第三〇九話 覚悟の重み
ナガレを危険と判断し、サトル曰く、最強の悪魔達に彼が命じ、ナガレへと猛攻撃を仕掛ける。
だが、それらの攻撃は尽くナガレの手によって受け流され、絶対零度の氷結も数億度の炎も、数多の病原菌を宿した蝿による攻撃も、あらゆるものを切り裂く鎌も、真空状態にして閉じ込める作戦も、どれもが無効化されてしまった。
そのあまりに人間離れした所為に、唖然となるサトルであったが、考えを巡らせ、絶対の自信をもってそれぞれの悪魔の力を集結させた合わせ技を用いて勝負にかけてきた。
それは地球においての現代知識を利用した戦法であり、先ずテスタメントがナガレを密閉された箱の中に閉じ込め、そこからフルーレティがその内部と箱を絶対零度の息吹で氷付けにする。
その上でベルゼブは非常に細かい毒の鱗粉を箱の中に注ぎ込み、最後にバベルが最大威力の灼熱の弾丸を箱の中へと打ち込んだ。
そして再びテスタメントが箱を閉じ、中を密閉させた瞬間、その現象が発生する。
そう、サトルはまず気密性の高い箱でナガレを閉じ込め、その上で絶対零度でもって凍り付け、これにバベルの灼熱の弾丸を打ち込むとどうなるか――当然中の温度は急上昇し氷も解け瞬時に蒸発、内部は高速で水蒸気に満たされ膨張する。
しかも、バベルの放ったソレはマグマへと変貌する灼弾だ。これにより箱の内部でマグマ水蒸気爆発が発生する事となり――
その上で、ベルゼブの注ぎ込んだ毒粒子も次々と燃焼し粉塵爆発も同時に引き起こされ、爆轟と爆轟が合わさり更に強力な爆発力を生み出した。
しかもベルゼブから生み出された毒粒子は燃えることで気化する。つまり全てを蝕む毒ガスも発生する。
そう、これにより結果的にナガレの身には爆発とマグマと毒ガスが同時に襲いかかることになったわけである。
一つ一つの現象には余裕の表情で対処するナガレ。だが、それらが全て同時となれば、いくらなんでも対処のしようがなく、迎える運命は死のみ。
きっとサトルはそう考えていたのだろうが――しかし、ナガレは無事であった。それどころか全くの無傷であり、毒もかき消し、マグマも砂に変え、今もそこに立ち続けている。
「先程も申し上げましたが無駄ですよ。力に溺れ、復讐心に任せて抜き身の刃を見境なく振り回しているような貴方では、私どころかアケチにだってその刃は届きはしません」
そして諭すように口にされたその言葉に、サトルは悔しさを滲ませた。
「俺の攻撃がアケチに届かないだって?」
「ええ、届きません。復讐にこだわるあまり、濁り曇ってしまった貴方の眼ではアケチの力を見誤り、そして自分自身の力を扱いきれず自滅するのが落ちです」
「くっ、知ったふうな口ばかり聞きやがって! ムカつくんだよその人を見透かしたような目が! 大体お前に何が判るって言うんだ! 俺や、俺の家族が、こいつらに、アケチに! 何をされたかも知らないくせに! それとも何か? あんたは俺の憎しみが、奴らに味わわされた絶望が! その全てを! 理解しているとでもいうつもりか!」
怒りの声を上げる。全てぶちまけるようにサトルが訴える。
その肩も拳も震えていた。
サトルの思いを認め、ナガレは一度瞑目し。
「マイさん、此処から先、サトルくんの事を良く見てあげてください。彼になりきって、その気持ちを、全てを読み解くように、その【役作り】で――それが、きっと後々必要になります」
「え? ど、どうしてそれを? でも、私正直これのこと良く判ってなくて……」
「ええ、だからこそ、サトルくんを理解することがその第一歩です」
ナガレとの会話で戸惑いの色を滲ませるマイである。すると、苛立った様子で更にサトルが声を上げた。
「何をコソコソ話している! いいから答えろよ! お前は初めてあったこの俺を理解できると、そう言うのか!」
「……そのような奢った事を述べるつもりはありませんよ。貴方の心は貴方のものです。何人たりともその心肝の全てを理解出来るわけなどありませんし、軽々しく理解出来るなどと言うのは無責任でしかありません」
「……ははっ、なんだ、偉そうにいってそのザマか。だったら、俺の事を理解出来ないと言うなら!」
「ですが、それでもそれが間違いか間違いではないかを判断する目は持ち合わせているつもりです。ですから今でもはっきりといえます。貴方の力の使い方は間違っているとね」
サトルの言葉を遮るように、ナガレは断言した。その言葉に一瞬のけぞるサトルだが。
「わけのわからないことを、これは俺が手に入れた力だ! そして目的があって俺はこの力を使っている。それに間違いも糞もあるものか!」
すぐにキッと睨み返し怒鳴り返した。
「その目的を見失ってはいませんか? 貴方は手に入れた力の強さに傾倒しすぎていませんか? もしかしたらサトルくん、あなたはその本との関係に依存はないと考えているかもしれませんが、悪魔の書はともかく、貴方自身はどこか依存してしまっているところがあるのです。その結果、真偽を自分の目で判断する事を放棄してしまっている。だからこそ、先程のような容赦のない攻撃を私にも振るえるのでしょう」
「それがどうした! お前を排除するのはお前が邪魔だからだ! その後ろで守られているだけの売女を守ろうなんてしてるからだ! そいつは俺の復讐相手だ! 今までもそうだ! 俺の復讐の邪魔をするものは排除する!」
サトルはムキになってナガレに言い返していく。すでに正当性などを考慮する余裕など微塵も感じられない。
「その結果、貴方の復讐と全く関係のない者が犠牲になってでもですか?」
しかし、それでもナガレは問い返す。
「知ったことか! 俺は自分の目的のためなら躊躇わない! それぐらいの覚悟がなければ俺の目的が達成できるはずもない!」
「……覚悟、それが覚悟ですか。随分と安っぽい覚悟ですね」
ナガレの問いかけに、サトルは覚悟という言葉を使い返してきた。強い口調で、攻撃的な態度で。だが、ナガレはそれを認めない。
そうサトルに知らしめるように、彼の覚悟を否定した。
「――なん、だ、と? 俺が安っぽいだと?」
「そうです。目的のためならば、他の命など顧みず、ただ手にした力を振るうだけ。その結果積み重なる骸にも何も思うことがないというなら、貴方のやっていることは獣と一緒です」
真剣な眼差しで、ナガレがはっきりと言い放つ。
すると、それを聞き届けたサトルが唐突に笑い声を上げ始める。
「……ふふっ、ははははははっ! そうか、そういうことか! つまりお前はこう言いたいのか? 復讐なんてやめろと? そんなことをしても意味がない、復讐からは何も生まれない、そんな、そんなセリフ、そのほうが安っぽいんだよ! そんなことで俺の復讐が止められると本気で思っているのか? 冗談じゃない! そんなことで納得できるような話じゃないんだよ! 獣と一緒だと? 上等だ! 獣で何が悪い! 俺は決めたんだ! 復讐のためなら迷わない! 獣だっていい! 俺が獣と化したこの牙と爪で奴らを引き裂き! 魂まで喰らい尽くしてやるよ!」
「……サトル――」
狂喜乱舞するかのごとくサトルの様相に、マイが憂いを帯びた瞳を向け呟く。今のサトルの姿に、何かを感じ取っているのかもしれないが。
「……私は別に貴方の復讐を否定しているわけではありませんよ」
「え? ナガレ、くん?」
「意外ですか?」
ナガレの言葉にマイが戸惑いの様子を見せる。それにナガレが言葉を返していくが、それは必ずしもサトルを否定するものではなかった。
「ですが、彼には復讐を成し得たる理由がある。それだけの事をされてきたのは私も知っています。口にするのも憚れるようなことを平気でしてきた連中に復讐を考えるのは当然とも言えるでしょう。幸いここは地球とは法も違う異世界です。サトルくん、貴方の行為が許されないわけでもない」
ですが、とナガレは一言添え。
「だからこそ、その復讐心が本物であるなら、貴方は獣では駄目なのですよ」
「――言っている意味がわからないんだよ! 獣の何が悪い!」
サトルは強い口調で言い返す。しかし感情を露わにするサトルに対しナガレは至極冷静に答えを示していった。
「……心なき復讐は、それはすでに復讐ではないからですよ。ケダモノに堕ちたまま行えばそれはただの殺戮です。復讐ではない。そしてケダモノには覚悟もない、それでは駄目です。本当の意味で復讐を成就出来るのは、己が矜持を決して見失わない、志ある者だけなのですから」
「だまれぇええええぇええええぇえええ!」
頭を抱えサトルが叫んだ。歯牙をむき出しに叫ぶその姿は、まるで獣である。
『サトル、落ち着け。このような男の言葉に――』
「うるさいお前も黙っていろ! これは俺とこいつとの問題だ!」
『……サトル』
悪魔の書の訴えにも既に聞く耳を持たなくなったサトル。どこかむきになっている様子ですらあり、悪魔の書の言葉も止まった。
「そうだ、お前が、お前が俺の復讐を語るな! 俺の覚悟を語るな! そうだ、そうさ! 俺には誰にも負けない覚悟がある! 復讐を果たすために誓った覚悟が! だからこそこれが、この悪魔の書が俺の力となった! 掛けたんだ、俺の命を! 誓ったんだ! そうだ、それが俺の矜持だ! 復讐を果たした後は、すぐにでも俺は死んでやる! 俺の命を掛けてるんだ! 復讐の為に犠牲になった命があるというなら! 俺の死を持っていくらでも償ってやるよ!」
「……まだ判ってはいないようですね」
必死に訴えるサトル。だが、その覚悟はナガレからみればあまりに軽々しかった。
「は? 何がだ! 何が判ってないと言うんだ! 命以上に掛けられる覚悟があるものか!」
「逆ですよ、命程度で掛けられる覚悟なんてありはしない。本当にそれが覚悟と言えるのは、他にそれしか掛ける術がないときだけです。死ぬことを前提とした覚悟などただの戯言でしかない。ましてや死んで償うなど、無責任以外の何物でもない。貴方の言っているソレは、ただの逃げでしかないのですよ」
「……戯言だと? 逃げだと? ふざ、けるな、ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな! 何も知らない癖に! 俺は間違ってなんかいない! 俺はこの覚悟を持って復讐を果たすんだ! 家族と妹の仇を取り、そいつにもアケチにも! 絶望を与える! お前なんて邪魔だ! もう十分だ! やれ! ベルゼブ! フルーレティ! バベル! テスタメント!」
絶叫し、再び悪魔たちに命じる。既にそれがナガレに通用しないことはサトルとて判っている筈だが、認めることが出来ない。
「……無駄ですよ。それでは私には決して届かないことは貴方だってすでに判っているはずです。無駄にお仲間を疲弊させるだけですよ」
「黙れ! 黙れ! 黙れ! 認めない! そんな事は絶対に! 俺は間違っていない! さあ殺れ! 今度こそ確実に――」
だが、サトルが命じ、ヘラドンナを除く悪魔たちが動き出そうとしたその時、悪魔たちが強制的に本の中へと戻された。
勿論、それはナガレの手によって――
「――あ、れ?」
『……サトル、悪い知らせだ。今、アスモダイも力尽き我の中へと戻ったぞ』
愕然となるサトル。更に悪魔の書から伝えられた事が追い打ちとなったのか、見開いた瞳に宿る黒点がどんどんと萎んでいく。
「そんな、馬鹿な、だ、だったら! 全員呼び戻してやる! 悪魔たちを全員この場に! 俺の権限で! 消えた悪魔たちを!」
『……無駄だ、判っているであろう? 上位の悪魔は一度戻れば暫くは呼び出せぬ。しかもどういうわけかその男の手で戻された悪魔は普段より長い時間を必要とするようであるのだ。残りの呼び出せる悪魔など下位の悪魔のみ、それではどうしようもあるまい』
「だったらお前がどうにかしろよ! お前は俺の悪魔の書だろ! 俺がお前の主だろ!」
『……勘違いするなよサトル。我はあくまでお前と契約をしただけだ、そこに主従関係なんてものはない。むしろ我をそのように思っていたとは心外であるな』
「な!? 何だと? お前まで、そんな事いうのか、お前、俺を裏切るのか! あの男が言うように! 俺を、この俺を!」
『…………』
再び悪魔の書が口をつぐむ。既にサトルは冷静ではなくなっていた。何も答えを返さなくなったことに彼は苛立ちを抑えきれない。
「答えろよ悪魔の書ーーーー!」
「裏切っているわけではありませんよ。そもそもその本は、最初から貴方の味方でもなければ敵でもないのですから」
叫ぶサトル。そんな彼に答えを示したのは悪魔の書ではない、ナガレだ。
「……な、何だと?」
「――そして今の貴方が証明している。貴方だけがその本を頼り切っていたという事を。そして、それが貴方の弱さであり、弱点に繋がっている」
「ち、違う、違う、違う……俺は違う、俺は負けない、そうだ、俺にはまだこの剣がある! 鎧がある翼もある! まだ、負けていない!」
「サトル様!」
ヘラドンナが叫んだ、しかし構うことなくサトルは剣を片手にナガレに突っかかり、そしてメチャクチャにその剣を振り回す。
「……なってませんね。剣筋もバラバラで、隙だらけですよ」
「ガハッ!」
しかし、ナガレはあっさりとそれを受け流し、サトルを元の位置まで投げ飛ばした。
勿論ナガレは全く今の場所から動いていない。
「く、くそ! くそ!」
しかしサトルは起き上がり、背中の翼の形状を変化させ攻撃を仕掛けつつ、ナガレに接近すると同時に剣を地面に突き立て衝撃波を起こす。
「……悪魔の力のみに頼って、杜撰な戦い方ですね」
だが、ナガレには決して届かない。衝撃も翼の攻撃も、全てが受け流されサトルも投げ飛ばされ、再び元の場所へ叩きつけられた。
「主様! くっ、こ、これ以上主様を傷つけることは許しません! 私が、私が貴方を!」
「引っ込んでいろヘラドンナ!」
ヘラドンナが駆けつけ、サトルの前に立ちナガレを睨めつける。
そして覚悟を決めたように声を張り上げるが、サトルの声で制された。
「し、しかしサトル様……」
「聞こえなかったか? 邪魔なんだよ。もうお前じゃ足手まといにしかならない。だから、本に戻れ」
「主、様?」
「何度も言わせるな! これは命令だ! 本に戻れ!」
「……はい、お役に立てず、申し訳ありません――」
サトルに怒鳴りつけられ、ヘラドンナは悲しそうな顔で本の中へと戻っていった。
かと思えば、サトルは他の悪魔、つまり剣と鎧、それに翼も悪魔の書へと戻してしまう。
「……認めるよ、あんたは強い。だけど、俺だって言われっぱなしじゃない! 俺は俺の復讐のため、マイもアケチもこの手で殺し復讐を果たすため! ここで負けを認めるわけにはいかない! 悪魔の力が間違っていたなんてことも認められるわけがないんだ! だから――」
ナガレを睨めつけ、再び悪魔の書を開く。既に召喚出来る悪魔でナガレに太刀打ちできるものなどないはずだが――しかし、サトルの様子に何かを察したのか、沈黙を保ってた悪魔の書が叫び上げる。
『――まさか!? 無理だサトル! 今のお前ではその力を扱い切ることは――』
「俺は今この力を使う! いでよ悪魔の書第一位オーディウム!」
だが、悪魔の書の制止も虚しく、遂にその悪魔が開放された――




