第三一六話 サトルの剣術
今、戦いの火蓋が切られた。アケチの挑発による挑発によって、サトルは頭に血が上ったかのごとく飛び出し、ナガレから預かった長剣を振り回す。
だが、それをアケチは余裕の体でヒラリヒラリと躱していった。
まるでマタドール気分を味わっているがごとく、さしずめサトルは荒ぶる牛といったところか。
だが、アケチはすぐにサトルを仕留めようとはしない。それはアケチ自身が言ったこと。左手以外を使わない。突き技以外は使用しない。
その上、アケチはかなりレベルを落として見せるとも宣言した。
つまり、アケチにはそれだけ余裕があるということでもあり――実際、それだけのハンデを背負っているにも関わらず、サトルの攻撃は全くアケチに通用していない。
「いや、驚いたよ。全くの素人剣術でも見せられるかと思えば、そこそこ君も出来るじゃないか」
「くっ! うるさい! 黙れ!」
一旦距離を離すアケチ。サトルも足を止め両手でしっかり柄を握り正眼の構えを見せる。
そんなサトルに投げかけられたのは一見彼を称えているかのような言葉。だが、その眼は明らかに小馬鹿にしている。
「ふむ、そんな君に僕からアドバイスをしてあげよう。君の剣筋は素直過ぎる。基本に忠実なのはいいけれど、それじゃあ僕にはバレバレだよ」
「う、うるさい! 黙れ!」
声を張り上げ、アケチに向けて力の篭った突きを放つ。
だが、それも頭を軽く振るだけで躱してみせる。
「突きもなってないね。踏み込みとタイミングが合ってないし、予備動作もバレバレだ。それじゃあ躱してくださいと言っているようなものだよ? 仕方ないね、僕が突きの見本というのを見せてあげよう」
得意気に語り、宣言通り左手に持ち替えていたエクスカリバーを前に突き出した。
流れるようなフォーム。言うだけあって素早く正確な突き。
それに驚いたような顔を見せたサトルは、大きく後ろに上半身を反らし、それを躱した。
やった、というマイの声がサトルの耳に届く。
だが、サトルには見えていた、アケチがニヤリと口元を歪めるのを。
なぜなら、確かにサトルはアケチの一撃目は避けることが出来た。だが、ブリッジにも近いこの体勢は普通であればとても褒められたものではない無理のある状態だ。
何せこの姿勢では先ずまともに剣を振ることが出来ず、更にここから次の行動に移るのにどうしても一歩遅れてしまう。もし、ここでアケチが次の攻撃に移るような事があれば、サトルには取れる手段がない――そう考えたのであろうアケチは、突いた左手を引きつつ、軽く跳躍。
反りきったサトルの身を正面に捉えた。
「所詮君はこの程度か、早い幕引きだったね」
鋭い刺突が、サトルの喉元を狙う。本来であれば絶対に躱しようのない一撃。そして、喉を貫かれれば当然只ではすまない。
今まさに、エクスカリバーの剣先がサトルを捉えた、と、その時、アケチの目が軽く見開かれる。
刺突は、空を突いていた。つまり、捉えたと思ったサトルの身体は消えていた。
いや違う、消えたようにみえる視覚外からの攻撃。
サトルの剣戟が、逆にアケチの喉を狙っていた。サトルは、突きが喉に近づいたその瞬間、大きく身体を捻り、ギリギリのところでソレを避けたのである。
しかも、その際に生じた回転を利用して剣を振り、カウンターでアケチを狙ってみせた。
事前の体勢で考えれば、破れかぶれな行動かとも思えるかもしれないが、それは違う、狙いすました一撃だ。
その証拠に、腰も、体重も乗った、研ぎ澄まされた一撃であった。
だが、アケチも一撃が当たる直前に、剣戟の迫る方向へ、身体を大きく回転させていた。相当な勢いをつけることで、その回転力によってアケチの身体が浮き上がる。
結果、サトルの放ったカウンターは、アケチの下を通り過ぎただけに留まった。
「まだだ!」
しかし、サトルは諦めない。カウンターを狙ったその一撃を振り抜く前に、逆の手を叩きつけ、強引に剣の軌道を逆向きに変える。
その上で、地面を蹴り上げ、飛び上がりながら回転を加えての一撃。
伸びを見せる返しの刃が、再びアケチの身を捉えようと迫る――が、その瞬間アケチの身体が消えた。
「ふぅ、驚いたね。君如きが、こんなやり方を見せるとはね」
サトルは空を切った状態から更に一回転し、地面に着地してみせたが、その視線の先にアケチが立っていた。
距離はサトルの歩幅で五、六歩分あいているであろうが。そして、よく見ると地面が一箇所抉られている。
「……突きを利用して回避したのか――」
「――ご名答」
アケチがほくそ笑む。彼の行動はサトルの考え通りであった。
サトルの返しの刃が迫ったその時、アケチは地面に向けて高速の突きを放った。そしてその衝撃をバネのように利用し飛び上がることでサトルの二撃目すらも回避してみせたのである。
「それにしても……驚いたね」
ふとアケチの目つきが変わった。浮かべる微笑の温度が一気に下がる。
「僕の完璧な目は、全てを見破れる程なんだけど、おかしいな。さっきまで、君のソレは剣術の名人級だった。なんの変哲もなく、動きも型も凡手としかいいようのない程度でしかなかったのに――急に変わったよね? 名称も悪魔流剣術なんて大層なものに変化しているし、動きも多少は意外性が加わっている。ねぇ、それ、どうやったの?」
「そんなこと、敢えて教えるわけがないだろ」
サトルの答えにアケチの笑みが薄れていく。もしかしたら多少は警戒する気になったのかも知れないが。
「君さぁ、ちょっと生意気じゃないかな? 自分の立場を忘れたのかい? 所詮、ただの虐められっこの生贄でしかなかった君が、この僕相手に姑息な真似をして、そのことについてどう思う? ねぇ、所詮教室で毎日怯えて生まれたての子鹿のように蹲り、ガタガタ震えているぐらいしか能がなかった君がさ――いい加減身の程をわきまえろよ」
アケチの言葉の羅列に、様子を見ていたマイの眉が跳ね上がった。顔をしかめ、本当なんなのよあいつ、と立腹している。
「……随分と、苛ついているようじゃないか。俺や、ナガレさんが思い通りに動いてくれないから、癇癪でもおこしているのか? まるで子供みたいで見苦しいぞ」
しかし、サトルが冷静に言い返す。アケチをしっかりと見据え、下手な挑発に乗る素振りが全く無い。
アケチはアケチで、その目付きが若干険しくなり、どこか面白くないといった雰囲気も感じさせる。
それは、下に見ていたサトルという存在に上手く謀られた事も要因にあるのだろう、
最初に切り結んだ際、アケチはサトルの動きを基本に忠実で意外性がないと評した。
だが、実際はそうではなく、反撃に転じてきたサトルの動きは、ありきたりな型などでは考えられないような奇抜な動きであった。
だからこそ、アケチはサトルを生意気だと言った。サトル如きにこの僕が騙し討ちのような手を食らわされそうになるなんて、とそれが腹立たしいのだろう。
そして、そこから暫く睨み合いが続いた。
「アケチの奴は、本当に腹が立つけど、サトルくん、負けてないよね! さっきの攻防もサトルくんの方が一歩リードしてたように見えるし、レベルが負けているのに、凄いよ!」
そんなふたりの様子を見ていたマイが興奮した口調で語る。
だが、ナガレの手にある悪魔の書はどこか冷めた調子で念を送った。
『……ふん、それは贔屓目が過ぎるというものであろう。我から見れば今もサトルが窮地に立たされていることに変わりはない』
「あ、貴方ねぇ。曲がりなりにもサトルくんと一緒に過ごしていたのだから、ちょっとは彼を応援して上げなさいよ!」
『ふんっ、我は事実を言っているまでよ。下手なおべっかなど好かぬ』
むぅ、と唇を尖らせるマイである。しかし、こんな状況でも流石は人気のある芸能人だ、仕草が非常に可愛らしい。
「……むぅ、でも不思議。どうしてサトルの剣術が急に悪魔流剣術というのに変わった?」
「それはこの世界におけるステータスの抜け穴をうまく利用したというところですね」
「……抜け穴?」
「はい、この世界においてスキルは、必要な時に使用していたか、というのも重要視されております。そして、サトルくんは悪魔に剣術を習っていた事で、後に悪魔流剣術を覚えはしましたが、悪魔の書をメインに戦っていたときは実践で使用する機会がありませんでした。なのでステータス状は悪魔流剣術の前に取得していた剣術のみが認識されていたのです」
「……なるほど、つまり、サトルはその穴を利用して、ギリギリまで通常の剣術を見せて、ここぞという場面で、悪魔流剣術に切り替えた、そういうことか」
褐色の彼女は得心がいったように顎を引く。
すると――
「いや! さらりと会話に入ってきてますけど、貴方誰!?」
驚きの声を上げながらマイが彼女に誰何した。何せ音もなくサラリとナガレの横に立っていたのだ。驚くのも無理はないだろう。
「彼女はビッチェですね。今回私の旅に同道して頂いておりまして、色々と協力して貰っております」
「え? そ、そうだったんだ……ビッチェさんというのですね。あ、私はマイです、よろしくお願いします」
「……宜しくマイ。それと私のことはビッチェでいい。ちなみにナガレとはとても深い仲でもある」
「え! そうなんですか!?」
「いえいえ、彼女流の冗談ですよ」
牽制するようにマイに告げるビッチェであり、それに彼女も驚いたが、肝心のナガレは冗談で済ましてしまった。
「……むぅ、本気なのに」
それに不満そうなビッチェでもある。
「で、でも、凄い綺麗――それに、胸も……」
そして改めてビッチェの姿を認め感想を述べつつ、思わず自分の胸部に視線を落とすマイである。正直彼女もスタイルには自信があったであろうが、ビッチェを前にしてはその自信も揺らいでしまうのだろう。
「だけど、本当綺麗ですよね……ハリウッド女優みたいだし。私が憧れてる方に神薙 心恵様という大女優がいるのだけど、負けず劣らずの美貌かも――」
「ははっ、アレも随分と有名になったものですね」
「へ? アレ?」
「いえ、こちらの話ですよ」
ビッチェを地球で憧れていたという女優と比べて感想を述べるマイ。それに反応を見せるナガレと怪訝そうに言葉を返すマイであったが、とりあえずナガレは笑顔でごまかした。
「……そう言ってもらえるのは光栄に思う。でも、あれの視線は気分が悪い」
すると、ビッチェがふとそんな事を呟き、アケチに目を向けた。
どうやらアケチ側もビッチェを認識したらしく、ビッチェをじっと見つめている。
「……戦いの最中によそ見とは余裕だな」
「ははっ、僕ぐらいになれば君程度相手していてもよそ見ぐらいするさ。だけど、ちょっとだけ中断させてもらうよ」
「……は?」
アケチの態度にサトルが皮肉めいた言葉をぶつける。
だが、アケチは微笑しつつ、疑問の声を上げるサトルの視界から消え失せた。
驚きに目を見開くサトルであったが、肝心のアケチの姿はいつの間にかビッチェの目の前に移動しており。
「これはこれは驚いた。まさか貴方のようなお美しい方がこの世界にもいたとは。掃き溜めに鶴とはまさにこの事。ふふっ、光栄に思ってくれて宜しいですよ。何せこの完璧な僕が認めたのですから、貴方の美しさは紛れもなく本物です。そうだ、特別に貴方を僕の側室として娶って上げることにしよう。今決めました、勿論お受け頂けますよね?」
性懲りもなく、今度はビッチェを口説き始めるアケチなのであった――




