第三四二話 駆け巡る噂
ここから少しの間王国側の話に……
ジュエリーの街。マウントストム領の中心地であり、周囲を数多の鉱山に囲まれた、王国でも一、ニを争う鉱物の産出地でもある。
特徴としては特にその多くが宝石類を占めているという点にあり、また金や銀の類もよく採掘されている。
当然そういった土地柄もあり、領内は比較的裕福であり、人々の暮らしも平均水準よりも上とされていた。
ただ、これはただ単純に宝石の採掘量が多いからというのが要因というわけではない。どれほど豊かな土地であっても、多くの者が集団で生活する場では、何を置いても舵取り役の人間が重要であるからだ。
そして通常それを担うのは領主であり――ここマウントストム領を治めし領主、オパール・ザ・マウントストム・ジュエリーストーン伯爵はその点において非の打ち所のない非凡な才能と頭脳、そして頭の柔らかによって卓越した経営手腕を発揮した人物と言えよう。
父の代から続く領主の座だが、先代の父親もかなりのやり手であり、世襲したオパールも女性でありながら、男以上の度胸と卓越した交渉術を持って、領地の収入を増やし利益も確実に伸ばしていった。
そしてその甲斐あってか、マウントストムにオパール卿あり、と言わしめるほどにその名が広まっていったわけだが――
しかし、今、ジュエリーの街はある噂で持ちきりになっていた。それは、名君とも誉れ高いオパール卿が、あろうことか王国で禁止されている闇での奴隷売買に着手しており、それによって利益を得ていたというものだ。
ここ数年、領地経営が順当に進んでいたのも、この裏取引による恩恵が大きいと、そんな話がまことしやかに囁かれ始めたのである。
そして、だからこそ、オパール卿は予定さた滞在期間をとっくに過ぎているにも拘らず、イストブレイスの街から出ることが出来ないのだと。
イストフェンスの領主たるアクドルク・イストフェンス・ルプホール辺境伯は、オパール卿及びその裏取引に協力していたエルガ・グリンウッド・レイオン伯爵に疑念を抱き、独自の調査の結果、ふたりが闇取引を行っていた重要な証拠を握り、近く王国に重罪人として引き渡されることになるだろうとも、そこまで噂は出回っていた。
ただ、問題はこの噂の出処がはっきりしないことである。当然オパールの逗留が長引くことやその大体の理由については、手紙によって屋敷の執事長や一部の主要人物には知らされていたが、当然彼らはそれを外に漏らすほど愚かではない。
それに例え漏れるにしても信頼に足るオパールにとって不利になるような話には繋がらない筈なのである。
実際、この噂が広まり始めた頃、執事長が自ら全員に聞き取りを行ったが、おかしな点はみあたらなかった。何より買い物にしろ家事にしろ、行動は二人一組が基本である。
つまり、屋敷の誰かが漏らしたとなると、少なくともふたりが同時にそれを行ったという事となり、屋敷の徹底した管理体制を考えるとあまりに不自然だ。
それになにより噂の広まり方が早すぎる。人の口に戸は立てられずとは言うものの、まるで風の強い日に起きた火事のように噂は次々と広まっていったのである。
だが、この現実に、屋敷の執事長は、逆に火が付いたように調査に没頭し、他の執事やメイドたちも動かし、そしてようやく手がかりの一つを見つけ出し一人の冒険者が浮上したわけだが――
「は~い、みなさ~ん、そろそろ~時間も~遅いですから~ベッドに入って~お休みの時間ですよ~」
孤児院にてマリアが相変わらずの間延びした口調で子供たちを促した。時間は既に夜の八時、基本的に朝の早い孤児院ではこの時間にはもう床につく。
子供たちも、は~い、と可愛らしく返事をし、寝るための準備に入るが。
「でも、アンが無事でよかったにゃ~早く逢いたいにゃ~」
ふと、ペルシアがそんな事を言う。イストブレイス近くの森で奴隷商人の馬車に捕らえられいたアンが解放されたのは、吉報としてこの孤児院に伝えられていた。
「……でも心配なの。何か街中変な噂で持ちきりなの!」
しかし、そんな会話にキューティが入り込み、不穏の元となっているその話を口にした。
子供というのは時に遠慮なしに物を言うものである。
だが、聞いていたペルシアの顔に影が落ちてしまった。助かったと思ったアンに何か良くないことが起きなければいいがと不安になったのかもしれない。
「あ! ち、違うなの! なんとなく気になっただけなの!」
そしてキューティもペルシアの様子に不味いことを言ってしまったと気がついたのか、必死い取り繕おうとする。
すると、マリアがにっこりと微笑み。
「そんな~心配は~いりませんよ~人の噂も~七五〇〇日と~言いますし~」
「マリアお母様違うよ~七五日だよ~」
「あ~そうでしたね~先生うっかり~」
てへへ~と笑うマリアに子供たちの笑顔が咲いた。天然か、敢えてか、どちらにせよ少し重たくなりつつあった雰囲気が和らいだのも確かである。
そして、他の子供たちは口々にまたお兄ちゃん達やお姉ちゃん達にあいた~いと口にし、マリアも、いい子にしていれば~またきっと~会えますよ~と言って子供たちを床につかせた。
そして――子供たちを寝かせた後マリアは、一人神に祈りを捧げていた。子供たちにあぁは言ったが、噂については彼女も耳にしている。しかも今回の件はルルーシも関係していることだ。この孤児院を救っていたナガレやその仲間も関係し、領主であるオパール卿からグリンウッド領を治めているエルガ卿と多くの人が関わっている。
だが、ここからではイストフェンス領で一体何が起きているかなど、噂話以外で知るすべはない。勿論、マリアは噂自体は間違いであると信じているが――
(とにかく私には~せめて祈ることしか~出来ませんから~)
心中でもなんとも間延びした感じではあるが、別にふざけているわけではなく、マリアは真剣なのである。
そんな祈り続けるマリアの耳に、トントンッ、と孤児院の扉を叩く音が届いた。
マリアは一旦祈りを中断し、おそろおそろ扉に近づき、どちら様ですか~? と誰何した。
何せこの時間だ。そもそも夜は特別な理由がない限り、普通は外など出歩かないものだ。
ここが酒場などであればまた話は別だが、普通孤児院に夜訪れるものはいない。
「俺だ! ギールだ! 実はちょっと大変な事になっていてな。開けてもらっていいかい?」
「ギール、さん?」
マリアは小首を傾げるが、彼についてはよく知っている。元々はリックに武器磨きをお願いしたのがきっかけで仲良くなり、それから孤児院にも顔をだすようになった。
知り合ったのは最近ではあるが、彼はとても面倒見が良く、また子供たち以外に男手の足りない孤児院を色々と助けてくれたりもした。
壁のちょっとした補修や、椅子の背もたれの修理など、無償でやってくれたのである。
マリアは申し訳ないのでと最初は遠慮したが、彼曰く、どうやらギールも孤児院の出らしく、昔世話になった恩を返してあげたいのだという。
そう言われては、とマリアはその好意に有難く甘えさせてもらっていた。
子供たちにも冒険者の仕事などを身振り手振りも交えて話してくれて、特に男の子からは好かれていた。
そんな彼が、大変な事だとわざわざこんな時間にやってきたのだ。声だって聞き間違いようのない。念のため覗き窓を開け、顔を確認したがやはり彼であった。
マリアは閂を外し、扉を開けた。そこには青い顔をしたギールがいた。確かにただ事ではない、とマリアは感じ取った。
「よ、良かったまだ無事で」
「え? 無事?」
「あ、ああ。妙な噂が流れているだろ? オパール卿が奴隷の売買に関わっているとか」
「あ、はい。ですが、それは――」
「ああ、そうだ。あんなのはデタラメさ。だけどな、その本当の黒幕とやらが領主様を脅迫する材料として利用するため、この孤児院を狙っているらしいんだ。だから、このままここにいるのは危険だ! いますぐ子供たちを起こして、ここから脱出しよう!」
両手を大きく広げ、ギールは必死にマリアに訴えてきた。その表情は真剣であり、とにかく急がなければいけないんだということはマリアにも伝わった。
「わ、わかりました~子供たちを~起こしたらいいんですね~?」
「ああ、そうだ。そしてここを出る。心配はいらない。外には俺の仲間も控えている。一時的に身を潜める場所だってしっかり用意しているから安心してくれ」
ギールに促され、マリアはすぐに子供たちを起こしに掛かった。今寝床についたばかりなのに申し訳ない気がしたが、狙われてると聞いてはそんな事も言っていられない。
「マリアお母様どうしたの~?」
「あれ~ギールさんだ~」
「にゃん、一体何事にゃん?」
「眠いなの~」
とりあえず簡単に着替えを済まさせ、子供たちを正面玄関前まで集めたマリアである。
「ごめんなさい~折角眠りについたのに~でも~少しだけ皆でギールさんに~付き合ってもらえるかな~?」
「ごめんな~でもな、これは大切なことなんだ。ちょっと事情があってな。この場所にいると危ないんだ。だから、一緒に来てくれ」
危ない? と反問する子供たち。中には不安そうな顔を見せたり泣きそうになる子供もいたが。
「な~に大丈夫だ。おじさんがいれば、何の心配もない。前も話したろ? おじさんは強いんだ」
しかしギールはニカッと笑い、腕を曲げ力こぶを見せつける。それにどことなく空気が軽くなったが。
「ペルシアどうしたなの?」
「……う~ん、わからないにゃ。でも、何か胸騒ぎがするにゃん」
「うん、流石ペルシアちゃんだ。そう、だからここにいるのは不味い。さあ、皆で着いてきてくれ」
ペルシアが不安そうに述べると、それに便乗する形でギールが皆を促した。
ペルシアの表情には若干の戸惑いが見えるが、しかしギールも知らない相手ではないので、結局全員で彼の後をついていくことになるが――
「……あの~ギールさん、一体どこまで~いくのですか~? それに~何かどんどん~目立たない方に~来ているというか~……」
確かにマリアの言うように、路地裏からさらに奥に入り、既に使われなくなった廃坑側の方へ向かっているようでもある。当然だがそういった場所は利用も減り、必然的に人の出入りも少なくなるのだが――
「何を言っているんだい? 君たちはこれから身を隠さないといけないんだ。目立たない場所にいくのは当然だろ?」
「た、確かに~言われてみれば~でも~……」
マリアの歩行速度が鈍る。子供たちもどこか不安そうだ。
「あ、あの~やっぱり~」
「……ま、でもここまでくれば十分か」
「え?」
すると、ギールもピタリと足を止め、そしてマリアを振り返り――ニヤリと口角を吊り上げた。
「全く、ご苦労な事だな。でも、人が良くて助かったぜ。おかげでこっちも仕事がやりやすい」
両手を広げ、薄ら笑いを浮かべながら、マリアに向けてそんな事を言う。その顔も、態度も、孤児院の為に色々と手を貸してくれていた彼とは別物であり――だが、それこそがこの男の本性なのだ、とマリアは今直感で知った、わけだが――
「あらん、仕事というと、一体どんな仕事の事を言っているのかしらん?」
その時、ふと頭上から、何かの声が降り注ぐ。既に入居者もいなくなり、近々取り壊しが決まっていた寂れた集合住宅の頂。月明かりに照らされてスキンなヘッドがキラリと煌く。
何故か上半身は裸、圧倒的な存在感を示す広背筋を見せつけるようにし、下半身も僅かな布で隠されたのみで引き締まったヒップラインがギールの目に勝手に飛び込んでいく。臀部の左右と広背筋が呼応するようにピクンピクンと波打った。
そんな彼はオネェ系。そうマッチョなポーズを取るオネェ系。そう、その名は、彼こそは、ハンマが誇る聖なる男姫のリーダーにしてBランク特級冒険者――ゲイ・マキシアム。
「うふん、さあ、このあたしの前で言ってみなさい? 返答次第ではかわいがってあげるわ~ん」




