第一八一話 武器磨きの少年
「それはもうマサル様は素晴らしい御方です。そう、言うならばあの御方は雑草ばかりが繁茂していたこのろくでもない冒険者ギルドに差し込んだ神々しい太陽神の光――」
冒険者ギルドに着くと、うっとりとした表情でルイダと名乗った受付嬢が、マサルのことを説明してきた。ちなみに本来聞きたかったのはマリアの居場所である。しかしなぜか話が脱線しマサルという男の話になってしまっていた。
そしてどういうわけか、このルイダが腰を掛けているのは灰色のヒゲを蓄えた体格の良い男で、肩幅と大きさが椅子として調度いいのです、とルイダが語る彼は元はこのギルドのマスターで今は犬でもあるらしい。
「正直どこから突っ込んだらいいのかしら?」
「え~とギルドマスターが犬で、でもそれを椅子にしている受付嬢が実は一番偉くて?」
「そしてそのマサルっちというのがやっぱりここで一番偉いみたいだね~」
「あ、頭が沸騰しちゃうよ~」
「とりあえず全てがその男を中心に回ってるってことでいいと思いますわ。不快ですが」
「わ、私にとっての中心はお姉さま――」
それぞれが思い思いの言葉を口にする中、ルルーシはやはり不快そうで一言いってやりたいといった様子を感じさせるが。
「お嬢様今は堪えてくだされ」
「とにかく、その男とマリア様について聞いておく必要がありますからね」
とりあえずセワスールとナリヤに宥められ発言を控えているルルーシである。
「――そしてマサル様はつい最近も、あの伝説のゴッドインパクトジャイアントやハイパーインフレタランチュラを倒して私達を驚かしてくれました。何せゴッドインパクトジャイアントはそのレベル8000万、ハイパーインフレタランチュラはそのレベル2億5千万、そして孤児院の立て直しという天意を抱えながらも我々の、ひいてはこの国、いや世界の為に、今マサル様はこの世界を一〇〇万回は優に滅ぼせるという伝説の破壊獣ファイナルメガゴメラを退治する為自らの命も顧みず動いているのです。死をも厭わぬその勇気は国中の民が――」
だんだん名前が適当になっている気がするが、話が長そうなのでナガレは一旦ルイダの傍を離れ、何故か一人で冒険者の武器磨きを続けている少年に近づいた。
「何故貴方はここで一人で武器を磨いているのですか?」
「は、はい。これもマサル様の言いつけで、マサル様は素晴らしい御方です。家事も掃除も力仕事も失敗ばかりのこの僕にもちゃんと仕事を命じてくださいました。男なら朝から晩まで武器を磨くぐらいのことは出来ないと、立派な人間にはなれないと」
武器磨きが立派な人間に繋がるかどうかはさておき、彼の武器の扱い方はかなり丁重でナガレからみても好感が持てた。
「おい! さぼらずにしっかりやれよ! あのマサル様のご命令なんだからな!」
「世の中で役立たずのレッテルを貼られたゴミ同然のお前でも、マサル様はこうして仕事を与えてくれてるんだからよ。ほらこれもやっとけ」
そう言って冒険者の男が重そうな大剣を少年に向け放り投げた。それはそのままでは少年の頭に当たる位置であり、驚いた少年がバランスを崩しそうになるが。
「大丈夫ですか?」
ナガレは少年の背中を優しく受け止め、頭に当たりそうになった大剣も軽々とキャッチした。おかげで少年の怪我はないが、不機嫌そうに大剣を投げつけた男が眉を顰め。
「全くそんなものも受け取れないとは、やはりマサル様の言うとおり使えない野郎だ」
「てめぇ! なんだその言い草は!」
「ひっ! え? な、なんだよ。俺はただ……」
「黙れこら! 先生がいなかったらどうなってたと!」
「フレム、よしなさい。ですが、怪我をするところだったのは事実なのですから、お気をつけ下さい」
ナガレに言われ、フレムはチッ、と舌打ちしつつも男から手を放した。
そしてナガレが注意すると、だけどよ、と不服そうな男ではあったが。
「貴方が悪くないのは承知しておりますが、今のが危険なのはいい大人なら判りますよね?」
更に念を押され、すると途端に男が申し訳無さそうな表情を見せ、悪かったよ、と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、それより怪我がなくて良かったです」
「いや、そもそももう我慢出来ないわよ! リッツ! どうしてこんなところで一人で武器磨きなんてしてるのよ!」
ルルーシが彼に問いただすが、え? あの? と戸惑いの表情をリッツが見せる。やはりルルーシが何者かが判らないようだ。
「ねえ貴方ずっとここで武器磨きしてるの?」
「え、あ、はい。ここ数日間はマサル様のお言いつけですので」
「……ねぇ、ナガレ――」
納得が言っていないルルーシを他所にピーチが彼に尋ね、その答えを聞いた後ナガレに懇願するような目を向ける。
「そうですね、武器の磨き方ですが、この布であればこうするともっと良くなると思いますよ。この目にそって磨くのがポイントです」
「え? あ、本当だ! 凄い! 更にピカピカになった!」
「いや、ナガレそうじゃなくて!」
ピーチが思った反応と違う! と突っ込んできたが、ナガレはにこりと微笑んだ後。
「良かったら握手して頂けますか?」
そう彼に問いかける。あ、はい、とリッツはごしごしとズボンで手の汚れを落とすようにしてからその握手に応じた。
「ありがとうございます。ふむ、やはり貴方は大したものだ。では、これは握手をしてくれたお礼です」
ナガレは魔法の袋からこの国特有の紙幣の束を取り出し、それをリッツに手渡した。
「え!? これ、二万ジェリーも……こんなに受け取れません。こちらからお礼を言わないといけないぐらいなのに――それに施しは受けるなとマサル様が。情けは人の為ならず、つまり情けをかけられることは後々自分の為にならないと……」
「ふむ、それはそもそも解釈を間違えていますが、どちらにしてもこれは情けや施しなどではありませんよ」
「ですが、僕は握手を交わしただけです。何の役にもたっておりません」
「そんなことはありませんよ。いい忘れておりましたが、私の武器はこの手なのです」
「え? 手?」
「はい、それがあなたに握手をしてもらい随分と滑らかになりました。なのでそのお金は当然の対価です。それに貴方は数日間一度も休まず朝から晩まで武器を磨き続けました。それであれば本来それぐらいは受け取る権利があります」
「僕に、権利――?」
「はい、貴方は物の有り難みをとてもよく理解している。だからこそ武器を磨くという行為一つとっても真剣に取り組む。そしてその気持ちが実際の仕事ぶりに現れています。ここに至るまでの経緯はどうであれ、その能力は今後孤児院の為にも、そして自分の為にもきっと役立つことでしょう」
ナガレにそう評され思わず少年は笑顔を浮かべる。自分のやっている事が認められて嬉しかったのだろう。
それを認めた後、ナガレはそろそろか、とルイダの前まで戻った。
「――と、言うわけでマサル様は本当に素晴らしい御方なのです。まさにこのギルドの鏡!」
「そうですか。いや、ありがとうございます。とても良く判りました」
「全く聞いていなかったにも関わらず、その対応には違和感なし! これが先生の凄さなのだな」
「うん、確かに長ったらしい話の終わり際を見極めるのは流石ナガレといったところね」
「それ褒めてることになるのかしら?」
「少なくともフレムっちは本当にナガレっちを尊敬してるからね~」
「私は十分に凄いと思います。ナガレ様に対する気持ちには誰しも偽りなどないと思いますし」
つまり暗にローザはマサルに関しては偽りがあると言っているわけだが、とりあえずルイダには気づいている様子がない。
「ところでルイダ様、ギルドに連行されたマリアは今はどちらに?」
柔らかい笑みを浮かべつつナガレが問うと、ルイダがポッと頬を染めた。
「い、いけないわ、私の身も心もマサル様に捧げたのに、こんな、こんな少年に――」
何か一人もじもじしながら葛藤を続けるルイダであったが、あの、と再度ナガレに問われ、ハッとした表情でナガレをみやる。
「その、マリアなら詰め所近くの地下牢に閉じ込められている筈よ。ま、まぁあれだけのことをしたならいずれ死刑は確定でしょうね」
「え!? そ、そんなマリアが……」
愕然となるルルーシを宥めるセワスールとナリヤであり、ナガレはナガレで、では急がないといけませんかね、と一言発し。
「……ところでそこの御方はギルドマスターなのですか?」
「え? あ、そうよ。マサル様の温情でギルドマスターという椅子にしがみつくことだけが生きがいとなった哀れなね。だから今はこうやって犬になって椅子になってもらってるわ」
「ふっ、マサル様の為ならこれぐらい! だからこのギルドマスターの席は誰にも譲らんぞ!」
「まあ、今は自分がその座になっているのだけど」
そう言って、オ~ホッホッホ、と笑い飛ばすルイダであるが。
「ふむ、しかし本来ここにはギルドマスターはいない筈では?」
「……はい? 何を言っているの? ギルドマスターはずっとこの街にいるじゃない?」
「そうだ! この俺はマサル様にも認められた、ギルドマスターだ!」
怪訝そうに問いかけてくるルイダであったが、ナガレはその様子に一つ頷き。
「判りました。貴重な情報ありがとうございます」
ルイダにお礼をいいつつ、冒険者ギルドを後にし、詰め所近くにあるという地下牢を目指す。
「……どなたか、どなたかお恵みを~」
その途中、道端でボロを着た家族が一心不乱に頭を下げ懇願し続ける姿が目に入る。
「……え! うそ、あれダイエじゃない!」
するとルルーシが声を上げ、ダイエと呼んだ男の下へと駆けていった。
「ちょっと、なんでダイエがこんなところで乞食みたいな事してるのよ、店は、店はどうしたのよ?」
「へ? あ、あの、貴方は一体?」
「……うぅ、またこのパターン――」
ルルーシは彼をよく知っているようが、相変わらず向こうが彼女を覚えていないため、がっくりと項垂れる。
「ルルーシこの人達知ってるの?」
「知ってるも何も、市場で肉の販売をしていたご主人よ。ちらっと話したと思うけど、孤児院にもよく食材を分けてあげたりした」
「それで、そんな肉屋の旦那がなんでこんなところにいるんだよ?」
「う~ん、お肉を売っているようには見えないもんね~」
「全部、全部この人が悪いんです! よりにもよってマサル様の庇護している娘達に、あんな暴言を吐いて!」
「お父ちゃんの馬鹿! だから私達こんな惨めな目に、ふぇ~ん」
「ごめんよお前たち、本当に、本当に……」
項垂れ拳を握りしめ、後悔の念に駆られる父親。どうやらマサルを怒らせたばかりに市場での権利も財産も全て取られてしまったようだ。しかも彼だけではなく血縁者全てにその報いが与えられたという。
そして当然だが、これもやはりルルーシの知っている彼らと齟齬がある。彼女の話していた通りなら、彼が孤児院の子供達にそのような暴言を吐く筈がないのだ。
「色々とおかしなことが起きてるようですね。とにかくマリア様の下へ急ぎますか」
ナガレ達はとりあえずは彼らに食べ物と水を与え、その脚で地下牢へと急ぐことにする。
「は? マリアに会いたい? 馬鹿も休み休み言え! マサル様の許可なくここに立ち入ることは許さん!」
しかし地下牢へ続く階段の前には衛兵が立ち、態度を見るにこのままでは通してくれそうもない。
「どうしようナガレ?」
「そうですね、とりあえず私が――」
ナガレはけんもほろろといった様子の衛兵に近づき、和やかな態度で話しかけた。
「私たちはどうしてもマリア様と会ってお話したいのです。どうか通して頂けませんか?」
「いや、だから……」
「お願いします」
「……あ、ああそうだな。マリアと、マリアとだな。どうぞ、お通り下さい」
すると、頼みこむナガレの姿を見ていた衛兵の表情が軟化し、かと思えば戸惑いの様子を見せながらも前を開けてくれた。
「ありがとうございます」
改めてお礼を述べ、地下牢へと降りていく。流石に狭いので、全員ではなくナガレとピーチ、そしてルルーシの三人で向かうこととなったのだった――




