第二九七話 サトルとナガレ
「これは失礼致しました。私はナガレ、貴方と同じく地球からこの世界にやってきたものですが、わけあって貴方を止めに参りました」
「は?」
怪訝そうに眉を顰める。サトルからしてみたら、この状況はあまりにわけのわからない事態だ。
召喚しマイの壁を取り払いにかかった悪魔アスタロスは天井に刺さっているし、何がおきたのか見ることもできなかった。
何せ彼、ナガレと自称した少年はサトルが気がついた時にはマイを守るようにして正面に立っており、その瞬間には何故かアスタロスが天井にめり込んでいたのだ。
しかも、どういうわけか、アスタロスの手によって破壊される直前まで損傷していた不可視の壁が、まるで何事もなかったかのように修復されている。
「……ヘラドンナ、今何が起きたか判ったか?」
「も、もうしわけありません、私にも何がなんだかさっぱり」
ヘラドンナにもみえなかったのか、とサトルは目の前の状況に思案する。だが、何を考えても明確な答えは出てこない。
ただ、話を聞いてると、どうやらこの少年はサトルの事を知っているようでもある。だが、サトルには全く見に覚えのない相手だ。
だが、その瞬間サトルにある予感が浮かぶ。そしてこれなら納得もいく。
だが、それを認めるという事はサトルにとってあまりいい状況には転ばない。なぜならその考えが正しければ、サトルの行動は何らかの形でアケチに筒抜けということになる。
しかし、やはりサトルの導き出した答えはそこにしか行き着かず――だから確信を持ってそれを突きつける。
「さてはお前、アケチの仲間だな? それでマイを助けにきたということか? 同じ穴のムジナのマイを!」
「全然違いますね」
「やはりな、どうせそんなことだろうと、違うだと!?」
サトルが驚嘆する。かなりの驚きようだ。ここまで見事にきっぱりと否定されるとは思わなったのだろう。
『落ち着くのだサトルよ。あのナガレという男が出てきてから、明らかにおかしいであるぞ』
「あ、ああそうだな……」
サトルは顎を拭い息を落ち着ける。すると悪魔の書が更に頭に語りかけてきた。
『……だが、その気持も判らなくもない。あの男から妙な気配を感じる。何か達観しているような、それでいて、まるで我々の未来でも見透かしているような――』
悪魔の書が語る。その内容にサトルは少々驚いた。なぜならこの悪魔の書、今までここまでサトルと敵対する相手に関心を抱いたことがなかったからだ。
だが、今この本は間違いなくナガレという少年を意識している。つまり相手はそこまでの相手なのか? と思考するサトルだが――
「……とにかく、関係がないというなら今すぐそこをどけ。この俺が用があるのはすぐ後ろにいる卑怯な女だ」
とは言えやはり考えても答えが出ず、まずは本人に退く意志がないか確認する。サトルとしては出来ればこんなことで余計な時間を掛けたくはない。
それに今重要なのはその後ろに控えているマイへの復讐だ。この女は地球では有名な芸能人でもあり、殺された愛妹が尊敬しファンであった人物でもあるが、その気持を利用し、陸海空に弄ばれ殺されるきっかけを作った女だ。アケチともつながっており、芸能界で成功する援助をしてもらう見返りに家族揃ってアケチの策略に加担した穢れた一家だ。
「どきません」
だが、ナガレの答えは言下になされ、それにサトルが強く歯噛みする。
「くっ! 何故だ! お前が何者か知らないが、関係ないなら引っ込んでいろ! これは俺とその女との問題だ」
サトルは、いくら言っても全く引く様子を見せないその少年に苛立ちを隠せない。
ならば排除するべきか? という考えも浮かんだが――イビルアイを通して視たこの少年のステータスにサトルは躊躇せざるを得なかった。
なぜなら、この男はレベル0だったから――そうレベル0、それがイビルアイを通して掴めた唯一の情報だ。
レベルが0、こんな数値はサトルもこの世界にきて初めて見た。普通に考えればあり得ないほど低い最低の数字だ。
下手な冒険者などはこの数値を見ただけで笑い飛ばし、馬鹿にし舐めて掛かるかもしれない。
だが、サトルにとって重要なのはそこではなかった。なぜならこのナガレという少年のステータスはレベル以外の数値が全く判然としなかったのである。
それは基本的なステータスは勿論の事、アビリティやスキルでさえも、全く認識出来ない。これまで数多くの隠蔽を見破ってきたイビルアイでこれなのだ。当然サトルとて、ある程度の警戒心を抱いてしまう。
「……正直関係ないともいえないのですよ。私は貴方のことを知ってしまいましたし、それに、貴方を救って欲しいという依頼を請けた身でもあります。こうみえて私冒険者なので」
「救ってほしいだと?」
ピクリとサトルの眉が跳ねた。そして、冒険者? と疑問形で口にし。
「……まさかレベル0の冒険者とはな。だが、救って欲しいと頼まれたならなおのことそこをどけろ。俺にとってそれが一番の救いだ」
「そうはいきませんね。貴方に彼女を殺させるわけにはいきません」
「え! こ、殺されちゃうの私!?」
後ろでマイが驚嘆する。先程まで何をされるかと不安に思っていた彼女だが、殺されると聞いてはやはり黙ってはいられないのだろう。
「大丈夫ですよ、その運命は、私が来た時点で変わっていますので」
「……まるで見てきたかのようなセリフだな」
「信じてもらえるかはわかりませんが、私は実はこれで人よりも大分察しが良いのですよ。なので、貴方が今からやろうとしている事もなんとなく判りますし、その結果が不幸に終わることも判っています」
「何をわけの判らないことを――」
『……サトル、なんとなくではあるが、この男は危険だ。我を脅かす存在になるかもしれぬ』
ナガレの言っている意味がさっぱり理解できないサトルであるが、悪魔の書はどこか畏怖しているかのように訴えてくる。
正直悪魔の書が個人に対してここまで言うのはサトルも初めて聞いたわけだが。
「よくは判らないが、やはりお前は俺の敵ということだな」
「私は請けた依頼を達成しに来ただけですよ。それに彼女は本来貴方が恨むべき相手ではありません。貴方は――」
「黙れ! 戯言を抜かすな! やはり相棒の言うとおりだ! 俺が一体何をされたかも知らずに勝手な事を! アスタロス!」
ナガレが話をしている途中で、サトルは怒鳴り上げ、そして天井に埋まっていた巨人に命令を飛ばす。
その途端、ピクリと動いたアスタロスが天井を離れ、ナガレの下へと勢いよく落下。
空中で腰を捻り手にした斧をその頭蓋目掛けて振り下ろす。ナガレの背後ではマイが悲鳴を上げていた。
どう考えてもこの重量差、子供と大人どころの話ではない。蟻ん子と竜ほどの質量の違い。普通に考えれば絶対に埋められない圧倒的物量の差。
「……誰であっても、復讐の為なら容赦なしということですか」
しかし――そう答えた少年ナガレに、サトルは両目を見開いた。
嘘、とその様子を眺め続けているマイもポカーンとした表情で呆けてしまっている。
最初にアスタロスが上空へ舞い飛んだ時は誰しもその瞬間を目撃出来なかったため、現実味がわかなかったというのはあるだろう。
だが、今は違う、サトルやマイの目の前で、少年が、左の指一本でその一撃を受け止めていたのである。
「な! 馬鹿なあり得ない! 物理的に不可能だ!」
「いえ、可能ですよ。衝撃を全て地面に逃がせばね」
「は?」
サトルには全くわけがわからない。そもそも逃がすと言っても何をどう逃したというのか、その所作からは全く理解しきれない。
そして――何より。
(こ、こいつさっきから、一歩もあの場所を動いていない――)
そう、ナガレという少年は、マイを庇うように間に立ったまま、そこからは一ミリたりとも動いていないのだ。
「とりあえずこの巨人はその本の中へお返ししますよ」
「は?」
サトルは思わず目を見張るが、その瞬間弾けたようにアスタロスが吹き飛ばされ、サトルに向かって高速で飛んできた。
な!? と驚愕し、避けようとするが、行動に移る前にアスタロスの巨体が本に迫り、何故かそのまま本の中に吸い込まれ消え去ってしまう。
「な、なんだと! 馬鹿な! 俺は戻れなんて一言も命じてないぞ! なのにどうして勝手に戻ったのだ!」
「勝手にではありませんよ。私が戻したのです」
『……一体なんなのだこいつは――』
そのあり得ないやり取りに悪魔の書でさえも驚きを禁じ得ない――




