第三三六話 合気崩し
あらゆる意味でアケチを凌駕しているナガレ。アカシアの記録をも使用し、その存在そのものを消そうと目論んだアケチだが、それも失敗。
だが、その時の情報からナガレの正式な名前が、神薙 流であったことを知り、そこから神薙流合気柔術の使い手で生きる伝説ともされていた、あの神薙 流なのか? と考え、遂にその正体に迫るため、問いかけるアケチであったが。
「ふむ、そうですね。神薙流の神薙 流ということでしたら、確かに私の事です」
ナガレの答えは存外あっさりとしたものだった。
「……神薙? へぇ、偶然もあるものね。私の憧れている大女優と同じ苗字だわ」
「え? あ、そうなんだ」
そしてナガレの答えを耳にしたマイは、そんな感想を漏らしたりもする。
それに相槌を打ちつつ、サトルはその後のふたりの様子を見守った。
「……それにしても、一体どういう事かな? 僕の予想していたのと、見た目はだいぶ異なっているのだけど」
「ええ、こちらに来た時に色々あったもので」
「色々? ふん、まあいいか。なんとなく判るよ。僕はほら完璧で天才だからね」
「そうですか」
ナガレの態度はかなり素っ気ないものだ。それにアケチはムッとして見せるが。
「それにしても、ふふっ、なるほどそうか。そういうことか。これは僥倖! まさかこんなところで、武神とまで称されている男に出会えるとは! 何せ君さえ倒せば、つまり伝説級の最強を倒した証になる。まあ、地球での話とは言え、多少は箔もつくだろうさ」
そう言って笑い出す。先程まで、随分と恐れおののいていたようにも思えるのだが、この変わりようである。
「あんだけ散々やられておいて、まだ先生に勝てると思ってるのかあいつは?」
「……真性の馬鹿」
「なんか逆に可哀想に思えてくるわね」
フレムとビッチェ、そしてピーチはもはや呆れを通り越して哀れんでさえいるようだ。
「ふん、なんとでもいうがいい。そこにいる男が合気道の使い手と判った以上、僕には完璧な対処法がある! 名付けて、【パーフェクト合気崩し】!」
周囲の騎士たちがざわついた。ただ、中には、そもそも合気ってなんだ? と聞いてるのもいる。当然か、異世界に合気はない。
「ぱ、パーフェクト合気崩し? 名前はありえないほど格好悪いけど、凄い自信ね」
「確かに、名前はともかく自信は凄い……」
マイとサトルがその自信に漲った表情を認め、そう評した。
「だ、大丈夫かなナガレさん」
「だ、大丈夫よ。だってあんな妙な名前の技にやられるわけないもの」
アイカは不安を声に滲ませていたが、メグミはそんな彼女の不安を払拭するように答える。ただ、表情は固い。やはりそこまではっきり口にするアケチの次の行動に不安もあるのだろう。
「ふむ、それは私も興味がありますね。その合気崩しというものが、一体どんなものなのか」
「パーフェクト合気崩しだ! ふん、まあいい、見ろ! これが僕の! パーフェクト合気崩しだっ!」
アケチはそう言うと、自信満々に、ナガレと同じようなポーズを取った。どういうことかと言えば、足は肩幅ほどに、そして腕は自然に地面に向けて垂らすような状態で、そして、そこから全く動く様子を見せない。
「……え~と何してるのあいつ?」
「なんだろうねぇ~」
「馬鹿の考えてることはわかんねぇな」
「……馬鹿に馬鹿と言われちゃおしまい」
「び、ビッチェも辛辣ですね」
それからいくら経とうとも、全く動きを見せないアケチに、それぞれが疑問の声を上げた。フレムも呆れ顔でそしっているが、ビッチェの言うように、彼に言われては自称完璧な天才がなくというものだろう。
「ふっ、これだから無能は。お前たちのような愚かな連中には、僕のような高尚で天才かつ完璧な王たる人間の考えなど理解できないのだろう」
「だったら、それ何してるのか言ってみなさいよ」
イラッとした顔でマイが言った。アケチの態度は本当にいつまでたっても変化がない。
「お前たちのような愚鈍な連中にもわかりやすく言えば、これはパーフェクト不動の構えだ!」
アケチが堂々と言い放ったが、騎士も含めて彼が何をしたいのかイマイチ理解できていない。
「やれやれ、本当、馬鹿に付ける薬はないな。いいかい? 合気道というのはいうなれば、敢えて相手に先手を打たせ、後の先で受け流し返し技を決める術だ。つまり――」
そこまで口にした後、一旦瞑目し、一拍おいた上で、カッ! と開眼し。
「このパーフェクト不動の構えを保ち! 微動だにしなければ、絶対に負けることはない!」
そうはっきりと断言した。はっきりと断言したのである。
『………………』
だが、それを聞いた瞬間、微妙な沈黙が周囲を支配した。
「ふっ、完璧すぎて声も出ないか」
「いや、お前それ、例え負けないにしても、勝つこともないだろう」
なんと、それを言ったのはフレムだ。フレムでさえ気がついたのだ。当然、ほぼ全員がこのことに気がついたに違いない。現に誰もが呆れたような目をアケチに向けている。
だが、何故かアケチは得意顔であり。
「確かに、そこのいかにも低脳そうな男が言うように、この状態でいるということは、君が僕に恐れをなしたなら逃げても構わないということだ」
だが、何故かアケチはそんな事をナガレに向けて言い放つ。自分のほうが優位だと言わんばかりの口ぶりだ。
「私も依頼を請けた手前、ここで逃げるような真似はしませんし、必要もありませんが」
「ふっ、その強がりが後悔につながるというのに、愚かな男だ」
アケチは強気な姿勢を崩さない。なぜなら彼には自信があった。
ナガレは確かに合気道家としては伝説とされるほどの腕を持つ男なのかもしれない。
だが、所詮は合気道家。合気の世界でのみトップでいるというだけの存在。ボクシングの世界チャンピオンみたいなものだ。つまり、あらゆる格闘技をあっさりと極めて見せたアケチからすれば大した事はない。
おまけにこの完璧な理論。アケチが完璧な天才ゆえに思いついたパーフェクト合気崩し。
確かにこれは、他の愚かな連中が言うように負けはしないが勝ちもしないように思える。
だが、それは結局のところ凡人の域を出ない、地べたを這いつくばるような虫けらだからこそ、その真の狙いに気がつかないにすぎないのだ。
アケチはこう考える。ナガレはきっと今まで相手が先手を打ってくるような戦いしかしてこなかったと。
当然だ、通常戦いはいかに機先を制することが出来るかが重要である。つまり、まず先に相手に攻撃を仕掛けてやろうと思うことは自然の流れ。
しかも、ナガレは一見すると隙だらけの構えを見せている。これではついつい餌に食いついても仕方がない。
だが、アケチは違う。そう、戦うしか能がないような脳筋連中とは出来が違うのだ。常に柔軟な考えで物事を見ており、常人では考えも及ばないような解をあっさりと導き出す。
だが、ナガレは別だ。アケチのみたところナガレは相手に待たれるという行為になれていない。つまり、このまま待ち続ければ痺れを切らしたナガレが間違いなく先に攻撃を仕掛けてくる、その時こそアケチの反撃のときだ。
何せアケチは合気道だって完璧なのだ。それにこれまで喰らったナガレの技を思い出せば、それとてあっさりと極めることが可能だろう。
折角だから痺れを切らしたナガレの攻撃をナガレがやってみせた技で返してやるのも面白いかもしれない。そうやって自分が受けた屈辱を返してやるのだ。
アケチは完璧だ。だからこそ勝利の為ならいくらでもナガレを待つことが出来る。それは完璧な彼の揺るぎない心があってこそだ。
何事にも動じず、どんな状況においても心を一切乱さない完璧な精神力は悟りを開いた仏様が裸足で逃げ出すほどなのである。
だからアケチは待つ。ほくそ笑みながら、ナガレが痺れを切らすのを――
「やれやれ何かと思えばくだらない」
しかし、そんなアケチの自信をナガレは一蹴するように言いのける。
それに眉をしかめるアケチだが。
「ふん、それが強がりだってことぐらい僕にだって判るさ」
すぐに、余裕の笑みで返すアケチである。
「……ナガレ、凄い技がみたい」
「凄い技ですか?」
すると、ふとビッチェがそんな事をいいだした。ナガレが問い返すと、コクコクと頷いてくる。
「先生! 俺も勉強のために見てみたいです!」
「あ、私も見たい! スカッとするの!」
「おいらも気になるかも~」
「な、ナガレ様の技、ドキドキ」
そして、フレム、ピーチ、カイル、ローザもどこか期待に満ちた目でナガレを見てきた。
それに、ふむ、と顎を押さえた後。
「まあ、不老不死なら大丈夫でしょう。ちょうどこの手のに有効なのがありますからね」
そう答えると、やった! と皆が喜んだ。それを見ていたサトルやマイも興味深そうな目を向けている。
「ははっ、これはまた大きく出たものだね。まあいいさ。この完璧なパーフェクト合気崩しを破れるものならやってみるがいい」
そういいつつも、アケチは一人ほくそ笑む。どれほど凄い技であろうとなんであろうと、先に仕掛けて貰えれば自分の勝ちだ! と信じて疑っていない様子。
「それでは――」
すると、ナガレは特に近づく様子も見せず、その場で両腕を回転させ始めた。
全員が注目する中、ナガレが旋回させる腕の中心部に圧縮された大気の渦が生まれ、かと思えばそれが球体に変化し、何かを振り回すような奇妙な音を残しながらどんどん小さくなり――刹那、広がっていた音と大気が内側へと吸い込まれていった。
その勢いたるや凄まじく、不動の構えを取り続けていたアケチでさえ、思わず顔をこわばらせ、ヒッ! と短い悲鳴を上げてしまい、そして――彼もまた、その中へと一気に引きずり込まれていく。
「【神薙流秘伝爆飄落迅――】
そしてそうナガレが技名を口にした途端、腕の中ではアケチの一際大きな絶叫、そして肉体が鈍く重たい音と共に一瞬にして砕けていく響きが広がっていく。
爆飄落迅――この秘伝とされる技は、先ず両腕を回し周囲の大気を受け流しつつ中心に向けて集束させる。そして合気により圧を高め、瞬間的に全方向から均一に膨大な圧力を加えることで、爆縮を発生させ、ほぼ疑似ブラックホールに近い形の空間を生み出し相手を強制的に吸い込み、その肉体さえも問答無用で圧縮し押しつぶす。
その吸引力たるや凄まじく、宇宙を吸い込むほどの象がいたとしても、束になっても敵わないほどとされる。尤もナガレは当然ある程度は加減しているが、しかしこの技はただ吸い込んだだけではまだ基本動作の一つでしかなく、重要なのは吸い込んだ後であり、直後再び相手を受け流し爆縮によって生み出された力を上乗せした状態で、相手を円運動で地面に叩きつけて完成となる。
つまり――不老不死のアケチは爆縮によって吸い込まれ全身が砕けようと当然再生し、その状態からナガレによって引き抜かれ、受け流され、爆縮の勢いを乗せた合気による投げによって地面に叩きつけられることとなったのだった。
これにて合気崩し崩し、完成。




