつらはやるだけやった後、彼女を拷問に掛けたようであり、何が行われたかは周囲に散らばった四肢と馬の足跡から想像がついた。
縄の残骸も残っている辺り、縄で両手両足を縛り、馬に引かせたのだろう。
そして、最後には首から上を刎ねて終わらせたようだ。
それはあまりに凄惨な光景であり――ハラグライも暫し言葉を失った。
「リース、ドン、マラガー……私のせいだ、私、の、済まない、済まない――」
膝を落とし、地面に両腕を何度も何度も振り下ろし、慟哭した。
だが、いくら嘆いたところで結果は変わらない。
むしろ問題なのはこれからだ、奴らはこの騎士たちの姿を見て判断しろと書き残していった。
つまり身代金を支払わなければ、そして一人でこいという約束を守らなければ、どうなるかなど想像するに容易い。
「……お前たちの供養は後でしっかりするからな。とにかく、急がねば――」
ハラグライはなんとか精神を奮い起こし、湖まで戻る。荷物と馬の殆どは奪われていたが、それでも一頭だけは残されていた。
それを駆り大急ぎで城へと戻り、城に残された主要人物達に状況を説明する。
もちろん自分の失態を認めた上でだ。
「……まさかルプホール卿がいない時に限ってこのような事態が起きるとは――」
「と、とりあえず身代金を素直に支払ったほうがいいのでは?」
「待て、支払ったからといって確実に戻ってくる可能性があるのか?」
「だからと言って見捨てるわけにはいくまい。ただ、流石にこの金額を領主の許可無くとはいきますまい。側近のハラグライ殿も、この体たらくぶりですからな」
予想はしていたがハラグライの失態に対して周囲の反応は冷たかった。勿論アフェアとの関係までは打ち明けていないが、みすみすアクドルクを人質に取られ、横から不意打ちにあい気絶し、そしてアフェアも連れ去られた上、騎士団の騎士三人も失ったのだ。
「……マラガーもドンも、そしてリースも優秀な騎士だった。それがこのような目にあうとはな。かつての英傑たる貴様を信じてこそ今回の任につかせたというのに、みすみす部下を失うことになってしまった。この責任、貴様どうとるつもりだ?」
ルプホール騎士団の団長がハラグライを睨み据えながら問う。
だが、それに対して明確な答えなど出せるはずもない。ハラグライには精々謝罪するぐらいしか出来ないのである。
「まあまあ団長。お気持ちは判りますが、領主不在の今、それを言っても仕方ありません。それよりも今後の対応です」
「とりあえず早馬を走らせましょう。やはり辺境伯の意志も仰がず進めるわけにも行きませんからな」
「ふん! むしろその程度の盗賊、身代金などみすみすくれてやる必要なし! 我ら騎士団が赴き全員の首を取ってくれようぞ!」
団長が息巻きながら宣言する。部下を失ったのがよほど悔しいのか、鼻息も荒く、意地でも盗賊どもを許してなるものか、といった意気込みも感じられるが――
「……やれやれ、確かに今回の件、私の失態なのは間違いのない事ですが、それにしても揃いも揃ってとんだ無能集団ですな」
それを発したのはハラグライであった。これだけの事をやらかしておきながらいけしゃあしゃあと語るその姿に皆の視線が集まった。
「貴様! 一体誰のせいでこうなったか判っているのか!」
「もう許せん! 盗賊の前に貴様を切ってくれようか!」
特にこの中でもふたりほどが短気を起こしているようだが、ハラグライは構わず続ける。
「どうぞお好きなように。ですが、お忘れになっては困りますぞ。今はまだ私がルプホール辺境伯の側近であることに変わりはないと」
な!? と全員が絶句する。一体どれほどまでに面の皮が厚いのか、と信じられないようなものを見たような目を一様にみせた。
「その上で言わせてもらいますが、皆様は本当に奥様とご子息を救出する気があるのですかな?」
「なんたる無礼な! だからこそこのように話し合いの場を!」
「ただ闇雲に無駄な話し合いを続けたところで何の意味もありません。馬鹿なのですか? そもそも期限は決まっているのです。こんな場所でぐだぐだと話している暇など本来はないのです」
ぐむむっ、とこの領地におけるナンバースリーからナンバーファイブまでの男たちが歯噛みしてみせた。
「それに先程から聞いていれば出る案もしょうもないものばかり。早馬を走らせる? この城では計算も出来ない輩が大手を振るって歩いているのですかな? ここから王都までいくら早馬を走らせたところで三日では到着出来ませんぞ。その上、ルプホール辺境伯は会議の真っ只中だ。まともに話ができる状態ではないであろう」
ハラグライの意見に、早馬を走らせる事を提案した男が押し黙った。
「それに、団長は騎士団を率いて奴らの首を取るような事を申されましたが、それこそ愚の骨頂。本当、ここの騎士共は団長すら脳みそが筋肉で出来ているのですかな?」
「な、なんだと貴様ーーーー!」
机を叩きつけ立ち上がり、今にも飛びかかりそうな団長を周囲の騎士たちが止めた。
「血の気が多いだけというのも困りものですな。そもそも奴らが指定したストーンウォール山脈はその名の通り数多の岩山が壁のように連なり合っている山脈です。奴らの指定した洞窟までの道も絶壁に阻まれ道も細い、こんな場所にどれだけの数で向かっても意味はありません。その上、この場所はこちらから赴くには死角が多く、逆に相手からは達観しやすい。そんなところにぞろぞろと騎士や兵を引き連れていけば、指定した場所に付く前に逃げられておしまいです。勿論奥方やご子息も二度と戻ることはないでしょう」
敢えて憎まれ口を叩くハラグライ。だが、彼がこの連中の会話にイライラしていたのは事実だ。何の進展もない話をこれ以上続けられていては、今とてアフェアがどんな目に合わされているか判ったものではないのだ。
「貴様! そこまで言うからには、何かいい案の一つでもあるのだろうな!」
そして団長が叫ぶ。乗ってきたとハラグライは内心ほくそ笑んだ。
「勿論です。そもそも案などという大したものではありません。奴らの言うとおり、私一人が身代金をもって指定した場所に向かえば良いこと」
は? というどこか冷ややかとした空気がその場に充満していく。
「何を馬鹿なことを! そんな事をしては、それこそ賊共の思う壺ではないか!」
「その通りだ。身代金を持っていったからと、人質が無事戻ってくるとは限らないだろう」
次々と反論がぶつけられるが、しれっとした表情でそれを受け止める。
「奴らはわざわざ私に人質がいることを示し、身代金まで要求してきている。当然、人質と交換でなければ取引が成立しないことぐらい馬鹿でなければ判ることだろう。こちらが身代金を持っていっても、人質の無事が確認出来なければ意味がないですからな」
「い、いやしかし、その場では無事でも、お金を手にした途端どうでるかなどわからぬであろう!」
「その通りだ。それに貴様は戦う力を持たないではないか」
団長が射るような瞳でハラグライに告げる。確かに今回の件にしてもハラグライの武力が足りないばかりに招いた事だ。
「確かにその通りですが、三日もあればその場を乗り切るための道具程度揃えることは可能です。例え直接戦う力がなくても、その分この頭脳でカバーして見せましょうぞ」
はっきりと断言するハラグライ。その自信さえも感じさせる物言いに、場がざわつくが。
「しかし、肝心の身代金はどうするつもりだ? まさか貴様、側近である立場を利用し、これだけの事をやらかしておきながら金庫のお金に手を付けるなどいうつもりではあるまいな?」
「その心配には及びません。領内の資金は一切手をつけるつもりはありませんからな。身代金の五〇〇〇万ジェリーは私個人が責任を持って用意いたします」
その言葉に、ナンバースリーの男がほぉ、と漏らし。
「つまり、全て自己責任で行うと、そういう事でいいのだな?」
「そう捉えて頂き構いません」
そこまで話を聞き、団長と他の責任者達が話し合い――そして言った。
「判った。確かに今回の件は下手に動いても人質となったおふたりの命を危険に晒すことにつながるかも知れぬ。だから、その全てはお前に任せよう。ただし、あくまで自己責任でだ。どのような結果になろうとも、領主にはお前が勝手にやったことと申し伝えるからな」
「……承知いたしました」
これは、いうなればただの責任逃れだ。ハラグライ以外の全員は、正直言えば人質の救出など絶望的だとそう考えているのだろう。
ならばハラグライ一人に責任をもたせるのは決して悪い話ではない。
そして当然それはハラグライとて理解していた。だが、今は誰が責任どうのこうの言っている場合でもなく、そもそもでいえば拐われた事に関して言えば全面的にハラグライが悪いのは言い訳しようのない事実だ。
だからこそ、せめて人質の救出は何が何でも成功させなければいけない。
それは自分の為などではなく、愛するアフェアの為に――
ハラグライは先ず最初に城まで来た時に乗ってきた持ち馬を準備し、大急ぎで家を構えた町まで疾駆した。
馬には魔法の薬を飲ませ、無理やり昼夜休まず駆けさせる。確実にこれで愛馬は潰すことになるが今は四の五の言っている場合ではない。
そして町につくなり商会に自ら赴き、不動産を担当している男を呼びつけ、土地と家を売りたい旨を申し出た。
勿論急いでいる為、お金も至急用意してほしいと。更にかつて武勲を上げた際に褒美として賜った品も売り飛ばし、騎士の思い出として大切に保存しておいた鎧や槍も売りに出した。
勲章も純金で出来ている物は売却し、その他身の回りの物で金になりそうな物は全て売り払った。
即金を希望したため、随分と買い叩かれてしまったが、それでもなんとか銀行に預けてあった蓄え分と合わせて五〇〇〇万ジェリーを用意することが出来た。
更に余ったお金でいざという時に使える道具を揃える。勿論あまりかさばるものでは目立つので、服に切れ込みを入れて忍ばせる程度のものだ。
そして唯一残った財産とも言える馬に乗る。とは言え行きの馬と同じでこの馬も使い潰すことにはなるだろう。
城に戻っている暇はないので、そのまま奴らの指定した山脈まで馬を飛ばした。今回も魔法薬に頼り、昼夜構わず駆け続ける。
当然だが、ハラグライとて眠ってはいない。だが、そんなことで弱音を吐いてはいられない。愛する女とその子供の命が掛かっているのだ。
ストーンウォール山脈には予定通り、指定された日に到着する事が出来た。相当無茶をさせてしまったので馬も山脈の入り口近くで息絶えてしまい、ハラグライはその苦労を労い黙祷を捧げた。
しかし埋めて上げるような時間はない。ここまで大儀であったと言い残し、山を登る。
予想通り、道といえるような道もないような険阻な岩山であった。左右も絶壁に阻まれ、馬での移動などとても無理であろう。
そして、同時に見上げればあの盗賊の仲間らしき獣人が俯瞰してきているのが判る。
これでも連中と落ち合う洞窟まで唯一下から登っていける道だけに、もしハラグライ以外の面々が、つまりあの騎士団長が言っていたように討伐隊でも組んでやってきていたならすぐに見つかって人質の無事どころの話ではなかったであろう。
それによく見るとあちらこちらに大量の岩を乗せた網の罠が張られている。丸太を利用して作成されたバリスタもどきも散見できた。
なのでハラグライは敢えて身代金の入った鞄を掲げ相手にアピールする。その際、念の為に用意しておいた松明を近づけるのを忘れない。
何かしてくるようなら問答無用で金は燃やすという意思表示だ。身代金が目的であればこれは効果覿面の筈であり、実際連中がそれ以上何かを仕掛けてくる事はなかった。
険しい岩山の道を登り続け、ようやくハラグライは目的の洞窟にたどり着く。中は結構広いようなので、松明を持参してもそう簡単に息苦しくなることもないだろう。
そのまま進み続けると、微かに甘い匂いが鼻孔を突く。花の匂いだろうか? 城を出てから全く寝ていないためかなり五感が鋭くなっているのかもしれない。
そのまま横穴を歩き続ける。奥に行くほど薄暗くはなっていくが、途中からヒカリゴケが壁面にこけむしっており松明の明かりと合わせて多少は視界が確保されている。
そもそもからして道が一本道な為、迷う心配もなく、ある程度進んだ先で横穴は広がりを見せ、つきあたりにはちょっとした空洞が出来上がっていた。
そして奥の方には視界を塞ぐような縦長の岩と、腰を掛けるのに丁度良さげな丸い岩が確認でき、丸い岩の上ではあの狼の耳と尻尾を生やした盗賊の頭が座っていた。
その周りには仲間の獣人の姿もある。
「よく来たな。しかも約束通り、しっかり一人で来るとは感心感心」
「……人質は無事であろうな?」
立てた膝の上で頬杖をつき、頭が底意地の悪そうな笑みを浮かべると、ハラグライがふたりの安否を問うた。
「――おいおい、何か勘違いしてないか? 言っておくが主導権はこっちが握ってるんだ。人質の前にそっちがちゃんと身代金を持ってきたか確認する方が先だぜ」
その言葉だけでは、アフェアとアクドルクが無事かは判断がつかない。
だが、確かに状況としてはハラグライに選択権はない。とりあえず、連中に納得してもらおうと、用意したバッグの被せを開け、松明を持ちながらも器用に鍵を開け中身を見せる。
びっしりと詰まった革の貨幣に、盗賊たちの歓声が上がった。更にハラグライは奥の貨幣も見えるように返し、更に手にとって見せて確認させる。
「見ての通り、貨幣は全て本物。言われたとおり五〇〇〇万ジェリー分ある」
「……おい、お前、確認しろ」
「へい」
ハラグライの言っている事に嘘はなかったが、しかし相手は抜け目ないようで、中身の確認に入ろうとしてくる。
「待て! その前に人質の解放が先だ! 少なくとも私の側まで連れてきて貰わなければ、確認の為でもこれを渡すわけにはいかない」
「……あ? お前判っているのか? 立場は――」
「なんなら、この場でこの金を全て燃やしてもいいのだぞ?」
言ってハラグライは用意しておいた松明の火をバッグに近づけた。
すると、頭がチッ、と舌打ちする。
「おい、あれを」
「へい!」
そして頭が命じると、仲間の一人が奥へと歩いていった。
「……人質をアレ呼ばわりとはな」
「仕方ないだろ、こっちもちょっとした手違いがあったんだからな」
頭を不機嫌そうに睨みつけるハラグライであったが、その直後返された不穏な言葉に眉をひそめる。
「ちょっと待て、手違い、と、は、な、なんだ――」
ハラグライはそれを問いただそうとするが、その途端額に手を当て、脚がふらつき、がくりと地面に膝を付けた。
「どうやら、やっと効いてきたようだな」
「き、貴様、何を?」
「な~に、ちょっと洞窟内に特殊な花粉をばらまいておいただけさ。かなり細かいから目では見えなかっただろうがな」
花粉? と繰り返し、そして同時にここに来るまでに嗅いだ甘い匂いの事を思い出す。
「あれは少々特殊な花粉でな。俺たち獣人にはただの甘い香りだが、どういうわけか人族相手だと立っていられないぐらいの目眩を引き起こすんだよ。まあ、とは言っても完全に気絶するようなもんじゃねぇから、口は聞けるだろ? まともには動けないだろうがな」
口元を歪める頭。そして仲間の獣人がハラグライの手元からひょいっとバッグを取り上げ頭の前まで持っていく。
「お、お前ら、最初から、まともに取引する気はなかったのか?」
「おっと、勘違いするなよ? 俺達はこれでも清く正しい盗賊団【獣の狩人】だ、約束は守るは守るさ。ただ、ちょっと手違いがあったと言っただろ?」
「頭、確かに五〇〇〇万ジェリーありましたぜ」
「おう、そうか。だったら約束通り人質を引き渡すぜ、一人ずつな」
「な、何?」
ハラグライは片目を瞑りつつも、わけのわからないといった表情で頭を見上げた。
どうやら人質を解放する気はあるようだが、最初からそのつもりならば、わざわざハラグライの動きを封じる必要があったのか? と疑問に思っているのだろう。
「ほらよ、まずは女だ」
すると、そう言って仲間がドサッ、ドサッ、ドサッ、とハラグライの目の前に布の袋を置いていく。それは全部で六袋あった。
それに何の意味があるのか、暫く理解が出来なかったハラグライだが――
「さてと、それじゃあ感動の、ごたいめーーん!」
獣人達がどこか愉快そうに吠え、紐を解き、その中身をハラグライに確認させるが。
「……え? は? う、う、うわぁああぁあああああああぁああぁあああああぁあああ!!」
絶叫が洞窟内にこだました。それは勿論ハラグライの絶叫であり、盗賊たちも思わず耳を塞ぐ。
「やかましいな。俺達はお前らより耳がいいんだから、あんま騒ぐな。全くこの状態でも随分と声が出るものだな」
呆れたように頭が述べる。その眼の前ではハラグライが涙し、喉を鳴らし続けていた。目の前に置かれた物体――アフェアの頭、胴体、両腕、両足、そのばらばらの部位に絶叫しその両目を見開き慟哭した。
「き、貴様ら! どうしてだ! どうして人質を殺したーーーー! 何故だ! 何故ーーーー!」
そして顔を上げ、頭を睨み声を張り上げる。すると特に悪びれた様子も見せず頭は首をすくめた。
「おいおい、だから言ってるだろ? 手違いだって。これは事故なんだよ」
「――事故、だと?」
「ああ、そうだ事故だ。いや何、俺達も身代金が来るまでの間は退屈だからな。薹が立ってるとは言え折角のいい女だ。それなりに楽しませてもらおうと思っていたわけよ」
その話を耳にしながら、ハラグライは悔しそうに唇を噛んだ。滲んだ血が地面に滴り落ちる。
「それでだ、どうせならこの女にも楽しんで貰おうと、俺たち特製のお薬を試そうと思ったわけよ。上手く行けば裏取引にも使えそうな一品で、丁度実験体が欲しかったしな。それでだ、最初の一、二回の使用は良かったんだけどな。この女も乱れに乱れて、本当見せたかったぜ? もうお前の事も本当の旦那もどうでもいいとさえ言ってな、体中からあらゆる液体吹き出してな」
ケタケタ笑いながら頭は話を続ける。ハラグライの眼は充血し血管が浮かび上がり、鼻血さえ零していた。
「だけどな~ちょっとやりすぎたというか、三回目のお薬で突然泡を吹き出してな。そのまま倒れてはいさようなら。どうやら心臓が持たなかったみたいでな、薬が強すぎたんだろうな~がはは、いやいや参った参った」
「そんなこといいながら、頭も結構楽しんでたじゃないですか」
「あん? まあそりゃそうだ。あんなの見せられたら俺だってそりゃなあ。まあ、そんなわけで、この女もあっさりくたばったもんだから、そのままじゃお前も持ち帰るのに面倒だろ? だから親切心でバラしておいてやったんだよ」
「ふ、ふざけるなーーーー! 貴様ら、それでも、それでも、それでも、あああぁああっぁあぁああああ!」
再びの雄叫び。あまりに悲惨な姿に、残酷な真実に、思うように言葉が出てこない様子。
「おいおい、そうは言うけどよ、俺たちはむしろお前には感謝してほしいぐらいなんだぜ?」
「か、感謝だと? これをみて、この私に、か、感謝だと?」
「ああそうさ。なにせこのアバズレと来たら、薬を使おうとしたらやたら暴れてな、こんな事を言いやがったんだ『お腹に赤ちゃんがいるの、だからそれだけはやめて!』てな。薬で子供が死ぬと思ったんだろうけど、これお前のガキだろ? だとしちゃたまったもんじゃないよな? 許されざる仲だったってのにあの女産むつもりだったんだぜ?」
その話に、ハラグライの中で何かがガラガラと崩れ落ちる。
「うん? おいおい、何だよ、反応なくなっちまったな」
「ははっ、もしかしてこの馬鹿、あの女に本気だったんじゃないですかい?」
「何? 本当か? それは悪いことしちゃったかな~」
「そんなこと、ちっとも思ってないくせによく言うぜ」
あはははっと笑い声が響く。一体何がそんなに面白いのか、ハラグライには全く理解が出来なかった。
「まあいい。後もう一人持ってこいよ。おい、あんた、安心しろよ。もう一人は、一応生きてるからな」
意味深なセリフを吐き出す頭。そして仲間の獣人が今度はアクドルクを担いでやってきて、ハラグライの前に転がしてみせた。
「……なんだ、これは?」
その姿に、ようやく少し正気を取り戻したのか、ハラグライが怪訝そうに声を上げる。
そんな彼の瞳には、確かに五体満足なアクドルクの姿。
しかし、その眼からは光が失われ、先程からピクリとも動こうとしない。
「見ての通り人質のガキだよ。これでもしっかり生きてるんだぜ? ただなあ、あの女が死んじまって、俺達も手持ち無沙汰になっただろ? そしたらこいつらがこのぐらいのガキなら男も女も関係ないいいだしてな。それに確かによく見ると可愛らしい顔立ちしてるしな。だから色々遊ばせてもらったわけよ」
「ぎゃはっ、親子なのに母親だけってのも不公平だからって薬もしっかり使ってな!」
「ほら、俺たち平等主義だからね。基本、心優しいから」
頭が笑いながらゲスな発言をし、それに続いて仲間たちが頭のイカれた事を笑いながら述べる。
その様子に、信じられないようなものを見る目を向け続けるハラグライであり。
「ま、そんなわけで、あのアバズレみたいにくたばりはしなかったけどな。精神は完全に壊れちまってこのザマってわけだ。全く、母親も母親なら子供も子供だな。たく使えねぇ」
最後に吐き捨てるように口にし、そして頭は身代金の入ったバッグを持ち上げた。
「ま、何はともあれ、人質は返したからな。言っておくが状態までは保証してなかったわけだしな。そっちのガキは死んだほうがマシだったかもしれねぇが、まあ残ったゴミの処理はそっちで適当にやってくれよ」
そんな事を言い捨てて、連中は洞窟の奥へと向かおうとする。岩のずれる音がしてくる辺り、隠し通路のようなものがあったのかもしれないが。
「――なぜ、だ……」
「あん?」
ぼそりと呟いたハラグライの言葉に、頭が反応し振り返る。
「お前たちの言葉の節々から、帝国の訛りが感じられる。つまり、お前らはマーベル帝国からこっちに移ってきた、亡命者であろう? なのに、なのに何故! ここまでする! 王国は! 我がバール王国はお前たちを救い、そして保護したはずだ! 何不自由なく暮らせるよう住む場所まで提供し! 当面の生活費だって支給されたはずだろう! それだけの恩を受けておいて! なぜそれを仇で返そうとする!」
吠える、涙ながらに、訴える。
だが、そんな彼の耳に届いたのは、盗賊たちの嘲るような笑い声。
「全く、王国の連中は揃いも揃っておめでたい連中ばかりですね」
「ああ、全くだ。だが、まあ確かに感謝してるよ。平和を愛する人類皆平等主義者の王国様は、相手が誰であろうと手厚く歓迎してくれる。俺達みたいに帝国でも盗賊やってたような相手でもな」
ハラグライは目を見開いた。何だ、と? とその黒目がプルプルと震える。
「聞こえなかったか? 元から俺達は盗賊だったのさ。ただ、帝国は俺らみたいな獣人に元々厳しいし、正直貧富の差が激しすぎて仕事もしにくい。そんな時耳にしたのさ、バール王国は亡命者に対して寛容で、亡命した帝国の亜人を受け入れるだけじゃなく、生活まで保証してくれるってな」
「それで頭の作戦で、帝国から迫害を受けている獣人の振りをして亡命してみたってわけだ」
「そしたらこれがあっさり上手くいった上、王国のバカどもは疑いもしねぇときたもんだ」
「ははっ、そういうことだ。おかげで俺たちは仕事がしやすいこの国に移れた上に、金まで恵んでもらったわけだ。住む家も提供してくれて、こっちで仕事の準備が整うまで随分と楽させてもらったぜ」
「しかも戦争も終わって平和ボケしてるせいか、仕事もやりやすいやりやすい」
「全く俺たちにとっちゃ確かに王国様々だな~甘っちょろい馬鹿な王様に感謝感謝だぜ!」
そして再びゲラゲラと笑い出す。ハラグライは、愕然となり、そんな、馬鹿な、馬鹿な、と繰り返すばかりだった。
「ま、恨むんなら俺達じゃなく俺らみたいなのを受け入れた国でも恨むんだな、それじゃあ今度こそいくぜ、二度とあうこともないだろうが、達者で暮らせよ。女を寝取られた哀れな道化師様」
そして――獣人の盗賊たちはその場を離れていき、しかしハラグライはそれからぶつぶつとうわ言のようにつぶやき続け、城に戻るでもなく、ただ洞窟で自暴自棄に陥っていた。
結局、それから彼らが見つかったのは、ハラグライが戻ってこない事で業を煮やした騎士団が動き出した二日後の昼の事であり――
「な、なんだこの有様は!」
「う、これはもしかしてアフェア様のご遺体か?」
「こっちにはご子息様が! 大変だ、衰弱しきっている! 早くお助けしないと!」
「くそ! ハラグライ貴様! これは一体どういうことだ! ハラグライ! 説明しろーー!」
団長がハラグライの胸ぐらをつかみ持ち上げ、怒鳴り散らすが、彼の耳には届いておらず――ただ、彼は焦点の定まらない瞳で、誰にも届かないほどのか細い声でそれだけを繰り返していた。
――私が無力なばかりに、済まない、アフェア……。




