第二二五話 ナガレへの任命
「そうなのですか……そんなことがあったのですね――」
結局、ペルシアに関してはナガレが要点だけを簡潔に話して聞かせたことでアンも理解してくれた。
「何か私だけではなく、ペルシアまで助けて頂けたみたいで、本当にありがとうございます」
アンがナガレに向けてペコリと可愛らしく頭を下げた。その表情をみるにかなり落ち着きを取り戻したようでもある。
「いえいえ、私は大したことはしておりませんよ」
「う~ん、相変わらずナガレは謙虚ね」
「先生の偉ぶらないこの姿こそが、まさに俺が憧れる先生の中の先生なんだよな~」
ピーチとフレムはそういうが、ナガレはその場で必要だと思われたことをしているだけである。当たり前のことを当たり前にしている、ナガレにとっては傍から見れば偉業に思えるようなことであっても、ただそれだけのことでしかないのだろう。
(……あのときも、こうやってちゃんとお礼を言っておけばよかったのかな――)
そんなナガレとのやり取りの中、ふとアンは憂いの表情を見せつつ何かを考える様子を見せる。
それを――当然ナガレは気づいていたが、ここでは触れるに及ばなかった。
「ところで、そもそもどうしてビッチェはここにいるの? たしかナガレの件で報告書を届けにいったのよね?」
そんな中、ピーチが湧き上がった疑問を彼女にぶつけた。ビッチェとはハンマの街で一度別れているが、彼女の話では冒険者ギルド連盟にナガレの事を報告に向かうという話であった筈だ。
「……それはもう終わった。それから私は三つの案件を抱えてここにきている。その内の一つはナガレにも関係していること」
「私にですか」
ナガレがビッチェを振り返り、ビッチェと視線を交わした。並の男であればこれだけで欲情しそうなものだが、ナガレには動揺も胸のときめきも少年の初恋のような甘酸っぱい感情も全く感じられない、流石である。
「……報告書はグランドマスターの手に渡ることになった。そしてそれから色々話し合いがなされ、ナガレに対して一つの決定がなされた」
「ふむ、それは一体?」
「……異例中の異例ではあるけど、ナガレをSランク特級冒険者に任命したいと、グランドマスター直々の御達しがなされた」
「えええぇえええぇえええぇええ!」
「Sランク、と、特級――す、すごいです先生! 俺はこんな話初めて聞きましたよ!」
ビッチェからの報告に、ナガレよりもむしろ周りのフレムやピーチが驚いてみせた。ローザに関しては思考が追いつかず、頭が沸騰しちゃうよ~、と湯気が立ち込めてる状況である。
「……なるほど、私にSランクの特級をですか――」
すると、ナガレが顎を押さえ、そして一つ考える仕草を見せる。
そんなナガレの姿を見ながら、ピーチが誇らしげな笑みを浮かべ、フレムも涙を流しながら、その快挙を喜んでくれる。
「……わかりました。ではビッチェ、それにつきましては謹んでご辞退させていただきますとお伝え頂けますか?」
「うぇえええぇええええぇええぇええ!?」
「じ、辞退ーーーーーーーー!」
「あ、頭が沸騰しちゃうよ~~~~!」
ピーチとフレムが尋常でない反応を示し、青天の霹靂にでもあったかのごとく仰天してみせた。ローザに関しては繰り返し頭が追いつかず、湯気があがりっぱなしである。
しかしそれも当然といえるか。正直冒険者になってから一年も立たずしてSランクというだけでもとんでもないことであるのに、Sランクの特級を任命され、それをすぐに断ったのである。
「……理由を聞いても?」
「とても身勝手に思えるかもしれませんが、私がこの世界に来た時に決めたことは、何事にも縛られず出来る範囲で自由を謳歌するということです。ですが特級ともなると冒険者ギルド連盟に属する形となり、特殊な依頼によって束縛される可能性が高くなります。それは私にとって好ましい話ではありません」
「……つまりナガレは自由気ままにこの世界を楽しみたい、だから特級にはなりたくないと、そういうこと?」
「その通りです、それに今の話を聞いて頂ければわかると思いますが元来私は身勝手な人間です。そのような人間にはSランクの特級冒険者などという肩書はふさわしくありませんので」
ニコリと笑顔で返すナガレ。まるでちょっとしたお願いを断るかのように固辞してみせたナガレであるが、当然こんなことはこの世界の冒険者にとってはありえないことだ。
なにせSランクでさえもどれだけの冒険者がなれるかわからないというのに、その最高峰であるSランクの特級という立場を蹴っているのである。
だが、誰もが憧れる立場がナガレにも当てはまるとは限らない。それが事実だ。ナガレにとっては下手な肩書きなどより、ある程度自由が約束された環境の方が大事なのである。
「……でもナガレ、これが断れると本気で思っている?」
フレムやピーチ、ローザが口をポカーンとさせて呆然と立ち尽くす中、ビッチェは強い口調でナガレに問い直した。だが、ナガレは柔和な笑みを残したまま、ビッチェに向けて答えていく。
「思ってますよ。先程ビッチェは任命したいと私に言われました。つまり厳命ではないようですし、それがお願いであるのなら、断ることも可能なのだろうと私は考えましたが、違いましたか?」
今度はナガレからの反問。それに対してビッチェは、口元に指をやり、なんとも色っぽい所作で艶のある笑みを浮かべる。
「……流石ナガレ、私の予想通りの答え。ナガレなら、こんな肩書きに目は眩まないと思っていた」
「私もビッチェならそう言ってくれると思ってましたよ」
微笑みを返し語るナガレ。その心を擽る表情に逆に翻弄されそうになるビッチェであり、褐色の肌がみるみるうちに紅く染まっていく。
「……ナガレやっぱり、凄い、こんなの初めて――」
「いや、何言ってるのよ! それに、ナガレ本気なの? 本気でこの話を断るの?」
「はい、断ります」
「せ、先生! ですが、こんな話、そうそうくるものではありませんよ?」
「そうですね、確かにあまりに身に余るお話ではあると思いますが――」
ふたりの問い掛けにナガレはそう返しつつも、フレム、ピーチ、ローザへと順に目を向けていき。
「ですが、私には皆さんと一緒に行動出来ることのほうが大事です。それに折角こうしてピーチとパーティーを組んでいるわけですし、ですが、もしここでSランク特級という話を受けてしまうと、皆様との行動もある程度制限されてしまうでしょう。ですからこの件は断ります」
「せ、先生~~~~! 俺達のことを! 俺達のことをそこまで~~~~!」
「もう! ナガレってば、もう! そんなこと言われたら、もう何も言えないよ~」
「ナガレ様は流石です。やはりナガレ様は神様のような御方なのです」
フレムは感動のあまりおいおいと泣き始め、ピーチも感極まると言った表情を見せ、ようやく元の状態に戻ったローザはナガレを崇め祈り始めた。
そんな四人をみながら、ローズが目を細めこの状況についていけないと言った様子を見せている。
「と、特級とか、一体何の話をしているのよ……」
「ふむ、噂には聞いておりましたが、やはり特級という制度はあるのですね」
「でも凄いよね~Sランクの特級だなんて~」
「……お前たちは知っているのだな――」
なんとなく疎外感に包まれるローズでもあった。
「……でもビッチェ、よく考えたらこんな話あっさりしてしまってよかったの?」
「あ~そういえば特級制度は隠してるって話だったよな?」
「た、確かにしっかり聞かれてますね……」
三人がちらりとローズやナリヤとナリア、それに子供たちの姿を見ながら問いかけるが。
「……問題ない。ナガレの関係者なら知られても心配いらない。それに問題があればナガレが対応する筈。それがないということはそういうこと」
どうやらビッチェのナガレに対する信頼は既に揺るぎないものとなっていたようだ。




