第三〇八話 それでも届かない
約束と異なり、アスモダイに関してはまだ結論が出ていなかったのだが、サトルは問答無用で使役している悪魔達をけしかけてきた。
サトルが召喚していた、アルケニスとアシュラムがピーチとフレムの手により倒された事で完全にナガレを危険視したためだ。
結局、直前までナガレが伝えた真実も聞き入れてもらえず、マイに対する憎悪が消える様子もない。
サトルの心は完全に復讐に支配されている。ナガレは、サトルの手にしている悪魔の書はアケチが自ら用意したものだと知っている。
そしてその力は本来人間の手に余るものだという事も。
だが、ソレを今のサトルに説いたところで、素直に聞いては貰えないだろう。復讐のみに囚われ、周りが見えていないサトルでは――だからこそナガレは一旦はサトルに応じる姿勢を見せる。
「殺れ! フルーレティ、ベルゼブ、バベル、デスクリムゾン、テスタメント!」
先ずはフルーレティによる絶対零度の氷の嵐がナガレを襲った。一瞬にして円形の空間の天井から壁、床に至るまでが凍てつき、氷の広間へと変貌を遂げる。
天井には鋭くも長大な氷の氷柱が垂れ並び、轟々と吹き荒れる嵐の中には大量の氷の刃が含まれている。
常人であれば一瞬にして身体が氷漬けとなり、更に嵐に含まれた刃によってシャーベットの如く切り刻まれる程だ。
壁に守られているマイとて、急激な温度変化までは対処のしようが無いため、本来ならば死なないまでもすぐに意識が朦朧としてくるはずであろう。
だが、そうはならない。なぜならナガレの周りだけ、全く温度が変化しておらず、嵐に含まれた刃も、まるでナガレを中心とした衛生のごとく、周りをくるくる回り続けているだけだ。
その為か、一見するとその様相は、ナガレのいた世界で見られる土星のようですらある。
「チッ、だが、それだけで終わりじゃないぞ」
サトルの言葉とフルーレティの動作はほ一緒であり、彼女が腕を下に振ったその直後、天井に出来上がっていた氷柱がナガレとマイに向けて降り注ぐ。
それはもはや氷柱がただ落ちてきているという次元の話ではない。大量の氷柱が豪雨のごとく激しさで直撃していくのだ。
例え相手がドラゴンでも、耐えられないと思われる衝撃。しかもこの氷柱をもって僅かでも傷がつけば、そこから全身が凍りついていくという効果付きだ。
だが、しかし逆に言えばドラゴン程度に有効でもナガレの合気に通用するわけがない。
もはやすぐ後ろで見ているマイも、驚きを通り越し、言葉をなくすレベル。それがナガレだ。レベル0などといった評価は何の意味もなさない。ステータスなどを遥かに超越した強さ。
そのナガレにとっては、降り注ぐ氷柱など、小雨にすら感じられない。そもそも当たらない。
結局ナガレに触れることすら叶わず、その氷柱すらもナガレを中心に周回する環に成り果てた。
「くっ! だったら!」
続いてバベルが前に出て、視界を埋め尽くすほどの大量の爆炎弾をばら撒いた。
そのおかげかすっかり冷え切った空間は瞬時に変化。氷は溶けつくされ、サウナにでもいるかのような感覚。
ナガレから少し離れた周辺など、一度は溶岩に覆われたほどだが、しかしやはりナガレは平常運転。マイを含めたナガレの周りには全く影響がなく、爆炎弾もナガレを避けるようにして明後日方向へと外れていってしまった。
その上、溶岩も、このままでは不便ですね、とナガレが軽く口にしただけで元の床にまで戻ってしまう。
だがサトルは諦めない。今度はベルゼブを動かし、様々な病原菌を宿した悪魔の蝿を生み出しナガレへと消しかけた。どれほどの猛者でも病気には勝てないというのがサトルの考えであった。
だが、残念ながらナガレは生まれてこの方病気一つしたことはない。些細な風邪は勿論、花粉症などとも縁がなかった。なぜなら花粉から逃げていくからだ。
しかもナガレは生まれてきた悪魔の蝿を元の卵に戻して送り返すという芸当までしてみせた。
サトルは真剣に殺す気で掛かっているというのに、ナガレはそれらを全く意に介さない。それがよりサトルの神経を逆撫でているようでもあるが。
とにかく、サトルの攻めは続けられる。デスクリムゾンが瘴気砲を放った。しかし瘴気はナガレを避けるようにしてぐるりと回転した後、キラキラと煌く身体に良い何かに変化し、デスクリムゾンへと返っていった。そしてそれを一身に受け止めたデスクリムゾンもどこか満たされた表情で悪魔の書へと還っていった。
「デスクリムゾンまで――こうなったらテスタメント!」
「……少々もったいなくもありますが、主様のご命令とあれば。しかし、首から上は宝物として頂いても?」
「好きにしろ、とにかく殺せ!」
御意と一言返し、遂に悪魔の書第二位のテスタメントが動き出す。
巨大で鋭利な鎌が、ナガレの周りに現出した。その数は軽く一〇〇を超える。
「触れれば例えどれほど硬い鉱物、金属であってもチーズのように斬ってしまう処刑用の鎌です。これで貴方の首を綺麗に切り取り、そのお美しい顔を私の部屋の置物に、身体の部分は、色々と、フフッ」
「残念ですが、丁重にお断りさせて頂きます」
口元に指を添え、妖しげな笑い声を上げたテスタメントであったが、ナガレが言葉を返すと同時に、迫る鎌を全て受け流したことで顔色が変わった。
なぜなら、ナガレによって受け流された鎌は、それぞれが別の鎌へ吸い込まれるように当たっていき、結局鎌と鎌がぶつかりあうことでその全てが粉々に砕け散ったからだ。
「……どうやら本当に油断できないお方のようですね。流石は私が見初めた美少年。ますます欲しくなりました、ですので――」
テスタメントが右手を掲げる。するとナガレを囲むように黒色の板が現出、そして瞬時にして箱型へと変化し、ナガレだけを中へと閉じ込めてしまった。
「……テスタメント、これは一体なんだ?」
「はい主様、これは窒息の棺です。名称の通り、この箱の中は何物にも侵されない密閉された空間であり、徐々に酸素が失われていき閉じ込められたものは何れ窒息死致します。ですが、今回はあまり時間を掛けてもられませんので」
テスタメントが指をパチンッと鳴らす。すると箱の周囲に付けられた顔型のオブジェが大きく息を吐き出した。
「これで空気も全て抜かれ、箱の中は真空状態となりました。当然、この状況で生きられる生物などいはしません」
「なるほど、地味だが効果的な手段だな」
「ええ、それにこの方法であれば、私も綺麗なままの遺体が手に入ります。フフッ――」
テスタメントが恍惚とした表情で微笑する。よほどナガレが欲しいようだ。
そして、後ろで見ていたマイも、そんな、と絶望の色をその眼に宿していた。
「ハハッ、残念だったなマイ。そこでお前を守ろうとした偽りのナイト様の成れの果てを見るんだな。そして、その後はお前――」
「それは、少々気が早すぎますよ」
サトルが指を突きつけ、狂気に満ちた表情で述べるが、それを遮るように箱の中からナガレの声。
かと思えば、黒色の箱が瞬時に解体され、元通りの板へ、そして地面にドサリと落下した。
「な!? 馬鹿な! 真空になっていなかったのか!」
「いえ、完全な真空状態でしたよ。ですが、残念ながら私は真空状態でも呼吸が出来ますし、やろうと思えばあの箱の中でも普通に生活出来ます」
サトルの拳がわなわなと震えた。
『……サトルよ、あれは本当にお前と同じ世界の人間なのか?』
「正直自信が持てないがな……」
「間違いなく地球人なのですけどね」
苦虫を噛み潰したような顔でサトルが述べ、ナガレが言葉を返すが、マイも、嘘でしょ? という顔で見ている当たり、やはり人間離れしているのは間違いないのだろう。
「……だが、今の戦いを見ていて思いついたことがある。テスタメント、また奴を囲めるか?」
「可能ですが、しかし一度は破られてしまいましたが」
「構わない。そしてヘラドンナ!」
「はい! 主様、ご命令とあればなんなりと」
そしてサトルはヘラドンナに何かを耳打ちし、かと思えば彼女の伸ばした蔦がそれぞれの悪魔の下へと伸びた。
見たところ、彼女から悪魔たちへ何かを伝えているようだが。
「では、頼んだぞ!」
「承知いたしました」
そして再びテスタメントがナガレを閉じ込める箱を作り上げる。
しかしここまでなら直前の戦法と特に何も変わりはない。
だが、箱が出来上がった瞬間、正面の壁に子供の顔ほどの穴が開いた。
かと思えば、先ずフルーレティの放った絶対零度の息吹が箱の中にへと行使され、一瞬にして黒色の箱が凍結し、氷の箱のような様相に。
続いてベルゼブが何やら鱗粉のようなものを作り出し、穴から内部へと注ぎ込んでいく。しかもかなり細かい粒子状の物だ。
それらの行為が流れるような作業で行われ、最後にバベルが超圧縮された灼熱の弾丸を打ち込んだ。
それはもはや小さな太陽と言って差し支えないほどの熱量を誇り――そして、それが箱の中に入ったのを認め、テスタメントの手によって穴が閉じられ再び密閉された空間ができあがる。
「い、一体何を?」
マイが不安そうに述べるが、その瞬間、箱の中から轟音が響き渡り、しかも頑強そうな黒い箱が大きく膨張した。
そして限界まで膨れ上がった黒い箱が爆轟し、火山の噴火が如くマグマが天井を貫いた。
そのあまりの出来事にマイは眼を見開き、言葉をなくす。渦を巻くマグマの柱はまるで地獄の釜の蓋でも開かれたような光景を思わせた。
にやりとサトルが口角を吊り上げた。その顔を左の掌で覆い、今度こそ勝ったと確信の笑い声を上げる。
「現代知識を活かし、マグマ水蒸気爆発と粉塵爆発を組み合わせ、更に念のため超毒の鱗粉を気化させることで皮膚にも浸透しやすい毒ガスとしましたか。確かに相乗効果は高く、威力も申し分ないようですが――それでも私には通じません」
だが、マグマの渦が天を貫いているその間、しかもその内部から発せられた声に、サトルの笑みは掻き消えた。
「そんな、これだけの合わせ技でも、どうして!」
「やれやれ、仕方のない方ですね」
そして、遂にはマグマの柱がピキピキと石化していき、かと思えば砂へと変貌を遂げ、周囲に撒き散らされた。
その中から姿を見せたのは、全くダメージを受けた様子の感じられない少年一人。
「先程も申し上げましたが無駄ですよ。力に溺れ、復讐心に任せて抜き身の刃を見境なく振り回しているような貴方では、私どころかアケチにだってその刃は届きはしません」




