第二四一話 闇の襲来
第二三八話から続いている話です。
「にゃ、た、助けてにゃ……」
隷属の首輪を嵌められ、鎖で繋がれた猫獣人の少女がふたりに懇願した。
怯えからか猫獣人の特徴である猫耳は萎れ、尻尾もプルプルと震えている。
少女は一糸纏うことすら許されない状態であり、その為、気恥ずかしさからか、両腕で恥部を必死に隠していた。
「ふん、獣人の癖に恥ずかしがるなんて生意気な雌ね」
「どうしましょうか? 命じればそれもやめさせられますが?」
そして、今日もまた狩りに出向いていたエイコに、ほぼ彼女の専属になりつつある騎士のフレデリックが尋ねる。
「……ま、いいわ。これからゲームを始めれば、そんなことしてられないだろうし」
「……げ、ゲームにゃ?」
猫耳少女が首を軽く傾げながら反問する。改めて見ると中々可愛らしい少女である。正直獣人でさえなければこのような辱めにあうようなこともなかったであろう。
しかし、この領内では獣人であるというだけで、権利なんてものは一切存在しない。命すら町で暮らす人々の手の内にあり、意志一つでどうとでもなってしまう。
「そう、ゲームよゲーム。いい加減ただ狩るのにも飽きてきたしね。だから、そうねこの森の中で自由に逃げ回る許可を与えるわ。そして、そうね太陽があの西の山の頂に差し掛かるまで逃げ切れたら貴方を自由にしてあげる」
ふふん、と不敵な笑みを浮かべながらエイコが言った。どうやらフレデリックに教わった影響で弓の腕にもそれなりに自信が持てるようになったようだ。
実際スキルの弓術も玄人級まで上がっている。尤も待機組だけにステータスの数値は低めだが。
「……ほ、本当に自由にしてくれるにゃ?」
「ふん、こうみえて召喚された勇者様の仲間よ。二言はないわ」
「流石エイコ様でございます。このような獣人に情けを掛けるなど中々出来ることではございません」
わかりやすいおべっかを口にするフレデリックではあるが、エイコは嬉しそうだ。
「……そ、それじゃあ頑張るにゃ」
「そう、じゃあ三つ数えたらとりあえずこの森の中での自由を与えるわ。好きに逃げなさい。はい、三、二、一――」
「にゃ!」
そしてゲームは始まった。だが、自由が認められた途端、思いがけない速さで猫耳の少女が疾駆する。
「な!? 速い!」
「にゃ! にゃ~~~~!」
全くスピードを落とすことなく、少女は木々を縫うように、かと思えば樹木を素早く登りきり、枝から枝へと飛び移っていく。
「ちょ! なんなのあれ! あんなの反則じゃない!」
「ふむ、猫の獣人は身軽ですからね。ですが、問題はありません――」
そしてフレデリックはエイコに何かを耳打ちした後、自らも森の中へと入っていく。
一方、ターゲットにされている少女は、枝の上に立ち、太陽の位置を確認した。西の頂に達するまでにはまだ時間がある。
その間はなんとしても逃げ延びねばいけない。そして自由を手にいれ、それを皮切りに他の仲間もなんとか助ける手段を講じたいところでもあるのだが――
「にゃん――」
しゅたっと地面に着地する猫耳の少女。その振動で膨らみのある胸と癖のある茶色の髪が上下に揺れた。
しかし既に裸であることを気にしている様子はない。そんなことよりこの場を逃げ切ることの方が大事だからだ。
「なるほど、確かにかなりの身のこなしだが、行動パターンは読みやすいな」
しかし、その途端、藪の中から飛び出してきたフレデリックが一閃。
にゃ!? と悲鳴を上げながらも、既の所で剣戟を避け、大きく後方に飛び退いた。
「ひ、卑怯にゃ! 二人がかりでなんて卑怯にゃ!」
「卑怯? 奴隷以下の分際で大した口の利き方だな。大体、私はエイコ様の護衛でもある。当然彼女が望めば、お前を狩るサポートもするさ。そもそもこのゲームは、別に一対一と決まっているわけでもないしな」
「にゃにゃ!?」
喋りながらも距離を詰め、次々と剣を振るってくるそれを全てなんとか躱していく少女。
どうやら身のこなしが達者なのは間違いがないようである。
そして、なんとかフレデリックの攻撃を避けながら、森を駆ける少女であったが――
「ビンゴ! ナイスよフレデリック――」
「んにゃ!?」
草むらから飛び出したその時、弓を構えた女狩人の射線上に少女はいた。
そう、フレデリックは最初から獲物を自らが狩るつもりなどなかった。追い込み猟の如く、獣人の少女をエイコの待つ場所まで誘導するのが目的だったのである。
そして――弦からエイコの細い指が離れ、ヒュンッという風切音。迫る矢、不意を突かれ身軽な少女でも流石に対応しきれない。
精々身体を撚る程度が精一杯であり――だが、それが幸いしてか、矢は少女の肩を掠めた程度で突き抜けていった。
勿論、それなりの痛みと出血はあるが、足をやられるよりはマシであるし、まだ腕も動く。
「……チッ、まさか外しちゃうなんてね」
悔しそうに舌打ちする。それを横目に、身を翻した少女が再び逃げようとするが。
「止まりなさい! ストップよ!」
ビクッ! と少女の身が震え、そのまま地面に倒れ苦悶の声を上げる。
そして上半身を起こし、エイコを振り返る。その表情はとても苦しげだ。
「……ひ、酷いにゃ、森の中では自由と約束したにゃ――」
涙目で訴える猫耳の少女。すると今度は木々の間からフレデリックが姿を見せ、エイコの横についた。
「まだ時間がありますが、もう宜しいのですか?」
「いいわ、だって何か生意気だし。それに、何か追いかけている内に熱くなってきちゃって……ふふっ、さっさとこの獣を片付けて、ね?」
金髪碧眼で顔が整った騎士の顎を撫でつつ、猫なで声で訴える。
それにフレデリックはやれやれと嘆息するが。
「ま、そういうわけだから。ふふっ、いい目をしてるわね。何? もしかして少しでも希望持っちゃった? もしかしたら助かるかも、自由になるかもって期待しちゃった~? 馬鹿ね、本当。あんたみたいな家畜以下のゴミ虫との約束なんて私が守るわけないじゃない。それなのに本当、獣人って頭悪いわね」
蔑み、汚辱し、そして――嘲笑う。かつて自らが生贄にしたことを思い出しながら、エイコはどこか満たされた表情で、そして興奮に息を熱くさせ、手に持った弓に矢を番え構えた。
「これで終わらせてあげるわ。大人しくしてなさい? と、言ってもその首輪があるからどうしようもないか」
ペロッと唇を舌で舐め、照準を定めていく。少女の首に嵌められているのは魔導具。相手を隷属化させるための物であり、命令に従わなければ激痛が全身を駆け巡る仕組みだ。
故に、先程止まれとエイコが命じた際、逃亡を再開させていた少女が苦悶の声を上げ、地面に倒れたのである。
そして――その効果は今も続いている。命令に従わなければ激痛がその身を襲うのだ。とても逃げられる状況ではない。
「――こんなの、酷いにゃ、どうして、何も悪いことなんてしてないのに、どうして、どうしてにゃ……」
「生きてる事が害悪なのよ。ば~か」
少女の訴えを一蹴し、エイコが弓を引き絞る。愉悦に浸った笑顔はとても悪辣なものだ。
「――え? なんだあれは……」
だが、ふと隣に立っていたフレデリックが呟く。首をもたげ、その視線は上空に向けられていた。
結局少女との約束が守られることはなかった為、空にはまだ青空が広がっている。
しかし、空いっぱいに広がる青の中に、様々な色の点のような物が紛れていた。しかもその数はだんだんと増えていき、点も徐々に大きくなってくる。
それが空から向かってきている生き物だと気がつくまで、それほどの時間は要さなかった。
しかも、ただの生物ではない。エイコも、最初はちょっと大きな鳥かな? ぐらいの認識であったが、明らかに鳥ではないことにすぐに気がついた。
確かに翼はある。その大きさはタイプによって様々だが、尤も尊厳な翼を持つものは体色が黒く、筋骨隆々の逞しい体つき。
頭からは角を二本生やし、巨大な蜥蜴を思わせる尻尾も尾から生えている。そして――その表情は怖気の走るほどの異様さである。
「あれって……悪魔?」
弓を構えたまま身を固め、頭に浮かんだ言葉を外に吐き出した。
その姿はまさに彼女が普段思い描く悪魔そのものであり、異質なものであったからだ。
そしてその悪魔は、他にも大量に姿を見せ、徐々に空を支配し始める。
黒い悪魔に比べると、線が細くも思えるが、しかしその顔はやはり不気味な、赤い肌を有する化け物に、子鬼に翼を生やしたようなもの、鳥の嘴のようなものを生やした存在も数多く見受けられる。
「これは――エイコ様が申されるように、伝承にある悪魔そのもの……だが、何故ここに?」
フレデリックが狼狽しながら語る。どうやら悪魔については彼にも知識として残っているようだ。
ただ、伝承というからには、本来この場に現れるようなものではないのだろう。
そして、空を悠々と疾駆する悪魔の軍団の中から何匹かが離れ、そして三人が立ち竦む森に向けて近づいていくる。
その飛行速度は速く、とても逃げる余裕など与えてくれそうにない。
「な、なんなのよもう!」
すると、エイコが我慢しきれなくなったのか、少女に向けていた弓をやってくる悪魔に向け直し、そして矢を放つ。
だが――黒い悪魔が逞しい腕を振り、あっさりと矢は砕かれてしまった。
「そ、そんな、矢が全く……」
「エイコ様、下がっていてください。ここは私が――」
言ってフレデリックが剣を抜き、エイコを庇うように立ちながら構えを取る。このあたりは腐っても騎士といったところか。
「んにゃ!?」
ドスン、ドスン、ドスン! と重苦しい音を奏でながら着地する悪魔たちを目の当たりにし、思わず猫耳の少女が素っ頓狂な声を上げた。
この謎の悪魔の襲来によって、とりあえずの命の危険は去ったが、しかし未だに命令は効いており、彼女はこの場から動くことが出来ない。
その状況で、このような化け物たちが大勢姿を見せれば、身が竦むのも当然と言えるだろう。
「ちょ、な、なんなのよこいつら――」
「エイコ様、見たところ、こいつら以外は全て町に向けて移動しているようです。帝国の騎士も多数控えている為、心配には及ばないと思いますが、とにかくこいつらはさっさと片付けて急いで町に戻りましょう」
コクコクと頷くエイコ。そしてフレデリックは正面に並び立つ悪魔を目にしながら、最初は戸惑いも感じられたが、今は騎士の双眸で悪魔たちを睨めつけていた。
相手は伝承の悪魔である。故にフレデリックとて相手を軽く見ているわけではないが、彼はレベルも30を超えた騎士である。
当然腕にも自信がある。相手の戦力は、先ず見る限り小柄な悪魔が三体、そして嘴持ちの悪魔……これは悪魔というよりは魔物としても有名なガーゴイルであるため、彼もよく知っているタイプでありそれが四体、そして赤い肌の悪魔が二体と黒い肌の悪魔が一体だ。
数では圧倒的に相手の方が多いが、正直小さな悪魔とガーゴイルは彼からすれば問題のない相手と、そう捉え、後は彼にも実力の読めない赤い悪魔と黒い悪魔だが、しかし彼には確固たる自信があった。何故なら――。
「――開け時空第七門の扉、発動せよ時術式、【スローサークル】!」
時空門――魔法の中でも特殊な種類に位置するこの門は、当然魔導門よりも難易度が高いとされ、第一二門を開いただけでも、魔術師の中で一目置かれる存在となり得るという。
その魔法を、しかも騎士である彼が取得し、しかも七門まで開けられるのである。
魔術師であれば魔法が使えることは当然であるが、騎士ともなれば話は別。魔法が扱える騎士というだけで重宝される存在、しかも時空門である。その強さから護衛として選ばれた彼は、当然レベルだけでは測れない力を有しているといえる。
そんな彼が今放ったスローサークルは、指定した範囲の物理的な時の流れを遅くする魔法であり、しかも彼が指定できる範囲内にちょうど良く悪魔たちが並んでいたこともあり、その結果、フレデリックは今まさに勝ちを確信しにやりと口角を吊り上げた。
そう、例え伝承の悪魔だろうと、時空門を開けるこの私に勝てるはずなどないと、そんなことを思いながら先ず一番手強そうな黒い悪魔を片付けようと一歩踏み込んだ。
――ザシュッ。
「へ?」
すると、間の抜けた声がその口から溢れる。彼は宙を舞っていた。いつのまにかくるくるくると空中を舞っていた。
だが、舞っているのは頭だけであった。首から下は、騎士の鎧に包まれた首から下は、地上に残っていたからだ――
予想以上に長くなってしまいましたが次でこの話は終わる予定です。




