第三四八話 夜の城
「あ、あの、アンといいます。よろしくお願い致します」
最後にセワスールに連れられてロウが向かったのは、奴隷商人の手から助け出された少女たちが身をおいている部屋であった。
現状、彼女たちも重要参考人という扱いな為、エルガやオパールと同じく、この城に逗留している形であり、部屋にやってきたセワスールに紹介されロウに頭を下げるアンであったが。
「……俺はロウだ。ところで、お前はペルシアという猫耳獣人の娘は知っているのか?」
「え? は! はい! 幼馴染です! え? ペルシアを知っているのですか?」
最初は、恐らく目付きの悪さなどでどことなくおっかなびっくりといった雰囲気で接していたアンだが、ペルシアの名前を聞いた途端血相を変えて食いついてきた。
「……やっぱりか。どこか似たような匂いを感じたからな」
「ふむ、しかしロウ殿のその嗅覚は本当に凄まじいですな。そこまで判るとは」
セワスールが感嘆の声を漏らす。確かに初対面でありながら匂いだけでその繋がりを突き止めてしまうのだから大したものと言えるだろう。
「ペルシアとは早く会いたいのですが、色々あってまだここから出れそうになくて……あ、あのペルシアは元気ですか?」
「……少なくとも健康面では全く心配いらないぞ」
良かった、とアンがホッと胸をなでおろす。心なしか表情にも明るさが取り戻されたようだ。
「……そうだな、あえて言うなら向こうもお前の事を心配しているようだ。だから、お互い心配なのは判るが、それでそろって元気をなくしていたら本末転倒だと俺は思うぞ」
ロウの言葉に、アンは目を丸くさせ彼を見やり、そしてくすりと笑ってみせた。
「……何かおかしなことを言ったか?」
「あ、いえ違うんです!」
慌てて両手を振って弁解し、その後ロウに顔を向ける。笑みを浮かべて。
「ごめんなさい。最初怖そうな人だなって勝手に思ってしまって。駄目ですよね、見た目で判断するなんて。本当は凄く優しい御方なのに」
「……別に俺は優しくなんてない」
顔をそらしぶっきらぼうに答えるロウ。その様子に、素直じゃないな、といった目を向けるセワスールであり。
「……とにかく、俺も仕事だ。この件はさっさと片付けてやるさ。さっさと休みたいしな」
そしてロウは他の子供たちを見て回る。やはり他の子にしても最初はどこか怯えている様子も感じられたが、アンのフォローで話が終わる頃にはすっかりなついていた。
「……全く子供は苦手なんだがな」
「ははっ、そうは見えませんでしたがな」
部屋を出た後、愚痴るようにこぼすロウだが、セワスールはそんな彼の言葉を笑い飛ばした。
それにやれやれと嘆息するロウであったが、これで一通り挨拶も終わり、城も見て回ったので一旦部屋に戻ることとなる。
ちなみに、城にいる間は、ロウはセワスールの部屋に身を置く事となった。打ち合わせもしやすいし、セワスールの部屋は無駄に広いためふたりぐらいが丁度いいというのが理由だ。
そしてその日の夜が更けていくわけだが――
◇◆◇
「ふたりともお疲れ様。後は自室で休んでいてくれて構わない。ここは私が見ているからな!」
ニューハとダンショクに向けてローズが強気にいい切った。何せエルガは今回の件においてかなり重要であると同時に、ある意味で危険でもある。故に勿論内側から鍵は閉めさせているが、扉の前で誰かしらが番をしている。
そしてこの時間まではニューハとダンショクがその役目を担っていた形だ。勿論、途中他の騎士も交代でやってもきたが、下手な騎士よりもふたりやローズの方が腕は良い。
「ですが、お一人で大丈夫ですか?」
「心配は無用だ。もう少ししたらもう一人騎士がやってくる。それよりニューハの方が疲れているであろうしな」
「あらいやだ、私だって疲れてるわよ~」
「……あ、ああそうだな」
正直ダンショクは自由すぎて、途中通り掛かった使用人などにもちょっかいを掛けようとしたりと頭が痛い事も多かった程だ。
故に、ニューハはともかくダンショクに関しては微妙な気持ちのローズである。尤も彼とて、ニューハの罰もあってか、メイドが怪我したときなど回復してあげたりとそれなりに役だったりはしていたが。
「とにかく、私の事は気にしなくて大丈夫だ。これでもグリンウッド騎士団団長たるヒネーテ様の期待を一身に受けているのだ。何があっても遅れなどとるものか」
「そ、そうですか。判りました。ではお言葉に甘えて。ですが、流石に一晩中は申し訳ないですので、後でもう一度交代によらせていただきますね」
「全く、気にしなくていいものを」
「だめですよ。疲れをためては後々に支障を来すのですから」
下手な女性など顔負けの、慈しみの感じられる笑顔を残し、そしてダンショクを連れてニューハが辞去した。
「……疲れか。しかしこの程度で音を上げる私ではない」
ふたりが去った後、一人拳を握りしめるローズであり。
「……それにしてもあの男――私が精神的に未熟で、注意も散漫だと! くっ、思い出しただけで腹が立つ! これだから冒険者は!」
そして、今度は初対面でのロウとの会話を思い出し憤るローズであるが――
「ろ、ローズ様大変です!」
そこへ、一人の騎士が息せき切ってやってきた。その姿に、お前か、一体どうしたんだ! とローズが確認する。どうやらこの騎士は彼女が言っていた後から来るもう一人の騎士という人物らしいが、しかしこの慌てぶりはただ事ではなさそうである。
「そ、それが、向こうで不審人物が、しかもこの城の騎士が多数倒れているのです!」
「な、なに!?」
ローズは驚いて目を白黒させる。まさか、ロウの言葉を思い出した直後にこのような出来事に遭遇するとは。
しかもこの城の騎士という事は、当然アクドルクが抱えている騎士たちの事なのである。
それが倒れていたとなるとかなりの一大事だろ。
「それで、向こうというと?」
すかさずローズはやってきた騎士に詳細を尋ねる。ローズはこの城に来てすぐには、城の全体図を頭に叩き込んでいる。
それを思い起こしながら聞くと、確かにここからさほど離れていないようで場所的には下に向かう階段の近くとなる。
「判った! お前はここで引き続き見張っていろ。向こうは私が見てくる。そして、あまりに私の戻りが遅いようであればエルガ様を起こし、一緒に逃げるのだ。そうだな、出来ればセワスール殿や、オパール卿の部屋の近くまでお連れするのが良いだろう」
「はい! 承知いたしました!」
「頼んだぞ!」
ビシッと気をつけをし、ローズの命に従う意志を見せる騎士。その姿を認め、彼女は急いで彼の言っていた場所に向かうのだが。
「……なんだ? 何もないではないか?」
騎士の言っていた場所に到着し、キョロキョロと周囲を警戒しながら思わず吐露する。どうにも肩透かしを受けたような、そんな気分である。
何せ、階段の前には確かにこれといった変化がない。帝国の騎士とて一人も倒れていないのである。
(全く、一体なんだと言うのだ――)
そしてそんな事を思いつつ、来た道を引き返そうとするローズであった。
◇◆◇
部屋の扉が激しく叩かれていた。かなり尋常でない様子で、アンはそのしきりに叩く扉の音でついつい目をさましてしまう。
獣人は特に普通の人間より五感が鋭い。アンだけではなく、他の子供たちも起きてしまったが、私が見てくるから、と彼女たちを代表してアンが扉の前に向う。
「え~と、どちら様でしょう?」
「私だ、ローズだ」
「え? ローズ、さん?」
アンは当然、ローズの事もよく知っていた。以前魔獣の森で魔獣に襲われたときには、彼女も他の魔獣を相手に戦ってくれていた上、城でも何度も挨拶を交わしている。
「実はちょっと厄介な事があってな。どうやら不審者が城内を彷徨いているらしいのだ。だから、念のため皆の事も確認しておこうと思ってな」
「え? そ、そうなのですか? わ、判りました――」
犬の獣人は聴覚も人より遥かに優れている。だからか、この声がローズのものであることに疑いはなかった。
そして扉を開けると、確かにそこにはローズの姿。綺麗という言うよりかっこいいという表現がぴったりな凛々しい女騎士である。
「夜分済まないな。私の部下が慌てて知らせに来たのだが、どうにも妙な格好をした不審人物がいるようで、他にも何人か目撃者もいるのだ。だが、中々尻尾を見せなくてな」
「そ、そうなのですか。でも、この部屋には食事の後は誰も来てませんよ?」
食事というのは夕食のことだ。当然それは皆に平等に振る舞われているが、そういった食事を除けば城内ではそこまでやることが多いわけでもなく、ましてやこの状況だ。
彼女たちとて必要な事以外では外には出ないようにしているし、全員が部屋を空けるようなこともない。
つまり、そのような不審者がいたならすぐにでも判りそうなものである。
「勿論、それはこちらも判っているつもりだ。このあたりは警戒のため巡回している兵士も多いしな。とは言え、相手が凄腕の盗賊や暗殺者という可能性も否定できない」
「と、盗賊、暗殺者……」
途端にアンの表情に不安の影が差し込む。確かにそのような事を言われてはとても気が気ではいられないだろう。
「いや済まない。怖がらせるつもりはなかったのだが、しかし念のためというのもある。少し協力してもらってもいいかな?」
「え? 協力というと?」
「ああ、獣人であれば、鼻や耳が利くだろう? だから念のため、少し集中して何か変わったことがないか探って欲しいのだ」
ローズが願い出ると、アンは真剣な表情で判りました! と返事する。
そして両目を瞑り、意識を集中させた。基本的に耳や鼻を頼りにする時は、一時的に他の感覚を閉じてしまう事は多い。
そうすることで、他の器官がより鋭敏に働くからだ。
そしてアンが瞼を閉じ、意識を鼻と耳に集中させているその時、ローズの手が腰に帯びている剣の柄を握りしめていた――




