第二八一話 チェックメイト
サトルの話が続いております。
サトルが近づくと、マイは未だに気を失ったままだった。床に横になり、両手と両脚を靭やかに流している。
そんな姿でさえ、童話に登場する眠り姫のようであり、どこか様になっている。
流石は女優としても将来有望とされていただけの事はあるか。たとえそれが偽物の作り上げられた物だとしても腐っても芸能界で働き続けていただけの事はある。
彼女に人を引きつける魅力があったのは確かなのだろう。そのまま真面目にやっていれば、アケチなどの手を借りなくても――だが、それももう遅い。
この女はサトルの妹を汚した、妹の夢をぶち壊した。そして妹がやつらに陵辱されることに協力した。
火種がめらめらと燃え上がり、黒い炎がサトルの全身を覆う。
だが、これからだ、これから――
「お前の無念、今から晴らしてやるからな――そして家族の分も、全てをこいつから奪ってやる……」
静かな怒りを口にし、見えない壁に手を触れる。確かにこのままでは手出しはできなさそうだ。
だが、それは相手がシシオのような三下の場合に限られる。
今のサトルなら、どうとでもなる。
「おい、起きろ」
サトルが中の魔女に声をかける。だが、反応を示さない。
「……アスタロス」
「グォ――」
こくりと頷き、大きく振りかぶり、そしてその鉄拳を見えない壁に向けて振り下ろす。
この巨大な城が、いまにも崩れ落ちそうな程の轟音。そしてまるで地中の中で龍が暴れまわっているかのような衝撃。
その一撃を持っても、まだ壁は壊れなかったが、しかし――
「え!? な、なに――」
マイが目覚めた。むくりと上半身を起こし、キョロキョロとあたりを見回す。
「よぉ、お目覚めかい? 偽りのお姫様」
サトルが声をかけると、どこか覚束ない様子だったマイの目が見開かれ、サトルを見た。
「貴方、確か、サト、ル、くん?」
「ああ、そういえばこうやって顔を合わせるのは初めてだったな」
妹のこともあり、テレビを通して見ていた為、一方的にサトルはマイの事を知っている。
だが、マイからすれば名前だけは知っていたとしても顔を認識するのは初めての事だろう。
高校入学時から芸能人として忙しく駆け回っていた彼女は、学校に顔を出すことも稀だった。少なくともサトルが教室にいる時に、彼女の姿を見たことはない。
「え~と、あ! そういえば!」
すると、マイが何かを思い出すように再度当たりを見回し、そして息を呑み両手を口に添えた。
「嘘、シシオ、し、死んでるの……」
「ああ、そうだ、俺が殺した」
弾かれたようにその端正な顔がサトルに向けられる。その双眸はどこか信じられないと言った感情を含めていたが――
「あいつを、こ、殺したの? 一体どうして? こ、殺すことまでなかったじゃない、そ、それは結果的に私は助かったけど――」
「はっ?」
今度はサトルが声を上げる番だった。目を白黒させマイを見やり、そして問う。
「まさかお前は、この俺が、わざわざお前を助けるためにこんなことをしたと思っているのか?」
「え? あ、うん、だってどうみてもあいつが私を襲おうとしてたし――」
そこまで言って、違うの? という目を向けてくる。
「くくっ、はは、あ~~っはっハッハ! これはいい! この俺が、お前を守りに来ただと? 助けただと? これはとんだお笑い草だ!」
高笑いを決めるサトルに眉をしかめるマイ。一体何がそんなにおかしいのか理解できないと言った様子だが。
「あはっ、全く、笑わせる! 貴様のその平和ボケしたお花畑のような脳みそにな!」
「――は? え? なんで私そこまで言われないといけないの?」
「全く、この状況で大したものだ。鈍感? いや、違うな。大したふてぶてしさだ。ある意味尊敬に値するぞ」
「……ちょっと何を言っているのか理解できないんだけど――」
立ち上がり、怪訝そうな顔でそう答える。その様相に怒りがこみ上げるが、人間ここまで開き直られると怒りを通り越して笑いがこみ上げてくるものだなと自嘲気味の笑みを浮かべてしまう。
「お前という頭の緩い人間にも判るように伝えてやるよ。この俺は、俺の恨みを晴らすために! 復讐の為にここにいる!」
「え? ふ、復讐? それって、あのシシオの事? そ、それであんな目に――」
「お前もだ! この売女が!」
え? とマイが両目を丸くさせた。穢れたアイドルの癖に、それでも瞳は綺麗なままであり、それがより腹立たしい。
「何それ? どういうこと?」
「それはお前が一番良くわかっているだろ? 俺の家族をメチャクチャにしたんだ、その償いは受けてもらうぞ、たっぷりとな」
「え? ちょ、意味判らない! 大体、私は貴方とは今日初めて会ったのよ! それぐらい貴方だってわかるでしょ?」
「ああ、そうだな――」
そのとおりだ。お互い顔を突き合わせるのは初めてだ。だからこそ余計に憎い、顔も知らない相手に、なぜあんな真似が出来たのか。
「だったら! 私は貴方に恨まれる筋合いじゃないわ!」
「……ははっ」
思わず笑いが出た。本当に大したものだと思う。これが女優というものか。この状況でも白を切れる胆力には恐れが言った。
だが、それも仕方がないか。サトルが一方的に知っただけだ。情報を聞き出したから、サトルがそれを知れたことはサトルしか知らない。
だからこの女は、よもや自分がしたことが外に漏れているなど夢にも思っていないのだろう。
それに聞いた情報ではこの女は元の世界に戻りたいという思いが強い。折角手に入れた地位を失いたくないのだ。だからしがみつく、たとえまがい物でも、必死に。
そしてその為には、絶対にこの女はそれを認められない。自分の立場を守るために、テレビの中という虚構の世界でちやほやされ続けるために。
「……所詮偽物のくせに」
「え?」
「いいぜ、だったらこの俺が、その化けの皮を剥いでやるよ。覚悟しろ新牧 舞、俺の家族が! 妹が! 受けた苦しみを! 嫌というほどその身に味わわせてやる!」
「ちょ、だ、だから何を言っているか――」
「アスタロス」
「グォオォォオオッォオオオオオ!」
いつまでたっても自分をごまかし続けるマイの演技に嫌気がさしつつも、サトルは命じる。
自身が従える巨人に。刹那、見えない壁に向かって狂気の拳が降り注いだ
「きゃ、きゃぁあああぁああ!」
「ふん、随分と可愛らしい悲鳴を上げる。が、中々頑丈なようだな」
頭に両手を添えるようにして声を上げるマイ。だが、拳は壁を通らず、サトルが感想を漏らす。
「あ、当たり前よ。い、いくらやっても無駄よ! 私の指輪の力があるかぎり、絶対に手出しは出来ないわよ!」
「ああ、知ってるよ。守護の指輪だろ?」
「……え?」
何故それを? という目をしているが、既に鑑定済みなので知っていて当然である。
「さて、何発持つかな。さあ、続けろアスタロス」
「グォッ」
頷き、更にもう一発、壁に向けて叩きつける。再度短い悲鳴を上げるマイだが、サトルを睨めつけ言った。
「だから、無駄だって! いい加減諦めて――」
「さて? それはどうかな?」
再びアスタロスの拳が壁に向けて振り下ろされる。だが、異変はその時に起こった。
「え? ど、どうして――」
ワナワナと震え、狼狽する。少女の瞳にはヒビの入った不可視の壁。そう、マイを守るべき指輪の力に亀裂が入った。
「過信が過ぎたな。確かにその指輪は悪意ある攻撃から身を守る。だが、完璧ではない、ある一定以上の威力の攻撃には耐えきれないのさ」
にやりと笑いサトルが述べる。そう、これもイビルアイの鑑定眼で判ったこと。
だが、それでもこの指輪の効力が高かったのは事実だ。なぜなら攻撃力一〇〇万程度までなら一切傷つくことなく、壁が彼女を守り続ける、それだけの力を有していたのだから。
だが、アスタロスの攻撃力は三〇〇万、しかも素手で三〇〇万だ。アスタロスは他にも火力を上げるスキルがある。それだけの膂力があれば、本来一撃で叩き壊すことだって可能だ。
尤もサトルは、少しでもマイに恐怖心を植え付けるため、敢えて、じわりじわりと壁を傷つけていっているわけだが。
「さて、二発目で随分とヒビが広がったな。これはもう、次で決まるだろうな。さて、どうする? このまま逃げ出すか? だが、その守りは一度発動すると位置で固定される。そしてそこから逃げれば暫くは指輪の力を発動できない。おや? もしかしてこれはもう……」
「そ、そんな、そんなこと――」
「残念だが、チェックメイトだ」




