第二〇四話 絶望への真実
サトル関係の話となります。
「ま、待ってくれサトル! 悪かった! 俺っちが悪かった!」
持続する痛みに呻いていたカラスであったが、逃げの一手も打てなくなり、それどころかスキルそのものが使用不能になったのを認め、遂に手のひらを返したように土下座の体勢で詫びを入れてきた。
呪いの効果は継続中であるが、痛みよりも恐怖の方が先立っているのだろう。その身体はガタガタと震えていた。
どうやらカラスは自分の行為がどれだけサトルの逆鱗に触れているか今になってようやく肌で感じ取ったようだ。カラスの羽が毟られたことでサトル自身兜の面を開け、ここで遂にその顔を晒したのだが、その表情はカラスを畏怖させるに十分たるものだったのだろう。
「……まさか、ここにきて土下座とはな」
「そ、それぐらいなんぼだってやるよぉ、土下座で済むなら――」
「勘違いするなよ? まさか今更土下座なんかで許されると思っているとは随分と舐められたものだなと、そういうことだ」
ひっ、と短い悲鳴を上げるカラス。彼の死の瞬間は刻一刻と迫っている。但し死に至るまでの時間はきっと恐ろしいまでに長く感じられることだろう。
「わ、判った! それならアイカを! アイカを好きにしてくれていい! 俺の代わりにあいつを! だ、だから――」
心の底からどうしようもないやつだな、とサトルは思わず地面に唾を吐き捨てた。
自分の為なら他人のことなどどうでもよく、平気で差し出すような奴だ。尤もだからこそあれだけの事も平気にやってきたのだろう。
「さっきの話を聞いていなかったのか? 俺はお前とシシオ、そしてサメジにアケチ、この四人は絶対に殺すと決めている。いやそもそも死すら生ぬるいが、それでも俺の考えられる限りの手段で、徹底的にやらせてもらうぞ。楽になんて死なせない、狂わせもしない、俺の恨み、妹の無念、それを先ずカラス、お前が最初に味わう番だ」
「ま、待て! 待て待て! だったら俺っちを狙うのはお門違いだ! いや、サトルを虐めていたのは確かだが、妹に関しては、殺したのは俺じゃない! シシオだ! お、俺っちは流石にやめておいたほうがいいって忠告したんだ、殺すのは流石にまずいって――でもあいつ俺っちのナイフを無理やり奪ってよ……そうだ! お、俺っちも協力する! お、俺っちだって実はあいつらが気に入らなかったんだ、そうだ! 情報もやるよ! 俺っちの知り得るあいつらの情報を全て!」
聞いてもいないのに、カァカァカァカァ、小煩いカラスだなとサトルは眉を寄せた。
そして相変わらず自分が助かるためなら他の連中のことはどうでもいいようだ。
その小狡く、そして調子のいいこの男がサトルはどれだけ殺しても殺し足りないぐらいに憎々しくて仕方なくもある。
「さっきお前が言っていたように、イサムも俺が殺した。その時にお前たちの情報はある程度手に入れている。ショウジンからもな、これ以上お前に聞いて役立てるものなんて何もないだろう」
そもそもやろうと思えばサトルはこの卑怯な男の記憶を悪魔の力でいくらでも読み取れる。
なのでその程度の提案はいまさらだ。
「だ、だったら、そうだ! マイは、マイのことはどうだ! マイの真実はお前だって知らないだろ!」
カラスは生き残ろうととにかく必死だ。だが、その先にこぼれおちた言葉はサトルの関心を引くに十分たるものだった。
「マイ? 新牧……舞のことか?」
「へへっ、そうだよ。その様子だと、サトルもマイのことはあまり良く知らないようだな、あいつ学校には忙しくて殆どこれてなかったしな――」
カラスはそう言ったが、マイという名前や容姿なら当然サトルもよく知っている。そう、知らないはずがない。何せ愛妹がファンだったのがそのマイだったのだから。
正直言えば、サトルもマイについてだけは迷っている部分があった。と、いうよりはあえて考えないようにしていたというところも大きかったかもしれない。
何せカラスの言うように、マイは芸能活動が忙しく学校には殆どきていない。いや、それどころか少なくともサトルは精々入学式にちらっと見た程度であり、それ以外は全くマイのことを学校では見ていなかった。
これは逆に言えば、マイに関してはサトルへの虐めに対して全くの無関係だとも言える。見て見ぬふりにもあたらない、何せ現場には全く姿を見せていなかったのだから、そんな相手に対してまで復讐等と言うには流石に無理があるなとサトルも心の何処かで感じていた。
故にサトルの中ではマイはクラスメートにも当てはまらない、ただ連中に巻き込まれ召喚されただけの存在と、そう折り合いをつけようとしていた節もある。
何よりマイは妹がファンだった人物で、サインだってせがまれたほどだ。それに――妹がマイを好きだったのは見た目や演技力やトークの上手さやより、いや勿論それも大きいだろうが、彼女の境遇に感動しそして憧れていた部分が大きかった。
愛妹から何度も聞かされた話だ。マイの家は母とマイ、そしてその妹という三人家族だった。どうやら父親は大病を患い、姉妹が幼い時に他界してしまったらしい。そしてそれからは母親が一人で娘ふたりを育て続けた。
勿論母一人で娘をふたりも育てるのは簡単ではない。故に決して裕福な暮らしではなく、家族三人で暮らすには狭すぎるぐらいの木造安アパートで過ごす毎日だったようだ。
マイは母親の苦労をよく知っていた。だからこそ何れ自分の力で母を楽にしてあげたいと常々思っていたのだが、そんな折、道端でスカウトに会い、芸能界に興味が無いか聞かれたらしい。最初は胡散臭いと思っていたマイだが、その男は家まで来て必死にマイがどれだけの逸材かを話して聞かせてくれたらしい。
名刺も渡され事務所も案内してもらったことで決して大きくはないが真面目でしっかりとしたプロダクションであることは判ったようだ。そして母親の応援もあってマイはプロダクション入りを決意し、それからはそれこそ寝る間も惜しんで頑張って、努力して、そして中学の間に芽を出すことが出来て、高校生になるころにはCMや映画、ドラマなどに引っ張りだこになるまでに成長したようだ。
だけどマイは芸能人として稼いだお金は一切自分では手を付けず母親に使って欲しいと渡し、母親は母親でいつか娘に必要な時のためにと殆ど手を付けず貯金をしていると、そんな絵に描いたような美談ではあったが、そんな頑張っているマイという存在にサトルの妹は惚れ込んでいたようなのである。
だが、そんな妹の話を想起したサトルに告げられたのは。
「サトルはよ、本当にマイのやつが何の理由もなく売れてると本気で思っていたか?」
そんな理想が瓦解しそうな真実であった。
「実はな、マイとアケチは中学時代からの顔見知りなんだよ」
「……それがどうかしたのか?」
「わからないか? アケチは、というか親がだけどな、あれでかなり顔が広い。それに意外と警察と芸能界というのは切っても切れない関係にあってな、あいつはそれを利用したのさ。アケチはマイがいずれ何かの役に立っと思ったらしくてな。それで芸能界の仕事が上手くいくように裏で手を回していたのさ」
サトルの中で何かが音を立て壊れる音がした。
「それでだ、こっからが本番なんだが、あのマイも密かにお前の虐めに関わってたんだぜ。お前はさっぱり知らなかっただろうけどな」
「……どういう意味だ?」
「判らないか? 例えばお前の親父が一度痴漢の冤罪で捕まったことがあったろ? あれな、マイの妹が仕掛けたことなんだぜ? 勿論母親も知っている。アケチが手を回したんだよ。芸能界の仕事をもっと回して欲しかったら協力しろってな。アケチの考えていた通り、マイは役に立ったってことだな」
サトルは黙ってカラスの話に耳を傾ける。カラスはカラスでかなり息が荒いが、それも肩に乗る黒猫の呪いの為だろう。
尤もカラスからすれば少しでも生存確率を上げたいと思いからか、痛みに耐えながら淀みなく話を続けていく。
「そして一番重要なのはここからだ。へへっ、サトルよ、おかしいと思わなかったか? どうして妹がわざわざ俺っち達のいる公園までのこのこやってきたかよ」
「いいから早く続きを話せ」
サトルはにべもなく先を促す。だが、心中では確かに疑問にも思っていたところでもある。
「あ、慌てんなって、へへっ、じ、実はな、俺っち達は知ってたんだよ。お、お前のスマホな、俺っちが盗み見したんだ。お前がいない時を見計らってな」
「……そんなことまでしてたのかテメェは」
「わ、悪かったって! こ、好奇心だよただの!」
「……俺のには暗号が設定されていたはずだが」
「そ、そんなもんは俺っちに掛かればちょちょいのちょいで、ゲフッ! ゴホッ、おま、そんな鎧着て蹴るなよ、マジでいてぇ……」
あまりに苛ついたのでとりあえず一発蹴りを入れると情けない声を上げて蹲った。だが、当然この程度で気なんて晴れるわけもないが。
「と、とにかくそれでお前のデーター抜いて、それにシシオが食いついたんだ。サトルの癖にこんな可愛い妹がいるなんて生意気だってな。でもよ、へへっ、確かにどこかの芸能事務所にいてもおかしくないぐらい可愛かったよな、わ、判った、そんな顔するなって。とにかくそれでシシオが無理やりやっちまおうぜって、でもよ一体どうやってだ? て話になったんだけどよ、その時サメジが見つけたんだ。お前と妹のサインでのやりとりをよ。それで妹がマイのファンだって判った。そこからは早かった。サメジはアケチとマイの関係を知っていたからな、アケチにも話を通してもらってよ、マイにお願いしたんだ。サトルの妹をおびき出すために協力してくれってな。そしてマイから直接妹にメールして公園で待ち合わせの約束してくれるようにな。サトルから頼まれた、直接サインを渡したいって言えば間違いないだろってな、それが――あの時妹を公園に呼び出した手なのさ。つまりあのマイだって、お前の妹に関しては無関係じゃない、いや寧ろきっかけを作ったのはあいつだっていってもいいぐらいだ」
「……どうしてた? なぜそこまでする? あいつがそんな事して何の得があるっていうんだ?」
「そんなの決まってるだろ! それをすることでマイは仕事に繋がる! もうあいつが芸能界で成功するにはアケチの助けが必須なのさ。母親や妹は金さ、アケチに協力すれば少なからず謝礼が入ることになってたからな。マイはアケチに言ってたらしいぜ、自分の成功のためならクラスメートやその妹がどうなろうが知ったこっちゃないと。芸能界で成功するためならそれぐらいで躊躇ってちゃ上にはいけないってな! 全くあいつは可愛い顔してとんでもない女だぜ」
「…………」
サトルは黙ってブレインジャッカーでカラスの記憶を探った。最初は、なんだよこれは、と不安がっていたカラスだが、黙ってろ、と威圧を込めると大人しくなった。とりあえず身体には何の異常もない悪魔なので、黙っていたほうが得策だとでも思ったのだろう。
そして――念の為に覗き込んだカラスの記憶にも偽りなどはなかった。
その瞬間、サトルの中で全てが崩壊し、黒い感情がより黒く、闇色へと変化し、己の心が完全に悪魔と同化したようなそんな気持ち、いやそれは確信だ。
確かに今、悪魔の書の悪魔たちがサトルの耳元で囁きかけた。主の思うがままに協力しようと――
既に亡き妹の、しかしそんな彼女の想いだけは出来るだけ汲み取ってあげたかった。妹の憧れを穢したくはなかった。だけどそれは幻想だった。憧れの対象は、そもそも愛妹を裏切り、汚し、その気持ちを踏みにじっていたのだ。
絵に描いたような美談など、所詮はただの絵に過ぎなかった。上辺だけが美しいソレの絵の具をぼろぼろと剥がしてみれば、中身は欲に塗れた偽物でしかなかった。
画面の向こう側で輝いていた女は、実は腐敗した匂いしか発しておらず、純水な少女の憧れを受けてやまないその顔は、薄汚れた魔女のソレでしかなかった。
そして――一度は復讐の対象から外そうとさえ思っていたその女は、今目の前で薄汚い媚びた笑みをこぼす汚れたカラスと、いやサトルの中ではアケチに等しい復讐対象へと昇華した。
そしてサトルは改めて気がつく。そう最初から見逃すべき相手などいなかったことに。それだけ自分のいた世界が残酷で残虐で、絶望に満ちた世界であった。サトルにも妹にも母にも父にだって救いなんてものはなかった。妹が憧れた最後の希望すらただの毒でしかなかった。
パンドラの匣を開放しても希望などは何一つ入ってない。当然だ、サトルに必要なのは与えられた希望などではない、中に封じられていた災厄だ。そして災厄を持って全員に絶望を届ける。それこそがサトルにとっての最後の希望となるのだ。
「へへっ、どうだ? や、役に立つ情報だったろ?」
「……まあ、そうだな」
「だ、だったら俺を助けて」
「何を言っている? 助けるわけなど無いだろう。用が済めばお前は廃棄処分するだけだ。尤も永遠に等しい絶望を与えた後にだけどな」
「な!? ふ、ふざけるな! 話が違う!」
「俺は最初からお前を助けるなんて言っちゃいない。第一お前は助けて欲しいと願った妹を助けるどころか、その薄汚い笑みを浮かべたまま――随分と容赦のない真似をしてくれたようだな」
記憶を探っている時に、期せずしてカラスが妹に行った行為の一部を知ることが出来た。とても全てなど正視出来るものではなかったが、僅かな情報だけでもこの男がどれほどの屑野郎かを再確認するには十分だった。
「ひっ、ひぃ!」
「おい、どこへ行く気だ」
這いつくばって逃げようとしたので足首から先を切り飛ばした。汚らしい悲鳴が耳朶を打った。
翼をなくし、足もなくしてはカラスにはもうどうすることも出来ない。
「お前には一つだけ感謝してやる。お前の話を聞いたおかげで、俺はほぼ全ての悪魔を使いこなせるようになった。そんなお前にプレゼントだ、いでよ悪魔の書第二位、テスタメント――」
カラスの目の前でようやく悪魔の書を現出させ、そしてそのページがパラパラとめくられ、悪魔の書から青白い肌をした長身痩躯の男が現出する。みたところ顔は中々整っており、髪は背中に達するまでに長い。そして大きな鎌を両手で抱えている。
「主よ、我を呼びだして頂き感謝致します」
そして恭しく頭を下げるが、それを見ていたカラスは、
「な、なんなんだよそれはよぉ」
と声を震わせた。
「お前は勘違いしていたようだが、俺の力はこっからが本番でな。この悪魔はテスタメント、尤も死に近い悪魔で、そして――あらゆる拷問に精通した悪魔でもある。良かったなカラス、俺もこの悪魔は初めて召喚したんだ。判るか? 記念すべき初体験がお前ってことだ。さぁ判ったらたっぷりと――愉しめ!」
そして今、醜いカラスは絶望の鎖に囚われ、苦痛の鳴き声を上げる中、狂宴は開始された。




