第三二〇話 もうひとつの真実
サトルを、アイカ、メグミ、アレクトの死を利用して糾弾しようとしたアケチ。
だが、その計画は全てナガレの手によって阻止されており、アケチの目論見は水泡に帰した。
サトルを嘲笑おうとして結局みずからの醜態を晒してしまったアケチ。そんなアケチを認め、サトルは逆に見下すように言い放つ。
「全く、俺が言うのも何だが、無様だなアケチ――」
サトルを挑発するつもりが、逆に自らの感情を逆撫でする結果になった。正直自業自得でしかないが、そのためか余裕ぶっていたアケチの仮面が明らかにひび割れ始める。
額のあたりがピクピクと波打っていた。笑顔もとっくに消えている。今のアケチはかつてのサトルを思い起こさせるような、そんな表情をしている。
尤も、このことで憎悪を燃やしているのであれば、そんなものはただの逆恨みでしか無いが。
「ぐぐぐ、ぐっ、ふぅうううぅううぅ」
歯噛みし、暫しアケチが呻き続ける。だが、直後大きく深呼吸し、息を整え始めた。
すると、不思議な事に再びアケチは落ち着きを取り戻したようであり、相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべ始める。
「――【精神統一】を使用しましたか」
ナガレの声がサトルに届く。したではなく、使用したと述べているあたり、スキルの名称なのかもしれないとサトルは考える。
効果は――おそらく読んで字の如く。だからこそのあの表情なのだろう。
「全く、まさか君如きに無様だなどとそしられるとは思わなかったよ。明智家始まって以来の屈辱だね」
大袈裟だな、と眉をひそめるサトルである。ただ、明智家というのは家族揃って頭のおかしなのばかりなので、こんなことも平気で言えてしまうのだろう。
「無様なのを無様だと言って何が悪い? 色々と裏でこそこそと策を練っていたようだが、ナガレさんとは格が違いすぎるんだよ。だからあっさりと悪巧みも看破されて阻止されるんだ」
「ふん、さっきまではそのナガレさんとやらを殺そうと躍起になっていた男の台詞とは思えないね。つまりあれだろ? 君はそこのナガレが怖いから屈して、言われるがままに動いているにすぎないんだ。自分がないんだよ。だから悪魔の書だってあっさりと手放す。大体彼女たちが生き残ったということは、逆を言えば君が腑抜けだったという事だろう? 折角の悪魔の力も上手く扱えず、だからあっさりとそんな連中に破れる。不甲斐ないね、情けないよ」
再び饒舌になるアケチ。だが、だからといってサトルが心を乱すことはない。
「言いたいことはそれだけか? お前は俺達の戦いを覗き見ていたらしいが、それで行き着いた答えがそれか。やはり全てにおいてお前はナガレさんに劣っているよ。確かに俺はナガレさんに負けた。だけど、それだけじゃない。そう、ナガレさんは俺に気が付かせてくれたんだ。マイさんの事も含めてな。今はナガレさんがいてくれて本当に良かったと思ってるよ。お前の穢れた魂胆も知ることが出来たしな。それに、お前が何を言おうが、その全てを尽く阻止された姿が無様なのには代わりはないぞ?」
アケチの目がにわかに細まる。やはり心落ち着けたとは言え、この状況を潔く思っていないのは確かなようだ。
だが、直後、アケチはどこかサトルを憐れむような目を向け語りだす。
「そうやって僕を貶める事で、君は君の暗愚な様をごまかしているに過ぎないのさ。悪魔の書にしたってそうさ。結局それを手放したところで何が変わるわけでもない。君の業が消えてなくなるわけじゃないのだよ?」
「……そのとおりだ。今更お前なんかに言われるまでもない。だから俺は、その業を背負って生きていく」
「業を背負って? ははっ、全くお笑い草だよ君は。本当におめでたい頭をしている。その業は君の家族さえも巻き込んでいるというのにね」
サトルの目が、一瞬大きく見開かれる。そして、アケチを睨めつけ、どういうことだ? と問うた。
「ふふっ、それは君が随分と買っているそこのナガレとかいう男に聞いてみたらいかがかな? 彼は随分と勘とやらが働くようだからね」
皮肉めいたアケチの答えにサトルは唇を噛みしめるも、ナガレを振り返り、目で問いかけた。
「……彼が言いたいのは、この悪魔の書に封じられた貴方のご家族の魂の事でしょう。契約の代償には貴方の魂だけではなく近親者の魂も含まれていた形ですので」
その答えにサトルが愕然となる。そんな、そんな、と呟き。
「はははっ! そういう事だ! 全く本当に君は凄いな。いろいろな事を知っている。だが、それを今まで聞かせなかったのはそこにいる屑を思ってのことか? だが、それが逆に仇になったな! その真実を聞いて、サトルが平気でいられるはずがない。さあ、どうだサトル? 自分の父と母が、妹が、お前の手で苦しんでいると知った気分は! お前のせいで――」
「私が今までサトルくんにそのことを伝えなかったのは、貴方ならばこの状況でそのことを持ち出すに違いないと思ったからですよ」
アケチがサトルを指差し、意気揚々と語りだす。だが、其の言葉もナガレの声によって途中で遮られた。
「……何だと? ははっ、ここにきて言い訳がましい事はよすんだな。何を言ったところでそこの愚かな男のせいで家族が苦しんでいる事に変わりはないのだからね」
「それは間違いですよ。確かに、サトルくんのご家族は今もなおこの悪魔の書に封印されています。ですが、永遠に苦しむという条件はあくまでサトルくんの死後の話。それまではこの中で穏やかに眠り続ける事になります。そうですね?」
ナガレが悪魔の書に語りかけた。すると、うむ、と悪魔の書が応じ。
『何から何まで見透かされているようで癪にさわるが、この男の言うとおりだ。対価を頂くのはあくまでサトル、お前の死後であるぞ。と、言ったところで今はサトルには聞こえないのだから意味がなかろう!』
「いえ、今のはアケチも含めて全員に念が届くようにしたので大丈夫ですよ」
「……確かに私にも聞こえた」
『――貴様は本当に人間なのか?』
悪魔の書が訝しげに問いかけた。それぐらい信じられないことを、ナガレは息を吐くようにこなしてしまう。
そして、それを聞いていたアケチも随分と悔しそうだ。
「……俺の両親が眠り続けている――少なくとも俺が死ぬまでは、苦しむことはない?」
「はい、そのとおりです。これでまた一つ生きる理由が出来ましたね」
サトルの表情に決意の色が蘇った。少なくとも落ち込んでいる様子は感じられない。
「くっ! 妄言だそんなものは! 大体、何を言ったところでサトルの考えなしの行動で魂が捕らわれているのは事実だろ!」
「確かにそのとおりですが、それが必ずしも悪い方向に進んだとは限りませんよ。少なくとも明智家の所為でその生命を奪われたサトルくんのご家族にとってはね」
「え? そ、それってどういうことなの?」
マイが怪訝そうに問いかけると、それは、とナガレが口にし。
「――サトルくんのご家族の魂は、あのままでは浮かばれず現世にて地縛霊として取り残されるところでした。ですが、サトルくんがこの悪魔の書と契約したことで、少なくともそれは避けられましたからね」
ナガレの説明を耳にしマイの表情が和らいだ。少なくともサトルの行為によってすぐに両親の魂が苦しむようなことはなく、それどころか少なくとも地縛霊化という最悪の事態は避けられたのである。
ただ、サトルの表情は厳しい。
なぜなら――
「……ナガレさん、今の話ですが、俺は警察で父さんと母さんに関しては自ら命を絶ったと聞いていました。だけど、その話でいくともしかして――」
「……はい。残念な事ですが――」
ナガレがサトルに事のあらましを伝える。勿論アケチとは異なり簡潔にではあるが、それでもサトルの両親が彼の無実を信じ続けていたこと。それを必死に世間に訴え続けていたことなど大事な点はしっかりと――
そして、それを良く思わなかった明智家が部下を使いその手に掛けたのだという事も――
「……どうやら、また一つ貴様に復讐する理由ができてしまったようだな」
「――生意気な目だね。両親の弔い合戦とでも言いたげだね君は。本当に愚かで困るよ全く。ゴミを少し片付けた程度の事に、逆恨みでいちいち恨まれていてはたまったものじゃない。塵芥も量が増えると面倒だしね」
「……何なのあんた、一体、一体なんなのよ!」
マイが激昂する。声を上げアケチをキッと睨みつける。
「貴方のせいで人が死んでるのよ! 何の罪もないサトルくんの家族が殺されてるの! それなのにどうしてそんな顔できるのよ! 平然としてられるのよ! 何も思うことがないわけ!」
「ははっ、あーはっはっはっはっは! これは驚いた。全く三流ドラマで見るような台詞が聞けるとは、流石は牝豚とは言え芸能界にいただけのことはある、中々様になっているよ」
マイの訴えもアケチの耳には届かない。それどころか笑いだし、マイを嘲笑しだす始末だ。
マイはあまりの悔しさからか、目に涙を溜め、プルプルと震えている。
こんな男に、なぜサトルが、と言いようのない感情が溢れ出して仕方ないのだろう。
「なんだいその顔は? まさか本気で言っていたのかい? 全く、僕は明智家を支えるべく生まれた崇高な人間だよ? 圧倒的な支配者にして、愚かな下民を先導する選ばれた王さ。そんな僕からみれば君たちなんて所詮ただの虫けらと同じ」
そこまで述べた後、見下すような視線をマイへと向けて問うように言った。
「大体、君たちだって目の前に蟻が歩いていれば容赦なく踏み潰すだろう? その時にいちいち何か思うことがあるのかい?」
くすくすと薄ら笑いを浮かべながらアケチが言う。それに唖然とした表情を浮かべるマイであったが。
「――やれやれ、愚かさもここまでくると逆に哀れですね。語れば語るほど、己の馬鹿さ加減を露呈させるだけだというのに」
「……本当に愚か。救いようがない」
しかし、ナガレとビッチェが思ったことをそのままアケチに伝えた。一瞬その眼がナガレを睨めつけたが、すぐにビッチェに視線を変え。
「ははっ、もしかして機嫌を損ねちゃったかな? 大丈夫だよ。今のは当然君は含まれていない。君が蟻だなんてとんでもない。むしろ一緒に踏み潰す方さ」
「……なんならお前を踏み潰してやろうか?」
ビッチェの返しに、貴方が望むなら、などと嬉しそうに語るアケチであるが――
「そもそも、人を蟻に例える時点で貴方の底の浅さが窺えますね。人並みの知識と教養があれば、全く異なる生き物である蟻と人間を一緒くたに並べて語ったりしないでしょう。それに、そもそもしっかりと成熟した人間なら、目についたからといって自分から蟻を踏み潰しにいったりしません。そんな事を得々と語れるのは、貴方の心が捻くれていて心底歪んでいる証拠です」
ぐぅ! とアケチが顔を歪め呻く。
その様子に、ははっ、とサトルが笑みをこぼした。
「全く、役者が違いすぎるなアケチ。ナガレさんのおかげで、どんどんお前が小さく見えていくよ。今のお前になら、俺は負ける気がしない」
サトルが再び構えを取り、アケチに対し宣言した。
だが、アケチもまた表情を整え、サトルと相対する。
「負ける気がしないとは大きく出たものだ。大体判っているのか? お前の家族のことなんて、所詮一時しのぎにすぎない。ここで死ねば、永遠の苦しみが待っているだけだ。そして、僕が君ごときに負けることはない」
「…………」
サトルは言葉を返すことなく、アケチをにらみ続ける。ただ、確かに一時しのぎに過ぎないのは事実であり、それを気にしている様子も同時に感じられたが――
「確かにサトルくんがここでやられるようなことになれば、アケチの言うとおりになるでしょう。ですが、ここを乗り切れば、封印されている魂については私に考えがあります。ですからサトルくんは、今この戦いに集中してください」
しかし、そんなサトルの気持ちを見透かすようにナガレが言った。
「……流石ナガレさんだ、全く敵わないな……」
それを聞いていたサトルに安堵の表情。これで唯一の不安は消えた。後はここでアケチを倒し、復讐を果たすだけ。
「……サトルくん、頑張って! そんなやつ! やっつけちゃって!」
そしてマイが叫ぶ。それに、マイさん、とサトルが呟き一瞥する。
「私、本当は、サトルくんを止めたかった。復讐なんてやめて、もうナガレくんに任せちゃえばいいじゃないって。でも、違うんだよね――だって、あんな目にあわされて、こんなのあんまりだよ。だから、だから!」
「……ああ、俺がこの手であいつを倒す!」
サトルが頷き、決意を新たにアケチと対峙した。
その様子を眺めながら、ビッチェがナガレに語りかける。
「……だけど、大丈夫? 確かにサトルの成長は目覚ましい。でも、それでも力の差は歴然」
「気持ちは判りますよ。ですが、サトルくんは今もなお眠れる獅子といった状態です。しかしその力も、間もなく――尤も、それを活かすも殺すもサトルくん次第ですが」
そう答えつつ、ナガレはサトルへと目を向けた。もうまもなく決着がつくであろうサトルの戦いを見届けるために――




