第一九六話 とある空間での語り合い
「マサルは育ちきらなかったか――」
どこかに存在する城の大きな一室。その中で一人の老人が呟いた。
翳した手の下には幼子の頭部程度の大きさがある水晶球が妖しい光を放っている。
「あんたの予知とやらも大したことないな、【堕落】の爺さんよ」
するとそこへ一人の男が音も立てずにその場に現れ、堕落と呼んだ老人へ向け悪態をついた。
彫りの深い野性味あふれる顔つきの男だ。赤銅色の肌に包まれた肉体は外套の上から明らかなほど鍛え上げられており、達人の放つ槍の一撃であったとしても通さないほどの堅牢さを誇る。
その男も老人も見た目には人とほぼ変わらない。ただ老人は耳がやたらと鋭く尖っておりもう一人の男に関して言えば頭から二本の角を生やしている。
「ふん、わしの予知は適正のあるものの出現場所を知るだけよ。器に最適かどうかまでは判らん。それがそう簡単に知ることが出来れば苦労せんわい。それに、【傲慢】貴様こそインキを失っているではないか」
「あれは俺のせいじゃねぇよ。あの野郎が弱すぎただけだ。ま、今となっちゃ相手が悪かったとも言えるのかもしれないけどな。あんたの見つけたマサルだって同じ奴にやられたんだからよ」
「……ふんっ、例え器に満たなくても、それなりに使いみちがあったかもしれんというのにのう……」
水晶球を見つめながら口惜しそうに言う。すると傲慢と呼ばれた男が口角を吊り上げ、こうなったら、と発し。
「あれを器候補にしちまうのはどうだ? 正直インキもマサルも成長度はイマイチだったが、それでもあれだけあっさり倒せるような奴だ。なんだったら俺が今すぐにでも行って捕まえてきてやるよ」
男の提案に、堕落は一つため息をつき、ジロリと睨みつけて言う。
「我らはまだ目立つわけにはいかん。それぐらい判っておるであろう? 王の復活の日まで、我々が既に動いていることは出来るだけ隠しておかねばいかんのじゃ。だからこそ魔人を上手く使わねばな。それと――」
そこまで口にし、じっと水晶球を見つめなおした後、老人は更に続けた。
「この男は器には向かん。水晶球を通してでも判る。圧倒的に闇が足りんのじゃ。それとな、わしの予知が伝えておる。この男に我々が直接手を出すのは危険だとな」
視線を傲慢に戻し、堕落が述べる。
「ただの耄碌じゃねぇのか堕落よ」
「馬鹿をいえ。それにしても貴様は――立場としてはわしの方が上じゃろうに、もう少し口の聞き方に気を遣わんか」
「馬鹿言うなよ。俺の直接の上は【孤独】だけだ。俺達に存在する上下関係は一対の間でだけの話だろ。威張り散らしたいならあんたの下になる【怠惰】でも呼んどけ」
目を眇め傲慢が文句を述べた。それに一つ息を吐きだし堕落が返した。
「ふん、あれは妙に人間社会に溶け込んでおるからのう。尤もそれがあやつの能力でもあるし、情報集めには役立っておるんだがのう……まあ、それはいい。ところで孤独のやつは相変わらずなのかのう?」
「あぁ、俺も上にあたるとはいえあれの考えることは良くわからないからな。あれは孤独を地で行っているのさ」
肩を竦め傲慢の男が言い、まぁ実力だけは確かだけどな、と呟くようにして付け足す。
「それで、候補の予知の方はどうなんだ?」
「そっちは既にそれぞれに伝えた通りじゃ。お主に任せられそうなものは今はないのう。今のところは【暴食】に仕えさせてるアレスはある程度成長しているようだが……」
「はん、あいつはよくわからない奴だぞ。ハンマでも途中で引き上げたからな」
「……仕方のないやつだ。しかし現状は暴食に任せてるしのう。あやつの性格ならある程度自由にさせているのも判るというものじゃ」
「ふん、俺はどうもあいつは好かんがな。で? 他には何か使えそうなのいないのか?」
「ふむ、一応怠惰の方で偶然、召喚をさせた商人の下にそれなりに使えそうなのがいたという報告は聞いておるがな」
「そいつらは候補にはならないのか?」
「うむ、実力はかなり高そうであるようじゃがな――それ以上に、馬鹿らしくてのう」
「……馬鹿、なのか?」
「――馬鹿、なのじゃ」
『……』
少しの間ふたりのあいだに沈黙が訪れるが――気を取り直すようにこほんっと堕落が咳払いし。
「ま、とりあえずお主には【狂気】を探して欲しいところじゃな」
「……あれも復活したのか、ということは【強欲】もか?」
「そうじゃ、だが強欲の方は大体の場所はもう掴めとる。尤もだからこそ狂気のことも判ったのじゃがな。とりあえずわしの部下が強欲へと向かっとるわ。だがお主も知っていると思うが、狂気の魔神の力、普段は皆無じゃ。それ故探すのに手間が掛かる」
「それを俺がやるのかよ。全く面倒事ばかりだな」
「仕方がないであろう。王の復活も近いのだ。だからこそここクサナギもわしの手で落とした。我らが動きやすくなるためにのう」
くくくっと忍び笑いを見せながら堕落が言う。その様子に傲慢が眉を寄せた。
「ただの意趣返しだろ?」
「そうとも言えるがな。だがな、わしが手をくださなくてもとっくにこの国は闇に染まっていた。むしろ余計な事をしでかす前に今は大人しくさせているのじゃ。人間には感謝して欲しいぐらいじゃよ」
よく言うぜ、と両手を振り上げる傲慢だが、
「まあいい。どっちにしろ手持ち無沙汰だしな。狂気は探しておいてやるよ」
と言い残しその場から消え失せた。
「……行ったか。さて、いつまでそんなところで覗き見てるつもりじゃ?」
『あら、気がついていたのね』
すると、何もないかと思われた空間に突如一匹の蝙蝠が姿を見せる。とはいっても普通の蝙蝠ではなく、顔の殆どの割合を占める大きな単眼を有した蝙蝠の魔物である。
「その程度の透明化、傲慢でも気がついておっただろう。あやつは特に気にしていなかったようじゃがな」
『そう、やはり同じ魔神ってところね』
「それにしてものう。どうせならそんな蝙蝠ではなく、お主自身がくればよいじゃろう。旨い紅茶ぐらい馳走するぞ」
『嫌よ、貴方私の身体をジロジロ見るじゃない』
「年寄りの囁かな楽しみじゃよ。それにお主と【色欲】はかなりの美貌の持ち主。勿論わしはお主の方が遥かに美人じゃしエロいと思っておるがな」
『……一応褒め言葉として捉えておいて上げる。ところでさっきの男の話だけど、私に任せて貰えるかしら?』
年甲斐もなく女を口説くような言葉を蝙蝠に向けて投げかける堕落であったが、その後発せられた美しく媚びるような声に彼は眉を寄せた。
「――男、あれの話をしているのか。しかし聞いていたなら判るじゃろ? 正直直接手を出すのは今は看過出来んのう」
『判ってるわ。だから直接じゃなくて任せたいのよ。ちょっと面白い子を咥えているから、やらせてみたいの』
「……あれか――」
『貴方の思ったとおりよ。それに、直接は控えるにしても何もしないわけにはいかないでしょう?』
堕落は、ふむ、と唸り、真剣な顔を見せる。そして片方の手で毛のない頭を撫で、もう片方の手では頭とは対照的にふさふさの八の字髭をさすった。
「まあ確かにお主の言うとおりじゃし、位置的にも丁度いいかもしれんのう」
『そう、それなら決まりね。結果は後で教えてあげる』
「その時は、顔を見せてくれると嬉しいがのう」
『気が向いたらね』
そう言って、蝙蝠型の魔物はパタパタとその場から飛び去っていった。
それを見送ると、やれやれ、と一つ呟き。そして老人は再び席に座り台座の上に置かれた水晶に視線を向けた――




