第二七九話 シシオとマイ
サトル絡みの話が続きます。
「こい!」
「え? ちょ! 何するのよ!」
目の前で暴れまわる巨人、それに左腕を、いや左肩から先を全て奪われたのだ。異常な痛みがシシオの肉体を蝕んでいる。
精神的には苦痛が支配を続けている。だが、それでもこの状況、見逃すわけにはいかなかった。痛みに悶えながらもシシオはしっかりと目にしていた。
あのサメジが魔法で、驚異的な能力を秘めている、あの巨人の目を射抜いたことを。そしてそれが原因で見境なく巨人が暴れまわっていることを。
(だが、あの野郎は馬鹿だ――)
嫌がるマイの腕を引き、このチャンスにこの場から逃げ出すことを考える。マイはひたすらシシオを拒み続けたが関係なかった。
隻腕にこそなったが、それでもマイぐらい力づくで何とかなる程度の膂力は残っている。
視界の端で崩れた柱がサメジに降りかかるのを見ていた。間違いなく死んだと確信した。
結局あの攻撃は巨人を凶暴にさせただけで何の意味もなかったのだ。あのような怪物に暴れ回られては手のつけようがない。事実、召喚した仮面の男でも抑えがきかない様子だった。
あんなものは正気を失った暴れ馬のようなものだ。しかも馬ならまだしもあれは巨人だ、その被害も比べ物にならない。
だが、シシオはここは逃げの一手しかないと悟った。サメジみたいに無様な死に方はまっぴらゴメンだったからだ。
「ちょ、本当放してよ!」
「いいのかよ?」
「え?」
「見てみろよあの化物を、あんなものが暴れまわっているのに、テメェはここに留まり続けるつもりか? お前、踏み潰されてせっかくの綺麗な顔も台無しだぞ?」
駄々をこねるように文句を述べるマイにシシオが告げる。すると、マイが改めて巨人の姿を見やりその顔を青くさせた。
「で、でも、逃れる方法なんてあるの?」
「ある! こっちに宝があった場所があっただろ?」
そういえば、とマイが思い起こすように呟く。
「あそこなら壁に狭まれて通路も狭い、あの巨人の体格じゃ抜けれねぇ! そこでしばらく身を潜めるんだよ。俺もこんな状況じゃなきゃなんとかしたが、流石にどうしようもないしな。だがな、アケチが戻ってくればなんとかなる! あいつは回復魔法だって使えるしな!」
「……でも」
「いいからさっさとこい! 本当にやられるぞ!」
結局、マイもそれ以上の事は何も言えず、シシオに手を引かれるがままにその場を逃げ出した。
それに、シシオが言っていたことで思い出した事があった。その力があれば、何かあったとしても最悪の事態は避けられるはず――
そしてシシオが言っていたように、巨人では絶対に抜けられなさそうな狭い通路を進み、宝箱があった空間までやってきた。
「はぁ、はぁ、ここなら、しばらくは大丈夫なはずだ――」
肩で息をしシシオが言う。顔色も悪くだいぶつらそうだが、片腕を失っているのだからそれも当然だろう。
マイは改めてその空間を見やる。床一面に何やら紋章のような物が刻まれており、半球状の天井も高い。円形の空間であり、広さはマイ達が通っていた高校の校庭程度はありそうだ。
そしてそこには既に中身のない宝箱も。これに関してはマイもよく覚えている。なぜならこの中身はアケチが、これは君が身につけておくと良いよ、といって分けてくれたものだ。
「くそが、こんな目に合わせやがって、一体誰なんだあの野郎は……何で俺達を狙いやがる――」
シシオはブツブツとそんなことを呟きつつ、ウェストバッグ型の魔法の鞄からポーションを取り出し一気に飲み干した。
傷を治す手段としては薬草を調合した傷薬とポーションがあり、ポーションの効果は全身に及び悪いところを重点的に治そうとする。
効果は傷薬よりポーションの方が高いが、連続で飲むと効果が薄れたり、ポーション酔いを起こしたりするという欠点がある。
なので、シシオが今飲んでいるのも手持ちの中で最も高価なものだ。そのおかげか、出血も収まり、顔色も良くなっていく。
そしてその場でペタンっと尻餅をついた。あの巨人の化物から逃げおおせたことで気が抜けたのかもしれない。
「……流石に、腕は無理みたいね」
「――そうみたいだな」
そんなシシオの姿を眺めながら、マイが述べる。確かに出血こそ止まったが、失った腕が生えてくるようなことはない。
ポーションと言ってもそこまで万能ではないのだ。失った部位を再生する力などあるはずもない。
もしこれを治そうとするなら、よほど高位の聖魔法に頼ることになる。だが、腕が残っていればまだいいが、シシオの腕は巨人の手でぐちゃぐちゃにされてしまった。
そうなると腕をくっつけるというわけにはいかず、完全に新しい腕を再生しないといけない。そこまでのレベルの回復が出来る魔法の使い手など一体どれほどいるものか――正直に言えば失った腕を再生するのは絶望的に近いだろうとマイは考える。
ただ、シシオはアケチなら何とか出来ると考えているようだが、マイも彼がそこまでの回復魔法を施しているところは見たことがない。
「でもここって完全に行き止まりよね……」
若干不安そうな表情をマイが見せる。確かに見る限りこの場所は出入り口となるのはやってきた狭い通路だけだ。
「そうだが、あの巨人がここに入ってこなきゃ、怖いもんなんてないさ。あの仮面野郎だけなら、この俺にかかれば片腕でも楽勝だからな」
隻腕を振り回しながら強気な態度を見せるシシオ、だがマイは仮面の相手以上にシシオに関しても油断ならないと感じているようだ。
現に今、マイはかなりシシオと距離を取っている。
「それに、ここなら……」
そんな中、シシオが何かを呟き、いやらしげに顔を歪めた。
それから暫くの沈黙――ポーションを飲んだシシオは、大分痛みは引いたようだが気だるい感覚は残っていたようだ。
だが、次第にそれも薄れていったのか、よっ、と立ち上がり、マイを見やる。
「なあ? なんでそんなに離れてるんだよ? もっとこっちこいよ」
そして、マイとの距離を詰めようとしてくる。マイは気がついていた、シシオの口調がいつものどこか媚を売ったようなものから、相手を押し付けるような、そんな飢えた獣に近いもに変化していることに。
シシオの瞳はやたらとギラギラしていた。ポーションの効き目が回り、調子を取り戻して来たことで妙に息遣いも荒々しくなってきている。
「ちょ、嫌だ、こないで」
「へっ、そう言われてもな、こんな場所に、ずっとどうにかしてやろうと狙っていた牝と二人きりになって、何も思わないほうがどうかしてるだろ?」
「な!? やっぱりあんた……でも、アケチにだって言われてたでしょ! 私に手を出すなって、それを破るの?」
「そんなもの、後でどうにでもいいわけがきく。テメェが何も言えないように、俺が今ここで調教すればいいだけだしな」
「ちょ、嫌だこないで!」
マイはなんとかシシオの魔手から逃れようと、逃げ場を探すが、最初に見た通りここには出入りできる箇所が一つしか無い。
マイにとってはまさに袋のネズミと言った状況だ。
「いいから、テメェは、大人しくしてろ!」
「ヒッ――!?」
シシオの威圧に思わず情けない声を上げてしまうマイ。更に力が抜け、膝が崩れその場に座り込んでしまった。
「な、どうして……」
「ははっ、片腕になってもスキルの発動は可能なんだよ。俺の猛獣の威圧に掛かればこれぐらい造作も無いぜ」
そんな、と絶望の表情を見せるマイ。スキルによって強化された威圧は、相手に圧倒的な恐怖心を植え付ける。
尤も、これでもシシオは抑えている方だ。レベル差を考えれば、本気でやったなら間違いなく気を失っている。
だが、シシオは無抵抗な相手をどうにかしようなんて気はサラサラない。
「さあ、嫌がってくれてもいいぜ。むしろちょっとは抵抗してくれたほうが俺は燃えるんだ。それにな、俺は相手を無理やり犯すことで興奮してステータスが上がるアビリティも持っている。強姦無双という俺にピッタリのな」
最低なことを平気で言いのけるシシオだ。その豹変ぶり、とはいえ、元々そういった兆候が見られた相手ではあったが、その様相にマイの肩も震える。
「さあ、テメェの初めての男に、この俺様がなってやるよ!」
そして、襲いかかる、飢えた雄の獅子が、熱り立ったソレを隠そうともせず。
ズボンを脱ぎ去り、下半身を露わにし、よだれを垂らしながら、マイに近づき覆いかぶさろうとするが、その時だった、バチーン! という音がマイの身から溢れ、かと思えば見えない壁によってシシオの行為が遮られた。
「な、なな、なんじゃこりゃーーーー!」
不可視の壁を殴りつけながら、シシオが叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、そして、殴る、殴る、殴る、だが、その何かは全く壊れない。マイに近づけない。
「ざ、残念だったわね! 貴方ここにあった宝の事覚えてる?」
「宝? ……そうだ! あの時アケチがお前に譲ってた指輪!」
「そうよ、あの指輪は守護の指輪。悪意ある相手から身を守る、それがあの指輪の効果よ!」
「な、なんだと――」
唖然とし、棒立ちとなるシシオ。そして守護の指輪に守られたマイは、見てられないと顔を背ける。
「あんた、特にこれには興味なさそうで、呑気に似合うよなんて言っていたけど残念だったわね。この効果があるかぎり、私には指一本触れられないわ!」
顔を明後日の方へ向けながらマイが言いのける。しかしその顔には安堵の表情も見える。恐らく指輪の効果がしっかり発動するか心配だったのだろう。
「く、くそ、畜生が!」
「そ、そんな怖い顔したって無駄よ。とにかく、さっさとその汚いものしまいなさいよ!」
一瞬シシオに顔を向け、すぐに顔を背け叫ぶ。
だが、それがシシオの激情を更に刺激したのか、大剣を一本抜き、見えない壁に向けて振り下ろし続ける。
「この! 砕けろ! 砕けろ! 砕けろ畜生がーーーー!」
何回も何十回も何百回も、振り下ろされる刃。しかしシシオのオーパーツでの斬撃すら、守護の指輪の前では全く歯が立たない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「だ、だから無駄なんだってば。いい加減あきらめ――」
「うるせぇぇええぇえ! 諦めきれるか! こんな極上の女を犯せる機会なんて――なッ!?」
弾かれたようにシシオが後ろを振り返る。それは死の調べか、地獄への誘いか――とにかく、シシオの視界には信じられない光景が広がっていた。
それはまるでモーゼの起こした奇跡のような、しかしそれでいてあまりに強引な手法によって、壁が左右に開かれていく。
これにはマイも驚きに目を見開いてしまった。それぐらい信じられないことだ。
何せこの通路は結構長い、少なくとも一〇〇メートル以上は間違いなくあった通路であったのだ。
だが、その通路を作り上げていた左右の壁が、重苦しい音を響かせながら、左右に、広がっていく。
何かの仕掛けが作動したのか? と一瞬考えもしたが、壁と接していた床が広がる毎に激しく抉られていっていた。
つまり、この現象は、物理的に、強引に、何者かの力によって引き起こされている。
そして、ドスーーーーン! という重たい響きが二人の耳に届き、狭かった通路が巨大なアーチの如くまで広がった。
続いて響き渡るは、人間や獣とは比べ物にならないほどの大きな足音。一歩ごとにちょっとした地震が発生し、シシオとマイの身体を揺らす。
そして、これだけのことを成し遂げた何者かは思った以上に早く彼らの目の前に現れた。身体が巨大な分、きっと歩幅も大きいのだろう。
そして、それはある意味でふたりにとって予想通りの存在であり、肩に乗った仮面姿の誰かが、俯瞰しながら言ってきた。
「よぉ、もしかしてお楽しみの途中だったかい?」




