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第一七二話 ローズの油断

「……ふぅ」


 泉の澄んだ水で自らの身体を洗いながら、ローズは水面に映った己の身体を確認した。

 騎士という立場にありながら、体型に変化を及ぼすような筋肉の付き方はしておらず、細く靭やかな肉体は彼女(・・)自身嫌いではない。


 だが、やはりどうしても女性としても控えめに過ぎる胸の薄さに、改めてため息を付きたくなる。ローズは見た目には中性的であり、その言動も相まってよく男とも間違えられるが歴とした女である。


 そして騎士になったからと言って本人に女を捨てている自覚もない。ただ、それでも男には負けたくないという意地みたいなものはあるため、どうしてもそれが言葉遣いに出てしまっていた部分はあった。


 しかし、それでも女であるが故に、スタイルが良く大きな胸をこれでもかと魅せつける女性に下品と思いつつどこか憧れている自分もいる。

 

 それがなんとも物悲しいローズである。最初にあの冒険者と顔合わせした時も、ローブの上からでも判る迫力ある双丘に思わず嫉妬とも言える感情を抱いてしまい、ついつい無茶なことを口にし、結果的にレイオン卿の怒りを買ってしまったのが誤算であったが――


 ただ、彼女は別に嫉妬だけであのような言動に出たわけではない。ローズは騎士であることに誇りを持っている。規律を重んじ領地は更に広い意味では国の為、騎士たちは無償で日々人々の安全と平和の為職務に付いているのだ。


 故に、冒険者という存在にいい感情は抱いていなかった。冒険者ギルドも一応人々のためという大義名分を掲げているものの、結局は報酬で動いている。

 

 そんなものはかつて戦時に金で雇われていたような傭兵と変わらない。結局奴らは金が全てなのだ。そんな連中信用するに値しない。


 現にハンマの街に魔物が大挙した際に最も活躍したのはグリンウッド騎士団であり、冒険者などほんの少し騎士の手伝いをしただけ。それなのに大きな顔をして護衛の任務にまでしゃしゃり出てくるなど身の程知らずもいいところ――と、ローズはそう思っていたのだが。


「実際は冒険者の、特にあのナガレとかいう少年の手で街が救われたなどと――とても信じられない……」


 そう独りごちる。レイオン卿に馬車の中で叱責を受けた際、彼から聞かされた真実がそうであった。確かに団長であるヒネーテ卿が、冒険者達もよく頑張ったとは言っていたが、そんなものは謙遜にすぎないと思っていた。


 そして決して良くは思っていないであろう冒険者に大して敬意を表すなど、なんと懐の広い方だと感動さえした。


 しかし実際は騎士よりも遥かに冒険者の方が活躍したと言う。そんな馬鹿なことがあってたまるか、と水面に映る己の顔がいつのまにか悔しげに歯噛みしていた。


「……いけない、騎士たるもの、常に平常心を保つことを忘れるなかれ」

 

 そう自分に言い聞かせ、平らな胸に手を当てる。

 そして片眉を僅かに跳ね上げぐっと拳を握った。


(き、騎士にとって大きな胸は邪魔なだけだ! むしろ小さいほうが剣を振るのにも邪魔にならなくて良いではないか! あ、あんな駄肉、私には必要ない!)


 そう自分に言い聞かせつつ、ローズは水浴びを終え岸に上がった。

 のだが――


「え? 私の着替えがない――」


 そう、確かに岸の傍に置いてあったはずの着替えや装備品がないのだ。勘違いしているのか? とローズがキョロキョロと見回すと――ローズの視界に着替えを持ったまま背中を見せている緑色の存在。


「ゴブリン! 貴様らか!」


 尖った声を発するとゴブリン達の背中がビクリと震え、そして振り返ると怒りの形相で追いかけてくるローズの姿。


 それを認め、慌ててゴブリン達は藪に飛び込み逃走した。


「くっ! 考え事をしていて油断した! だが装備がなくてもゴブリンぐらい!」


 生まれたままの姿のまま羞恥心も忘れてゴブリンを追いかける。

 剣さえも持って行かれてしまったが、そうであったとしても相手がゴブリンだけであるならどうとでもなる。

 

 そう考えていたのだろうが――


「待てーーーー!」


 草木に阻まれてはいるがそこまで道は悪くはない。すっかり辺りも暗いため視界は悪いが、夜戦の訓練とて何度も繰り返してきた。

 そんな状況でゴブリンに遅れをとるわけもなく、その距離は縮まりいよいよ腕を伸ばせば届く距離まで追いついたその時――ローズの脇腹に強い衝撃。


 ぐふっ! と呻き声を上げローズの靭やかな肢体が宙を舞い反対側の樹木にぶち当たる。


「う、うぅ、何、一体、ひっ!」


 怪訝に眉を顰め、戸惑いの言葉を呟いでいると、突如その脚が何者かに掴まれた。

 小さく悲鳴を上げ、掴んできた腕の先を見ると、腹の出た黒い巨体が彼女の脚を掴み、ずるずると無理やりどこぞへ引きずり出す。


「ちょ! な、何するつもり! 放せ! 放せーーーー!」


 悲鳴を上げじたばたと藻掻くが予想以上にソレの力は強い。

 そしてそのまま引き摺られていき、ある程度進んだところで前方へと放り投げられた。


「きゃっ!」

 

 地面を転がり、思わず可愛らしい悲鳴を上げてしまう。それが妙に恥ずかしくてカ~っと顔を赤くしてしまうが、しかし周囲を見るとそれどころではなかった。


「え、嘘、何、これ――」


 その開けた場所には埋め尽くさんばかりのゴブリンの姿。更にその中に数体、今自分を引きずり回した魔物の姿もある。


 ローズには見覚えがない魔物だ。体格的にはボフゴブリンにも似ているが、体色は緑ではなく黒、そして顔がボフゴブリンより更に一回りほど大きく、口がやたらと大きい。口角が耳元まで広がり、まるで裂けたような歪な形。そしてその魔物は常に不気味な笑みの状態を保っている。


「ゲヒッ、ゲヒッ、ゲヒッ――」


 そんな不気味な魔物がローズの足元まで近づいてきた。卑陋なその表情に身震いし、そして考えたくもない最悪な展開を想像してしまう。


「ま、まさかお前ら! この、わ、私を、は、繁殖に利用する気か!」


 騎士としてローズはゴブリンの生体についても聞き及んでいた。そして周囲のゴブリンとこの魔物からは同じ匂いを感じてしまう。


 だが、魔物たちは人語を介さない為、当然返事はない。だが彼女の疑問に答えるように周囲のゴブリンや黒い魔物達が彼女に近づきその手を伸ばしてくる。


「い、嫌ぁあああぁ! 初めてなのにこんなの、誰か、誰か助けて~~~~~~!」


 その瞬間――ローズへ今まさに掴みかかろうとしていたゴブリンと魔物が一斉に吹き飛んだ。


「やれやれ、本当にゴブリンというのはどこにでもいるのですね」


 ひっくひっくとべそを書きながら半身を起こしたローズに、バサリと布地が被せられた。


「少々目に毒ですので、それをお使い下さい。貴方には少し小さいかもですが、身体を隠すことは出来ると思いますので」


 へ? と声のする方へ顔を巡らすと、そこにナガレが立っていた。

 そして改めて周囲を見回すが、自分をどうにかしようとしていたゴブリンと魔物は全て倒され、残ったのは外側で眺めていたあの黒い魔物数体だけである。


『……折角の獲物を……』

『貴重な子作りの時間を邪魔してただですむと思うなよ!』


『ふむ、ゴブリンの上位種であるボーグルですか。独自言語とはいえ、知能はゴブリンよりはあるようですね』

『!? 貴様言葉が判るのか!』

『ゴブリン語は一度聞いてますからね』

『……よくわからんが、言葉が判るなら協力しないか? お前は中々強そうであるし協力するなら最後に楽しませてやってもいいぞ』


 そんなことを持ちかけてくるボーグルに、やれやれとナガレがため息を吐く。


「い、一体何をやってるのだ貴様は、わ、訳の分からない言葉を……」


 そしてしっかりナガレが寄越してくれた袴で身体を隠しつつ、怪訝そうに発するローズである。何せ普通人間にはゴブリンの言葉は理解が出来ない。


『お前たちを残していても害にしかならないようですね。なのでこのまま排除させて頂きますよ』

『……ふん、やはり人間は愚かだ』

『我々を他のゴブリンと同じと見ているなら――大間違いだぞ!』





「こ、こっちを見るんじゃないぞ!」

「大丈夫ですよ。ちゃんと見張っておりますのでゆっくり汚れを落として下さい」

「くっ! こ、こんなものすぐに落とす!」


 そういってごしごしと身体を洗う音がナガレの耳朶を打つ。

 結局ボーグルはナガレに近づくことも叶わずあっさりとその命を絶たれた。いくらゴブリンの上位種といっても変異種のグレイトゴブリンよりは遥かに弱い相手だ。その程度の相手がナガレに勝てるわけがない。


「……その、い、一応お礼を言っておく。あ、ありがとう」

「どういたしまして」

「だ、だが勘違いするなよ! あ、あれは少し油断してしまっただけで、ほ、本当であれば私が遅れを取るような相手ではないのだ!」

「……ふむ」

「な、なんだ! 違うといいたいのか!」

「いえ、確かにそのとおりだと思いますよ。あのボーグルであれば貴方がしっかりとした装備でいたならばやられるような相手ではないでしょう。まさに油断大敵、ですね」

「……それは、私も甘かったと思っている」


 どこかしゅんとした声がナガレの耳に届く。どうやら言葉では強気な態度を変えていないが、思ったよりも参っているようだ。


「……冒険者にあまりよい感情を持ちあわせていないようですが、しかしこの護衛において冒険者も騎士もお互い協力する必要があるでしょう。もう少し頼ってみてもいいと思いますよ」

「…………」


 ナガレがそう告げると、暫くの沈黙。そして水が跳ね次いで衣擦れの音とガチャガチャと言う金属音。


 どうやら水浴びを済まし着替えも終えたようだ。


「もういいわよ。それとこれありがとう」


 声を掛けられたのでナガレが振り返ると、身体に付いた泥を落としすっかり騎士然とした姿に戻ったローズがナガレに道着を戻してきた。


 そして顔を紅く染めながら、は、はやく着ちゃってよ! と声を上げる。

 これは失礼、とナガレは道着に袖を通すと、さっきの話、とローズが発し。


「そ、それなら、今度は、水浴びの時は、あ、貴方が見張りしなさいよね!」

「はい? いやしかし、今回はともかく今後は――一応私も男ですからね」

「そ、そうだけど、貴方なんか真面目そうだし、覗いたりしないでしょ! だからこれは決定! いいわね!」


 そんなことを言って指を突き付け、早足でスタスタ歩き出すローズを、やれやれ、と思いつつ追いかけるナガレであった――

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