第二四九話 王国の証明
「デタラメ言うな!」
イエイヌがまさに狼のごとく声音で吠える。どうやら王国から来ているということを素直に受け入れてはくれない様子だ。
「デタラメって、何でよ? 別におかしくないでしょ王国から来た人がいたって」
すると、ピーチが不満げに眉を落とし言葉を返す。
「で、でもどうやってにゃ? 帝国内で他国の人間だけが彷徨いているなんて初めてみたにゃ」
だが、これに関してはシャムも得心がいかないとった表情を見せている。
「あ、そっか、帝国だと普通他国の人がウロウロしているなんてありえないのか……」
「……そう、だから来る途中も無用なトラブルを避ける為に野宿で過ごした。無論ラブのつくトラブルなら大歓迎だったけど」
「え? え~とそれは?」
ローザがキョトンとした顔で疑問符を頭に浮かべた。純情な彼女にはビッチェの言っている意味を知り得るはずもないのである。
そして、残念ながらナガレ相手ではなかなかそのようなハプニングは起きないものだ。
「だからシャム、こんな連中の言うこと信じるなよ。どうせ口からでまかせ言ってるに決まっている」
「でも、あのカイルって人が奴隷でないなら、嘘とも決めつけられないにゃ」
「そ、そんなのあいつが俺たち獣人を裏切っているだけかもしれないだろ!」
「え? おいらが?」
「そうだよ! そうだ、きっとそうだよ。お前、さては帝国に尻尾を振って自分を売ったな! この裏切り者め!」
「その言葉は頂けませんね」
カイル疑いを向け、怒鳴り散らすイエイヌ。だが、これに関しては言下にナガレが口を挟んだ。
「は? 何だよ。大体要求しているのはこっちなんだぞ! なのに偉そうに!」
「それならば、先ず自分の目で確認しては? 周囲のお仲間にどういう目で見られているかを」
「は? 何を言って――」
だが、ナガレが言うように獣人達を見回し、彼は喉をつまらせる。獣人達の目が疑念にかられていたり、冷めたような瞳を向けているものもいる。
「な、なんだよ。なんでそんな目で見るんだよ?」
それに戸惑い、不安をその顔に滲ませ全員に問うた。今までの強気な態度から一変して、どこか焦りのようなものも感じられる。
「それは当然でしょう――」
しかし、その問いに答えたのはナガレだ。そのことにぎょっとした顔を向けるイエイヌ。何故お前がといった怪訝さがその表情にあらわれていた。
「……貴方はカイルを同胞の仲間として見ていて、だからこそ助けたい一心でカイルの解放を要求の一つとしたのでしょう。しかし、思うように話が進まないと感じた途端、掌を返したようにカイルを裏切り者と決めつけそしった。そのようなリーダーに、信じて付いていきたいと思うものがどれほどいるか――」
だが、ナガレの話を耳にすると、狼の耳が萎れ、俯き、うぅ、と苦悶の声を漏らす。
「リーダーを任されているなら、感情論だけではなく冷静に物事を判断する力も必要ですよ」
諭すようにナガレが言う。どうにも立場が逆転してきている気もしないでもないが、しかしこれにはシャムも同調を示した。
「そうにゃ、イエイヌは気が短すぎにゃ」
「う、確かにシャムの言うとおりかもしれないな――」
そう言って頭を垂れるイエイヌだ。こうしてみると意外と素直なところがあるものである。
いや、もしかしたらもともとは素直な良識ある子であったのかも知れない。
しかし帝国内での劣悪な環境に晒され続けたことで、人間を信じられなくなり捻くれさも感じられる性格になってしまったのだろう。
「カイルも、悪かったよ、裏切り者だなんて決めつけて」
「いやいや、おいらはそんな気にしてないよ~判ってくれたならそれでいいし」
「それにしても随分と素直になりやがったな」
「もともと悪い子じゃないのよきっと」
カイルに謝罪するイエイヌを認めながら、フレムが意外そうに、ピーチは見直したように言った。
「あんたも、なんか悪かったな」
「いえ、私も口幅ったいことを言ってしまいました」
「いや、俺も、て! そうだよ! なんで俺お前にまで謝ってんだよ!」
妙に殊勝な態度を見せるイエイヌの影響で、若干和んできたような、そんな空気も感じられたが、しかし残念ながらイエイヌが思い出したようにそれを否定した。
「にゃ? まだ何かあるにゃ?」
「何かじゃねぇよ! お前も簡単に絆されてんじゃねぇよ! 確かにカイルのことはこっちも悪かったけど、それとこれは話しは別だろ! 確かにこいつらの事は嘘だとも言い切れないけど、だとしたって本当だって証拠だってないんだからよ!」
年の功と言うべきか、それとも彼の若さゆえか、どちらにしてもナガレの発する穏やかな雰囲気の呑まれ、懐柔しかけていたイエイヌである。
だが、ふと何かに気がついたかのように声を張り上げ反論した。だが、これに関しては言えば周りの獣人達も確かにといった顔を見せていた。
ナガレに言われた通り、冷静に物事を見極めるという考えでいくなら、イエイヌの言っている事も尤もであろう。
確かに口でだけならばどうとでも言えるからだ。王国の人間であると信用してもらう為には、何か形で証明できるものが必要となるだろう。
「う~ん、あ! それならタグを見せたらどうかな?」
するとカイルが思いついたように口を開き、そして腕に付けているタグを掲げてみせるが。
「……あまり意味ない。それは冒険者の証明になるだけ」
しかしビッチェがそれを否定した。確かにタグは冒険者であることやランクや級を証明するためにあるものだが、どこの国や街で登録したかはギルドにある魔導具を通さないとわからない。
「駄目かぁ……」
「チッ、それにしても疑り深い奴らだな」
「う~ん、でもこれじゃあ話も最初に戻ってしまったような――」
「いえ、大丈夫ですよ。その事はわりと簡単に証明出来ます」
がっくりと肩を落とすピーチであったが、すぐにナガレが何か考えがあることを示す。
するとピーチの顔がぱぁぁっと明るくなった。
「証明? 一体どうする気なんだ?」
「そうですね、よろしければそこの彼に協力して頂いても宜しいですか?」
「え? おら?」
ナガレが目を向けた先で佇んでいた少年が目をパチクリさせた。
牛耳の大柄な少年で、丸みのある気の優しそうな顔立ちをしている。
「ムッカに何をさせる気なんだよ?」
すると、イエイヌが怪訝な顔でナガレに問うた。仲間に危害を加えるつもりなら許せない、といった雰囲気も感じるが、しかし最初に比べるとこれでも口調は随分と柔らかになってきている。
「はい、おそらくですが彼は装備品の知識が豊富そうに思えたのですが、いかがでしょう?」
「うん、おら、そういうの好きだから、この町に連れてこられる前の知識だども、皆の中じゃ一番詳しいと思うど」
ムッカと呼ばれていた少年は、そういって鼻を指でこすり少しだけ得意げだ。
「そうですか、それは助かります。では、ピーチは杖を、フレムはその双剣を彼に渡してもらえませんか?」
「え、杖ってこれ? ま、まあナガレがそう言うなら」
「勿論先生がそう言われるなら喜んで!」
ピーチとフレムが素直に少年へ杖と双剣を手渡した。
それを見ていたイエイヌはやはり疑問顔だ。そしてシャムに関しては驚いたような表情を見せている。
「こんなことで何が証明できるってんだ?」
ムッカは受け取った杖と双剣をしげしげと観察していた。
その様子に思わず疑問の言葉が出て来るイエイヌだが。
「重要なのは杖と双剣であることよりも、どこで作られたかといったところですね。ムッカにはそれを見てもらいたいのです」
「……なるほど、流石ナガレ」
「え? ビッチェ、これの意味判ったの?」
ナガレの発言に一人頷くビッチェ。するとピーチを目を丸くさせた。
フレムも、流石先生だ! と言ってはいるが、腕を組んで小首を傾げているあたり、意味は判っていないのだろう。
「わかったど、確かにこの杖も双剣も帝国のものではないど。おらの記憶だとハンマ王国のものだど」
「へ? お、おいムッカ! なんでそれが判るんだよ!」
「王国の刻印は、昔父さんに教わったど。帝国は偉そうにしてるけど実際の技術はバール王国の方が上だと言っていたど、だから覚えていたど」
「そ、そうなのか――でも、それが何なんだ? 刻印が王国のものといっても、そんなの別に珍しくないだろ?」
「……確かに他の国ならそう。でも、それが帝国なら事情は変わってくる」
「は? なんだよそれ、何が違うってんだ?」
「それは、帝国内で流通している品物は、全て帝国の刻印か、もしくは削られて刻印がなくなっているかどちらかでしかないからですね」
「え? そ、そうなのか?」
「それはおらも聞いたことあるど。帝国は自分たちの技術力が一番だと知らしめるために、例え裏で手に入れた他国の装備品であっても、削るか、それが質のいいものなら削った後帝国の刻印を入れ直すど」
刻印というものは、それを作成した者が誰かを証明する為に、鍛冶師もしくは商会(個人の職人か大量に生産している商会かで変わる)の銘を刻印してある。
その際には必ず各国で定められた規定の刻印も施す為、どの国の誰が作成したものかが判るようにしている。
尤も、帝国がやっているように刻印部分を削ったり、その上から刻み直したりといった行為をされる場合もあるため、本来そこまで証明として役立つものではないが――しかし、今回は逆に帝国のそのやり方が功を奏した形である。
「……彼の言うように、この国では王国の刻印の施された品物が出回ることはない。つまり、逆を言えば王国の刻印の施された装備品を持っているということは――」
そこまでビッチェが語ったことで、あ、と察した表情を見せるイエイヌである。
「そういうことか――」
ナガレの行為と、そしてビッチェの話を聞き、神妙な顔を見せるイエイヌである。
ただ、それでもまだ迷っている様子でもある。やはりどうしても人間に対しての不信感は拭いきれない様子であるが。
「にゃ! 私はこの方たちなら信用してもいいと思うにゃ!」
しかし、その疑念を払拭するように、シャムがじっとイエイヌの目を見ながら意見した。
ソレに目を丸くさせ、
「それは、ムッカの鑑定もあったからか?」
と、探るように問う。
「勿論それもあるにゃ。でも、それだけじゃないにゃ。気づかないにゃ? この人達、しようと思えば逃げるなり、抵抗するなり、そんな機会はいくらでもあったにゃ! でもしなかったにゃ!」
確かに、シャムの言うとおり、例えばビッチェによるフェロモンの影響で何人かが倒れたときなど、いくらでも付け入る隙はあった。
しかし、最初にナガレが言ったように、一行は決して手は出さず対話を求めていたのである。
「それに、武器のことだってそうにゃ。ふつうこの状況で自分から武器は手放さないにゃ」
「――あ……」
これに関してはシャムが口にしたことで、周囲の獣人もそういえばといったような表情を見せる。
「そして、極めつけは匂いにゃ!」
「へ? 匂い?」
「そうにゃ! この人達からは帝国人の嫌な匂いがしないにゃ! 仲間たちを傷つけてきた――あの匂いがしないんだにゃ。その上、この人からは何かとても落ち着く匂いがするにゃ!」
シャムの言っている匂いというのは、帝国人が獣人達を傷つけ、そして殺してきた末に染み付いた同胞の血の匂いのことだ。
だが、当然ナガレ達にそれがつくことはない。
「ほ、本当かな?」
すると、何人かの獣人が興味ありげに声を発する。するとシャムが、皆も嗅いでみるといいにゃ! と促し、率先してナガレの匂いをかぎ始めた。
それを皮切りに、周囲の獣人達が次々とナガレに群がり匂いをかぎ始めるという、なんとも奇妙な光景になったわけだが。
「あ、本当だ優しい匂い……」
「い、いい匂い――」
「あ、あの匂い嗅いでいいですか!」
「……別に構わない」
こうして次々と匂いを嗅いでいく獣人達であったが、何故か少年の多くはビッチェの匂いを嗅ぎたがる傾向にあった。
そして嗅いだ瞬間には幸せそうな表情でその場に倒れてしまう。ある意味危険な匂いであった――




