第二九六話 狂戦士、赤髭悪魔、褐色美女
火楠様から嬉しいレビューを頂きました!感謝感激です!
「ソコを、ドケエェエエエェエェエエエエエ!」
狂乱した女騎士が、瞬時にして一〇〇を超える斬撃を赤髭の悪魔に叩き込んでくる。
サトルが通り抜けた壁を背にしたその悪魔は、三叉の大剣を巧みに操り、その剣戟を全て防ぎながら恍惚とした表情を浮かべた。
「娘、中々やるではないか。人の分際でここまで力を付けるとは、狂戦士と成り果てたとは言え賞賛に値するぞ」
「黙れ! 黙れ! 黙レェエエエェエエエエェ!」
狂ったように吠え上げながらも、手数重視の攻撃から一転、くるりと回転しての体重を乗せた一撃に切り替えてくる。
まずは脇腹を狙った一撃、しかし悪魔が大剣を滑り込ませ防いで見せると、その衝撃と反動を利用し、横回転から縦回転へと軌道を変化させその頭蓋を狙った。
「狙いは悪くなかったであるな」
「グウウゥウアアアアァ――」
しかしその連撃も妨げられたことで、一旦彼女も距離を取る。狂人となりはてた彼女ではあったが、それでも相手の強さに対する動揺は見られた。
「ふむ、お主、元のレベルは80程度か? それが狂人化したことで800を超える程までに上昇しておる。だが、残念ながらそれでもまた、このアスモダイには足りておらぬ。せめて後、その十倍は欲しいところであったな」
自慢の赤髭を擦りながら、アスモダイが言う。だが、それは随分と無茶な話である。本来ならこの世界においては、レベル50を超えただけでも達人クラスと称される。
帝国における将軍クラスの人材でもレベル100に達するものは殆どいない。
そんな中、目の前で対峙する女黒騎士は狂人化という状態であるとは言えレベル800を超える程にステータスが上昇している。これとてかなり驚異的の伸びなのである。
しかしアスモダイが求めるのは更にその十倍を超すレベル。そのような力を持ったものなど、本来実在するかも怪しいレベルだ。
「フザ、ケルナ、殺ス、お前モ、アノ男も、グッ、グゥうぅう――」
正気を失った目で睨みつける黒騎士であったが、突如頭を押さえて呻き始めた。
その姿を認め、うむ、と一つアスモダイが頷き。
「そろそろであるな。狂人化した状態ではそう長く自我を保てるものではない。惜しいな、ワシももう少し剣を交えてみたかったが、主様のご命令でもある、せめて完全に狂う前にひとおもいに死なせてやろうぞ。主様の御心に感謝するのだな」
「か、感謝ダト、フザケルナーーーー!」
絶叫を上げる。それは嘆きの声とも取れた。彼女もまた一人の復讐者である。そんな彼女がよりにもよって憎むべき対象に感謝するなどありえない。
「所詮今の貴様では判らぬであろう。だがな、もうお主は戻れんのだ。その状態からはな。後は狂った獣と化す運命しか残っておらん。勿論そうなれば、更に力はあがるであろうが、理性を失った獣など相手にしてもつまらぬ。それに、わしもそろそろ主様の下へ馳せ参ずる必要があるのでな」
そこまでいって、いよいよアスモダイが構えを取る。
「さて、ではそろそろその首を一瞬にして刎ねとばしてみせようぞ。何、安心せい、痛みはない、気がつけば一瞬で、死んでいる――」
刹那――赤と黄金の入り混じった疾風が、黒騎士の身へと迫った。
三叉の剣が、彼女の細首へと迫る。それは淀みのない一撃。
だが、その時だった。何者かの色香がその鼻孔を突き、アスモダイの全身を衝撃が駆け抜けた。
それは動揺へと変化し、僅かながら剣の軌道を鈍らせる。
そこへ一つの影が滑り込んだ。褐色の女剣士だった。その手に持たれた奇妙な形の剣が、アスモダイの剣戟を受け止め、靭やかな動きで受け流す。
完全に流された上半身。一瞬ガラ空きになった胴体に、鞭のようにしなる刃が重畳した。
だが、アスモダイは怯むこともなく、轟音を伴う逆回転で大剣を振るう。暴風が衝撃となって四方八方に襲いかかるが、ヒラリと躱した褐色の肢体が宙を舞い、距離を取って着地した。
その姿に、むう、と目を見開くアスモダイだが、それ以上に驚いたのはいつの間にか黒騎士の姿が消え、離れた場所に現れた少年の傍で寝かされていた事だ。しかも固く閉ざされていた筈の入り口側の壁もいつの間にか何事もなかったかのように開いている。
「彼女はもう大丈夫ですよ。逆転流罰で狂人状態も解除されましたから」
「……流石ナガレ」
少年を賞賛する褐色剣士。そして床に寝かされた黒騎士の女は、確かに今は穏やかな顔で眠りについている。
そう、彼女の命は救われた。アケチの策略によってサトルを倒すために向かわされた夫、しかし結局返り討ちにあい命を失ってしまう。
それは仕方のない事であった、サトルとて一度は見逃そうとした命であったが、敵前逃亡は死を意味することもありえる帝国において、彼女の夫には他に選択肢もなかった。それゆえに見逃そうとしてくれたサトルを背後からつくも見破られ死へと誘われた。
だが、アケチはその事は一切告げず、サトルが彼女とその娘を脅しに使い、徹底的な拷問の上に嬲り殺しにしたと嘘の情報を彼女に伝えた。
その結果怨嗟の炎が燃え上がり、そして更にアケチの洗脳によって本来絶対に解けないであろう狂人状態にされたのである。
だが――絶対に解けないなどという理屈はナガレには通用しないのである。そう、現に今は彼女も狂人状態から開放され、穏やかな顔を披露している。
本来ならばここでアスモダイによって首を刎ねられ死ぬところであった。それはあの時ナガレが察した未来のビジョン。
しかしその運命はまたナガレによって変えられた。もう彼女が狂うことも死ぬこともないであろう。
「むぅ、どういうことだ? あの状態、たとえどのような魔法を使っても正気になど戻らぬはずだが……」
「……それが、ナガレの力」
静かに淡々とした口調で乱入した女が述べた。その姿をまじまじと見やるアスモダイだが。
「ふむ、あの少年の事も気になるが、やはりわしはお前が気になって仕方ないぞ」
「……そう」
「むぅ、その素っ気ないところが更にわしの情欲を掻き立てる! なんという女よ、このわしの気持ちをここまで震わせるとはな。喜べ女、この序列三位の大悪魔たるこのわしが、お前に子種を注いでやろう!」
「……ごめん、無理」
「なんだと!?」
両目を見開き、信じられないと言った様相で驚く大悪魔である。どうやらよほど自信があったらしい。
「むむっ、このわしのどこが気に入らないというのだ!」
「……顔、それに毛と髭の色があの馬鹿を思い出させる。あと髭が臭そう」
「ぬぉ!?」
心の臓を押さえ悶え震えるアスモダイ。褐色の女剣士は中々に辛辣だ。
「だが、そこがいい! 一目惚れであるぞ!」
「中々情熱的な告白ですね」
アスモダイの突然の宣言に何故か感心しているナガレである。尤も悪魔にというよりは、これだけの悪魔を骨抜きにしてしまうビッチェになのかもしれないが。
「……悪いけど、私は既に心に決めた人がいる。子供もその人のしかありえない」
「むぅ、そのような男が! 一体誰だと言うのだ!」
ビッチェはナガレにチラリと視線を送る。しかしナガレに反応はなかった。
「……その鈍感さは罪」
ぷくぅ、と頬を膨らませ少しだけ機嫌が悪そうに語るビッチェ。だが、ナガレは小首を傾げたリしていた。彼はこと女性に関しては鈍感だ。
「ふむ、なるほど読めたぞ!」
だが、さすがの大悪魔アスモダイである。今のやり取りで何やら気がついたようだ。これだけわかりやすければ当然ともいえるかもしれないが。
「つまりお前はこのわしに、力づくで惚れさせてみろと! そう言いたいのだな!」
なんとさっぱり理解されていなかった。それどころか湾曲してとんでもない結論に至ってしまった程である。
その姿に、はぁ、と嘆息しつつ。
「……ナガレ、聞いての通り、こいつは私に用があるそう。だから、ここは私に任せてナガレは先を急ぐ」
「……確かにかなり熱い気持ちを抱いてしまったようですね」
「……そう、だから任せる。それとも、私が信用できないか? 心配か?」
アスモダイと視線を交わしながら、彼女が尋ねる。するとナガレは微笑し。
「いえ、勿論信じてますよ。それに、貴方が本来の状態を取り戻せば、それに敵うものはそうはいないと思いますからね」
ナガレはそこまで言うと、すくっと立ち上がり、それでは後はお願い致します、と言い残してその場から消え失せた。
正気を取り戻したと思われる黒騎士は、比較的邪魔にならない端の方で寝かされていたが、これもある意味で彼女を信頼している証とも言えるだろう。だからこそ黒騎士をその場に寝かせてナガレは先を急いだのだ。
ただ、ビッチェは少しだけ不満そうである。なぜなら――
(……少しは心配してほしかった)
女心とはかくも複雑なものである。とは言え、ナガレに信頼されている証と気持ちを切り替え、再度アスモダイと対峙する。
「ところでお主、名はなんと申す?」
「……ビッチェ」
「ビッチェ、なんたる素敵な名だ! 我が子を生むにふさわしいぞ!」
「……その願いは叶わない」
「残念ながら、人間の腕ではわしには敵わんよ」
「……だったら、試してみる」
そして、今、妖艶な女剣士ビッチェ、と大悪魔たるアスモダイの戦いの幕が切って落とされた――
◇◆◇
新牧 舞はただただ意味もわからず、サトルの凶行に怯えていた。
彼は言った、恨みを晴らすと。そしてマイを偽物だと、家族に味わわせた苦しみを与え、化けの皮を剥がすと。
だが、そんなことをいくら言われてもマイには思い当たる節など微塵もない。
そもそもサトルと会うのも今回が初めてなのだ。その名前とてこの異世界にやってきてアイカやメグミから初めて聞いたものだったのだ。
だが、よく考えたらおかしな話であった。アイカやメグミはサトルの名前は一度は口にするも、あまり詳しくは話そうとしなかった。
知らないのなら知らないままのほうがいいとさえ言っていた。
なんとなく気になり、その後担任のニシジマにも尋ねたが、上手くはぐらかされ、アケチに関しては妙に聞きにくい雰囲気があって聞けず、結局そのまま今にいたってしまっていた。
ただ、少なくともマイが学校に顔を出したときにはサトルが登校していなかったのは事実であった。もし来ていたなら顔も名前も全く知らないなんてことはありえないからである。
今思えばその事も奇妙なことであるし、それに先程まで目の前で繰り広げられていたサトルとシシオとの会話も気になる点は多かった。
シシオの事も恨んでいたらしいサトルの手によって、マイが気がついたときには既にシシオは死を迎えていたが――
しかしマイが気を失う以前交わされていたふたりの話を聞いていれば、もしかしたらサトルは虐めを受けていたのではないか? ぐらいは察しがついたりもしたが、しかしそれでもやはりマイが恨まれる理由がわからない。
ただ、一つだけ言えるのは確実にマイ自身の身に危機が訪れているという事だ。
何せサトルが命令している巨人は、その身体も大きく、更に力も普通ではありえないほどの強さを誇る。
マイはアケチが分けてくれた守護の指輪さえあれば、とりあえず命の危険はないと安堵していたが、しかしこの巨人の攻撃を受ける度に、見えない壁に亀裂も生じている。
このままではいずれこの壁が破壊されるのは時間の問題だった。だが、マイにはこれに対抗する手段がない。
一旦不可視の壁の中から逃げ出すという手も考えたが、この指輪は一度効果が切れると、再度壁を出すためにある程度時間が必要だ。
しかも壁事態は位置固定なので、展開させたまま動き回ることも出来ない。
「残念だが、チェックメイトだ」
そして遂にこれといった打開策も見つからないまま、サトルの残酷で冷たい響きが降り注いだ。
壁には無数の亀裂が入り、既に限界が来ている。彼の言うように次の一撃を喰らえば間違いなく壁が破壊されるだろう。
マイは一人壁の中で肩を震わせていた。恐怖で唇も震える。一体この壁が壊されたら、自分はこの男にどんな酷い目にあわされるのか――
そして、遂に雄叫びを上げ、巨人の拳が壁に向けて振り下ろされた。マイも思わず悲鳴を上げる。
そしてまさに今拳が壁に迫ったその瞬間、マイは信じられないものを見た。
結果だけ言えば、壁が壊れることはなかった。しかし、その代わり、マイを恐怖させた巨人が飛んだ――
いや、飛ばされたと言うべきだろうか? とにかく一〇メートル級のその巨体が軽々と、そしてまるでバネの反発力を受けたかのように、勢い良く飛んでいき天井に激突。
そのまま深く深く天井にめり込んでいく。
「……な、なに、これ?」
思わずマイの口からそんな言葉が漏れる。あまりに現実離れした光景に言葉をなくす。
そして何より、恐らくそれを行ったであろう人物の姿に驚きを隠せなかった。
まるで女性のように美しく艶のある長い黒髪をなびかせて、颯爽と現れたその人物は――一人の少年だったのだ。
「良かった、どうやら間に合ったようですね」
振り返りニコリと微笑むその顔に、一瞬目を奪われる。少年は少年でありながら、どこかすごく頼りがいのある空気をまとっていた。そして、一つ一つの所作も含めて全てが美しい。
女優としても期待されていたマイが、思わず見とれてしまう程の、優雅でそれでいて華麗で、どこか人間離れした輝きさえも放つ、少年だった。
その姿には、マイだけではなく、先程までマイを狙っていたサトルでさえも、口を半開きにさせて呆けてしまっている。
だが、そんな彼もハッ! とした表情を見せ、そして彼に誰何した。
「な! だ、誰だおまえは!」
「はい、サトルくん、ようやくあえましたね。私ですよ」
「――――だから誰だぁあああぁああぁああーーーー!」
サトルの絶叫は城中に響き渡らんばかりのものであった――
 




