第一九五話 エルガの選択
孤児院で、アンに関してはナガレも情報が掴めたら知らせますと約束し、そして一行は孤児院を後にした。
その後は領主との約束もあったので皆でオパールの屋敷へと向かう。
「わ、私達もお呼ばれしてよかったのかな?」
「全員分既に寝室も用意されているようですし、お風呂や食事の準備も整っているということでしたので、断るのはむしろ失礼にあたりますしね」
「どちらにしてもまともな食事とお風呂にありつけるのはありがたいですね先生! 勿論先生のお背中は不肖フレムが流させて頂きます」
「いえ、それは自分で出来ますので」
「ご遠慮なさらず!」
「フレムっち~それは遠慮じゃないと思うな~」
妙に張り切るフレムだが、カイルの言うようにナガレとしてはお風呂ぐらいは自分のペースでのんびりしたいところである。そしてナガレであれば合気を利用したほうが全身くまなく洗うことが出来る。
「うちがこの屋敷の当主どす。明日からの道程はうちも合流するさかい、ほんに宜しくお願いどすえ」
屋敷に到着すると再びナガレはオパールと顔を合わすこととなった。彼女は改めて全員に挨拶をすませた後、部屋の割り振りを家政婦にまかせつつ、
「ナガレはん、良かったら今宵はうちの部屋で一緒にどうどすか?」
「な!? え? え? えぇえぇええぇええ!?」
オパールの積極的な誘いにピーチが驚きの声を上げる。しかしナガレはやんわりと失礼にならないような物腰でその誘いを断った。
「ほんにつれないどすなあ。そやけどほいほい尻尾を振ってついてくる輩よりかは、やり甲斐がありますどすえ」
艶のある笑みを残しつつ、扇をひらひらさせ、
「今宵は出発前にかたしてあかんといけん執務があるさかい、うちは食事には同席できまへんが、どうぞごゆるりと旅の疲れを癒やしいくれどす」
と告げ部屋へと去っていった。
「領主様となると色々とお忙しいのですね」
「う~ん、それにしても綺麗な人だったよね~あんな美人さんに好かれてナガレっちが羨ましいよ~」
辞去したオパールを眺めながらローザが言い、カイルは何故かナガレを羨ましがった。
それに、全く、と溜息をつくローザでもある。
「ま、先生ほどの御方ともなれば各地方に女のひとりふたりいたとしても不思議じゃないしな」
「な、何馬鹿なこと言ってるのよ! もう! 本当にもう! ナガレってばもう!」
「え? あの私、何か気に障るようなことでもしてしまいましたでしょうか?」
「知らない! もう、知らない!」
ぷいっとそっぽを向くピーチに少々困り顔のナガレである。やはりナガレ、女心に関しては少々疎いようだ。
何はともあれ、一行はそれぞれ割り振られた部屋に荷物を置き、久しぶりに浴槽のあるお風呂に浸かり疲れを癒やす。
途中やはりフレムが背中を流そうとしてきたが、そこでダンショクが乱入し、みんなの背中を流してあげるわ~、などと暴走しかけたりしてパニックに陥った。
だが、逆にナガレはそれを利用し、ダンショクが他の男達を追い掛け回している間に、ゆったりとお風呂に浸かり、身体を洗い、阿鼻叫喚の渦に巻き込まれつつあった風呂場を、それではお先に、と平然と後にしたりした。
食事の席では最初に話にあったようにオパールは同席しなかったが、同じく部屋を用意してもらっていたルルーシ、セワスール、ナリヤとは席をともにし中々有意義な晩餐となった。
そして夜は更け――
「驚きましたナガレ様。このような時でも鍛錬は忘れないのですね」
屋敷の中庭にて型を続けるナガレを見つけると、エルガがいつもの口調で声を掛けた。
その姿は男性のものであるが、他に誰もいないということもあり今の口調はあの喋りにくそうな男口調ではなく、最初に出会った時と同じような慣れ親しんだものだ。
「執事の方が教えてくれまして。ここであれば何時でも気兼ねなくご使用くださいと。ですのでその好意に甘えさせて頂いておりました」
「ふふっ、甘えといってもやられていることは至極、己に厳しそうに見えますけどね」
「いえいえ、私はこれで中々の怠け者でして。油断するとついついサボってしまいます」
「ナガレ様はご冗談もお上手ですわね」
そう言って微笑するエルガであるが、その笑顔が妙に固く感じられた。
「でも邪魔してしまいましたかしら?」
「いえ、少しさぼろうかと思っていたところですし、丁度よかったです」
その言葉に、ふふっ、と笑みをこぼしつつ、更にエルガはナガレの近くまで足を進め隣に立った。
「……実は、中々寝付けなくて気が紛れるかと思いまして散歩に出てしまったのですが」
「――そうでしたか。それは暑苦しい物をお見せしてしまったかもしれません」
「いえ、むしろそれはいい目の保養になったぐらいなのですが」
「それなら良かった」
優しい笑みをこぼすナガレにエルガの頬が朱色に染まる。だが、すぐに真剣な顔に戻し。
「……ナガレ様は、今の私をどう思いますか?」
「と、申しますと?」
「――今の私は見ての通り男の姿をしております。いえ、勿論それこそが本来あるべき姿なのですが――しかし口調はナガレ様の前ですとついつい以前のものに……やはりおかしいですよね?」
「――私はそのようなことは気に致しません。私にとってエルガ様がエルガ様であることになんら変わりはありませんからね」
「……ナガレ様はやはり素敵な方です。それを全く裏表なく言えてしまう。……ですが、皆が皆そのように心の広い方ばかりではやはりないのでしょうね」
そう言って物悲しげに笑うエルガ。ナガレは夜空を見上げるようにしながらそんな彼女に尋ねる。
「オパール様の指摘を気にされているのですか?」
「……ふふっ、やはりナガレ様には判ってしまいますか、その通りでございます。私はどうしてもあの御方の言われた事が気になってしまい――」
暗い表情で視線を落とした。そしてはかなげな声で言葉を続ける。
「オパール様の言うとおり、私は自分をごまかしております。この姿でいる時は男として振る舞わないとと思ってしまうのですが、それがどうしても空回りしてしまい……それに――私は女性として振る舞う自分が好きなのです。そしてそれこそが己の本当の姿なのではないかと今では思っております。故に、男性の姿である自分を私は嘘で塗り固めてしまい、結局それが仇となってオパール様のような慧眼をお持ちの方には見破られてしまうのですね」
一つため息を吐きつつ淋しげな表情を見せた。
「ですが、だからといって本当の姿をさらけ出すべきなのかどうか……私はヒネーテが必死に私の事を隠そうとする気持ちもある程度判るつもりです。男として生を受けた筈の領主が、女性の格好をして出てくれば、民はやはり戸惑うでしょうし、そのような者を領主として認めてくれるものなのか――」
そこまで言って、今度は縋るような目をナガレに向ける。
「ナガレ様、私は、私は一体どうすればいいでしょうか?」
「残念ながら、それに私の口からお答えできることはありません」
だが、言下にナガレが発した言葉は、どこか突き放したようなものであった。
「オパール様は領主としてエルガ様を見極めようとされました。ならばそれに答えるのはエルガ様自身の考えに寄るものでなければいけないと思います」
しかしそれはナガレにも思うところがあっての事であった。
ここでナガレの言ったとおりに決めてしまっては、それは結局人任せで自分の運命を決めてしまうことに他ならない。
「……確かにそうですね。私が甘かったようです。このような事をナガレ様に相談してしまうなんて――」
沈んだ声でエルガが言う。頭では理解していてもやはりナガレの答えに何かつかめるものがあるかもしれないと期待していたのだろう。
勿論それが甘い考えであることはエルガ自身も理解しているのだろうが。
「ですが、敢えて私の口から言わせてもらうのであれば、どちらにしても一緒であるということでしょうか」
だが、直後口にされたナガレの言葉に、え? とエルガは目を白黒させた。
「先程も言いましたが、どのような形であれエルガ様がエルガ様であることに変わりはありません。ですからどちらを選ぶにしても抱える悩みとて一緒のこと。違いといえば、自分を殺してあくまで今の姿を固辞し真実を告げられないことに悩み続けるか、それとも全ての自分を曝け出しその姿を受け入れてもらえるよう尽力するか――しかしそれとて中には心ないことを口にする者もいるかもしれない、そのことによってやはりエルガ様を悩ますこともあるでしょう。どちらにしてもエルガ様が領主である以上苦労されることになるかもしれない。ですが人々の上に立つ人間であるならば、これからも沢山の頭を悩ます出来事があり、その度に苦しい選択を迫られる事もあるでしょう。そんな時に一体何を考えどう選ぶべきか――今どうすべきかだけではなく、未来にとってどうあるべきか、その選択肢によって未来はどうなるか……そのことをしっかり考え見据えていけば、自ずと答えが見えてくるようになるのではないか、と、あくまで私の考え方ではありますけどね」
そこまで口にした後、少々出過ぎたことを語ってしまったかもしれませんね、と瞑目する。
「――どちらにしても一緒、私は私、それに未来を、ですか……ふふっ、なんだか心のつかえが取れたようですわ。ありがとうございますナガレ様」
「……私などで少しでもお役に立てたのであれば幸いです」
エルガの笑顔からは硬さが取れていた。今後どうすべきか解決するための緒が掴めたのかもしれない。
そしてその後は軽く言葉をかわし、エルガは部屋へと戻り、ナガレも日課の鍛錬を続け終わらせた後、朝を迎えたのであった――
◇◆◇
「……エルガ、本当によろしいのですか?」
「ええニューハ、私はもう決めました。ですから、手伝って下さる?」
翌朝、ニューハはエルガに招かれ部屋へと赴いた。そしてエルガに頼まれその決意の手伝いをすることとなる。
そして――
「エルガ様、朝食の準備が整ったということですが」
「判りました、今向かいますので」
エルガを迎えにやってきたローズであったが、扉の向こうから聞こえてきた声に少々違和感を覚えたようであった。そしてその直後、扉を開き現れたのは――見目麗しい女性であった。
「え? あ、あの貴方は? それにエルガ様は、あれ? ここはエルガ様の寝室で間違いない、です、よね?」
「ふふっ、何を言っているのですかローズ。私ですよ、エルガです」
「え? へ? はい? いやいやご冗談を。エルガ様は男性ですよ。それなのにエルガ様の名を語るなど!」
ローズが驚き、怪しい奴め! とその目を尖らせる。無理もないことだろう。何せ今のエルガの姿は油と魔導具の力で無理やり固めて纏めていた髪が背中まで下ろされ、その衣装も裾の広がった艶やかなドレス姿。つけまつ毛をし宝石のような碧眼も相まって見た目には完璧な貴婦人といった様相である。
「本当なのですよローズ様」
そして後から出てきたニューハがにこりと微笑み、目の前の人物がエルガであると説明した。それに目をパチクリさせるローズであり。
「ごめんなさいローズ。実はこれこそが私の本当の姿なのです」
「ほ、本当の姿、え、え、エルガ様は女性だったということですか?」
「いえ、私の本来の性が男性であることに変わりはありません。ですが、これからはこの姿で、女性として振る舞ってゆくことを決めたのです。それが嘘偽りのない私ですから」
「へ? え、えええぇええぇええぇええぇええ!?」
驚嘆し、そして固まるローズを、さぁさぁ、と食堂へ逆に引っ張っていくエルガであった。
そして朝食の席ではナガレ以外の面々も随分と驚いていたが、エルガが説明し元々知っていた者達はエルガが決めたことなら、と納得する。
尤も知らなかった騎士や冒険者には戸惑いも見られたりしたが。
「決心がついたのですねエルガ様」
「はい、ナガレ様のおかげです。あ、勿論あの後しっかり未来を見据え考えた末のことなのですよ。そして判ったのです、自分を騙して領主を続けたところで、その先に待つ問題を乗り越える事などできはしないと。だって、今の自分を誤魔化しているという問題を残したまま、他の問題になんて取り組めるわけがありませんもの。ですからこの姿の自分を認めてもらう――勿論それとて簡単なことではないかも知れませんが、それを乗り越えることが出来れば、私はきっと成長できる」
そう言って見せたエルガの笑顔はとても眩しく、そして美しい女性のそれであった。
「ほんにまあ、メイド達が騒いでいたどすから顔を出してみたら、ほんに変わったものが見れたどすえ」
朝食も食べ終わり、外に出たところでオパールがやってきて扇で口元を隠しながらそんなことを口にした。
「オパールさん! 良かったですわ。私丁度お話がしたいと思っていたのです」
するとエルガが彼女の傍に近寄り、満面の笑みを浮かべ語りかける。
「……その前に気になることがありすぎるどすが――」
その様子に、眉を寄せ怪訝そうに口にするオパールであるが。
「そうですね。そのことについては一つ謝らせて下さい。その節は本当に申し訳ありませんでした。昨日貴方様が言われたように、私は己を騙し続けておりました。そしてこの姿こそが真の私でございます」
深々と頭を下げた後ニコリと艶のある笑みを浮かべるエルガ。その姿に目を細めるオパールであり。
「確かにうちはあんはんに自分を騙していると、それが愚かだとゆうたどす。せやけど今度は流石に正直するんおまへんか?」
「いいのです。これからの未来も考えて出した結果ですので。そこでです! オパールさん今日の出発まで少しは時間が取れますよね?」
「取れるゆうてもお昼ごろには出る必要があるさかい」
「それで十分です。私にこの街を案内してください。そして特産品でもある宝飾品を一緒に選んでくれませんか? 私に似合いそうなものを教えて頂きたいのです」
「……唐突におかしな事をゆうどすな。大体そないなことしてうちに何の得があるん?」
「本来男性のこの私が、オパール様の見立てとこの街の宝飾品でより一層美しく慣れたならば、きっと良い宣伝になりますよ」
オパールの問いかけに対し言下にエルガが答えた。にこにこと愛嬌を振りまくのを決して絶やしていない。
「より一層やなんて、またえろう自信があるんでおますな」
「はい、この姿ならオパールさんにも引けは取らないのではないかと思っております」
その台詞にニューハがクスクスと笑みをこぼし、ローズに関しては未だにポカーンとした表情で固まっているが。
「……うちを見てそこまでゆうやないて、大した自信でおま。それにしても宣伝に利用しろやなんて、また偉く媚びて来たどすなあ」
「はい、勿論今後はオパールさんとも仲良くさせていただきたいですし。ですので宣伝にはどんどん利用して頂き、その代わり私にも甘い蜜を吸わせてくださいね」
首を傾けにっこりと最高の表情で微笑むエルガ。それは駆け引きとしてみるならあまりに直球な物言いであるが――
「――ぷっ、ふふっ、お~ほっほっほ!」
突如大きな声で笑い出すオパールである。そしてじっとエルガの姿を見据え。
「ほんに呆れた御方おま。せやけど、うち、エルガはんみたいなもん嫌いじゃないどす。ほんに、ええ性格してますこと」
「あ、ありがとうございます。それでは、一緒に見て回って頂けますか?」
「……ま、うちも仕事が大分落ち着いたさかい。出発するまでの間ぐらいなら、付き合いまひょ。せやけど、やるからには徹底してやらせてもらいますさかい、ええ宣伝材料になってくれどす」
「はい! 任せて下さいどす!」
エルガの返事に、オパールは目をパチクリさせた後、再び大きな声で愉しそうに笑った。
そしてナガレを一瞥し、流石どす、とでも言いたげな微笑を浮かべた後、エルガと一緒に街へと繰り出していった。
それを見送った後は、ナガレ達も出発までも街を見て回り、密かにジュエルドラゴンにも挨拶を済まし――そしてその日の午後、長いようで短い期間を過ごしたジュエルの街から、オパール達も加わった一行がいよいよ本命の街へと向け出発するのだった。




