第三四五話 とある侵入者
「駄目だ駄目だ! どこの馬の骨とも判らない奴を、城になど入れられるわけがないだろう!」
「……どうしても駄目か?」
「当たり前だ。それに、今は場内も警備を強化している。許可なき者の立ち入りは一切認められん!」
「……そうか判った。邪魔したな。出直すとする」
突然やってきた銀髪の男に、やれやれと肩をすくめる衛兵ふたりである。
場所は領主たるアクドルクが居住する城の正門前。城壁で囲まれた城の最初の関門だ。
ただ、普段であれば、それでもここまで厳しくもなく、事前に申請しておけば平民であれ城外や城内の一部を巡覧出来たりするが、今はエルガやオパールといった重要人物が逗留している為、そういった類も中止されている。
そもそも普段出入りしているような商人であっても、よほどの理由がない限り謁見の許可が下りない状況だ。
そんな状況で、しかもやたらと目付きが悪く身なりも整っていない男など、衛兵が通すわけもない。
何を考えているんだあいつは、と衛兵も呆れ顔だ。
「どうせ、城で兵士なり騎士なりで身を立てたいとかそういう理由だろ」
「全く飛び込みなんて受け付けているわけがないだろう。身の程知らずもいいところだ。出直すと言っていたが、何度来ても一緒だろ」
衛兵がそう考えたのは、身なりはともかく体つきは良かったからだろう。とは言え、確かにそういった類は事前に募集の告知がなされるものである。
故に、小馬鹿にしたように、それでいて呆れたように顔を歪める衛兵達である。
だが、彼らもまさか出直すの意味が、明日明後日という話ではなく、全く別な意味だとは考えなかった事だろう。
「ここからなら行けそうか」
日が暮れ、既にあたりも薄暗く、間もなく夜の帳が下りるだろうと言ったその時刻。
彼は壁の際に立ち、天辺を見上げながら言う。城壁は芒星型に建設されており、特殊な術式を刻むことでいざという時はこの壁を利用して魔法が発動、堅牢な要塞に変化する仕組みだ。
とは言え、それはいざという時であり、そうでなければこれもただの壁である。そして、そういった術式に頼っているとあってか、壁そのものの高さはそこまで高いものでもない。
精々五メートル程度といったところだ。しかもこの手のタイプは本来は死角が少ないということで重宝されるが、それも有事の際など兵や魔法の担い手が多い場合に限る。
特にこの手のタイプは魔法の集中砲火を浴びせる事が主とされるが、今のように平時が続いている場合は当然その規模も縮小される。
一応今はいつもに比べれば厳戒態勢という体を取ってはいるようだが、それでも戦争時に比べれば見回りに配置されている兵や、感知系の魔法が使える魔術士の数も半分以下だ。
当然そうなれば、いくら堅牢な星型要塞とは言え穴は生まれやすくなる。結局の所手の込んだ作りにすればするほど、その分人員は多く割かれる。
だが平時においてそのような事をしていては費用が嵩むばかりだ。だから人員も最小限の人数で構成される。
だからか本来死角が生まれないための作りであっても、明らかな死角が生まれる。そこを狙って彼は軽やかに、音もなく飛び上がった。
直接壁の上に存在する通路に降り立っては、見つかる可能性がないとは言い切れない。気配に敏感ではあるが、それでもある程度は慎重に行動する必要があるだろう。
なので天辺の少し手前で壁に張り付いた。手には鈎が装着されており、それを引っ掛けることで壁に張り付くことが出来る。
そして耳と自慢の嗅覚でしっかりと誰にも見つかっていないことを確認した上で、通路となっている天辺を飛び越え逆側の壁に爪を引っ掛けた。
気配を消しているのでそう見つかることはないと思うが、一応周囲を警戒しつつ着地。壁の内側は結構広いが、元の土地柄か平坦な道ではない。緩やかではあるが丘が連なってるような形になっているところもあるので、それも上手く利用し、身を隠しながら城へと向かった。
城に関して言えば当然正面口から堂々というわけにもいかないので側面に回り、適当に侵入しやすそうな場所を探す。
気分はまるで盗賊のようだが、勿論銀髪の彼の目的は金品ではない。
本当なら連盟から直接話しを通してもらったほうが早そうなのだが、今回一番あやしいとされているのが本来話を通すべき主というのだから面倒な事この上ないな、と男は考えたりする。
当然そんな相手に素性を明かしては警戒されるのが判りきっているからだ。それではわざわざ彼が来た意味がない。
なので仕方無くこのような盗賊まがいの手に打って出ている。勿論自己責任で。もし見つかって捕まりでもしたら目も当てられない。
ぐるりと回り込んだ先で、潜入するのにちょうど良さそうな場所を見つけた。バルコニーも見える。もしそこから入れそうならそれが一番だが、他に窓らしきものも見えるため、密かに入り込むなら悪くはない。
流石に城そのものは高さもあるので、城壁よりも登るのはそれなりに手間だが、しかし銀髪の彼は飛び上がり、鈎を引っ掛けながら軽々とよじ登っていく。
どうやら彼の身体能力があれば、この程度でも造作もないことなようだ。
そして先ずはバルコニーに降り立ち、窓からそっと中の様子を探るが――一人の女が部屋にはいた。
窓に鍵は掛かっていないようで物騒にも感じるが、しかし中に人がいるなら流石にそこから忍び込むわけにもいかないか、と彼は別のルートを探そうとバルコニーを離れようとするが――
「ルルーシ様、お着替えの方は済まれましたか?」
「いや、すまん、少し考え事をしてしまって。すぐに済ませる」
そんな声が彼の耳に届く。声の感じから部屋の出入り口にあたる扉越しから掛けられたものと推測されるが、それよりも、重要なのは中にいる女性の名前だ。
彼は頭のなかでルルーシという名前を反芻した後――
「……邪魔するぞ」
なんと銀髪の彼は、堂々と窓を開けて部屋の中へと入っていった。
「――は? え? き、キャッ、むぐぅ!?」
すると、彼女、つまりルルーシが先ずきょとんとした顔を見せ、かと思えば大声を上げようとしたので、彼はその小さな口を手で塞ぎ、彼女の身体を壁に押し付けた。
「……騒ぐな、悲鳴を上げるな」
狼のような鋭い瞳で、男はルルーシにそう言った。すごみのある声だ。どうみても脅迫であり、ルルーシの目に若干涙が溜まった。
肩もプルプルと震えている。
「……なんだ、寒いのか?」
しかし銀髪の彼の発言はどこか抜けていた。確かに彼女の今の格好は着替えの途中とあってか、上下ともに下着姿のままといった形ではあるのだが。
「……とにかく、俺は怪しいものじゃない」
鋭い光をその目に宿らせながら彼はそんな事を言う。
「……だが、この状況で騒がれるのも面倒だ。それは判るな?」
淡々とした、それでいて冷え冷えとした口調で男が問いかける。ルルーシはコクコクと頷いてみせた。
「……いい子だ。大人しくしていれば、すぐ済む話だ。だが、下手に大声を出して誰かがやってきたら後悔する事になるぞ? だから、絶対に、騒いだり、悲鳴を上げたりするなよ? ここまで、大丈夫か?」
確認するように彼が強い口調で問いかけた。ルルーシは必死で頭を上下させ、理解した旨を訴える。
「……判った。それじゃあ手を放すぞ。いいか? 大人しくしてろよ?」
そういって彼がそっと口をふさいでいた手をどけたが――
「く、曲者だーーーー! な、ナリアーー! 不審者がーー!」
なんとルルーシ、すぐさま身を翻し、声を張り上げながら扉に向かって駆け出した。
だが、彼がすぐ腕を伸ばし、その口を塞ぎ、むぐぅ! と喉を詰まらす彼女を振り回す形で、しかしそこで彼も勢い余って跳躍――見事部屋に設置されたベッドの上に落下し、その口を塞いだまま、ルルーシを押し倒す格好となった。
「ルルーシ様! 一体何が!」
「……あ――」
すると、勢い良く出入り口の扉が開かれ、麗しさと凛々しさを兼ね添えた女剣士が中に飛び込んできたわけだが――ふたりの様子。
つまり、口をふさがれたままベッドに押し倒されたルルーシと、その上にまたがる格好となっている銀髪の青年を目にし、一瞬空気が固まった。
「……念のため言っておくが、俺は怪しい者ではないぞ」
「どの口がそれを言っているのだこの狼藉者め! とっととルルーシ様から離れろ!」
沈黙を破るように、彼がまずそう弁解したが、この状況では無理のある話だ。
剣を抜いた彼女は瞬時にその距離を詰め、銀髪の彼に斬りかかる。
全く容赦のない一撃だが、彼はベッドの上からすぐさま飛び退き、その一閃を躱してみせた。
「ナリヤ! ナリヤー! あの男が、男がーーーー!」
「もう大丈夫ですよルルーシ様。この私がこれ以上指一本触れさせません!」
「……いや、だから俺は何もしてないだろ」
「馬鹿を言うな! 私の口を押さえて先ず壁に押し付けて脅迫してきただろう!」
「……悲鳴をあげそうになったから押し付けて騒ぐなと言っただけだ。大体その後、俺は怪しいやつじゃないと言っただろう」
「――ほう……」
剣先を男に向け、更に厳しい視線をぶつけるナリヤである。
「この無礼者め! 大体何が怪しくないだ! 騒いだら面倒な事になるとか凄みを聞かせて言ってきただろう!」
「……実際いま面倒な事になっているだろう」
「それは貴様のせいだろうが! そ、それに、この格好の私に大人しくしておけばすぐ済むとか! そんなことをいって私の貞操を無理やり奪おうと! もし騒いで誰かやってきたら後悔するぞと恫喝まで!」
「むぅ! か弱い女性に向かってなんと卑怯な男だ!」
「……ちょっと待て。その捉え方には悪意がある。大体そんな乳臭そうな女の貞操になんて俺は興味がない。後悔も意味が――」
「だ、誰が乳臭いだーーーー!」
「き、貴様! この上ルルーシ様を愚弄するとはもう許せん! ナリア!」
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーーーーン!」
どうやら銀髪の彼が何をいったところで事態を悪化しているにすぎないようだ。
ナリヤも遂に堪忍袋の緒が切れた言わんばかりに、誰かに呼びかける。
すると、彼女の背後からナリヤと瓜二つのナリアという女性が姿を見せた。
「そこの貴方! ルルーシちゃんにあんな不埒な事を、いいぞもっとや、じゃなくて! 絶対に許せないんだからね!」
「……一体何なんだよ――」
ため息混じりに彼が呟くと、ナリヤとナリアが前後から彼を挟撃し、その剣を振るった。ふたりともかなりの腕前だが、銀髪の彼は両手に嵌めた鉤爪でそれを上手いこといなしていき――
「……チッ、アホらしい」
かと思えば辟易とした様子で口にし、髪を掻きむしり、ふたりから逃れるようにして大きく飛び退いた。
「貴様! 逃げる気か!」
「逃げるなんて、とっても卑怯なんだよ!」
すると、ナリアとナリヤが揃って彼に批難の言葉をぶつけるが――
「……うるせぇな。いいからよく聞け、これ以上騒いでも面倒なだけだからな。俺の名前はロウ、冒険者だ。そして今回あんたらもよく知ってると思うナガレから手紙を貰い、この件に関わらして貰っている。ここまで言えば判るな?」




