第二七五話 もう一人の復讐者
サトル絡みです。
目の前の女の正体に気が付き、サトルの胸に渦巻いた妙な感情の正体が判った。
そう、この女騎士はサトルが殺した黒騎士の妻だった女だ。
だからこそ、そうだからこそ、その眼は酷く淀み暗く、明らかな怨嗟の感情にその瞳に宿していたのだろう。そう、サトルと同じように。
「……皮肉なものだな――」
思わず呟く。サトルの願いは復讐――それはサトル自身を蔑みいたぶり続けた連中への物でもあり、しかし何より最愛の妹を奪い家族を自殺にまで追いやった事への激情でもある。
だからこそ、サトルは復讐のためなら容赦をせず、そしてその障害になると考えたものも躊躇いなく排除していった。
だが――あの時の黒騎士の最後の言葉が脳裏をよぎる、『――マーニ、ごめん、な』、とそういってあの男は死んでいった。
勿論そのことをサトルは後悔などしていない。あの時、サトルは一度は逃げるという選択肢を男に与えた、だが、それを無視し背後からサトルを狙ったのはあの男だ。
しかし――残された家族にとってはそのような事関係がないだろう。どんな理由があろうと、彼女にとって最愛の夫を殺したのがサトルであることに変わりはない。
「私は絶対にお前を許さない! ただ倒すだけならまだしも! 私や子供を脅迫の材料に使い! その後も拷問し! 甚振り! 笑いながら惨殺したお前を!」
サトルの眉がピクリと跳ねた。確かにあの男を殺したのはサトルだ。だが、彼女の言っている話には明らかな食い違いがある。
「……貴様が何を勘違いしているかは知らないが、主様をそれ以上愚弄するなら私が許しませんよ。そもそもあの男は――」
「待てヘラドンナ! 様子がおかしい!」
「ウ、ガアアァアアァァア! 殺す! お前を殺す! 絶対に殺す! 許せない、許セナイ! 殺ス! 殺ス! 殺ス! 殺ス! 殺ス! 殺ス! 殺ス! 殺スーーーーーーッ!」
サトルがヘラドンナを制した直後であった。目の前の騎士の様子が更に変化し、狂気に満ちた様相はまるで般若のようであり、その双眸は赤に支配されていた。
『――ふむ、どうやら何かしらの精神支配を受けているようだな。【バーサク】に近い状態とも言えるだろう。ただ、ステータスは相当上昇しているとみて間違いなさそうであるな』
「……バーサク」
一体誰が? など聞くまでもなかった。サトルはこれを行ったのがアケチであることに確信を抱いていた。
そう、何を考えてかは判らないが、あの男はこの女に夫である黒騎士が殺された時の状況をより残酷に思える形で伝え、そして復讐する機会を与えた。その上で、何らかの形でこの女にバーサクという状態にして――
「……復讐か、皮肉なものだな。だけど――」
狂人化した黒騎士の攻撃がサトルへと飛来する。狂人化した副作用か、いささか精度には欠ける。
だが、威力に関しては痛烈だ。その刃が振られる度に、地面にはまるで隕石が落ちたかの如くクレーターが出来上がっていく。
しかし――サトルはまともに剣戟には付き合わず、背中の翼を利用し高速で距離を取った。
「この期に及んでェエェエェエエ! 逃げ回るのか貴様はァアァアアァアアア!! ムグゥ?」
声も一段階低くなった感もある黒騎士であったが、その途端彼女の身体を頑丈な蔦が縛めた。
「――ヘラドンナか」
「主様になんということを! それ以上の無礼はこの私が許しませんよ!」
黒騎士を挟んだ向こう側に魔法を行使するヘラドンナの姿があった。黒騎士を縛めた蔦はグイグイとその身を締め付けていく。
だが、今の彼女がそれだけで倒せる相手ではないと本能でサトルは感じ取った。
故に――
「いでよ、悪魔の書第三位【アスモダイ】――」
ヘラドンナの作ってくれた隙を利用し、序列三位の大悪魔を召喚する。
悪魔の書が激しく捲れ、サトルの目の前に青白い魔法陣が展開された。
「お呼びいただきありがたき幸せ、主よ――」
そして姿を見せたのは黄金の全身鎧に身を包まれた荘厳たる悪魔。口を顎を覆うような総々の赤髭が特徴的で、その瞳も赤い。
体格も立派であり、巨木の幹を思わせる逞しい豪腕には、二又の大剣が握られていた。
そんな豪胆な雰囲気を纏った悪魔が、自分より遥かに小さなサトルを目の前にし跪く。そう、どれほど巨大な力を持つ悪魔であっても、あくまで主はサトル、そこには絶対的な主従関係が成り立っている。
「グァアアァアアァ!」
「な!? 私の縛めが――」
すると、黒騎士の叫び声と、ヘラドンナのどこか焦った声音が耳に届いた。
急がないとな、とサトルは呟き。
「アスモダイ、早速で悪いが、そこの閉じた壁を破壊できるか?」
サトルは、アケチの施した仕掛けにより防がれた壁を指差し召喚したばかりの悪魔に尋ねる。
すると赤髭の悪魔は、お安い御用です、と口にし、立ち上がると同時に手にした剣で空間をひと撫でした。
それはなんてこともないような行為であった。まさに遊戯のごとく軽い振り。
にも関わらず、衝撃が壁に直撃し、あっという間に粉々にしてしまった。
そのときには既に黒騎士も蔦を引き裂き、縛めから解かれてもいたが、しかし狂人化して半分正気を失っているような彼女も思わず呆けてしまうような所為。
「いくぞヘラドンナ!」
「あ、はい主様!」
かと思えばサトルが声を上げ、壁に出来上がった大きな口目掛け駆け込んでゆく。その後にヘラドンナも続くが。
「は、ま、待て貴様! 逃げるつもりかァアアァアアァアアァアア!」
絶叫にも似た響きがこだまする。だが、サトルは構うことなく疾駆しつつ。
「アスモダイ! その黒騎士はお前に任せる! せめて完全に狂う前に、引導を渡してやってくれ!」
「御意――」
サトルが声を上げ、すると必死に追ってこようとした黒騎士の行く手を即座に赤髭の悪魔が塞いだ。
「ぐっ、どけ! どけェエェエエエェエエ!」
「残念だがそうは行かぬ、主様のご命令故な」
狂ったような声がサトルの背中に突き刺さる。だが、サトルは決してその足を止めようとしなかった。
『ふむ、随分と残酷な真似をするではないか。お主ならよく判るであろう? 復讐者が復讐できぬその苦しみを』
「……ああ、勿論さ。軽蔑してくれてもいいぜ。俺は結局自分の手を汚さず他の手に委ねたのだからな。だが、それでも今は俺は、俺の復讐を成し遂げることの方が大事なのさ、例え卑怯と罵られようがな!」
『卑怯? 軽蔑? 馬鹿を言うでない。我は感心しているのだぞ? 情に絆され小事に感け大事を逃すようでは話しにならぬ。むしろそれでこそ真の復讐者よ』
頭のなかに響き渡る悪魔の書の声に、真の復讐者か、と自嘲めいた笑みを浮かべる。
「主様――」
すると横に並んだヘラドンナがどこか心配そうな顔を見せる。だが、すぐにサトルは真剣な表情に切り替える。
「大丈夫だ、それにもうすぐだ、もうすぐなんだ、あいつら、俺のメインデッシュが、今まさに目の前に迫っているのだからな――だからヘラドンナ、案内を頼む」
「――はい、主様」
コクリと頷きヘラドンナとサトルが前方を見やり、駆ける足を速めた。そう、もうすぐだ、もうすぐなのだ。
サトルの両親を自殺に追いやり、最愛の妹も蹂躙し殺害し、その上サトルに全ての罪をなすりつけた、最も忌むべき相手、陸と海、そして――舞と明智。断罪すべき、復讐すべき相手は、もう目の前まで迫っている。




