第二一五話 ハラグライという男
城に戻るなりピーチがエルガに例の話を進言しに向かった。途中ローズに何のようだ! などと厳しい口調で問われたようだが、上手いこと説明出来たようである。
そしてそうこうしている内に食事の用意も整ったようで、メイドに案内され全員で食堂へ向かったわけだが――
「ちょっと止まって貰えますかな」
食堂へ赴くため廊下を歩いていると一人の男に声を掛けられた。綺麗に色の抜けた白髪に白眉と白髭といった老君。目つきが鋭く全体的に厳しい雰囲気を放つ男だ。
そして彼は最初に城に訪れた時にも領主であるアクドルク卿の傍で控えていたものであり、名前はハラグライであったなとナガレも記憶している。
その男は一行の進行を妨げるように言を発した後、カイルへと近づいていく。
「え? あれれ、おいらに何かようなのかな?」
「……」
カイルがもしかして自分が何かしたかな? と相変わらず軽い調子ではあるが彼に尋ねる。
するとおもむろに男は何か布のようなものを取り出しカイルに突きつけた。
「これから夕食を摂って頂きますが、貴方にはこれを巻いて参加して頂きたい」
へ? とカイルが目をパチクリさせて渡された布を広げると、それは頭に巻く帯状の布、いわゆるターバンと呼ばれる被り物であった。
「これをおいらに? でも食事の席でこういうの被ってると逆に失礼じゃないのかな~?」
「何を馬鹿な。貴様が生やしてる獣臭い耳の方が失礼に当たることにも気づかぬのか。全くこれだから獣人という生き物は――」
その瞬間、場が凍りついた。全員の視線が老齢の男に向けられる。ハラグライは、身なりといい佇まいといい、その姿こそ整然としたものであったが、吐き出された言葉はあまりに横柄なものであった。
「どうした? 何を固まっている? いいからさっさとそれを被って穢らわしい耳を隠せ。そんなものを出したまま食事の席につかれては獣臭と耳から落ちる獣の毛で折角の料理が台無しだ。そんなことも判らぬのか? それとも獣は人の言葉が判らぬのかな?」
「酷い! カイルは獣なんかじゃありません! どうしてそんなことを――」
思わずローザが声を上げ訴えるが、そこへ彼女を手で遮るようにしながらフレムが前に出て、暴言を吐いたハラグライの前に立つ。
「おい爺ィ、今の発言を取り消せ。そして床に手を付けてカイルに謝れ」
「なんだ貴様は? 随分と無礼な男だな。お前たちはレイオン卿についてきた護衛の冒険者と聞いているが、やはり粗暴な冒険者は礼儀というのがなってないらしいな」
「年老いて耳が遠いのか? 俺は今の言葉を取り消してカイルに謝れといったんだ。カイルは俺の大切な仲間だ。そのカイルをてめぇは蔑み暴言を吐きやがったんだ。礼儀がどうこういうんならテメェが今ここで頭を擦り付けて謝るのが礼儀だろ」
顔を突き合わせフレムが眉を怒らせながら相手に強い口調で告げる。
男はそれを耳にしても特に反応も見せず若干の間、口を閉ざした。
フレムの怒りが強くなっているのは顔に浮き出た血管の波打つ様子からも判る。
招待されて食事に向かうということもあり、武器は城の使用人に預けているフレムであるが、もし携えていればこの場で抜いていても不思議ではない――
そう思えそうなほどの一触即発の空気がその場に漂う中、老君は肩をすくめた後、頭を振った。
「貴様の言っている意味が私には到底理解不能だ。そこにいるのは獣人であり、我々とは異なる種であることは確か。それを寛大なアクドルク様が一緒に席についてよいといっておるのだ。ならばせめて失礼のないように耳を隠させることの何が悪い。そんな獣臭い毛にまみれた耳、不潔で仕方ないではないか」
「てめぇ――」
タキシード姿の男の襟首をフレムが掴み右手を振り上げる。だが、その腕に別の手が触れ、今まさに振り下ろされそうであった拳を止めた。
「せ、先生! どうしてとめるのですか!」
「……相手の態度が気に食わないからと、安易に暴力に訴えては同じことですよ。何よりここで手を出しては守るべき筈のカイルが逆に苦しむことになります」
その言葉にフレムは、う、と喉をつまらせた。確かに今の状況は街なかでの喧嘩とはわけが違う(尤も街なかであれば喧嘩していいという話でもないが)。イストフェンスを任されし領主のいる城なのだ。そこでどんな理由があるとは言え暴力沙汰を起こしたとなれば何かしらの責任を問われる可能性は大いにある。
勿論話の流れでいけば明らかにハラグライに非がありそうなものだが、だからといって暴力に訴えていいものでもなく、それが問題視されれば責任を感じるのは寧ろカイルの方であろう。
そして――フレムは釈然としない面持ちながらも、すっと視線をずらしカイルを見やる。するとカイルはどこか自虐的な笑みを浮かべた後、口を開いた。
「ありがとうフレムっち。凄い嬉しいよ、でもナガレっちの言うとおりだよ。だいいちおいらがこれを被れば済む話だしね」
カイルはそう言ってターバンを頭に乗せようとする。するとピーチが、ちょっと待ってよ! と語気を強める。彼女もやはりこの話の流れに納得がいっていない一人なのだ。
尤もこれはこの場の全員に言えることであろうが。
「待って下さいカイル。それとこれとは別問題です。貴方がそれをかぶる必要はありませんよ」
「せ、先生!」
だが、その発言に、沈んだ表情であったフレムが顔を上げ、目を潤ませナガレを見やった。
そしてピーチも、ナガレ、と呟きつつ彼を見やる。きっとこのまま終わるわけがなかった、と信じて疑わない瞳である。
「ふん、やっと自分の立場が理解できたかと思えば、貴様、そこの愚か者を止めて少しは判ってるやつもいたかと思えば、また話を蒸し返すつもりか?」
「蒸し返すも何も、まだ話が終わったとは私は思っていませんよ」
「……若造が生意気な口を。全くお前たちの親の顔が見てみたいものだな」
彼はそう言うが、ナガレに関して言えば人の親であり更に言えば孫もいるほどである。
「……貴方がどう思ったのかは知りませんが、私がフレムを止めたのはあくまで手をあげる事についてのみです。それ以外については全面的にフレムに同意ですね。貴方はカイルへの失礼を詫びるべきだ」
ナガレの発言に鼻を鳴らし、ちょこざいな、といった様相で男が彼を見やる。
「このハラグライ、謝るべき必要のあることなど何もしておらぬ。寧ろ失礼を働いたそこの赤髪こそが謝るべきではないか?」
「しかし貴方はカイルを種族が違うという理由でこれを強要したのは事実でしょう」
「ターバンを被れと言ったことが失礼に当たるとでも言うのか?」
「もしこれが食事の席での決まり事であり、全員がそれをする必要があるというのであればいくらでも従いましょう。地域によってマナーに変化があるというのはよくあることです。ですが、貴方はカイルを獣人だからという理由で、碌に知りもしないのに相手を貶める発言まで行った。この王国では種族の違いで差別をするのは禁止されていることぐらい、城に仕える身であれば当然判っているでしょう」
相手を叱咤するように言い立てるナガレであるが、ハラグライは特に表情も変えずナガレをじっと見据え。
「……つまり私の発言が明らかに差別だと? 故に謝罪を要求すると、そういうことであるか」
「当然ね、ここにいる皆が聞いていたわよ」
「その通りです。私も先程のカイルへの発言は許すことが出来ません」
ローザも珍しく憤慨している様子。普段はおちゃらけているカイルも流石に今は神妙な面持ちでもある。しかしフレムにしろローザにしろ、カイルを大切に思う気持ちは何より強そうだ。
「――だが、それは見当違いもいいところだな。私は差別などしていない。これは区別だ」
しかし、直後ハラグライから告げられたのはナガレを否定する言葉。その表情も全く悪びれていない様子である。




