第三〇一話 蜘蛛の気持ち
ナガレから将棋を通して考える戦い方を教わったピーチ。そしてアルケニスの用意した網を逆に利用し、今まさにピーチがアルケニスの頭上より迫る。
「どっせぇえええぇええええええい!」
そして杖を棘付き鉄球に変化させ、ピーチの渾身の一撃がアルケニスの胴体にヒットした。
くの字に折れ曲がった蜘蛛の身はあっという間に地面に直撃し、土煙がモクモクと上がる。
それを認め、ピーチは殴った衝撃を利用し少し離れた位置に着地した。
かと思えばすぐに杖を正面に構え、魔力を先端に溜めていく。
ピーチには判っていた。これでもまだアルケニスは倒せないと。ピーチとアルケニスでは純粋なレベルに大きな開きがある。
それをピーチはなんとなく肌で感じ取っていた。
だからこそ、ピーチが持つ技の中でも最も強力なこれで勝負を決めようとしたのだろう。
「はぁああぁああぁあああ!」
構えた杖の先端から桃色の光が溢れ出す。そして案の定、アルケニスが起き上がりピーチに身体を向けてきた。
しかし、ほぼ同時に極太の桃色光線がアルケニスを捉える。
これで決まりよ! とピーチも語気を強めるが――にやりとアルケニスが口角を吊り上げ、かと思えば捉えたはずの光が何かに弾かれてピーチへと返ってきた。
「キャッ!」
悲鳴を上げつつ、横っ飛びでそれを避けるピーチ。光が通り過ぎ、射線上の木々をなぎ倒しながら駆け抜けていった。
「……大した威力ね。流石に今のは喰らえばまずかったわよ。まあ、当たらなければ意味が無いけどね」
安堵の表情のアルケニス。どうやら当たっていたら不味かったという言葉に嘘はなさそうだ。
「でも、残念だったわね。私にこれを使わせたのは大したものだけど、もうお前の攻撃は私には効かないわ」
立ち上がり、キッと睨めつけるピーチへアルケニスが断言する。
そして、今度は鎖付きの鉄球へと杖を変化させ、どっせぇい! と気合の篭った一撃を放つ。鎖が伸び、アルケニスの胴体に直撃! と、思いきや、またもや弾力ある何かに阻まれ勢いを増した鉄球が戻ってきた。
「無駄よ、もう私に攻撃は通らないわ」
後方へ飛び退き、鉄球を避けた後、頭上でブンブンと鉄球を振り回すピーチへアルケニスが言う。
その直後、アルケニスが大きく広げた肢から爪を飛ばしてくる。
動きが判りやすかった為、躱すのは容易であったが――ふとピーチの脳裏に疑問が浮かぶ。
そもそも何故アルケニスは最初からこれを使わなかったのか? そして、何故いま、あのような大きな動きで爪を飛ばしたのか。
その疑問から数々の事項を組み合わせた結果、瞬時にある解へと結びつける。
「はっ!」
再びピーチが鉄球を放り投げる。だが、今度は直進ではなく、山なりの軌道で相手の頭上を狙うように――
すると、アルケニスはその場から横歩きで鉄球を回避。ズシンっと重苦しい音が響き、地面に陥没が出来上がる。
「もう気がついたのね」
「ええ、それ、正面しか守れてないわよね」
杖を突きつけピーチが述べる。そう、アルケニスが跳ね返せるのは正面の攻撃のみ。しかも用いているのはやはり彼女の糸によるもの。
目に見えないほどの細い糸を網状にし、相手の攻撃を跳ね返す。重要なのは魔法や、ピーチの放ったような魔力の塊でも跳ね返せるという事だろう。
ただ、この網はどうやら内側からに弱いようであり、その為、アルケニスはこの網を張っている間は自らが作り上げた網を避けるようにして攻撃を仕掛けなければいけない。そうしなければ自らの攻撃で防御が破れるからだ。
つまり、それだけ行動パターンが狭まるということであり、これまで敢えてこの防御法を取らなかったのもそれを嫌ってのことだろうとピーチは推測した。
だが、仕掛けた攻撃が尽くピーチの手で破られたことでそうも言ってられなくなったのだろう。
とはいえ、これもまたすぐにピーチによって看破されたわけだが――
「でも、残念ね。仕掛けさえ判ってしまえば対応手段ぐらいいくらでもあるわ」
「それはどうかしら? 奥の手は最後までとっておくものよ」
不敵な笑みを見せるアルケニス。そして、いい感じに育ってきたわ、と発すると同時に、何かがアルケニスの身体から飛び出し、ピーチへと向かってきた。
「え? これ、蜘蛛!?」
「そう、私の可愛い子どもたちよ」
飛び出してきたのはピーチの腰回りほどの大きさがある無数の子蜘蛛。ワシャワシャとその肢を小刻みに動かしピーチへと迫る。
それに流石のピーチも鳥肌が立つ思いだったが、同時に危険も察知した。この子蜘蛛も毒があるのは間違いないと。
「くっ!」
歯噛みしつつ、ピーチはすぐさま取り扱いやすい薙刀へと杖を変化。魔力による強化も利用し、迫る蜘蛛をバッタバッタと切り倒していく。
「オホホホッ、やるじゃない。でも、どれぐらい体力が持つかしらね?」
「馬鹿ね、指を咥えてみているだけなわけがないじゃない!」
ピーチが声を上げ、頭のなかで現状を把握しようと脳をフル回転。
そして、大量の蜘蛛の中から一点の動線を導き出す。
魔力を爆発的に膨らまし、一瞬だけ身体能力を高める魔力瞬爆――それを利用し、ピーチはアルケニスの背後に回った。
跳ね返す網が正面にしか展開されていないのであれば、背後さえとれば問題ない。
棘付き鉄球に変えた杖を振りかぶるピーチだが――
「ヒェッ……」
思わずたじろぐ。なぜならアルケニスの背中から尻にかけて大量の蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛、それがもぞもぞと動き、そして迫るピーチに目を光らせた。
刹那――蜘蛛が一斉に飛び出しピーチへと襲いかかる。どうやら背後の守りは生み出した子蜘蛛に任せていたようだ。
しかも数が多すぎる。ピーチは攻撃を中断し、杖を大盾に変化させて迫る蜘蛛からなんとか我が身を守る。
「だったら!」
そして、跳躍。瞬間的な身体強化による大跳躍でアルケニスの頭上を取り、鎖付き鉄球に変化させた杖で攻撃を仕掛ける。
上からの攻撃には、対応できないはずと判断しての一撃。
だが、アルケニスの上半身は恐ろしいほどに柔らかかった。
グリンっと人型部分の半身が弓なりに折れ、これにより正面が上に来る形に。
鉄球は極細の網に押し返され、ピーチへと迫った。短い悲鳴を上げつつ、直撃は避けくるりと回転。
距離を取って着地し、再び杖を構えた。アルケニスは直ぐ様正面をピーチに向け、そして子蜘蛛と爪を飛ばしての波状攻撃。
「また! でも今度こそ!」
ピーチは蜘蛛の間をすり抜け、再度アルケニスの背後を取る。
しかも今度はある程度距離を取り、背中側の子蜘蛛に反撃されない位置から、杖を構え魔力を溜める。
魔杖爆砲を狙うつもりだ。これであれば撃つことさえ出来れば背中の蜘蛛ごと一網打尽に出来るはず。
「甘いわね!」
「クッ!」
しかし、アルケニスの反応は早かった。いや、この場合、魔力が溜まるまでの時間が問題だったと見るべきか。
「さっきの光はすごかったけど、発動までの時間が問題ね、それじゃあ間に合わないわよ。さあ、今度は一気にいくわよ!」
その宣言通り、これまでとは比べ物にならないほどの物量で大量の蜘蛛がピーチに迫ってきた。
これはとてもではないがすり抜けることは叶わない。
しかも、ピーチは杖を構えたまま、集束した魔力を解除しようとはしなかった。
だが、このまま撃っても直線上の子蜘蛛はなんとかなっても広範囲に広がった子蜘蛛には対応できず、また正面からの攻撃はアルケニスによって跳ね返されてしまうが――
「悪いけど、その欠点はとうに気づいていたのよ! だから――魔杖拡散砲!」
その瞬間、周囲に大量の桃色の光がばら撒かれた。あまりの輝きにアルケニスの視界も桃色に染まった事だろう。
しかも四方八方に鳴り響く着弾音。文字通り拡散した光の弾丸は、アルケニスにも迫り、正面の網に跳ね返されるが、軌道がバラバラなそれはピーチにではなく、大量に生み出され攻撃を仕掛けていた蜘蛛へと跳ね返り、その数を減らしていく。
そして――光が収束した後には杖を構えたままのピーチと、大量の子蜘蛛の亡骸。
だが、アルケニスには全くダメージが残っている様子がなく、
「惜しかったわね」
と、余裕の笑みを彼女が浮かべた直後、左右から生き残った蜘蛛が飛びかかりピーチの全身を飲み込んだ。
「最初にあの凄いのを見せてから、別な形態に変えたのは上手かったと思うけど、拡散した分威力がイマイチだったわね。でも安心して、貴方はこれだけ私を追い詰めたんですもの。じっくりと味わって捕食してあげ――」
しかし、そこまで口にしたアルケニスの目が大きく見開かれた。なぜなら蜘蛛が群がっていたピーチの身体がみるみるうちに小さくなっていき、そして遂にはその場から消え失せたから。
子蜘蛛が食べた? それはありえない話だった。なぜなら彼女は蜘蛛にそんな命令は下していない。毒だけを注入し動けなくさせ、自分だけがゆっくり食べようと考えていたのだから当然だ。
「奥の手は最後まで取っておくものよ!」
そして聞こえてくるは強気な少女の声。しかもアルケニスの背後から――まさか! と振り返ろうとするが時既に遅し。
ピーチの杖に込められた魔力が、一気に放出される。
「魔杖爆砲ーーーー!」
「ア、アアアアァアアァアアアァアアア!」
背中の子蜘蛛も含めて、全てを飲みこむ極太の光。アルケニスの全身を、そしてその先で生き残っていた蜘蛛も含めて――その全てを殲滅する威力。
「ハア、ハア、ハア――」
全てを出し切ったピーチが、その場で膝をつき荒い息を後に残す。
この作戦がうまく言ったのも以前ナガレが見せてくれた分体の件があったから――
つまりピーチは魔力を上手く使用し、自らの分身を残したのである。あの拡散砲には、子蜘蛛をある程度蹴散らすという意味も当然あったが光で一瞬でも相手の視界を奪うという目的があった。
そしてその間に魔分身をその場に設置して背後へと回ったのである。
尤も分身と言ってもナガレの見せたような自由に動き回るものとは程遠い、人形のようなものなので、そこまで長い時間は騙し通せる代物ではない。
だが、それでも魔力を集束させる時間だけ稼げれば十分だった、止めはこの魔杖爆砲でいこうと最初から決めていたからである。
そしてその作戦は上手くはまってくれた形だが――毒だけは喰らわまいと必死になっていた為、肉体的ダメージは低い。だが頭をフル回転させたことでの精神的疲労に加え、魔人形の作成、それに魔杖爆砲や魔杖拡散砲による大量の魔力消費が大きかった。
特に最後の魔力爆砲には残った魔力のほぼ全てが込められている。
だからこそ肉体的ダメージはなくてもこれほどまでに疲れ切っているのである。正直今のピーチにはもうまともに杖を振る気力すら残ってない。
つまり、もしこれでもまだ倒しきれていなければ――
「……嘘でしょ――」
祈るように、アルケニスが倒れていることを願ったピーチであったが、しかしその視線の先には身体を正面に向け、ピーチをじっと見据えるアルケニスの姿。
そしてゆっくりとピーチに近づいてくる。
「参ったな……」
ボソリとピーチが呟いた。全てを出し切りもう戦う力などこれっぽっちも残っていない。
ナガレが頼ってくれたのに、その期待に答えられないのか、と表情を暗くさせるピーチ。
すると、アルケニスが遂に目の前まで迫り、そして――不気味に微笑んだ後、ドサリとその場で崩れ落ちた。
「……え?」
「フフッ、参っちゃうわね。序列八位の私が、こんな小娘に敗れるなんて……」
「そ、それじゃあ……」
「ええ、貴方の勝ちよ。私にはもう戦う力なんて残ってないわ。ま、貴方も相当お疲れのようだけど」
その漆黒の瞳でピーチの顔を覗き見ながら、アルケニスが敗北宣言をする。
沈んでいたピーチの顔に明かりが戻っていった。
「へ、へへ、そうよ! ナガレにたっぷり仕込まれた私が負けるわけないもの!」
「……聞きようによっては卑猥ねそれ」
「な、何言ってるのよ! このエロ蜘蛛!」
顔を真っ赤にさせながら、ピーチが言い返す。勝ったと知り、かなり元気を取り戻したようである。
「……全く、調子いいわね。でも、消える前に聞いていい? 一体貴方レベルはいくつなの? この私を倒した貴方のレベルに興味があるわ」
「え? 185だけど?」
ピーチの回答を聞き、アルケニスが目を丸くさせキョトンとなる。
そして一拍の間を置き――
「……185? アハ、アハハッ、ア~ハッハッハッハッハ、これはおかしいわ、アハハハハハッ」
「ちょ、何がそんなにおかしいのよ!」
「フフッ、そりゃおかしいわよ。せめて四桁はあるかと思えば、まさかの三桁台、しかも185って、それに負けるなんてね――」
そういいつつも、アルケニスの顔に悔しさはなく、どこか清々しそうですらあった。
「負けたわ、完敗ね。でも、少し残念だわ。せめてサトル様の助けにはなりたかったもの」
「サトルの? でも、貴方達ってただ召喚されて使われているだけの関係じゃないの?」
「……普通わね。負けたらそれまでで、別に相手に何か思うことなんてないわよ。でも、何故か今の主は放って置けないというか、子供なんて育てたことないけど、母性本能をくすぐられるってこういうことを言うのかしらね」
「いや、子供産んでたわよね、今、貴方……」
「馬鹿ね、あれは別よ。そういうのとはまた違うわよ」
瞑目し、アルケニスが述べる。そんなものなのか? とピーチは不思議そうに彼女を見やるが。
「……さて、頑張ったけどそろそろこれまでね。でも――出来ればサトル様には酷いことしないであげて。そりゃ色々殺したけど、多くは殺されても仕方のない人間よ。正直悪魔として結構長いけど、あれだけひどい連中は中々いないわよ。だから、彼にもそれなりの理由があるの、だから――」
「それなら大丈夫よ、だって――あのナガレが行ってくれてるんだもの。それに、救ってくれと頼まれたしね」
そう言ってピーチが優しい微笑みを浮かべた。それを見たアルケニスがどこかほっとした表情を浮かべる。
「本当に、信頼しているのね彼のこと。少し安心したわ。でも、ね――貴方、幸がうすそうにも見えるから、ちょっと心配なのよ。だから、これをあげるわ」
そういってアルケニスが何か玉のようなものを胴体から吐き出した。
なにこれ? と持ち上げ、不思議そうな目で眺めるピーチだが。
「それは、私の中で最も強靭な糸よ。貴方、変わった戦い方してるけど、元の肉体はそんなに強いわけでもないんだし、防具にも少しは気を遣いなさいな。それを素材にすれば少しは違うと思うわよ」
「……アルケニス、貴方、蜘蛛なのに悪魔なのに――でも、ありがとう」
少しジーンときているような表情で語るピーチ。そんな彼女を見ながらくすりと笑みを零すアルケニスだが。
「でも貴方、彼のことが好きなら好きでしっかり捕まえておかないと、どうなっても知らないわよ。そういう意味でも幸がうすそうなんだから」
「な!? そ、そんなことあんたに心配される覚え、て、そんな事言い残して消えるなーーーー!」
最後に倒されたお返しとばかりにちょっとした毒を残し消えていったアルケニス。その姿に思わず声を張り上げるピーチなのであり。
「……てかレベルアップすご!」
そして、ついでに消えた後の大幅のレベルアップにも驚くピーチであった――




