第一七五話 マサルと孤児院
「ここがジュエリーの街か」
ペルシアに道案内されマサルはジュエリーの街に辿り着いた。街を囲むように壁が構築されており、この辺りは流石にファンタジーだなと思いつつ門の前ではペルシアが事情を話しあっさりと衛兵が通してくれた。
名前などを聞かれた後、衛兵が慌てた様子でどこかへ向かっていたのが多少は気になったが、そのままペルシアの案内でマサルは街を歩く。
往来は中々に活気にあふれていた、商人の馬車も蹄の音を響かせながら走り回っている。
「そ、それでは冒険者ギルドまで案内するにゃ」
「ふむ、いや、それよりも先に孤児院に向かおう」
「にゃ! こ、孤児院になんでですにゃ?」
「なに、どうということではないさ。ペルシアにはお世話になったからな、挨拶ぐらいしておこうと思って」
「にゃにゃにゃ! そんなことないですにゃ! むしろ助けてもらったのは私ですにゃ、そんな気遣い無用ふにゃ!?」
遠慮がちのペルシアの頭を撫でながら、そんなことはないぞ、とマサルが告げ。
「街まで案内してくれたのはペルシアだし、衛兵にも話を通してくれたからな。随分と助かったぞ」
「ふにゃ~勿体無いお言葉ですにゃ~」
そう言いながらも至福の表情を見せ、もっと撫でてと言わんばかりにマサルの掌に頭を押し付けるペルシアである。
「まあ、そういうわけだから孤児院に行こうと思うが、ふむ手ぶらでは失礼だろうか?」
「そ、そんなことはないにゃ、でも、孤児院に行くのはあまり、おすすめしないにゃ……」
しゅんっと耳と尻尾を垂らし、どこか物悲しげな表情を見せるペルシアにマサルは何かを感じ取った。
「いや、やはりこのまま孤児院に向かおう」
「ですがにゃ……」
「安心しろ、悪いようにはしないさ。俺を信じて欲しい」
そう言ってニコッと微笑むマサルにぽ~っとした表情を見せつつも、ペルシアは一つ息をつき覚悟を決めたように彼を孤児院に案内した。
「これは、予想以上に酷い有様だな……」
孤児院にたどり着いたマサルは、その様相に言葉をなくした。
ペルシアの見窄らしい格好からもしやとは思っていたが、孤児院の建物はあまりにボロく、更に中はまるで手入れがなっておらず壁には穴が空き隙間風どころの話ではないし、かなり不潔な匂いが漂っている。
あちらこちらにカビが繁殖し、黒ずんだ汚れも広がり、床にも穴が空き放題だ。もぐらがひょっこり顔を出しても不思議ではない。
そしてそんな孤児院には十数名の子供達が共同生活をおくっているようで、だがその子供達は皆魚が死んだような目をしていた。
お風呂もろくに入れていないのか髪の毛はボサボサで肌には垢がこびり付き、酸っぱい臭いが子供達から漂ってきている。
「おらおらおらおら! 何をぼ~っとしてるんだい! さっさとこの瓶に水を汲んでくるんだよ!」
そんな子供達に――鞭を振るっている女がいた。彼女は子供達の倍以上の大きさのある瓶を押し付け、水を汲んでこいなどと宣っている。子供達は明らかに栄養不足であり、既に体力もそこを尽きているように思えた。ロクに食事も与えられていないのだろう、手足も細く痩せこけていてまるで骸骨のようである。
「これが、ペルシアの暮らしている孤児院なのか、見るに耐えないな」
「あ~ん? なんだいあんたは! それにペルシア! あんたジュエルドラゴンを狩るまで戻ってくるなと言っておいただろう! それとも何かい? もう狩ってきたとでも言うのかい!」
ピシャン! と鞭を打ち鳴らし女が言った。見たところどうやらこの女が孤児院の院長なようで、見た目には二〇代後半のアバズレといったところだ。
やけに胸元の空いた服を着ていて、駄肉を露わにしている。メガネを掛け、怒鳴り散らすしかのうのないその女は、マサルから見てもあまりに見苦しい。表情からも性格の悪さが滲み出ていた。
「ふむ、そうか、ペルシアにジュエルドラゴンの下へ向かわせたのは貴様か」
「はん? 一体何なんだいあんたは!」
「悪いがお前に名乗る名など持ち合わせていないがな、俺はマサルと言うただの旅人さ」
「ふん、マサル? へんてこな名前だね」
「お前にこの俺の名前を馬鹿にする価値はあるのか?」
「は? なんだって?」
マサルがそう言うと女は眉を怒らせ反問してきた。それにやれやれと肩をすくめながら言葉を返す。
「孤児院の管理もロクにできない色ボケしたエロババァに人のことをとやかく言う資格はないだろ? と俺はそう言ったんだ」
「……面白いことを言うね。だけどね、管理は出来てるさ! 私が十分に遊んで暮らせるぐらいの管理はね!」
「それは管理とは言わないぞ。なんだ? 頭に蟲でも湧いてるのか? 孤児院はお前の私欲を満たすためだけにあるものじゃないぞ?」
「ふん! あんたこそ何をほざいているんだい! 私が管理する孤児院を私の好きにして何が悪いっていうんだい!」
「その結果がこの有様か。ろくに食事も与えず、着替えすら用意できず、更にこんないたいけな少女をジュエルドラゴンと戦わせようとするなど、愚の骨頂だな」
「ま、マサル様……」
少女の頭を撫でながらマサルが女にそう告げると、ペルシアは恍惚な表情を浮かべた。
それを何故か、孤児院に住んでいる他の少女たちも羨ましそうに眺めている。
「ほう、どうやら他の子供達も俺の言葉を聞いて生きる気持ちが湧いてきたようだな。貴様がどんなにその鞭で無理やりいうことを聞かせようとしても子供達はまるで死んだような目をして動こうとしなかっただろ?」
「だから、なんだって言うんだい!」
「それが俺とお前の格の差ということだ。所詮貴様は鞭と飴の使い分けもできない、ただ臭い息を撒き散らかすだけの醜い北風でしか無いということだ。この俺のように全てを慈愛で包み込み、心からこの俺に付いて行きたいと願えるような俺はまさに太陽。お前とは人間としての器が違いすぎたな」
「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎ!」
女が悔しそうに歯ぎしりするが、マサルはそれを鼻で笑い飛ばす。すると更に女は激昂した。
「もう許せないよ! 私の鞭を味あわせてやる!」
女は手に持った革の鞭を天井や壁、そして床に打ち付け激しい音を鳴らした。
更に虚空を打つと、パンッ! と弾けたような音が鳴り響く。
「私の鞭は鋼鉄だって切り裂く! さぁ! 覚悟しな!」
キリッ! とマサルを睨めつけ、一瞬手首が見えなくなるぐらいの速度で女が鞭を振るう。
すると鞭はまるで飢えた獣のように唸りを上げ、マサルの首元へ迫った。
ニヤリと女が醜悪な笑みをこぼす。だが――
「全くやれやれだな、これで鋼鉄を切り刻めるとは、この辺りの鉄はそんなに脆いのか?」
「な、に――」
目を剥き驚愕する女の表情はあまりに醜かった。そしてマサルは安々と振るわれた鞭を掴み握り、それをぐいっと引っ張ることでマサルと女との空間にピンっと鞭が張られることとなる。
「ま、マサル様、鋼鉄がそんなに脆いわけがないですにゃ、単純にマサル様が凄すぎるんですにゃ。院長の鞭はこれまでも沢山の男を切り刻んできたのにですにゃ……」
「うん? そうなのか? ふむ、俺には精々子供の作った粘土細工に少し傷を付ける程度の物にしか見えないけどな」
「くっ! バカにしやがって! 放せ! 放しやがれ!」
「ん? なんだ放して欲しいのか? 仕方のないやつだ、ほれ」
「ぐぎゃん! ぎゃん! ぎゃひん!」
マサルは大きく腰を捻りそのまま鞭ごと女を一回転させた後、その手を離してやった。すると女の身体が天井にぶつかり床に打ち付けられ更に跳ね返った身体が壁にぶち当たった。
天井からはパラパラと破片が落ち、床と壁には見事な穴が空く。
「ふむ、全くお前のせいで孤児院がぼろぼろじゃないか。後でしっかり弁償してもらうからな」
「くっ! ふざけるな! ここの孤児院は私の物だ!」
「ん? なんだ気がついていないのか? この孤児院は既にお前のものではないぞ?」
マサルが何を馬鹿なことを言っているんだ? という目で女を見ながら宣言する。
それに、は!? と女は驚きの声を上げた。
「当然だろう。お前のような管理がずさんな年増女にこの孤児院を任せることは出来ない。だからお前は首だ」
「な、なんの権限があってそんな……」
「この俺の権限だ。お前この俺を誰だと思っているんだ? 神にも等しい、いや神以上の実力を兼ね添えたのこの俺だぞ? この俺の言うことはつまり神以上の強制力があるということだ。判ったら俺様の不敬を買う前にとっとと出て行け」
「す、凄いにゃ、他の男が同じセリフを言っても滑稽なだけですが、マサル様が口にするとあまりの神々しさに立っているのも不敬にあたる気がするにゃ……」
そう言ってペルシアが、いやその場にいた子供達が全員恭しく平伏する。
「おいおい俺はそんな畏まるような存在じゃない。だからお前たちは気にせず普通に接してくれればいい。さっきも言ったように俺はただのしがない旅人でしかないのだからな」
『いえ! 勿体無いお言葉です!(にゃ!)』
マサルに向けて全員が声を揃えて神格化した彼に畏敬の念を送った。
その様子に、やれやら仕方のない奴らだ、とため息を吐くマサルなのである。
「くそ! 何が神だ! 勝手なことばかりいいやがって! え~いもういい! お前たち出ておいで!」
すると女が叫び、孤児院の空いたドアからぞろぞろと屈強な男たちが飛び込んできた。
「うん? なんだこの連中は?」
「ふん! 俺達はこの女と取引してる奴隷商人だ。全くお前も馬鹿な男だぜ。そこのガキもな。お前がしゃしゃり出てこなければ、ここの子供達ももうすこし長生き出来たものをよ」
屈強な男の中でひときわ柄の悪い巨体が、そんなことを口にする。
「い、一体どういうことなのかにゃ!」
「はん、全く幸せな頭してやがるぜ。いいか? どのみちお前たちはこの女に売られて奴隷堕ちの運命だったのさ! 遅かれ早かれな!」
「それがその男の安い正義感のせいで今すぐ金に変わることになったというわけだがな」
がっはっはと何がおかしいのが下品な笑い声を上げるならず者たちを見ながら、マサルはふむっ、と顎に指を添え言う。
「つまりお前たちはこの子供達を奴隷として売り飛ばすつもりだったわけだな」
「――ッ! 何故それを貴様!?」
「全くやれやれな連中だ。そんなものお前たちの様子を見ていれば想像ぐらいつく」
「ふん、なるほどね、少しは頭も切れるってわけかい。だけどね、それを知ったからにはもう生きて返すわけにはいかないよ!」
女が再び鞭を打ってみせると、子供達が自分の未来を案じブルブルと震えだした。
「全く、やはり貴様らは愚かで怠惰で愚鈍で浅はかな頭の悪い連中だな」
「ふん! 言ってな! 子供達を売れば金になる! 私達の懐が潤う、これのどこが愚かだと言うんだい!」
「やれやれそんなこともわからないとはな。所詮目先の欲にしかとらわれない連中はこの程度か。いいか? この子供達には未来がある、可能性がある、その芽を伸ばしてあげればそれがいずれ何倍にもなって返ってくる。それが投資信託の原理だ。まあお前たちのような頭にウジ虫が湧いているような連中に説明しても無駄だろうがな」
「な、なんだと!」
「うん? なんだ少しはお前たちにも悔しいという感情があったのか。てっきり肥え太った豚のように餌を求めてブーブーなきわめくしか出来ないと思ったんだがな」
「……あんた本当にムカつくね。そうやって子供達相手にいい人ぶってるその姿に私は反吐が出そうだよ!」
「ほう奇遇だな。この俺もお前のけばけばしい顔を見ていると、殴り倒したくなる」
蔑むような目でマサルが言うと、男の一人が前にでてぽきぽきと拳を鳴らし始めた。
「威勢がいいのは良いがな、自分の立場ってものを考えるこったな小僧。言っておくがここにいる連中は、冒険者で言えば軽くSランクに値する実力がある。お前ごときガキが何をほざいても捻り潰すのなんてわけがないのさ」
「お前たちが? Sランク? スモールランクの間違いだろ。下半身がって意味だがな」
「テメェ! 言ってはならないことを! ぶっ殺す!」
猛る声を上げ、マサルの目の前の巨漢がその岩のような拳を振り下ろした。
だが、マサルはため息一つ吐きながら、あっさりとその拳を小指一本で受け止めてしまう。
「ば、馬鹿な! 城壁さえも一撃で粉砕する頭の拳を、こ、小指でだと!」
周囲のならず者たちが驚きに満ちた表情で訴えるが、マサルは欠伸を噛み殺しながら、なんだこの程度か? と男を小馬鹿にする。
顔を真っ赤にさせて、必死に拳を押し付けようとするが一ミリも動く様子を見せず、かと思えばマサルは空いた方の手で軽くデコピンをしてみせた。
体格差を考えればデコピンなど当たる距離ではないが、デコピンによって起きた風圧でその巨体が吹っ飛び、天井に穴を追加して遥か上空にまで飛んでいってしまった。
その様子にならず者や元院長ばかりか、子供達までポカーンとした表情を見せる。
そしてそうこうしているうちに、頭の巨体が落下し今度は床に人型の穴が空いた。
「やれやれ、お前たちのせいで孤児院がボロボロだぞ? 一体どうしてくれるんだ?」
「く、くそ頭が、こ、こうなったら!」
「え~い! 全員で、やっておしまい!」
女の合図で一斉に男たちがマサルに襲いかかる。しかし所詮この程度の連中はマサルにとって有象無象のなんの手応えも感じられない相手でしかなかった。
結局孤児院内には男と元院長の身体が粗大ごみのように積み重なることとなる。
「よっしこれでいいな」
ならず者たちと元院長の身体を孤児院で見つけたロープで縛り上げ満足気な表情でマサルが述べた。
すると子供達がマサルの傍まで駆け寄ってきて神妙な顔を見せる。
「うん? お前たち一体どうしたんだ? お前たちを苦しめていた愚かな連中はこの通り退治してやったぞ」
すると子供達が真剣な表情で深く頭を下げ彼に訴える。
「お願いします! どうかここの院長になってください!」
「私からもお願いにゃ! 散々助けてもらうだけ貰っておいて、こんなこと頼むなんて虫の良い話かもしれないけどにゃ、頼めるのはマサル様だけにゃ!」
子供達から懇願され、マサルは一考するも一つ頷き魅惑の笑顔で言葉を返した。
「そうだな乗り掛かった舟だし、この孤児院を立て直せるのはこの俺ぐらいだろ」
「あ、ありがとうなの! 流石マサル様なの! 心が広くてまるで神様そのものなの!」
すると子供達の中で金色のツインテールを弾ませた幼女が、独特の口調を交え彼を讃え、そしてマサルの胸に飛び込んだ。
「おっと、おいおいどうしたというんだ?」
「わ、私もなでなでして欲しいなの! マサル様が院長になった記念になの!」
そんなことを言われマサルも、ふぅ、と一つ息を吐きながらも幼女の頭を撫でてやる。
ツインテールが嬉しそうに飛び跳ね、彼女もまた恍惚とした表情を浮かべるが。
「ずるい!」
「マサル様私も撫でて!」
「わ、私が先よ!」
「ま、待つにゃ! マサル様に最初に撫でてもらったのは私にゃ! 私に優先権があるにゃ!」
「そんなの関係ないわよ! 何勝手に決めてるのよ!」
(おいおいどうなってるんだよこれは……)
突如少女や幼女達がマサルに撫でてもらう権利を求めて喧嘩を始めてしまい、やれやれと嘆息することとなる。
一体俺に撫でてもらうのがどれほどのものかというのか? と疑問に思ったりもしたが、仕方ないのでこの場を収束させるため、順番に頭を撫でていくマサルであった。
そしてひとしきり撫で終わった後、幸せそうな表情を見せる女の子を尻目にマサルはペルシアに声をかける。
「ペルシア、疲れているところ悪いのだが、次は冒険者ギルドまでの案内を頼んでもいいか? 正直ジュエルドラゴンなんてものはどうでもいいと思っていたんだが、今後のことを考えると色々入り用になるしな」
「わ、判ったにゃ! このペルシアがしっかり案内するにゃ!」
「あ、ずるいなの! キューティーも一緒に行くなの!」
「うん? 行くってただの冒険者ギルドだぞ?」
「そ、それでも行くなの! それにこうみえてキューティーは魔法が得意なの!」
ほう魔法が……とまだ未成熟な胸を張るキューティーを眺めながら、人は見かけによらないなと思うマサルである。
そしてマサルの横ではペルシアが油断ならない娘! という目でキューティーを見ていた。
何はともあれふたりに案内され冒険者ギルドに向かうマサルであるが、なぜか片腕つつふたりにしがみつかれ弱ってしまうマサルなのであった。
 




