第三二三話 想いと迷い
「そんな――馬鹿な……」
思わず、サトルが呟いた。その瞳は信じられないものを見たと言わんばかりに見開かれていた。
アケチの攻撃の歪みを見切り、更に覚醒した力で、その刺突を先見しての反撃。
聖剣で防がれはしたものの、そこから先のアケチの行動を読んでいたサトルは、飛び退いたその動きに合わせて斬撃波を放った。
そして――その斬撃は見事、無防備なアケチを捉えてみせたのだが、しかしサトルの目の前には平然と立ち続けるアケチの姿。
「……何故だ? どういう事だ?」
その様子に、大きな違和感を覚えるサトル。怪訝さに眉をひそめるが。
「……ふ、ふふっ! ははっ! 当然さ! これが僕と君との力の差だ! 君ごときの攻撃が僕に通じるわけがないんだ! ステータス的にも相当な差があるのだからね!」
ステータスの差――それはサトルとしてもひょっとしたらと思うところがあった。
例えば今の一瞬で、大きくアケチがレベルを向上させていたなら、その可能性もあった事だろう。
だが――違う、とサトルはアケチの不自然な点を感じ取っていた。先ず、レベルを向上させていたのだとして、ステータスに圧倒的な差が生まれていたとして、その場合、あまりにアケチに余裕が感じられない。
むしろ今の話の合間にも、どこか動揺が感じられた。そして、何かを隠そうとしている様子も――
しかも、更に重要なのは斬撃波の消え方だ。今の一撃、集中していた分サトルはそれを感じ取る事が出来た。
ほぼ間違いなくだが、技がアケチに到達し切る前に何かに遮られている、という事に。
だとしたら――
「サトルくんの考えているとおりですよ」
その時、ふたりの戦いの様子を見ていたナガレから声が掛かった。
すると、明らかに不機嫌な表情でアケチが言い返す。
「なんだい君は? また何か茶々を入れる気なのかい?」
「……別に茶々を入れるつもりはないのですが――ただ、一点だけ言わせてもらうなら、貴方、障壁を展開させていますね? しかも物理的攻撃も、魔法による攻撃も、あらゆる障害全てを一切遮断する強力な障壁を」
え!? と驚きに満ちた眼をナガレに向けるマイ。防御の――障壁、と呟いた後、今度はアケチを睨みつけた。
「ちょった貴方! どういうつもり!? 障壁って、話が違うじゃない!」
「――黙れ牝豚。大体、この僕が障壁を張っているという証拠でも……」
マイに目を向け、その顔を歪まえるアケチ。だが、話している途中で、ビッチェがしなやかな腕を振り、チェインスネークソードによる鞭のような斬撃が、アケチへと重畳した。
空気を裂いたような響きが無数に重なり合い、あたりに鳴り響くが――そこには呆然と立ち尽くすアケチの姿。
勿論、傷のようなものは一切受けている様子がない。
「あ、っは、あはは、いや驚いたよ。突然どうしたのかな麗しの姫君よ」
突然のビッチェの攻撃に、どこか戸惑った様子でアケチが問いかける。
「……お前、今のレベルいくつだ?」
「え? 嫌だな、さっき言ったように500のままさ。サトルごときを相手するのに、これ以上のレベルは必要が無いからね」
「……私のレベルは28400だ。なのに何故お前はレベル500のままで平然としていられる? おかしいだろう」
よそいきの笑顔をビッチェに向けたまま、その表情が凍りついた。
「なるほどな、そういうことか。どうりでな」
そして、サトルも得心がいったように呟く。
「ふふっ、はは、はははははっ! いやはや流石は僕が認めた姫君だ! 素晴らしい洞察力、完璧な僕も思わず舌を巻きそうだよ!」
「……見破ったのはナガレ、忘れるな」
「はは、ご謙遜を」
髪をかきあげながら、斜に構えアケチが言う。
「本当貴方、卑怯者ね。さっきから自分で言ったことを全然守ってないじゃない!」
「は? 何を言ってるんだお前は? 全くこれだらか下民は理解力が乏しくて困る。ビッチェの爪の垢でも煎じて飲ましてあげたいよ」
「……正直お前に呼び捨てにされるのは虫唾が走る」
「気持ちは判るわ……」
不快そうに眉をひそめるビッチェとそれに同意を示すマイであるが、しかし都合の悪いことは耳に入ってないのか、アケチは何事もなかったように更に話を続ける。
「いいかい? 僕は攻撃に関してのみ左手で突き技しかつかわないと言ったのさ。防御のためにアビリティやスキルの類を使わないなんて一言も言っていない」
「……見苦しい、お前、それでよく私を口説こうと思ったな」
アケチの言い分に呆れ果てた様子を見せるビッチェ。この程度の男がビッチェを口説こうなどと身の程知らずもいいところであろう。
「ふふっ、判っているよ。君は僕の素晴らしい能力の数々に感動しているのだね。でも、確かに君が思っているとおり、理解力の足りない愚民どもにはしっかりと説明しておく必要がありそうだ。いいだろう、これから僕は、レベルは1000で固定とし、更に左手のみで使用する攻撃技も突き限定、そして防御に関しても、パーフェクトバリア以外は一切行使しない事を誓おう」
「……はい? ちょ、何言ってるのよ! ちゃっかりレベルの上限上げてるし、大体そんなのバリアがある時点で――」
マイが抗議の声を上げるが、アケチはまるで雑音を遮断するかのごとく、己の声をかぶせサトルを見やる。
「さぁ君はどうする? この条件だともしかして自信がないかな? なんなら他の誰かに助けを求めるかい? それならそれでかまわないよ。所詮君の復讐心なんてその程度だろうからね。今からでも泣きついて」
「――いや、俺はそれで全く構わない。そもそも俺だってハンデはいらないと言っていたのだしな。お前がそれで満足なら、好きにするといい」
サトルは威風堂々と、そう言い切った。アケチが目を細め言葉を返す。
「……へぇ、驚いた。随分と余裕があるんだね、この僕に向かって。全くダメージを与えられてないとは言え、ほんの少し攻撃をあてることが出来たからと、調子にのってしまったのかな?」
「お前こそ気がついてないのか? さっきからずっとお前のメッキは剥がれっぱなしだぞ? 剥がれすぎて錆びついたプライドが大きく露出してる程だ。正直見苦しいぐらいにな」
「……全く、随分と口だけは達者になったものだよ。所詮地べたに転がるゴミでしか無いお前ごときがね。立場を思い出させてあげようか? 生贄として踏み潰されるだけの惨めな人生でしかなかったお前の立場をね」
剣先を突きつけ、アケチがサトルをそしる。
だが、サトルの様相は安定していた。アケチが物理的にも魔法的にも完全に防ぎ切る障壁を展開していると知っても、何故か不安はなかった。
それは、やはりナガレの存在が大きいのだろう。彼はアケチの障壁の事を知ってなお、戦いそのものを止めようとはしていない。
それはつまり、この状況でもサトルに勝ち目があることを示唆しているに他ならない。
己の剣を一瞥する。心撃の長剣、ナガレがサトルに与えてくれた一振り。心の強さに比例してその威力を上げる。
そこにこそヒントがあると、サトルは確信している。それに、実際サトルは一度だけ、その恩恵を感じ取っていた。
ならば――倒せない理由がない。
そして、アケチの剣戟がサトルに迫り、それを合図に再び戦いが再開された。
「でも、ナガレくん、アケチの障壁はあらゆる攻撃を防いでしまうんでしょ? それなのに、サトルくんに勝ち目なんてあるの?」
アケチに応じるサトルを、ハラハラした様子でみながら、マイがナガレに問う。
「――確かにあの障壁は完璧ですが、サトルくんが気がついていれば恐らく、それにアケチにとってあの障壁が必ずしも有利に働くとは限りません。特に、この状況でその存在が知れたことで、アケチの短所が顕になるかもしれません」
「……ナガレが最初からではなく、このタイミングで明かしたのはその為?」
ナガレの答えに、ビッチェが確認するように口を開くが。
「あまり早く明かしてしまうと、サトルくんの作戦が逆に無駄になってしまう可能性が高かったですからね――」
ナガレはそう答え、そして二人の戦いに目を向ける。
◇◆◇
いつのまにかアケチの苛立ちは募っていた。何故、この男が、この状況で、圧倒的な差があるこの僕に対して、執拗に攻め込んでこようとするのか、と。
全く納得がいかなかった。アケチの障壁は完璧だ。ドラゴンの炎だろうと、例え神の行使するような魔法であろうと、この壁を突破する事は不可能だ。
最初はあくまで保険のつもりで行使していた為、例えこの障壁があっても、攻撃は避けるか、防御するかしていたが、気づかれてしまったのならアケチとて遠慮する必要がない。
つまり、アケチはわざわざ防御に気を遣う必要がなくなったのだ。
当然そうなれば、サトルの攻撃はアケチに命中するようになってきているが、そんなものは何の意味もなさない。
いくら当てたところで、障壁によって一切のダメージは通らないのだ。
どう考えても無駄な攻撃である。にも関わらず、サトルは全く諦める様子がない。
「チッ、しつこいんだよ君は!」
アケチはまるで群がる羽虫を追い払うがごとく、突きを連射する。
しかし、どういうわけか、その多くは避けるか、防ぐかをされてしまい決め手につながらない。
それがより、アケチの怒りが募る。納得がいかなかった。アケチは今レベル1000の状態を保って攻撃を繰り返している。
一方サトルは未だにレベルが上がり続けているものの、ようやく100に到達したばかりだ。それでもなお一〇倍の開きがある。
威力も速度も明らかにアケチの方が上だ。しかも、防御をアビリティにまかせている分、攻撃に専念できている。
にも関わらず、サトルにこれといった一撃を与える事が出来ない。全く当たらないわけではない、だが命中している攻撃は全てサトルの猛進を止めるに値しない程度のものだ。
一方アケチにかかる圧力は――更に激しさをましていた。障壁にあたる一撃一撃の重圧が明らかに増している。
何故か、サトルの一撃毎に、障壁が震えているような、そんな気がしていた。そんな筈はないと、アケチは頭を振る。
ありえないことだった。サトルの武器とて一応はオーパーツ。それなりに強力なものだろう。だが、心撃の長剣などと偉そうな名称はついていても、このエクスカリバーの毛ほどの価値もない代物だ。
特殊効果の心の強さが乗るというのも微妙なものだ。そんな曖昧なもので破れるほどこの障壁は脆くはない。そもそも破れることがない。この障壁があればアケチは絶対無敵だ。それが保証されている。
――こいつは愚かだ。
そう、愚かなのだ。このサトルという男は馬鹿が度を超えている。無駄なことを繰り返し続け、それでも未だ心が折れていない。
心底腹が立つ存在だ。その眼はなんだ? お前はそうじゃないだろう? 道端で轢かれ虫の息の野良猫のように、人生を諦めた落伍者のように、延々に虐げられる亜人の奴隷のように、その眼は昏く淀んでいなければいけない。その表情は絶望で湛えてなければいけない。
なのに、サトルの眼は、ただひたすらにギラギラしていた。何かの意志に突き動かされるように――常に狩られる側であるはずの、ただの生贄に過ぎなかったサトルが、まるで狩人のごとく、その剣を、振るい続ける。
――違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
「いい加減にしろこの虫けらが! パーフェクトスティンガー!」
防御を一切忘れての、闘気を込めた一撃。刃に衝撃波が絡みつき、例え躱されたとしても広がる衝撃が獲物を飲み込む。
天高く突き上げた一撃であった。サトルの身が高速で天井に吸い込まれていく。このステータス差であれば、あのまま天井に突き刺されば只ではすまない。
そう、これこそが正しいあり方だ。所詮サトルがいくら攻撃を繰り返したところで、完璧なアケチの、ただの一撃で全てが覆る。
これが差だ。神に選ばれた英雄と、地べたを這いつくばるしか能がない虫けらとの違いだ。
だが、サトルの身体が、天井に今まさに到達すると思えたその瞬間――体勢を立て直し、天井に足を向け、蹴りつけた。
その瞬間、弾丸のように飛び出したサトルが、瞬時にアケチの目の前まで迫る。
その両手で握られた長剣、全体重を乗せ、落下の勢いも利用し、今振り下ろされる。
その眼が、視線が、アケチと重なった。射抜くような瞳に怖気が走るような殺気が込められていた。
怖気? アケチの身がこわばる。愕然となる。
サトルの剣が振り下ろされた。今までに感じたことのないような衝撃が、アケチの心を身体を震わせた。背筋に悪寒が走った。
アケチの身体は、無事だった。だが、今の一撃に、アケチは自らの身が両断されたような、それほどの錯覚を覚えた。
その瞬間、アケチの中で何かが切れた。
「ふざ、けるなぁあああぁあああ!」
気がついてみれば、アケチは両手で構えたソレを、エクスカリバーの刃を、サトルに向けて振り下ろしてしまっていた。
本能が、サトルを恐怖の対象とみなしたのだ。だからこそ、理性が保てなかったのだ。
大きな影が、宙を待った。それはサトルの左腕だった。肩口から先が完全に両断されていた。
約束を反故にしたことなど、どうでも良かった。これで間違いなく、サトルは倒れる。地面を情けなくのたうち回るサトルを見下ろし、害虫を踏み潰すようにとどめを刺す。
それで、終わり、そのはずだった――
「左腕の一本ぐらい、くれてやる!」
アケチに届いたサトルの絶叫は、悲鳴ではなく、何事にも屈しない意志に満ちたものだった。
馬鹿な、と狼狽した双眸でサトルを見やる。いつの間にか、その剣が右手に握り直されていた。その腕が引かれ、そして渾身の突きが、アケチの目の前に迫っていた。
当たるはずがない――この一瞬の中でアケチの脳内で様々な可能性と否定が交差する。
サトルを倒したと思い込んだ時点で既に反応が一瞬遅れていた。だが、突きが障壁を捉えたところで、あの一撃すら防いだのだ、破れるはずがない。
だが、その時、彼の視界に映る僅かな罅。そう、罅だ、障壁に、完璧なはずの障壁に、ごく僅かではあるが罅が刻まれていた。
サトルの刺突は、一直線にその罅を狙ってきていた。研ぎ澄まされた一撃。
だが、この程度の傷が、この程度の歪みが、影響をおよぼす筈がないといった慢心が過り、そこでまた反応が遅れた。
刃が障壁に触れる。アケチの高い動体視力は、ゆっくりと迫るその一太刀の様子をまざまざと見せつけてくれた。
重く鋭い突きが、障壁を揺らし、重低音がアケチの心魂に響き渡る。
サトルの突きは、一瞬だけその動きを止めた。勝った、アケチはそれを確信した。
そうだ、サトル如きが、この障壁を破れるわけがない。
「うぉおぉおぉおぉおおぉおおおぉおお!」
しかし、サトルは諦めない。声を振り上げ、なおも刃を押し込んでくる。
馬鹿な事を、無駄だ、あり得ない――しかし、その思いは、障壁に広がるひび割れにより文字通り砕け散った。
一瞬唖然となる。それは、刹那とも言えるほんの僅かな迷い。だが、その瞬間、アケチの障壁が粉々に砕け散り、サトルの突きが、その刃が、目の前まで迫った。
「う、うわぁあああぁあああぁあああぁああ!」
そして今、アケチの情けない悲鳴が、周囲に響き渡る――
次回!遂にアケチとサトルの戦いに決着が――




