第二一九話 奴隷商人アグネル
第四章の幕間のセリフを若干変更しました。
変更内容はこの話の最後のセリフに合わせた形です。
(全く美味しい仕事もあったもんだ)
手綱を握る御者の隣で、闇商人アグネルは一人ほくそ笑んでいた。
彼が走らせるは一見何の変哲もない荷運び用の幌馬車。しかしその後ろには帝国で奴隷の仕入れ専門で動いて回っている盗賊から仕入れた獣人達が乗っている。その全ては見目が良い雌の獣人であり、本来王国では許されていない非合法な奴隷候補達だ。
「アグネル卿、今回も調子が良さそうですね」
「ああ、大体注文通りのものがそろったからな」
「それで機嫌がいいってわけですかい」
王国に入ってから馬に騎乗して護衛としてついてもらった冒険者の数人がそんな声を掛けてくる。
勿論彼らも裏で手配した冒険者であり、アグネルの正体も知っている。
アグネルは、王国と帝国でふたつの顔を使い分ける闇商人だ。とはいえ王国では表向きはなんの変哲もない商会の長として過ごしているし、戸籍も王国のものだ。
だが、その傍らでこうした裏の仕事に手を染めている。尤も今となっては闇商人としてのしのぎの方が遥かに稼ぎが上であり、滞在する期間も王国より帝国の方が多いぐらいだ。
故にアグネルの名前は王国よりは帝国の(あくまで裏社会においてだが)方が広く知れ渡ったりもしている。
尤もこの仕事もアグネルだけの仕事でなりたっているわけではない。本来王国と帝国は国交も断絶状態であり、故にまともな方法では国境を跨ぐことも不可能だからだ。
特にこの辺境たるイストフェンスは砦と街が壁繋ぎになっており、警備も厳重な為、まともな方法で王国と帝国を行き来するなど不可能に近い。
しかし――それを可能にしたのはアグネルの人脈故、アグネルは王国側にも帝国側にも内密に接している要人がおり、その助けもあって奴隷を右から左へ流すことが可能となっていたのである。
特にこの商売の美味しいところは、帝国側では王国から拐った人間が、王国側では帝国側の獣人が非常に高値で取引されているというところにある。
帝国側に関しては王国に恨みを抱いている人間が多いのが理由であり、王国側に関してはかつての奴隷制度を忘れられない闇深い買い手が多いというのが理由としてある。
しかも両者ともに言えるのは奴隷に対する扱いが普通ではないということか。はっきりといえば双方とも購入するのはそれなりの地位にある貴族であり、そしてとても嗜虐性の強い人物が多いということだ。
特に王国においてはそもそも奴隷に首輪を繋げて歩くなどという事は不可能であり、奴隷を購入しても仕事などには役立てることは不可能という点が大きい。
その為、必然的にそれでも奴隷を購入したいと思っている連中の使用方法は限定されてくる。
正直言えばアグネルも何度か商売相手の貴族に奴隷の遊び方を見せてもらったことがあるが、人間タガが外れるとここまで残虐な行為に及べるものかと内心では気持ちが悪くなったほどだ。
しかも連中はそれを笑顔で行う。ある貴族などは鍋にはった湯に、少しずつ切り取った生肉を潜らせ、しかもその肉から採取した血をソースにして付けて旨い旨いと楽しんでいた程だ。
そんな貴族を相手するのは中々骨が折れるが、とは言えそれでもやはりこの商売はやめられない。
今だってこれから手に入る大金を考えると頬が緩んで仕方ないほどだ。
「それにしても、この幌馬車に乗ってる獣人が大量の金に化けるって言うんですから世の中わからないもんですね」
「全く、他の国の相場の数十倍の値がついてるわけだしな」
「ふふっ、当然だ。儲からないなら私だってこんな危ない橋は渡りはしない。それになによりこの商品は回転率が良いからな」
王国から帝国に売りつける奴隷にしろ、帝国から王国に売りつける奴隷にしろ、目的はそういった行為にあるわけであり、その為奴隷の消耗は早い。正直三日持てばいい方であり、それを最初から判ってる為か、送り届けたその日の内に次の奴隷を頼まれる事も少なくないのである。
「でも――正直言えば不安で仕方ないですけどね。だってここ魔獣の森ですし、いつ魔獣に襲われるか……」
「ふん、そういえば初めて参加する奴もいたんだったか。だが安心しろ。その為にずっとこの煙を上げているわけだからな」
そういってアグネルが目配せしてみせる。馬車の後方には確かに後塵とは別の灰色の煙が垂れ流されていた。これはアグネルが協力者から譲ってもらっている魔獣避けの香から出ている煙であり、このおかげで魔獣の森もアグネルにとって安全な道として利用できているわけである。
「この煙が魔獣避けになってくれているってな。だから心配なんて何もいらないってことだ。俺も何度もこの護衛に参加しているが、一度だって魔獣に襲われたことはない」
「そういうことだ。しかも魔獣の森をこんな時間に通ってるなんて誰も思わないからな。だからこそ奴隷の密輸に最適なのさ。検問を通らなくてもこのルートなら問題なく抜けられるしな」
「これも全て協力者のおかげだっていうのだから、全くアグネル卿の人脈の高さには恐れ入りますぜ」
下卑た笑い声を上げる冒険者達である。この商人も真っ当でなければ、付き合う冒険者もやはりまともな人選ではない。類を以って集まるとは正にこのことをいうのだろう。
「それにしてもシクシク、シクシクうるせぇな。後ろの雌共は」
「ま、今回のは殆ど幼い獣人ばかりだからな。それも仕方ないだろうよ」
「いやそれにしても、もうちょっと年が上ならお零れにありつきたいところだけどな」
「おっと、俺はこれでも全然行けるぜ」
「マジかよ。お前すげーな」
「おい、言っておくが何であれ商品に手を付けるのは許さんぞ」
笑い声を上げながら鬼畜な会話を続ける護衛達に、アグネルが叱咤の声を上げる。もっともそれも別に奴隷の身を案じてなどではなく、売り物に傷が付くと値が下がるからという心配でしかない。
「判ってますって。俺達もそこまで節操ないわけじゃ――」
『グォオオォオォォオォオオォオオ!』
その時、闇に染まる森の奥から凶悪な咆哮が響き渡る。
そのビリビリと空気を鳴らす大音量に、一瞬身を竦める冒険者達である。
「お、おい、これって」
「あ、ああ、魔獣の声だよな?」
「あ、アグネル卿、本当に大丈夫なんすよね? この煙?」
「あ、当たり前だ! 何度この取り引きを繰り返したと思っている! これまで無事この商売をやってこれたのも、この魔獣避けのお香のおかげだ! 大丈夫。ちょっと近くで魔獣が鳴いて回っているだけで――」
アグネルは若干引きつった表情を見せながらも、全員に心配ないと告げようとする。
だが――その直後の事であった。彼らの向かう正面に、黒く大きな影が飛び出し、進路を塞いだのは。
「ま、魔獣だーーーーーー!」
その瞬間、馬を駆って前を走っていた護衛の一人が大声を上げて危険を訴える。
魔獣の瞳は血走り、その口からは大量の涎をぼたぼたと零している。口からは鋭く生えそろった牙を覗かせ、あきらかな捕食者の空気を辺りに撒き散らしていた。
「ち、畜生なんでこんなところに魔獣が、こ、こんなの聞いてないぞ!」
魔獣に遭遇した冒険者達が恐怖の声を上げた。慌てて馬を嘶かせ、急停止を図るが時すでに遅し、巨大な影が前方の彼らを飲み込んだかと思えば、馬ごと残滓が辺りに飛び散った。
「そ、そんな馬鹿な、この香があれば、魔獣になど遭遇する筈が――」
「ふざけんじゃねぇ! 現にここに化け物がいるじゃねぇか!」
「しかもオルトロス! Sランクの冒険者でもいねえとこんなの勝てねーよ!」
最初の獲物を食い終わり、彼らに身体を向け直す魔獣を認め、護衛達がその正体を知った。騎乗する馬も恐怖から身体が震え、睨むオルトロスの殺気に完全に竦んでしまっている。
「だ、だめだこんなの、勝てるわけねぇ、お、俺は下りるぞ! 命あっての物種だ!」
「おい馬鹿言うな! 馬車には商品が載ってんだ! なんの為の護衛ださっさと守れ!」
「馬鹿いえ! そんなに大事ならテメェで勝手に守ってろ! お前らも早くに、ぎゃぁああああ!」
「な、一瞬にして三人やられ、ひぃぃぃいいい!」
オルトロスが飛びかかり、次々と冒険者の命が刈り取られていく。真っ先に逃げようとした冒険者は、オルトロスの跳躍力であっさり回り込まれ、爪の一振りでミンチに変えられた。
そして――クチャクチャと咀嚼しているが、その隙を突いてなんとか撒こうと、アグネルが御者を促し狂乱した馬達をなんとか走らせることに成功する。
「ふ、ふざけるな! ふざけるな! 私はこんなところでくたばるわけにはいかない! まだまだ金だって稼ぐ! 地位だって上げて、いずれは自分の城だって――なのに、なのに」
ガタガタと歯を鳴らしつつ手綱を握る御者に怒鳴りつける。
「おい! もっと早く走らせろ! 追いつかれるだろうが!」
「そ、そうもうされても、馬も混乱してい、ひ、ひぃいぃいぃい!」
「お、おいふざけるな! 私は帝国でこの人ありと言われた闇商人、アグネ、うわぁっぁああぁあ!」
御者もすっかり怯えた目で、主人であるアグネルに訴えかけるが、その時再び大きな影が馬車の真上を通り過ぎ、そして正面に降り立った。
アグネルと御者が叫び声を上げ、手綱を必死に操り軌道修正を試みるが、それでもオルトロスの放った爪が馬の数頭を切り刻み、車体を掠め、その衝撃で馬車が真横に跳ね上がりそのまま横転してしまう。
当然その影響で、御者とアグネルは外へと投げ出され、御者に関して言えば空中を漂ったまま魔獣の歯牙に捕食され、叫ぶ間もなくその胃の中に収まってしまった。
「う、うぅうぅ、くそ、くそ、どうして……どうしてこんな、ひっ!?」
身体をしこたま打ちつけながらも厚い脂肪に守られていたおかげでアグネルの意識はまだ保たれていた。
だが、それはこの商人にとっては幸運とは言い切れず――顔を上げたその視界に映るは食いごたえのある餌を見下ろすオルトロスの姿。
舌舐めずりをし、最後だと思っているのであろうよく肥えた餌に向け、その口を大きく広げる。
「ひ、あ、あ、どうして、こんな、魔獣には襲われないと、言っていただろうがーーーー!」
そしてそれがアグネルの最後の言葉となった。そしてオルトロスは最後の肉は良く味わって食おうとでも考えたのか、じっくりと腹の肉から貪っていく――
奴隷商人であるアグネルが死に御者も食われ、護衛の冒険者たちも全滅した。この状況は普通に考えれば絶望でしかない筈なのだが――しかし彼女たちには運があった。それは風向きであったり、魔獣自身が殺した死体の匂いが鼻に染み付き、生きていた彼女たちの匂いに鈍感になっていたり、そして最後の餌と認識したことでアグネルに関して言えば味わって食べていたり――そういったことが重なり、オルトロスは馬車の中にいた獣人達にすぐには気づかなかったのである。
そう、幌の中にいた獣人達は全員無事であった。それもきっと一つの幸運だったのであろう。傷一つとっても、多少のかすり傷程度はあっても、動くのに支障をきたすようなものはない。
だからこそ彼女たちは、食事に夢中になっているオルトロスの隙を突いてなんとかその場から逃げようと試みたのだが――しかし幸運も長くは続かず、藪から飛び出してきた蛇に驚いた悲鳴がきっかけでオルトロスに気づかれてしまった。
そして――その中の一人、奴隷として連れてこられた獣人少女のアンが囮になって他の皆を助けようと前に飛び出した。
それは勇気ある行動であった。だがその直後魔獣の発した咆哮によってアンを含めた獣人達は身が竦み、動くことがままならなり――そして迫るオルトロスの牙にアンが覚悟を決めた時、彼が姿を現した。
「どうやら間に合ったようですね。それにしても、よく頑張りましたね」




