第一七話 初めてのお使い
「依頼を請けて頂き本当にありがとうございます」
ナガレとピーチが依頼者の家を訪れると、至極丁寧に頭を下げられ、依頼を請けたという事だけで随分と感謝されてしまった。
依頼者の家は街の南側に存在し、彼女の年齢は三〇代後半ぐらいといったところか。
中々器量の良さそうな女性だが、事前にあった情報の通り、脚を痛めていて出てくる時も右足を引き摺るようにして弁当の入った葦製の籠を持ってきた。
「右足、痛そうですね……」
「え? あ、はい。実は前に主人の仕事している森へ私も立ち寄った際、狼に襲われてしまって。その時は主人が助けてくれたのですが、無傷とはいかなくて――」
ここで言われてる狼とは、魔物ではない野生の狼の事である。
「そうなんですか……」
彼女の脚を労るように、遠慮のある声音でピーチが言う。
「……しかし、確かにマイル森林には狼も生息してるようですが、あそこの狼は人間を警戒していて、近づいてくるような事はめったにないのでは? 林道は歩かれたのですよね」
「はい。ですので運が悪かったのではと……飛び出してきたのも一匹だけでしたし」
狼は人間を警戒している――だからこそマイル森林の林道には狼などが近づいてこないよう、彼らが忌避する匂いを発する仕掛けを施していたりする。
そういった仕掛け事態が獣避けになるというのもあるが、そういった類が施されている事はつまりそこは人がよく通る場所だと獣に覚えこませる為だ。
もし、にも関わらず、獣が群れをなして人間を襲うようならば、恐らく冒険者ギルドにも声が掛かり、山狩りなどの対処がなされていた事だろう。が、しかし今回は襲ってきたのが狼一匹だけであったこと、その狼も彼女の夫が処理したことなどから、たまたまはぐれ狼が襲ってきただけ、つまり夫人の運が悪かったという事で処理されたようである。
「そうでしたか、それはお大事にしてください。お弁当の方は私達で責任持ってお届けいたしますので」
「ありがとうございます。どうぞ宜しくお願い致します」
そしてお弁当を受け取り、ふたりはその場を辞去し、ナガレとピーチはそのまま東門から街を出てベアールが作業中であるという、マイル森林に向かった。
◇◆◇
マイル森林はそこまで木々の密は深くなく、それなりに間隔をあけて太い幹の木々が樹勢しているような森だ。
だからこそ、樵にとってよい伐木場として重宝されているのだろう。
「うぅ、脚がパンパンだよぉ~」
ナガレの後ろをついて歩きながら、ピーチが疲れたような声を上げた。
最初こそ張り切って先頭を歩いていたピーチだが、森に向かう街道を一時間も歩くと、すぐくたくたになって動きが鈍くなったので、今はナガレが前を歩いて彼女を先導している。
「多分もうすぐだと思いますよ。木を切る音が聞こえてきますし」
杖を文字通り杖にして歩くピーチにナガレが告げた。
そんな音聞こえる? と不思議そうな顔を見せるピーチだが、ナガレは当然耳も良い。
地球では齢八〇を超えてなおモスキート音が認識出来ていた程だ。
「こっちですね」
そういってナガレが音の方へ向かうと、ピーチもえっせらこっせらと追いかけてきた。
これで二〇〇ジェリーはやっぱり割に合わない! と心の中で叫んでいそうである。
「貴方がベアールさんですか?」
「うん? あぁ確かに俺がベアールだが、誰だあんた?」
ナガレの辿り着いた先では、依頼者の夫と思われる男が伐採に精を出していた。
黒いドワーフを思わせるモジャ髭を生やした男だが、背は高い。体つきがよく、逞しいその姿はどことなく野生の熊を思わせるものだ。
「私は冒険者のナガレと申します。彼女は同業者のピーチ。実は奥様からお弁当を届ける依頼を請け負いまして――」
ナガレがそこまで説明すると、訝しげにジロジロと見ていた彼が目を眇め、あぁ、と一つ呟き。
「そうかそうか! いや今日は妻の弁当を忘れちまってちょっとテンション下がっていたんだがな。わざわざ届けてくれるとはありがてぇ!」
破顔し、その態度が一変する。見た目が厳ついが、元来人当たりは良いほうなのだろう、とナガレも表情を緩めた。
「じゃあ、ちょっとだけ待ってて貰っていいかい? あの木がもう少しで倒せそうなんだ」
そういって指で示した位置には、彼の腰回りの倍ぐらいはありそうな幹の樹木に斧刃が突き刺さっていた。
見たところ半分ぐらいは終わってるようだが――
「うんじゃ、待たせても悪いからとっとと終わらせるか」
「……」
言ってベアールが作業に戻る。ナガレの後ろでは、はぁ、とピーチが息をつき草の絨毯の上に腰を落とした。
「少しは休めそうね。てか、私もお弁当持ってくれば良かったかしら」
頬杖を付き愚痴のように零す。すると振り返り微笑混じりにピーチを眺めながら、ナガレは口を開く。
「ところで……この国の樵の方は皆あのような斧で伐採をしてるのですか?」
「え? あぁ私も詳しくはないけど、あれだけ大きな刃を持つ斧はかなりの熟練した樵の証拠ね。普通はあんなの扱えないし」
ピーチの返答に、はぁ、と漏らしながら、改めてナガレはベアールの所為に目を向ける。
「ふぅ、中々頑丈な樹だぜ。ちょっと待ってな! 今すぐ――」
「あの……」
一旦作業を止め、袖で汗を拭うベアールにナガレが声を掛ける。
「その斧だと、柄が短すぎて不便じゃないですか?」
ナガレが疑問に思ったことを告げると、ベアールが、はぁ? と何を言ってるんだこいつ? みたいな目でナガレを見た。
しかしナガレの言っている事は最もである。何せこのベアールの持つ斧は斧刃が異様にでかい。
恐らく幅だけでピーチの上半身ぐらいあるだろう。
だが、その割に柄が極端に短くアンバランスなのである。
「いえ、斧の刃は凄く大きいのに柄が短いので」
「うん? あぁ、なんだそうか。はっは、いや、やはり冒険者と言ってもこういった仕事は素人だな。いいか? 斧の刃がでかいのはその分、伐木が早くなるからだ」
はぁ……とどこか気のない返事を返すナガレ。しかしベアールは得意満面で更に語る。
「だがな、勿論これだけ刃がでかいと扱うのが難しい。樵の仕事が一般的に難しいとされるのはこれが原因でもあるんだよ。素人がこんなでかい斧を扱ったら誤ってとんでもない怪我を負っちまう。自分で自分の首を刎ねたなんて話もあるぐらいだ。それぐらい危険なのさ樵の仕事ってのは」
一旦斧から手を放し、力瘤を見せつけながら、自分の腕を誇るベアール。
しかしナガレは顎に指を添え一考し。
「柄を長くしようとは思わないのですか?」
そう率直な疑問をぶつけた。
何せこの男、刃があまりに大きいものだから、木を切る際も腕をたたむようにして非常に不格好な姿で作業しているのだ。
合気を極めたナガレとしては見るに耐えない所業である。
「は? 柄を長くって槍じゃあるまいし、そんな事してどうするんだよ? まさか突いて木を倒せとでもいうのか? がっはっは!」
「そうよナガレ。こんな大きな斧、柄なんか長くしたら重くて扱いにくいじゃない」
ベアールがナガレの意見を笑い飛ばし、ピーチも後ろから不思議そうに口にした。
その様子に、ふむ、と一つ呟き。
「皆さん遠心力って知ってますか?」
そう尋ねる。するとふたりとも頭に疑問符が浮かんだような顔を見せた。
「え、えしんりょく?」
「何それ魔法?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せるふたり。
それに得心が言ったように、ナガレは顎を引き。
「ちょっと待っててください」
そう言って近くの手頃な樹木を見つけ。
合気道を応用しあっさりとへし折った。
「な!?」
その様子にベアールが驚愕する。何せ今作業中の樹木ほどでないとはいえ、それなりの太さがある幹をあっさりへし折ったのだ。
だが今重要なのはそこではない。
驚きで固まるベアールを他所に、ナガレは上手いことへし折った幹を素手で加工し、彼の持ってる斧より長めの柄を作り上げた。
「お、おいあんた、そんなのどうするつもりだ?」
「そうですね。とりあえずこの柄は外します」
言ってスポンッとベアールの斧に付いていた柄を抜き取るナガレ。
それにもベアールは驚きを示す。普通ならば、そんな簡単に抜けるような柔い作りではないからだ。
ベアールとピーチ、ふたりが驚いて声も上げられないそんな中、ナガレは出来上がった長柄に斧刃を嵌め直し、そしてベアールを振り返った。
「さぁ、どうぞこれでその木を切り倒してみてください」




