第二五一話 周囲に潜むもの
「……でも、ナガレが凄いのは確か。隷属の術式は首輪によって違う、解除はそう簡単ではない」
「ふむ、ですがそのあたりは私のは魔法ではありませんから、その分有利に働いたのかもしれないですね」
それが謙遜でしかないのはビッチェにはすぐに理解出来る。むしろ魔法以外の技術で魔法を解くことのほうが普通に考えれば至難なのだ。不可能と言っても良い。だが、ナガレはそれをあっさり看破してしまう。
「ところでビッチェ、首輪について、貴方も気になることがあるのでは?」
そしてこの察しの良さである。ビッチェはこれまで、異性に対して心の底から好意を抱いたことなどまるでなかった。これだけの美貌とプロポーションの持ち主だ。当然男からの誘いなどひっきりなしであったし、それなりの付き合いもあったが彼女の心を射止めるような相手とは巡り会えなかった。
だが、ナガレに出会って初めてその感情を覚えた。ビッチェにとってナガレはそれほどまでに値する相手だ。性格も勿論だが、ビッチェですら見抜けないほどの力。底の見えない彼の潜在能力はSランクであり特級という特殊な位についているビッチェですら手玉にとられる。思考の全てが見抜かれているような、そんな気さえ起こさせる。
それでいて、どこかミステリアスな空気も滲ませるナガレという男に惹かれてしまうのである。
とはいえ――ナガレの言うようにビッチェには気になっている点があった。それは、もしかしたらこれから帝国を調査する上で重要なことなのかもしれない。
だから――自分の役目を先ずは第一に、ビッチェはふたりに向けて質問を行った。
「……ずっと気になってた。なぜ、貴方達はここに奴隷を解放できる相手が来ると判断したのか? 行動を見るに手当たり次第という風にも見えなかった。最初から解除出来る相手がいると想定しているようだった。そこが疑問」
これに関しては当然の疑問とも言えるだろう。勿論杖を持ってるピーチを魔法使いと勘違いしたという考えも捨てきれないが、だとしても獣人達の行動はまるでナガレ達が来る前から、奴隷解除ができる相手がやってくるとわかっているようであった。
勿論、結果的に確かにナガレであればそれも可能ではあったのだが――
そして、ビッチェの疑問に対して、ふたりは戸惑いの表情を浮かべ、そして怪訝そうに顔を見合わせた。
「……何かいいたくない事情が、ある?」
更にビッチェが問い詰めるように言う。確かに即答もなく、どこか逡巡としているような雰囲気も感じられるため、何か特別な理由でもあるのかと勘ぐる気持ちも判るが。
「いや、そういうわけじゃないんだけど、でも、信じてもらえるかなって……」
しかしイエイヌは単純にそのことに不安を覚えているだけのようであった。
「大丈夫ですよ。ビッチェはどんなことでも真剣に耳を傾けてくれますから」
「そうそう、ただのエッチそうなお姉さんってわけじゃないのよ」
「……ピーチ、何気に失礼。私のこと何だと思っている?」
「ただの露出狂」
「魅惑の胸とお尻をもったエッチな美女だね~」
「……そこのふたりは後で切り落とす」
『何を!?』
背中に装着された剣の柄に手をかけ、睨めつけてくるビッチェに驚愕するフレムとカイルである。
「大丈夫ですよ、切られた後、仕方がないので回復してあげます」
「切られる前提なの!?」
「せめて切られる前に治せよ!」
「フレム、切られる前には治せませんよ」
冷静に突っ込むナガレである。とりあえず切られる事は否定しないようだ。
「――それはそうとして、ビッチェも私達も、話を聞いて無下に否定したり、信用しなかったりということはありませんよ。安心して下さい」
柔和な笑みを浮かべるナガレに、ふたりも決心がついたようで話し出す。
「それが――声が聞こえたんだ」
「……声?」
「あ、はい、そうですにゃ。私たちはここから東に少しいった先にある丘の麓の森に身を潜めていたにゃ。そこで、ある日突然声が聞こえてきたにゃ」
イエイヌとシャムは、ナガレ達の様子を窺いながら話を続ける。一行の反応も気にしているようだが、全員真剣に耳を傾けており、馬鹿にしたり訝しむような態度を取るものは当然一人もいない。
「その声の主が言うんだ。もう少ししたら隷属化の魔法を解ける使い手を含んだ者たちが町にやってくるって。だから自由を求めるならそれを狙えって――」
そこまで聞いて、ビッチェは若干怪訝そうな空気を滲ませたが、それは彼らを信じてないというものではなく、その声の主に対してのものなのだろう。
「その声を信じて、俺達を襲ったってことか。でも、なんでそれを信じたんだ?」
「そ、そうね。その主が必ずしも貴方達の味方とは限らないでしょう?」
「それは匂いが全くしなかったにゃ」
「……匂い?」
ビッチェの細く整った眉が片側に落ちる。やはり声に関しては色々疑問に思うところが多いようだが。
「そう、俺たち獣人は鼻も耳もいいから、もしそれが帝国の人間の匂いならすぐに判る。でも、そんな匂いもしなかったし、近づいてくる音さえなかったんだ。だから、これはきっと神の啓示なんだって、そう思って――」
頬を掻きつつ、イエイヌが答えた。確かに、ナガレに見せたような帝国への憎悪を考えれば、獣人以外の人間がそんな話を持ちかけてきたとしても信じるような真似はしないだろう。
だが、正体不明の声であれば、それが自分たちの利になることであれば、奴隷という状態を何とかして解きたいと考えている彼らであれば、奇跡のようなものに縋りたくなり気持ちも判らなくもない。
「匂いは全くしなかったのですか?」
「ああ、ここにいる全員その場にいたんだけど、わかったのはあの場所でいつも嗅いでいる木や草、花や動物、それに水の匂いだな。それぐらいだったよ」
「……水?」
「あ、はい、森に小さいけど泉が一つあるんですにゃ。普段は水浴びのために使ってるのだけど、その水の匂いにゃ」
なるほど、とナガレとビッチェが顎を引いた。このあたりは話を聞く限り、森に普通に存在する物の匂いのようでもある。
そして、それ以外は全く感じることができなかったようだ。
「あ、でも結果的に声は正しかったことになるにゃ?」
「あ、あぁ、確かに首輪を外してもらえるならな」
ふむ、とナガレが顎に指を添える。確かにその声からの情報はある意味正しかったとも言える。
しかし、その声が本当に彼らの味方だったのかとなると、それはまた別の話であるが。
「……とりあえず声に関しては理解した」
「し、信じてくれるにゃ?」
「……ふたりが嘘をつく理由がない、それに嘘をついているようにも見えない」
ビッチェの言葉にホッとなるふたりである。
「さて、これでビッチェの疑問も一つ解けました。声の件が気になるところでしょうが」
「……うん、大丈夫。ナガレが何か聞くことがあるなら」
「はい、とはいってもこれは私だけではなく、全員が気にしているところだとは思いますが――」
そこまで言った後、一拍置き――ナガレは言葉を続ける。
「一体この町で何が起きたのか、そして皆さんがこの町でどのような暮らしを送ってきたのか――それを聞かせて頂きたいです」
ナガレの質問にイエイヌとシャムは素直に答えてくれた。ただ、それはあまりに凄惨な内容であり、話を聞き終えた後は、一行はすっかり言葉をなくしてしまっていた。
カイルも同胞が受けていたあまりに酷い仕打ちを知り、流石に表情も重い。
「――そうですか、話は判りました。それにしても、随分とつらい目にあわれてきたようですね」
相手を労るような表情でナガレが述べる。彼らがこれまで味わい続けてきた痛みも、苦痛も、筆舌に尽くしがたいものであったことは間違いがない。
「……先生、俺は最初、町をこんな目に合わせた奴は帝国とは言え絶対許せないって、そう思ってたんですが――今の話を聞いたらとても同情出来ませんよ。むしろくたばって当然、それぐらい当然の報いだ! と、さえ思う……」
フレムが語る。彼はカイルと行動をともにしている期間も長い。それ故に獣人に対して同調する部分も大きいのだろう。
尤もその意見に関して、他の面々だって何も言えずにいる。獣人達の話でこの地が悪魔のような姿をした怪物に襲われ壊滅し、町で暮らす人々も獣人を残し全て惨殺されたことも知った。
だが、生き残った彼らの話を聞いてしまえば、一体どっちが悪魔かもわからない状況だ。
「フレムのその感情を否定できる者はいないでしょう。そして、確かにこの町の人間の所為は愚かであり、同時にこの帝国の闇というものも見えてきますね」
ナガレの発言にビッチェが深く頷いた。
「……この町の人間は自業自得。同情の余地なし。だけど、連れ去られた黒髪の連中と悪魔の事は気になる。町のこの状況は全てその悪魔が?」
ビッチェの問いかけに、イエイヌが、あぁ、と返し。
「黒髪の男女は向こうの山の方へ連れて行かれたにゃん。だけど、なぜ黒髪の連中だけが連れて行かれたかはわからないにゃん――」
そういったシャムの表情は暗い。話を聞く分には、黒髪の連中というのが帝国が密かに召喚した地球人であることに間違いなさそうだ。
ただ、その男女も町の人間と同じく、いや、それ以上とも言えるほどの酷い仕打ちを彼らに繰り返してきた。
このシャムは、悪魔がやってくる直前までその内の一人に狩りと称され弄ばれていたようであり、その時のことを想起し表情に出てしまっているのだろう。
「……俺も、出来れば連中を切り刻んでやりたかったよ」
すると、イエイヌの感情が、怨嗟の気持ちが表に出る。その声には怒りと怨嗟が滲んでいた。
「あの悪魔、正直俺たちには天使に見えた、おかげで町の連中は排除されて、あの黒髪の連中も戻ってこない。だから、それには感謝している。でも、あの悪魔が結局全てやってしまったのは――」
「それはつまり、自分たちが手を出すことが出来ないのが、悔しいということですか?」
ナガレの質問に全員が押し黙る。だが、それは認めているのとほぼ一緒である。
ただ、別にナガレはそれを責めようと思っているわけではない。
「この町で受けた仕打ちを考えれば、その気持ちも判らなくもありません。そして、だからこそこの町を襲った悪魔は、その力で全てを滅したのかもしれませんね」
ナガレの発言にイエイヌはキョトンとした顔を見せた。そしてシャムも怪訝な顔を見せ。
「ど、どういうことにゃ?」
「……私にはその悪魔から、そういうこと、つまり、汚れ仕事は自分たちに任せておけばいいと、そういった思いが感じられたのですよ。あくまで話を聞いた限りですが」
「……それは、悪魔に感情があったということ?」
ナガレの考えを耳にし、ビッチェが疑問の声を投げかける。
「そうですね、あくまで私の考えではありますが。それに、その悪魔には何かの感情に引っ張られているような、そんな気もします。尤も、今も言ったようにあくまで私の考えですよ」
ナガレの話に、獣人達の間に沈黙が訪れた。その顔はどこか神妙でもある。
「でも、良かったよ~本当に」
しかし、そんな雰囲気を払拭するようなカイルの声が響く。それにローザが目を丸くさせて問いかけた。
「え? 良かったって、カイルどうして?」
「だって、だってナガレっちの言うとおりなら、君たちの手はまだ汚れていない。確かに辛かったかもしれないけど、でも、こんな町の人間の為に、その手を汚す事なんてないんだ、絶対に――」
そして、継いで出てきたカイルの言葉はいつになく真剣で、その声音はどこか安堵しているようでもあり――そして何かを重ねるように、そして諭すように、同胞たちに向けられた。
「カイル、そうですね、うん、そうです。だから、皆さんはこれからのことを考えていかないと」
「うん、そうだね。ローザの言うとおりよ! 皆にはこれからがあるんだもの! でも、その為にも――」
ピーチがナガレに目で訴える。その意味はナガレには当然理解した。
「そうですね、その為にも先ずはその首輪を外してしまう必要があるでしょう」
「え? それじゃあ……」
「はい、聞きたい話も聞けましたし、準備も整いました。ですので、これから皆さんの首輪を外します」
ナガレの発言に、その場の獣人達の顔が瞬時に綻んだ。やはり、首輪が外れ奴隷から解放されるのは嬉しいのだろう。
「あ、でもごめんなさい。大事なことを忘れてました。実は――」
「他にも待たせている仲間がいらっしゃるのですよね?」
ナガレの返しに、イエイヌもシャムも驚嘆する。
「ど、どうしてわかったにゃ?」
「話を聞いていてなんとなくですが、この場にいるのが全員ではないなと。それに、最初は私達を捕らえるつもりでいたのでしょうから、ここにいる皆さんはある程度戦える方だけで、それ以外の仲間は、別の場所、つまり先程言われていた東の森で待機しているのではと、そう考えたのです」
ナガレの説明にキョトンとなる獣人たちである。ただ、実際は当然他にも気配を察したりなど色々な要素が関係しているのだが。
「あ、そ、それじゃあこれから森に――」
「いえ、先ずは皆さんの首輪を外させてください。ただ、その際に一つお願いごとがあります」
「え? お願い? あ、勿論! これだけのことをして貰うのだから、出来る限りは――」
「お願いといっても無茶なことを言うつもりはありませんよ。むしろ皆さんにとっても重要なことです」
どこか真剣味の感じられる雰囲気を醸し出しながら、ナガレが言う。
すると、イエイヌもシャムも途端に真面目な顔を見せた。
「そ、それでお願いって何にゃ?」
「はい、私はこれから皆さんの首輪を外します。これには時間は取らせません。一気に全ての首輪を外します」
「い、一気にって、何気に凄いこと言ってるわね……」
「何言ってるんだよ先輩。先生なら当然のことさ!」
フレムは自信満々に言っているが、魔法に疎いフレムはその凄さを完全には理解していないことだろう。
「そこでここからが大事なのですが、首輪を外してすぐに、ちょっとした事件が起こります」
「へ、じ、事件?」
「な、なんか不穏な空気を感じるよナガレっち~」
「い、一体何が起こるのでしょうか……」
カイルが軽い口調ではあるが不安を口にし、ローザも表情を強張らせた。
「ただ、皆様には何が起きても大人しく見守っていて欲しいのです。そして、これは皆にもお願いしたいことです」
ナガレは先ず獣人達にそれをお願いした後、フレムやカイルにローザ、ピーチとそしてビッチェに向けても願い出た。
それに一瞬目をパチクリさせる一同であるが。
「わ、判ったわ! ナガレがそう言うなら、何があっても、あ、でもフレム大丈夫?」
「当然! 俺が先生の言いつけを守らないわけ無いだろ!」
「……どうも心配。でも、了解」
「私は勿論、何が起こるのか気になりますが……」
「おいらもだよ~でもナガレっちの事は信頼してるからね!」
全員の意見が一致したところで、ナガレも一つ頷き、そして一旦周囲に視線をやった後、右手を掲げた。
「では、いきますよ」
獣人達の間に緊張が走り、固唾を飲み込んで見守れる中、カチッ――と、それは拍子抜けするほどあっさりと彼らの首から外れ地面に落下した。
その光景に、一瞬沈黙が訪れるが――すぐに獣人達の歓喜の声が広がった。
互いに抱きしめ合う獣人達。そう、これで確かに、彼らは奴隷から解放されたわけだが――
『そこまでだ! 大人しくしろ!』
喜びも束の間――突如周囲の建物の影から姿を見せた騎士然とした集団が、獣人を含めた全員を取り囲み、そう言いのけたのだ。
そしてその騎士たちの胸には、一様に帝国の紋章が刻まれていた――




