第一七三話 山を越えジュエリーの街へ……
「ご心配をお掛け致しました……」
「いえ、貴方が、いや、お前が無事だったならそれでいいのだ」
ローズがバツが悪そうにエルガに頭を下げるが、エルガは気にするなと右手を上げ彼女の無事を喜んだ。
「でもやっぱり魔物に襲われていたんだ……」
「ええ、ピーチが気がついてくれてよかったですよ」
そんなエルガとローズのやり取りを眺めながらピーチが呟き、ナガレがニコリと微笑んだ。
実はナガレがローズを助けに行く際、ローズの戻りが遅いことを心配したのはピーチであり、それにナガレが、私が様子を見てきましょうか? と告げピーチの判断でナガレが助けに向かった形である。
これはピーチがリーダーであるが故、ナガレも彼女の判断を仰いだわけだが――勿論そういう話に持って行ったのはナガレの巧みな誘導によってである。
「先輩もやりますね」
「え? そ、そう?」
「ローズちゃんの操が守れたのはピーチのおかげだね!」
「お、お姉さま、す、素敵です……」
「ああ、ヘルーパがどんどん変わっていってしまってますわ……」
皆に褒められピーチもまんざらでもなさそうである。どちらにせよこれでリーダーとして少しでも自信がつけば、と微笑するナガレである。
「ローズ様の怪我も大したことなさそうで良かったです」
ローザが戻り彼女の様子を伝えた。彼女は聖魔導師としてダンショクとローズの様子を確認したが、これといった外傷もなかったらしい。
「そう、良かった。騎士とはいえ女性だものね。本当傷物にならなくてよかったわよ」
ローザの報告にほっとした表情を見せるピーチだが、それに、え!? とフレムが驚きの声を上げる。
「あいつ女だったのかよ!」
『まだ気づいてなかったの!?』
ほぼ全員が一斉に声を上げた。フレムの鈍感さに全員が呆れ顔を見せる。
「いや、だってよ、あんな生意気なのが女だなんて普通は思わねぇだろう!」
「悪かったな生意気で」
フレムがそう言って反論すると、後ろから当の本人の声が届き、ふぁっ? とフレムが飛び上がった。
まさかすぐ傍まで来てるとはフレムも思わなかったのだろう。その様子に、まだまだですね、と心のなかで呟くナガレである。
「ふん! 話は聞いた。その、お前がそこのナガレに様子を見に行くよう提案してくれたとは。そのことは感謝する。それと、まぁなんだ、あの時は駄肉などと言って、わ、悪かった」
そっぽを向きながらそんなことを言うローズである。一応お礼を言っているつもりなのだろうが、素直じゃないな、とピーチも苦笑気味であった。
「うん、でも、私ももう気にしていないし。これからはちゃんと協力していこうね」
すると、ピーチがニッコリと微笑みその手を差し伸べた。チラリとローズがそれを確認し、どこか照れくさそうにしながらも握手に応じる。
その様子に目を向けていたエルガやニューハも安堵している様子である。
これで騎士と冒険者の間にあった垣根も少しは取り払われたことだろう。
「それにしても……こんな小さな手であれだけ杖を振り回せるとはな。それで魔術師というのだから――」
ふっ、とローズが鼻で笑った。すると、何よぉ! とピーチが不満を訴えるが、一応これでもローズはピーチの実力(杖で殴る戦士として)を評価しているようだ。
「と、ところでナガレ、や、約束忘れるなよ!」
「……約束ですか」
「そ、そうだ! 今度私が水浴びするときは、お、お前がちゃんと見張れよ!」
「えええぇえええぇええぇええ!?」
ピーチが驚嘆した。そしてナガレに詰め寄る。
「ちょ、ナガレどういうこと!? 見張りって、見張りって何!?」
「ええ、それが、まあ、成り行きでそういう話になってしまいました。冒険者を信じてみても良いのでは? と私から言った手前――」
ナガレの説明を聞いたピーチが頭を悩ます。まさかナガレとローズに何かが起きるとは思いたくないが、と、そこでピーチがぽんっと手を打ち言った。
「だ、だったら貴方が私達と一緒に水浴びすればいいだけじゃない!」
「それはだめだ。私にはレイオン卿を守る役目がある。それが終わるまでは呑気に水浴びなどしてられん!」
エルガは立場上、他の皆と水浴びするようなことは無いため、これは仕方のないことであった。
それにピーチはやはり懊悩した。
「だ、だったらおいらもナガレっちと一緒に見張るよ~ふたりの方が安全だもんね~」
「貴様は駄目だ! 信用ならん!」
「酷い!?」
「いえ、それは仕方ないと思うわよカイル」
「普段の行いが行いだからな」
「おいらが何をしたというの!?」
カイルは普段の言動の軽さを省みたほうがいいだろう。
「ただ、ここから街までは水浴び出来るような場所はないようですし、私の出番は暫くなさそうですけどね」
ナガレがそう伝えると、ピーチも少し落ち着いたようだ。確かに明朝出発し予定ではその日の夕刻にはジュエリーの街に到着する筈だ。
「ま、どちらにせよ、明日に備えてしっかり休むと致しましょう」
ナガレの発言で全員も納得を示し交代に見張りが立ちながら就寝となった。
幸いその日の夜は特にこれといった危険に遭遇することもなく朝を迎え、一行は街に向けて出発した。
ジュエリーの街までは今いる山を含めて一つ半越える必要がある。その為、順調に行って夕刻頃と判断しているわけだ。
そしてここから先の山道にはそれなりに魔物も出現するようになる。
ホーンラビットの上位種であるアルミラージの群れにも遭遇したが、それは魔力で杖を鎖付きの巨大鉄球に変化させたピーチが押し潰しあっさりと駆逐した。
そして更に山道を突き進む一行であったが――
「ニャーーーーーーーー!」
途中、崖の上からそんな鳴き声を上げ巨大な猫が降ってきて馬車の行く手を阻んだ。
見た目には凶悪な顔をした黒猫といったところであり、だがその大きさは一口で馬車一台ぐらいなら飲め込めそうな程である。
「ブラックハンガーキャットですね。獰猛で常にお腹を空かせており、口に入るものは何でも食べてしまうという魔物です」
「何よそれ、どんだけ食いしん坊なのよ!」
「先輩がそのまま猫になったみたいな魔物だな」
フレムの発言に、何でよ! とピーチが声を荒げた。しかし確かにピーチも負けず劣らずの食いしん坊である。
「あ! ナガレ様、上からも何か来ております!」
すると、ローザが上空を指さし警笛を鳴らした。今走っているのは渓谷沿いの道であり、視界も広い。その為空からやって来るハンターの姿もよく見えた。
「お、おいあれはハーピーか!? それに後ろからも猫みたいのが迫ってくるぞ!」
後方からも冒険者達の驚きの声が響き渡る。どうやら魔物たちに挟まれたようだ。
「おいカイル、上の奴らはお前の弓で撃ち落とせよ」
「え~でもフレムっち、あれ凄い美人だよ? そんなに悪い魔物なのかな」
「は? お前何言って……確かに美人だな」
フレムとカイルがポワンとした表情で上から降りてくる魔物を評した。
確かに両腕と両足は鷲の翼と鉤爪だが、それ以外は美しい人間の姿をしておりスタイルも良い。
「ちょ、ちょっとふたりともこんな時に何言ってるのよ!」
「本当ですよ! でも、何かおかしいですね。それにハーピーはあんな姿でしたでしょうか?」
「いやローザ、確かにあれはハーピーではありませんね。似ていますがハーレムと言う魔物です」
「へ? は、ハーレム?」
ピーチが目をパチクリさせながら怪訝そうに口にする。ローザも目を丸くさせていた。
「ちょっと貴方達、何をぼ~っとなされているのですか! 敵はすぐそこまで迫ってますのよ!」
「全くだ! 騎士のお前たちまで情けない!」
ローズとクリスティーナの叱咤の声が響く。そしてヘルーパも飛び出しローズに支援魔法を施した。ローズの身体が淡く輝き、動きがより機敏になり剣の切れ味も増す。
それに素直に、ありがとう、と述べつつ、ローズは迫る巨大な黒猫と相対。
「開け魔導第八門の扉、発動せよ雷術式【サンダーストラック】!」
そしてクリスティーナは高速詠唱し杖を掲げて、上空から近づいてくるハーレムに向け、電撃を放つ。
すると直線上に伸びた鋭い電撃は鉾のようにハーレム達の身を貫いていき、三体のハーレムが絶命し地上に撃ち落とされた。
「さあ! 皆さんもさっさと――」
「ひでぇ!」
「へ?」
「あんな美しい女を殺すなんてテメェは鬼か!」
「え? え?」
「全く酷い女もいたもんだぜ!」
「ちょ、貴方達一体何を……」
だが、魔物を倒しただけなのに非難轟々となったこの状況に、クリスティーナは戸惑いの声を発す。
彼女を責めているのは全て男であり、女性や聖なる男姫のふたりに関しては平静を保っているが、男どもは完全にハーレムに心酔しきっているようで、倒そうとしようものならヘタすれば力づくで止めに掛かってもおかしくない状況であり――
「そうだぜアナル! あんなに美しいのに殺すなんて! 悪魔だお前は!」
フレムの発言を耳にしたクリスティーナが、ガーン、と後頭部をハンマーで殴られたような表情でその場に崩れ落ちた。
アナルと言われたことよりも悪魔と言われた事のほうがショックが大きそうであり、なんと瞳には涙さえ溜まっている。
「やれやれフレムまで仕方のない事ですね」
「な、ナガレは平気なの?」
「この程度の誘惑では、あのビッチェが本気を出した時のほうがもっと凄いと思いますよ。ですが、皆さんの目を覚まさせてあげる必要はあるでしょうね」
「へ? ビッチェ?」
なぜここでビッチェが? とピーチが目をパチクリさせるも、ナガレはすぐさま行動に移し柏手を打った。心地よい響きが周囲に広がり――その瞬間ハーレムの姿が一変した。
「ひっ! な、なんだありゃ!」
「あ、あの化物は、あれがさっきまでの美女の姿なのか?」
周囲の冒険者から戸惑いの声が溢れる。しかしそれも仕方のないことだろう。何せ直前まで彼らが美女と崇めていた魔物は、今や醜い鬼女の如き様相であり絶世の美女といった様子は微塵も残っていない。
「あ、あれ、俺、なんであんなのを……」
「あれ? 美女は、あんなに沢山いた神秘的な美女はどうしてしまったの?」
「ふたりともハーレムの幻術と誘惑で心を奪われていたのですよ」
戸惑うフレムとカイルへナガレが説明する。
するとふたりそろって目を白黒させ、更にフレムに関しては、先生の前でなんて失態を! と頭を抱え始める。
「あのハーレムは、先程のように男の目を引く美女の姿に見せかけ、更にスキルの誘惑で男を騙し連れ去るのですよ。基本集団で行動するので男は最後までまるでハーレムにでも招かれるように幸せな気分のまま巣まで運ばれた後、生きたまま全身を貪り食われるのです」
「よ、予想以上にとんでもない魔物なのねあれ……」
「うぅ、まさにハーレムから地獄だよフレムっち~」
「やかましい! 俺は今がまさに地獄だよ!」
フレムはどうやら魔物にすっかり騙されていた自分が許せないようだ。
「――【アクアカッター】!」
するとニューハの声が響き渡り、上空のハーレムに次々と水の刃が飛んで行き、翼や首を切り刻んでいった。
「さあ皆さん! もうこれで判ったでしょう! あれはただの化物です! はやく対処してしまってください!」
「そうよ~全くこれだけの美女がここにいるのに、あんなのに誘惑されるなんて酷い話だわ~」
ニューハの激が飛び、更にダンショクがスカートを翻しながら男たちに向けて決めポーズを取ったことで一瞬にして冒険者達の顔が蒼白する。
だが、そのことで気を取り戻すことには成功したようだ。
「おいらも名誉挽回だよ!」
言ってカイルが弓を引き絞り、乱れ打ちによって次々とハーレムを撃ち落としていく。
ハーレムはその幻術と誘惑のせいか男にとってはかなり脅威となる魔物だが、対策さえ取れてしまえば能力的にはハーピーとそうは変わらない。今の彼らであれば正気でさえあればそれほど苦とする相手でもないのである。
尤も魔法使いにとっては詠唱を邪魔する金切り声が少々厄介だが、カイルの矢がそれをさせず、彼の弓とニューハの魔法で次々と墜落していった。
「こうなったら俺も汚名挽回してやるぜ! 先生あいつは俺に任せてください!」
「あ、ちょっと私だって!」
そしてフレムとピーチに関しては残ったブラックハンガーキャットへと向かっていく。
そこでナガレはこの巨大な猫の拘束を解いた。実はハーレムに冒険者が誘惑されている間、ナガレはずっと前方の猫は動けないようにしており、やろうと思えばナガレがあっさり倒すことも可能であったが、ふたりの成長のために拘束するだけに留めておいた形だ。
なお、後方のブラックハンガーキャットに関してはローズが応戦していたため心配していない。
現に今も鋭い爪による攻撃も全く物ともせず次々と剣戟を浴びせ続けている。
油断さえしなければ彼女の実力はかなりのものなのである。
「どっせぇえぇええええええぃ!」
そしてナガレの方ではピーチがハンマーに変化させた杖で巨大な黒猫を空中に打ち上げ、それをフレムが追いかけるように跳躍し、双剣による連続攻撃で見事トドメを刺していた。
「やりましたよ先生! このフレム汚名挽回してやりましたよ!」
「いや、今のは絶対私の一撃が決め手になったのよ!」
「ふたりとも素晴らしかったですよ。いいコンビネーションでした」
結局ナガレは両方を褒め、ふたりはそれで納得してくれた。そして後方でもローズが魔物を倒しハーレムも全て退治された。
「ところでフレム、汚名は挽回するものではなく、返上するものですよ」
「へ?」
そしてしっかり間違いを指摘するのも忘れないナガレであり、フレムは顔を真っ赤にさせていた。
何はともあれ――魔物の群れも無事撃退し、改めて一行はエルガの護衛をしながらジュエリーの街を目指す。
この後は魔物はそれなりに現れたが、ブラックハンガーキャットとハーレムの群れほど厄介なのは出現せず、危なげなく魔物を駆除しながら馬車は進み、峠を超え山を下り、空が仄かに朱色に染まる頃、目的地であるジュエリーの街並みが眼下に広がっていた――




