第三一七話 アケチ、ビッチェを口説く
サトルの剣術の変化に疑問を感じたアケチは、暫しサトルと睨み合う。
だが、そんな時にいつの間にかナガレ達のもとにたどり着いていたビッチェ。
アケチは彼女の姿をひと目見るなり、サトルとの戦いを一旦中断し、彼女の前までやってきて、事もあろうに口説き始めたのだった。
「おや? どうしたのかな? あ、そうか、僕があまりに完璧でパーフェクトな容姿をしているから言葉が出ないんだね。でも、そこは気にしなくても大丈夫だよ。僕は寛大だからね。それに、君は僕と十分と釣り合いがとれるほど素敵だよ。妾にもぴったりだ」
「……お前がアケチで間違いない?」
問いかけるビッチェの前で、アケチは髪を指で靡かせながら、白い歯を覗かせる。腹の中は真っ黒なのだが、よそ行きの顔に関しては随分と爽やかだ。ビッチェにアピールするために好青年を演じているのだろうが。
「君のような美女に知ってもらえているとは光栄だね。尤も完璧な勇者の僕の名声は、大陸中、いやきっとこの世界の果てまで響き渡っているのかもしれないけどね」
「……どうしようナガレ、この男ウザい、いますぐ私が切り刻みたい」
「気持ちは判りますが、今はサトルくんと戦いの最中ですからね」
ビッチェがアケチを指差しながら、ナガレに気持ちを吐露した。
その様子にアケチが一瞬顔をしかめるが。
「ははっ、判ってるよ。君は照れているんだね? ツンデレって奴かな。判るよ、僕のような完璧な男性に認められたわけだから、どうしていいか判らず別の男に目を向けてしまったのだね」
「……その顔にイラッとくる。いいからさっさと戻れ、戦闘中だろう」
「うん、判ったよ。仕方ないな、そこまで僕の勇姿がみたいなんてかわいいね。安心してね、あのサトルを片付けたら、君以外のゴミもしっかり片付けるから」
「……それはナガレの事もいってる? だとしたら悪い冗談」
ビッチェはどこか呆れたような目でアケチに言葉を返すが、アケチは、当然さ、と満面の笑みを浮かべていた。
「だから、全員片付けたら、君の唇を僕だけの物にしていいかな? ま、嫌だと言っても頂くけどね」
「……私に触れるな」
ビッチェに確認をとるようなセリフを吐きながら、アケチの指がビッチェの唇に迫る。
だが、ビッチェは嫌悪感を露わにさせ、抜いた剣を鞭のように振り回した。
鋭い剣閃がアケチの立っていた場所に刻まれ、無数の軌跡を残す。
だが、既にその時にはアケチの姿はなく、いつの間にかサトルの正面に戻っていたアケチが、楽しみにしてるよ、と手を振って答えた。
「……ナガレに勝とうと思っているとは愚かな男。でも、実力はかなりある」
「確かに、アスモダイを倒しただけあり、ビッチェも以前とは比べ物にならない強さになりましたが、本気ではなかったとは言え、全て避けられましたからね」
「……私の目でも追えなかった。正直ちょっと悔しい」
ナガレの言うようにビッチェは決して本気ではなかったが、しかし気配に敏感な彼女でも見きれなかったあたり、やはりそれ相応の強さは持ち合わせているのだろう。
あの自意識過剰なそぶりもそれなりの自信があってのことなのは間違いがない。
ただ――
(あれの性質を考えれば、例えビッチェ程の実力者であっても見切れないのは仕方ないかもしれませんね)
ナガレはアケチの見せた力を頭の中でそう評す。尤も、ナガレにはしっかりとアケチが攻撃から逃れ、サトルの目の前まで移動する様子が確認できたわけだが。
「……まさかこの状況でナンパなんてな」
「ははっ、僕からしたら君なんかよりあの子を口説くことの方が大事なのさ」
ふふんっ、と笑いながらアケチが答える。髪をかきあげたりといちいち行動が鼻につく男であり、しかもその後、いかに彼女が素晴らしいかについて語りだしてしまった。
その様子に呆れた目をしているビッチェだが、マイはどこか意外な様子でもあり。
「でも、まさかあのアケチが、一人の女性にここまで入れ込むなんて驚いたわね。確かにモテてはいたし、女の子に対しての外面は良かったけど、だいたい軽く相手するぐらいで、本気になったところなんてみたことなかったのに――」
チラリとビッチェをみやり――マイは頬を染めた。同じ女から見ても魅力的な女性、地球では人気の芸能人でもあったマイがそう思うのだから相当なものなのだろう。
「で、でも、そのうえアスモダイを倒したって、確かナガレくんが彼と戦っていた時に会話に出た相手よね? 序列三位とか……相当強そうだけど、それを、倒したのですか? レベルとか、かなり高そうに思えるのですが……」
なんとなくビッチェ相手には畏まってしまうマイであるが、ビッチェはそんな彼女をみやり回答する。
「……倒した。そして急いできた、ナガレに早く逢いたかったから、相手のレベルは25000ぐらいあったと思うけど頑張った」
「ふぁ!? 25000!」
仰天するマイである。なにせレベル五桁などそうそういるものではない。
「でも、その攻撃を躱すなんて、一体アケチのレベルっていくつなのかしら?」
「そうですね。本気になった時の彼のレベルは125800です」
あっさりとマイの疑問に答えるナガレであったが、肝心のマイは驚きに目を見張った。
「ちょ、125800って何よそれ! 化物じゃない!」
「……確かに強いとは思ったけどレベル10万超えとは驚き」
そういってビッチェが目をパチクリさせる。ただ、マイと比べると驚きは少なそうだ。勿論単純なレベルで言えば今のビッチェよりも更に高いが、やはり凄いの桁が違うナガレが一緒にいることが大きいのかも知れず――更に言えば、そのぐらいのレベルの持ち主を他にも知っていそうな雰囲気を発していた。
「そ、そんなレベルだなんて、サトルくんで勝ち目があるの?」
そして、当然その考えにいきつく。眉を落としかなり心配そうに思える。何せサトルのレベルは25だ。その差は普通に考えれば絶望的だ。
「……だからこそ、アケチ自らハンデを背負うように持っていった……」
「そうですね。一応あのアケチも言ったことは今のところ守っているようで、宣言通りレベルは63まで落としてます」
「そ、そういえば確かに言っていたけど、一パーセントまで落としてそこから更に五パーセントなんて何を言っているかと思えば、本気だったのね……」
信じられないようなものを見たような視線をアケチに向け、でも、と言葉を続ける。
「ハンデを含めても、まだ倍以上の差があるのよね……」
そう、ハンデを考慮してもアケチのレベルは63、サトルの25と比べるなら、左手のみ、突きのみという条件を含めても、決して楽観出来ない。
そしてマイは、見守るような瞳をサトルへ向けると、アケチのひとり語りがようやく終わった。
「――と、いうわけさ。彼女の素晴らしさと、いかに僕にふさわしい相手なのかということが、愚かな君にもおわかり頂けたかな?」
「ああ、よくわかったよ。お前の気持ち悪さがな。大体、明らかに相手にもされてないだろ」
「この僕が? ははっ、冗談を。君はどうやら見る目も三流なようだ」
長々と独りよがりな話を聞かされサトルも辟易とした様子であったが、アケチは気にもとめていない様子であり、ビッチェに関しても何故か自分は好かれているという結論に至っているようだ。
「ふふっ、それにしても、僕と彼女の熱い時間を邪魔してこないあたりは褒めてあげるよ。よく空気が読めたね」
「……」
「ふふっ、本当君、目が真剣すぎて逆に引くね。その様子だと、邪魔をしなかったというより、出来なかったのかな? あまりに僕の隙がなさすぎて」
得意満面といった顔で言い立てる。だが、サトルのどこか張りつめたような空気は変わらない。
「……お前を倒す算段を考えていただけだ」
「そう? それでいい手は浮かんだかい?」
「ああ、今お前が本気を出してきても倒せる自信がある」
「あははっ、言うねぇ。でも僕も一度口にしたことは守るよ。約束は守るたちだからね。それに、君ごときにむきになっていたらあの美人ちゃんにも呆れられるしね」
アケチが左手で構えを取りつつ、言葉を返していく。
そして、じゃあ今度はこっちから行くよ、と口にした瞬間、一気に距離を詰めての三連突き。
サトルは一突き目を躱し、続く突きは剣の腹で受け止める。だが、三発目は避けきれず、肩に貰ってしまう。
一瞬顔を歪めるサトルであったが、後方に飛び跳ねつつ、攻撃終わりの引き手に合わせて飛び込み反撃に転じる。
どうやら肩に貰った傷も上手く飛びのいたおかげで大したことはなさそうだ。
そして、袈裟懸けに振り下ろされる剣戟、巧みなステップで紙一重で避けられてしまうが――そこから更に相手の後ろに回り込むような勢いで大きく一歩踏み込み、回転しながらアケチの後ろ首を狙う。
「やったわ!」
思わずマイが叫んでいた。これは間違いなく当たると、そう思ったのだろう。
だが、しかしアケチは自ら前方に傾倒し、サトルの渾身の一撃から逃れた上、倒れた勢いのまま加速し距離を離してしまった。
これでまた、仕切り直しである。
「……驚いたね、最初の型にはまった攻撃とはまるで違う。飢えた獣のようだね君」
「ああ、飢えてるさ。それは間違いない、この飢えはお前をねじ伏せ、復讐心を満たさない限り収まりそうにない」
「そう、じゃあ僕はさしずめ暴走した野良犬を相手するハンターってとこかな」
そんなことをドヤ顔で語るアケチ。サトルの目付きが険しくなり――今度は両者同時に飛び出しぶつかり合う。
暫くアケチの突きとサトルの斬撃が、鋼と鋼がぶつかり合い、激しい火花を撒き散らしていった。
『……しかし、サトルも愚かであるな。まさかこの状況で不意打ちが卑怯だとでも思っているのか? 奴が油断している間に、狙えばよかったものを』
悪魔の書の念が飛ぶ。ビッチェの前にやってきて口説き始めたアケチに対し、何もしなかったサトルの行為を歯がゆく感じたのだろう。もっと非情になれ、とでもいいたげではあるが。
「いえ、少なくともあの場面では手を出さないほうが正解ですよ」
しかし、ナガレは悪魔の書の考えを否定する。
『なんだ? まさか貴様も正々堂々などと甘いことを言うつもりなのか?』
「いえ、あの場面ではアケチが勝手に中断したわけですから、本来なら後ろから斬られても文句は言えないでしょう。ただ、今回の場合サトルくんはアケチに対して圧倒的に不利な立場です。つまりアケチの気分次第では、いつ殺されてもおかしくない状況とも言えます」
え? とマイが不安そうな表情を見せた。だが、こればかりは仕方のない事実である。
「今の場合、もしサトルくんがアケチの背後を狙ったとしても効果は全く望めません。それにすぐに反応できるぐらいの力はあるからです。しかもアケチはその事を理由に、条件を反故にし、あっさりと切り捨てるぐらいはしてくる男です」
『……むぅ』
悪魔の書が唸るような念を飛ばす。
「忘れてはいけないのは、二人の間には抗え様のない差があるという事です。勿論サトルくんのほうが圧倒的に不利という状況で、それはサトルくん自身がよく判っている事でしょう。だからこそ何とかアケチを自分と同じ舞台に持っていこうと策を練ったのです」
「それが、あのハンデって事なのよね……」
「その通りです。ですが、それでもまだサトルくんにとって不利なのは変わっておりません」
「……確かに、サトルの今の状況はとても危ういとも言える。深い渓谷の上に張った細い糸の上で戦ってるようなもの。少しでもバランスを崩したら谷底に真っ逆さま」
「そうですね。逆にアケチに関しては、広い足場の上でしっかりと地に足をつけてるような状態。その中で適当に線を引き、この中でのみ戦ってあげると言っているようなものです。リスクなど、あってないような状況です」
それはあまりに絶望的な状況なのではないか、とマイも感じたことだろう。表情に暗い影が落ちていた。
「……ただ、正直アケチは調子にのりすぎ。だからつけ入る隙はある。例え安全な足場の上にいるような状態に見えても、どこか弱い点を見つければ、逆に足場を崩し谷底に落とすことだって出来る」
マイの表情を見てビッチェが気を遣ったのか、サトルにも勝機があることを説明する。
それによって少し明かりを取り戻すマイ。
「……それにサトルの剣術は面白い。普通は大体ある程度決まった形というのがある。あのアケチも今は突きを活かせる構えをとっている」
確かにアケチは空いている方の手を後ろに引き、剣を持つ左手を前に出す構えで、前後に足の開きを広く取る形。
フェンシングに近い型であり、突きに特化している構えと言えるだろう。
逆にサトルは足の位置にしろ持ち手にしろ、これといった決まったパターンがない。構えにしろ型にしろ、かなり自由だ。
『フンッ、当然であろうな。サトルの剣術は悪魔に教わったもの。そして悪魔に人間のような凝り固まった形などあるはずもない、悪魔は自由よ』
悪魔の書は得々と語りだす。確かに一部の悪魔は人のように流派のようなものを名乗る者もいたようだが、それにしても特定の技を除けば、これといった形が決まっていたわけでもない。
「確かに剣術としてみればかなり自由な形ですね。それでいて悪魔らしく、どんな状態からでも急所を狙い、そして相手の嫌がるような場所を攻めていく、中々特徴的な動きを見せてますね」
「……なんか聞いてると、サトルくんの方が悪役みたいに思えるわね」
『だからこそ、サトルにぴったりなのであろう。しかもあの剣術は与える痛みも大きく、しかも痛みは中々ひかぬ。傷の治りも遅く、それでいて減呪剣も絡めれば、攻撃を当てると同時に何らかの弊害を与えることも可能なのである』
妙に得意げに語る悪魔の書だが、聞けば聞くほど悪役っぽい技だなと苦笑するマイである。
「でも、それなら一発でも当てればかなり有利になれるって事よね?」
「……いえ、今言われたような効果を期待するのは難しいでしょう。アケチは祝福というアビリティを持っていますから、状態異常は全て無効化されます」
そんな~、とマイががっくりと肩を落とした。
「散々偉そうに言っておいて効かないんじゃ意味がないじゃない」
そしてジト目で悪魔の書を責める。
『う、うるさい! だから無謀だと最初から言っているであろう!』
そして若干逆ギレ気味な悪魔の書でもあるが――
「……サトル、攻撃を受け始めてる」
「ええ、やはりアケチも気がついたようですね。サトルくんの弱みに――」
ふたりが向けている視線の先では、徐々に傷が増え始めていっているサトルの姿があった――




