第一八二話 地下牢のマリア
「貴方がマリア様ですか?」
「あん? なんだいあんた達は! この私に何のようがあるってんだい!」
「う、うそ、これが本当にマリアなの?」
その姿にルルーシは目を白黒させ随分と驚いている様子。マリアは胸をやたらと強調したボンデージな衣装姿であり、眼鏡の奥の瞳もやたらとギスギスしており、化粧も濃い。正直毳々しいといった表現がぴったりくる女性であった。
そして言葉遣いもやたらと棘々している。
「ちょっとどうしたのよマリア! 貴方こんな格好する人じゃなかったわよね? それにその口調もまるで人が変わったみたいだし……」
「は!? 何いってんだい! 私は生まれてからずっとこの調子だよ! わけのわからないこと言ってるんじゃないよ!」
とにかく荒々しいその姿に顔が引きつるルルーシとピーチであったが。
「あ、あの、それで貴方はどうしてここに捕らえられているのですか?」
「は? そんなこと決まってんだろ! あのマサルって糞ガキのせいさ! 全く私がちょっと子供達を奴隷商人に売り飛ばそうしたぐらいで本当に腹が立つよ! 絶対に復讐してやる!」
「奴隷商人って……本当にどうしちゃったのよマリアぁ~」
「なんだい! あの子供達は私の所有物だよ! 私の物を私が売り払って」
「ちょっと失礼――」
捲し立てるように言ってくるマリアの前に、ナガレが一言添えて立ち、牢屋越しに立つマリアの目を見た。
「な、なんだいあんた、ちょっといい男じゃないか」
「ありがとうございます。ところで、今の貴方は本当のマリア様ですか?」
「はぁ? あんた頭大丈夫かい? 私は、私は……」
ナガレがじっと彼女の目を見つめながらそう問いかけると――ふとマリアの瞼が緩み、一瞬眠そうな目を見せた後、あら? と調子の変化した声で顎に手を添えた。
「あらあら~、私、どうしちゃったのかしら~あれ~?」
そしてキョロキョロと牢屋の中を見回しながら、随分とのほほんっとした調子で疑問の声を発す。
「ま、マリア! 良かったマリアよ! 正気に戻ったのね!」
「えぇ~? あ、あ~ルルーシちゃんだ~お久しぶりで~すね~」
「もう! 何呑気なこと言ってるのよ!」
その変化にピーチが、嘘、これが同じ人? と目をパチクリさせる。
それぐらいの変化であった。棘のあった口調はなんとも緊張感のないのんびりしたものに変わり、目付きもそれに合わせて肉食獣のようなギラギラしたものから草食獣のような大人しいものに、どういうわけか毳々しかった顔もすっきりとし、肌に潤いが出てきている。正直変化のないものはその豊かなバストぐらいのものか。そして全体的に四、五歳は若々しくなった感じがする。
「はあ、いつものマリアに戻ってくれたのはいいけど、本当緊張感ないわね」
「えへへ~ごめんなさいです~」
「あ、あのところでマリア様は」
「あ~、え~と、え~と」
ピーチが口を開くと、マリアが何かを言いかけたが、なんとものんびりとしておりピーチも少し動揺するが。
「え~と、あの、わたしのことは~マリアでいい~ですよ~」
「え? あ、うん判ったわ」
そんなマリアの言動にピーチも戸惑い気味だがとにかく話をすすめる。
「それでその、マリアはここにいる理由は判っているの?」
「あ~はい、そうですね。わたし~子供達に悪いことをしてしまいました~グスン」
そう言って目を伏せ子供が泣くようなポーズを取ってみせた。見ようによってはなんともあざといが、彼女の場合は天然である。
「わたし~子供達に合わせる顔がないです~ふぇ~ん、どうしたら~いいのでしょう~」
「か、悲しんでるんだろうけど、なんか緊張感に欠けるわね……」
ルルーシの意見も尤もだが、とは言え、どうやら自分の意志で動いていない間の記憶もある程度残っているようだ。
「大丈夫ですよマリア。それは貴方が望んでやったことではありませんし、子供達も判ってくれる筈です。ですから、もう少しだけご不便をお掛けしますがお待ち下さい」
「ふぇ? あ……はい、判りました~」
「いや、随分とあっさり納得するのね」
「え~でも~この方は、なんとなく信頼できるというか~安心できるというか~」
初対面でありながらも、どうやらマリアにナガレの人柄はよく伝わったようだ。
「さて、これではっきりしましたね」
「そうね! どう考えてもそのマサルというのが怪しいわ!」
「全く冗談じゃないわよ! これ洗脳か何かよね? どんな魔法を使ったか知らないけど、とっちめてやらないと!」
マリアの様子から核心を得たのであろう、ルルーシは鼻息を荒くさせマサルに大して憤慨している。
「ふむ、洗脳ですか。確かに近いとも言えますが――とりあえずここを出ますか」
ある程度何かを察している様子のナガレではあるが、マリアに一旦この場を離れることを告げ三人は地下牢を出る。
「先生お勤めご苦労さまです!」
「フレム、出来ればその言い方はやめて欲しいです」
地下牢から出てきた彼への、フレムの第一声に若干の渋い顔を見せたナガレである。
「あの、ところで……なんでマリア様はここに捕らえられているのでしょうか? いやマサルに歯向かったというのは判っているのですが、正直わけがわからなくて……」
すると衛兵がナガレにそんな質問をしてきた。どうやら彼は記憶が混乱しているようである。
「そうですね、その件はいずれ解決するでしょうから、もう少しお待ち下さい」
「は、はぁ、判りました」
ナガレにそう言われ、とりあえずは納得する衛兵である。
「でもナガレ、そのマサルの居場所は判るの?」
「ええ、これから孤児院に向かえば彼と会うことが可能だと思いますよ」
「そ、そんなことも判るのね貴方」
「ふむ、ナガレ殿は何か凄い力を秘めているような、そんな気がしますな」
「確かに、ですがそのマサルというのは結局何者なのか……」
「先生が凄いのは当然だ! 何せ先生だからな! けどよぉ、そのマサルって奴はとんでもないぜ! 先生を差し置いて自分を神以上の存在とか宣ってやがるんだからな!」
「まあ、自分のことを神以上なんて言う人はそうはいないよね~」
「当たり前ですわ。そんなことを自分から言うだなんてちょっとおかしいのではないかと思いますわ」
「わ、私にとっての女神は、お、お姉さまですから……」
「その御方は神を冒涜していると思います。私、許せません!」
全員マサルへの苛立ちは頂点に達しているようだ。ただ、現状この街の人々はマサルに心酔しきっているようなので、できるだけ対応を急ぐ必要があるだろ。
マリアやあの商人一家のこともある。それに子供達もこのままでいいということはない。
なのでナガレ達はそのまま孤児院へと急ぐことにしたが――
◇◆◇
「流石マサル様! レベル45億6000万の破壊獣ファイナルメガゴメラをこんなにあっさり倒してくるなんて。やはりマサル様はこの世界に於いて至高かつ究極の神。孤児院と世界を救えるのはマサル様だけですわ」
「やれやれ、こんなこと別に俺以外の冒険者にだって可能だろ?」
「いやいや! ありえないですよ!」
「俺達じゃこんな途方も無い魔物に襲われたら一秒も持ちませんって」
「そうか? 俺の鼻毛を抜いて吹きつけただけであっさり消し飛んだ程だぞ?」
「全くマサル様はご自分のことをもう少し理解した方がいいにゃ~」
「そうなの! マサル様のお力は足踏み一つでこの世界が崩壊してしまうほどなの!」
「おいおいそれは言いすぎだろ」
ギルドの依頼を見事達成し、更に皆から讃えられマサルはやれやれと頭を振った。
正直彼にとってはこの程度、瞬きをすることよりも簡単な所為なのである。つまり意識してするほどのことでもなく、あまりに簡単であまりに単純な作業でしかなかったのだ。
そんなことでこうも賞賛されていては、これからの人生永遠に賞賛されつづけなければいけない。
ただ、やはりこれだけ皆から言われるということは自分の力はそれだけ強大なものなのだろうと自覚すべきかもしれないな、とマサルは考える。
何せそこをしっかり踏まえて置かなければ、うっかり世界を滅ぼしてしまうなんてこともありえてしまう。マサルにとって大事なのは孤児院の少女達だ。そして彼を慕い今も冒険者の仕事を手伝ってくれるペルシアやキューティーは勿論、受付嬢のルイダも含めてマサルが守るべき愛すべき人々である。
そう、マサルほどの人間はこの街にも、いや世界にだっていやしない。何せ神に認められ今や神以上の存在となった自分を超える力を持つ人間などこの世にいるはずもないのだ。
「ふむ、武器磨きしっかりやってるようだな」
そんな中、ふとマサルは武器磨きを命じておいた少年リッツを目にし、そう声をかける。
この少年は正直何をやっても駄目で、使いみちのない家の片隅に落ちてる埃のような無能な少年であったが、それでもマサルはその心の広さをもってこうやって仕事を与えているのだ。
我ながら情け深いことだとマサルは思う。
「は、はい! それでマサル様、実は今日はいいことがあったのです」
「……いいこと?」
「はい! 実は僕の磨き方を褒めてくれる方がいまして――」
その話を耳にし、マサルの眉がピクリと跳ねた。そして更に正当な報酬として二万ジェリーも支払ってくれたと告げるリッツであったが――
「この! 愚か者がーーーーーーーーーーーー!」
「ひっ!?」
突然マサルの激が飛び少年は恐れ慄いてしまう。
「よりにもよってそのような施しを受けるとは! 貴様それでも我が孤児院の子供か! お前は私のありがたい教えを無視し、そのような乞食の真似事をし、それをさも自分の手柄のように語るなど恥を知れ!」
「そうなの! これはとんでもない不敬なの!」
「情けは人の為ならずというありがたい教義を忘れたのかにゃ? お前の行為は結果的にマサル様に恥を欠かせることになるにゃ! もう死を持って償う他ないにゃ!」
「そ、そんな、でも、これは施しではないと、ナガレ様が……」
「ナガレ、様だと?」
マサルの目付きが更に鋭くなり、リッツががたがたと肩を震わせた。
「貴様はこの俺を差し置いて、そのようなわけのわからない男に様をつけるとはな。本当にいい度胸している」
「もう確実に死んで詫びるしか無いなの」
「今すぐこのナイフで首を掻っ切って詫びるにゃ!」
「……まあ待て、何もそこまですることはない。何せこの俺は慈悲深いんだ。そうだな、おい――」
そう言ってマサルはリッツに向けて靴を向けた。
そして、後は判るな? と少年に告げる。
「……は、はい」
そして少年は腰をかがめ、周囲の冒険者達が嘲笑する中、その靴に舌を伸ばそうとするが――
「ほげっ! げひっ! ぎゃふん!」
その瞬間、マサルの身体が弾け飛び、天井に身体を打ち付け更に床に叩きつけられた。
マサルはまるで蛙が潰れたような格好のまま皆に尻を向け、ぴくぴくと痙攣するが――
「え? ま、マサル様?」
「にゃ、これは、なんにゃ?」
「な、なんでマサル様があんな無様な姿で倒れているなの!」
リッツも思わず目を丸くさせギルド内もざわめき始める。
だが、そこですくっとマサルが立ち上がりパンパンっと衣服の埃を叩いてみせた。
自然と皆の視線がマサルに向けられる。
「な……」
『な?』
「な、な~んちゃって」
そして振り向きざまに髪を描き上げながら、そんな事を言う。
すると、一瞬にしてギルド内が笑いの渦に包まれた。
「さ、流石マサル様は笑いのセンスもピカ一にゃ」
「マサル様はご冗談も素晴らしいなの!」
「そ、そうだろう? はは、やれやれ参ったな……」
マサルはなんとか誤魔化しつつも、行くぞ! とふたりに告げギルドを後にした。リッツはそのままで良かったのか? と聞かれもしたが、もういい! と答えるマサルの顔には悔しさが滲み出ていた――
次回遂にマサルとナガレが……




