第二五〇話 外せる? 外せない?
一通り獣人流の確認が終わった時、ピーチとローザの顔は紅かった。
何故なら結果的に匂いを嗅ぐという所為は他のメンバーにも飛び火し、ピーチやローザにまで及んだからである。そのことが結構恥ずかしかったのだろう。周囲に獣人が集まってきてクンカクンカされるのだ、その気持も仕方ないといえるかもだが。
ただ、どういうわけか、フレムに関しては怖がって誰も近づこうとしなかったが――しかしそれも仕方がないか。
何せフレムときたら、ナガレの匂いを嗅いでいる獣人を終始睨みっぱなしだったのだ。
なんなら時折、俺だって――とぶつぶつ呟いている様子でもあった。これはいろんな意味で怖い。
ちなみにそれぞれの匂いの評価は、ナガレは安心できて頼りがいの感じられる落ち着いた匂い、ビッチェは――嗅いだ途端倒れてしまった獣人達の様子をみれば言うまでもないだろう。
そしてローザに関しては優しい母性の感じられる匂いであり、ピーチは桃である。
ちなみにカイルに関しては同胞ということもあり、敢えて嗅がれることもなかった。
「うぅ、酷いよビッチェちゃん――」
だが、どさくさに紛れてビッチェの匂いを嗅ごうとしていた為、当然急所を蹴り上げられた上にぶっ飛ばされたカイルでもある。
だけど、そのことについて文句を言う獣人はすでに一人もいなかった。どうやら匂いを嗅がれた結果かなり打ち解けてくれたようである。
「皆も納得してくれたにゃ。もう、イエイヌも認めるしかないにゃん。なのになに拗ねてるにゃん?」
皆の輪から離れ、背を向けて黙りこくるイエイヌを覗き込むようにしてシャムが問いかけた。
「う、うるせぇよ! わ、わ~った、わかったよもう!」
すると、両腕を振り上げてバタバタさせながらイエイヌが怒鳴った。
彼の顔は妙に紅い。ただ、これは怒ってるというか照れから来てるようであり。
「う~ん、あれってやっぱりそういう事なのかな?」
「あはは、シャムちゃんは可愛いからね~仕方ないね~」
「は? 何がそういうことなんだ?」
「フレムは本当ににぶいですね」
素直になれないイエイヌの様子を微笑ましく感じている一行である。ただフレムは相変わらずで、ローザにそう言われてもまったく理解してない。
「と、とにかくシャムもこういってるし、皆もこんな感じだしな。そ、それに確かに貴方達からは悪い匂いはしなかった。だから、認めるよ、帝国とは関係のない人達で、王国から来ている冒険者で俺たちに危害を加えるつもりもないんだって。そして、これまでのことは本当にごめんなさい」
「私もあやまるにゃ、ごめんなさいにゃん。だからイエイヌのことも皆のことも許して欲しいにゃん」
すっかり素直になったイエイヌが先ず謝罪し、続いてシャムが頭を下げた。
すると追従するように他の獣人達も頭を下げて謝罪の言葉を述べてくる。
武器も収めていることから、すでに敵意がないことも明らかだ。
「ふむ、私としては最初から話し合いを求めておりますし、許すも何もありませんが、さて、どうしましょうか?」
すると、ナガレは彼らとどう対応し向き合うべきか、ピーチへと問いかけた。
それに、え? え? と目を白黒させる彼女だが、あくまでリーダーはピーチであり、故にナガレはピーチの判断を仰いでいる。
「も、勿論許すわ!」
するとピーチが前に出て堂々と述べる。その上で、それに、と言葉を紡ぎ。
「私達も色々と聞きたいことがあるのも事実だしね。だから、ここからはお互い対等にいきましょう。だから、もう許すも何もなしよ。ここからがスタートね!」
ピーチの宣言に、獣人達もホッとした表情を見せ、他のメンバーも異を唱えるものはいなかった。
尤もフレムはピーチに同調したというよりは、先生が言われるなら当然! とナガレの考えに従った形でもあるが。
「あ~でもそうなると最初の三つの要求もなしってことでいいのか?」
そして改めて獣人達と話をしようという場面になったわけだが、そこでフレムが頭に浮かんだのであろう疑問をそのまま投げかける。
しかし、イエイヌはそれに関しては難しい表情を見せ、同時に思い詰めたような顔をも見せた。
「あんなことをしておいて、こんなこと頼める義理じゃないんだろうけど、で、でも一つだけ、この奴隷の首輪を外してもらうという話だけは、どうか聞いてもらえないかな?」
そして意を決するように懇願してきた。改めて頭を下げるイエイヌでもある。
「わ、私からもお願いにゃ……この首輪のせいで、私達はここから離れることが出来ないのにゃ」
更にシャムも悲しそうな目で訴えてきた。他の獣人達も奴隷の首輪の話になると表情が暗い。
「でもよ、その首輪があっても町がこんな状態なら、別に気にしないで出ていけば良かったんじゃないのか?」
「……相変わらず考えが足りない。それができるならとっくにしてる」
「は? な、なんだよ相変わらずって!」
ビッチェが呆れたように言うが、フレムは納得がいってないようだ。
「フレム、この首輪にはおそらくですが、この町を中心に一定以上の距離が離れられないような命令が施されているのでしょう。そのような形であれば、例え町に命令するものがいなくても、効果は残り続けますから」
「な、なるほど。先生はやはり凄いです。この俺にはとても考えが及ばないこともすぐに理解してしまう。その素晴らしい頭脳に感服です!」
「いや、今のは別にナガレじゃなくても察せそうなんだけど……」
半眼でやれやれと言わんばかりに突っ込むピーチであり、ローザも思わず溜め息だ。
「でも、確かにそのとおりにゃ。この首輪に掛けられたその命令のせいで、私たちはここから離れることが出来ないでいるにゃん」
シャムが肩を落とす。ただ唯一の救いだったのは、このような状況でも飢えを凌ぐ程度には町に食料や水が残っていたことだ。
更に彼らが身につけている装備品や衣服も瓦礫の中から見つけだして利用していたようであり、中々に逞しく過ごしていたようである。
「……話は判った。でも、その願いを叶えるのは難しい」
「え? な、なんでだよ!」
「にゃ、な、何か私達でできることがあればするにゃ! だからお願いにゃ!」
どうにも完全に立場が逆転しているような物言いだが、それに対しビッチェはハッキリと真実を突きつける。
「……お願いしてどうにかなる話ではない。そもそもこの中に奴隷を解除できる魔法を使える者がいないのだから」
『――ッ!?』
シャムとイエイヌが驚愕し、喉を堰き止められたかのような声にならない声を発した。
「そ、そんな馬鹿な! いや、だって、そっちの姉ちゃんは杖を持ってるだろ? だ、だったら魔法だって――」
「……それは無理。ピーチはあの杖で殴るだけで魔法は使えない」
「し、失礼ね! 使えるわよ! ……ちょ、ちょっとは――」
反論しつつもすぐにしゅんと両サイドの髪を垂れさせ、うなだれるピーチでもあり。
「で、でも私、首輪を外す魔法は使えないの、ごめんね……」
だけど、ピーチが申し訳なさそうに告げる。
その回答に――絶望する。重石がのったかのようにズーンっとふたりの肩が落ちた。
それは周囲で聞いていた他の獣人たちにしても似たようなものであり、悲痛さが顔相に滲み出ていた。
その様子に、ピーチも、ローザもカイルに、そしてフレムですら物憂げであった。特にピーチは申し訳なさそうである。
この状況で、ビッチェの答えは獣人達にとって非常に酷だったことだろう。だが、ここで嘘をいったところで後がより辛いだけだ。それを彼女はよく理解していたのだろうが――
「いえビッチェ、それに関しては問題ありませんよ。私ならこの首輪を外せます」
しかし、ナガレの口から出た言葉が、その状況を一変させた。ビッチェも一瞬目をパチクリさせ、ピーチの表情が明るくなり、フレムは先生! と喜色満面にし、ローザは神に祈るように両手を合わせ、カイルは、ナガレっちが言うなら間違いないよ! と他の獣人に向けて声を張り上げた。
そしてこの信頼たるナガレの言葉に、周囲の獣人の少年少女もお互い顔を見合わせ、抱き合い、喜びを噛み締めていた。
「ほ、本当に、本当にあんた、あ、いや、貴方がこの首輪を?」
すると怪訝そうにイエイヌが尋ねる。自分から頼んでおいて何をとも思えるが、ただ、ナガレは一見すればとても魔法の使い手には見えない。
何せ道着と袴といった出で立ちだ。当然杖も持っていない。
しかも思わず忘れがちだが、言葉遣いはともかく、彼の見た目は一五歳、まだ少年といえる年齢であり、獣人達とそう変わらない様相でもある。
だから、そんな彼が首輪を外せるなどとは思いもしなかったのであろう。
「はい、すでに首輪に掛けられた術式も理解できてます。確かに貴方が今思っているように、私は魔法は使えません。ですが、そのかわりに別の力で外せますから問題ありませんよ」
「よ、良かったにゃ! これで、これで皆助かるかもにゃ!」
「あ、ああ! そうだな。そ、それじゃあ早速――」
「ですが、外す前に少しお話をお伺いしても宜しいでしょうか? それにそれを外す力を溜めるのに多少時間がかかりますので、その間に出来れば――」
ナガレの話に、イエイヌとシャムが一瞬顔を見合わせるも、そんなことで良いならなんでも話します、と納得してくれた。
「でも先生でも力を溜めないといけないなんて、随分と厄介な代物なんだなあの首輪は」
「そ、そうね。ナガレならすぐにできそうなイメージもあるけど」
「ですが、首輪を外せるのは純粋に凄いと思います」
「そうだね~正直おいらも同胞が辛い目にあってるのは見てられなかったから嬉しいよ」
四人が口々にそう評す。だが、ビッチェだけはナガレを見据えて、そして、ふっと微笑を浮かべた。
どうやらビッチェだけは気がついたようである。ナガレであれば時間など掛けなくても今すぐにでも獣人達の首輪が外せるということに。
だけど、敢えてそれをせず先ず話を聞く方向に持っていった。
その理由は、きっとナガレも気がついているであろう、周囲の別の気配にあるのだろうと、そうビッチェは判断したようである。




