第一話 森で出会った魔法少女
(はて? ここは?)
ナガレの景色が一瞬にして切り替わり、目の前に広がるはどこかの森であった。
見る限り広葉樹であり、一見するとナガレのいた日本にも見られそうなものだが、所々には違いが見られる。
花も妙に毒々しいものもあれば、金属で出来たような草花まである。
(どうやら私は異世界にきてしまったようですね)
ナガレはそれを瞬時にして理解した。ナガレは合気柔術の達人である。
合気柔術とは、いうなればどれだけ現象を理解できるかという事が重要であり、その達人たるナガレであれば感じられる空気や匂い、気配などで全てを推し量るなど造作も無い事であった。
日本にいた頃インターネットの小説が好きだと色々教えてくれた玄孫の存在も大きかったかもしれない。
ちなみに全てを理解できるナガレはネットもメールもプログラミングからハッキングまでIT系も万能だ。
ついでに言えば小説で茶川賞を取った事もあるし、投稿サイトの作家になろうでは大賞を受賞したこともあり、書籍化したその作品は全世界で一〇〇億万部売れた。
さて、とナガレは顎を指で押さえ一考する。
これからどうしようかといったところだが、ナガレの決断は早かった。
「残りの人生はここで過ごすことにしましょうか」
そこに迷いはなかった。当たり前である。合気柔術において大事なのは決断と思い切りの良さだ。 これが出来なければ合気柔術など極められるわけがない。
優柔不断は達人にはなれないのである。
それにナガレには既に地球に未練はない。妻にも先立たれたし息子達は立派に育てあげた。世界を何度も救ったこともある。
せめて残りの人生ぐらいは自由に過ごしてもバチは当たらないだろう。
幸い異世界に来る直前、置き手紙を庭に残している。
いずれ異世界にくるような事があるかもしれないと、常日頃から懐に忍ばせておいたものだ。
そこには旅に出ること、道場は任せること、遺産相続についての遺書の在り処なども認めておいた。
ナガレは後顧の憂いを残さない男である。これでもう、地球で残してきた家族に心配されることも失踪届を出されることもないだろう。
何より、ナガレがふらっと旅に出て何年も戻らない事など今に始まったことではない。
さて、というわけでナガレは取り合えず人の住んでいそうなところでも探そうかと異世界での第一歩を踏み出した。
その時である。
「πδβΧーーーーーーー!」
森の奥から若い女の悲鳴が耳朶を打った。
勿論それを聞き逃すようなナガレではない。
そしてこの悲鳴から察するに、恐らくは魔物あたりに襲われているのだろう、ということまで察した上でナガレは声のする方へ急いだ。
◇◆◇
「グッヒャ!」
「ギャーアギィ!」
「これはまた面妖な」
ナガレがやってきた先は森のなかで大きく開けた空間だった。
そこでは一人の少女がけったいな化け物に囲まれている。
緑色の肌を有し、身長はナガレの半分ほど、瞳が大きく、口から小さな牙がちょろりと出ている。
イメージ的には角のない子鬼といったところだ。
「ちょ、ちょっと貴方! 誰かわからないけど助けてよ!」
するとナガレに気がついた少女が助けを求めて叫んだ。
年齢は一五か一六といったところだろうか?
ピンク髪をツーサイドアップにした比較的な小柄な少女だ。
少女は青系のローブを身に纏い、金属製の杖を握りしめている。
だが、ローブの上からでも判る胸部の膨らみは立派な大人なソレでもある。
整った顔立ちをしており間違いなく美少女の類に入るだろうが、言葉にはキツそうな空気がにじみ出ていた。
ちなみに、彼女の話している言語は立派な異世界語である。
しかしそれをなぜナガレが理解できているのか?
翻訳の力でも手に入れたのか? 否、そうではない。
ナガレはここに来る直前、既にこの少女の声を聞いている。
神薙流合気柔術は相手の核を見極め、力を受け流し、そこに別の力を乗せ叩きつけるのを基本とする流派だ。
その威力は錬の浅いものであれば精々一割上乗せ程度、ある程度修行をこなした師範代でも数倍程度が限界である。
しかし、神薙流において類を見ない天才と称されたナガレであれば、相手の力を受け流しそれを数万倍にして返すなど容易いことである。
そしてそれは当然武芸の道だけにとどまらない。あらゆるものを合気柔術に取り入れたナガレであれば、異世界での言語とて一言聞けばそれを受け流し、自らに返すことで数万語を理解することが可能だ。
つまりナガレは先程この少女の助けを呼ぶ声を耳にしたことで、異世界言語の全てを瞬時に理解してしまったのである。
このような事が出来るのは世界広しといえどナガレぐらいしかおるまい。
「ギョギョ! オカシナノガ、ヤッテキタゾ!」
「イイ、ナエドコガ、テニハイルトオモッタノニ!」
「オスナンテ、ジャマダギャ!」
そして当然だが、それはゴブリンの言語にも同じことが言えた。
ナガレは同時にゴブリン語まで理解してしまったのである。
(なるほど、小奴らはゴブリンという魔物だな。他種族でもお構い無く子種を植え付け子を宿すタイプか――)
ナガレは、特に彼女や魔物からそれがゴブリンであることを聞いたわけでもなかったが、そこは壱を知り満を知るナガレである。
それぐらい理解するのは九九を覚えるよりも容易いことだ。
「オマエタチ、ソノ娘ヲオイテヒクキハナイノカ?」
ナガレは一応覚えたてのゴブリン語を用いて奴らに確認する。
すると少女が驚きに目を見開いた。
「ちょっと貴方! ゴブリンの言葉が判るわけ?」
「えぇ、まぁ今さっき理解したばかりですが」
はぁ? と少女の不可解といった印象の宿る声。
だが事実だ。何より異世界言語とてナガレは理解したばかりである。
「ギョギョ! オレタチガ、ナンデニンゲンテイドニビビッテヒクヒツヨウガアル!」
「オマエバカカ?」
「タッタヒトリデ、ナニガデキルモノカ! ギャ!」
(交渉決裂ですね……)
そう考えつつナガレは構えを取る。
だが、少々ゴブリンの数が多い。恐らく三〇〇はいるだろう。
普段のナガレならともかく、今のナガレではそれを全て片付けるのは多少の時間が必要だ。
慣れるまでに三〇秒程度は掛かるかもしれない。
「お嬢ちゃん。どうやらゴブリンは引く気がないらしい」
「いや、お嬢ちゃんって……」
少女は怪訝な顔でそう言った。
「だが、少々数が多い。私も出来るだけ急いで片付けたいと思うが、貴方も振りかかる火の粉ぐらいは払って貰えるとありがたい」
「はあ? 何馬鹿な事を言っているのよ! それが出来るならとっくにやってるわ!」
「しかし、お嬢ちゃんとて、見たところある程度は戦える力を持っているのでは?」
ナガレがそう告げると、少女は困った顔で返す。
「そりゃ私だって魔術師の端くれよ。魔力さえ残っていればなんとでもするわ。でも今は魔力が殆ど残ってないのよ! だから魔法が使えない! だってこんなにゴブリンがいるなんて思わなかったんだもの!」
(やはり魔法使いでしたか)
ナガレは得心がいったように顎を引く。
魔法など、現代の日本で生きてきたナガレには馴染みのないものであったが、それでもここが異世界だという事と少女の姿からあっさり想像する事が出来た。
「しかし戦えないと言っていますが、貴方が手にしている杖があるではないですか。それでならきっとゴブリン程度なんとかなりますよ」
「はぁ? あんた馬鹿! 杖で戦えるわけないじゃない! 杖は魔法を使う道具で武器じゃないのよ!」
怒鳴り返されたことでナガレは首を傾げた。
少女が武器ではないと言っているそれは明らかに金属製、しかも柄は長めで先端には丸い頑強そうな水晶が付き、そこから両サイドに向けて鈎のような出っ張りが出ている。
ナガレの常識で考えれば、これは十分に武器として使えるものだ。
「お嬢ちゃん、それは武器として十分使えますよ」
「だからお嬢ちゃんって……てかこんなものどうやって武器として使えというのよ! 杖よ杖!」
少女が杖をぶんぶんさせながら文句を垂れる。
ナガレは一つ息を吐き出した。どうやらこの異世界においては杖は武器などでなく、あくまで魔法を使用するための補助道具としての認識のようである。
「まず柄を長めに持って下さい。そしてその先端に付いた出っ張った部分を相手に向けて振り下ろすのです。ゴブリン程度ならそれで事足りるでしょう」
ナガレがそう教授していると――
「ギョギョ! サッキカラナニヲベラベラト! オマエラヤッテシマエ!」
ゴブリン達の鬨の声が森中に響き渡り、先ずナガレに向けて多くのゴブリンが同時に迫り来る。
ゴブリンはそれぞれ手にナイフやボロボロの剣、斧などを持っている。
しかしいくらボロボロとはいえ、この数だ、それにナガレは道着の袴姿であり、本来ならば一撃でも喰らえば命にかかわる。
しかし――一斉に飛びかかるゴブリン達、その身が突如軌道を変え、そして数百のゴブリンが何故かナガレではなく仲間同士で切りつけ合う。
仲間割れ? いや違う。これぞ神薙流奥義【空蝉乱】、力を抜き完全なゼロの脱力。
相手が攻撃を仕掛ける時大気はわずかでも揺れる、それを肌で感じとり、相手も気づかないほどのミクロ単位の動きで攻撃の瞬間に受け流し、そして別の相手に向け返す。
集団戦に置いて効果的なソレは、傍から見ればまるで仲間同士で斬り合っているような、そんな風にすら見えてしまう。
だが実際には、それらは全てナガレの合気柔術による軌道の変化がもたらした結果。
そう、この技はナガレの手を一切汚すことなく、勝手に仲間割れを引き起こす。
事実、既に何体かのゴブリンはナガレの所為によって仲間が信じられなくなり、実際に仲間割れをしだす始末だ。
(全く愚かな事ですね)
そう思考しつつ、ナガレは気になっていた少女の方に目を向けるが――
「えいっ!」
「グギャ!」
(嘘……? 信じられない、本当にこれは私がやっているの?)
ジリジリと近づき、少女を捕えようとしてくるゴブリン。
だが彼女はナガレから聞いた言葉を思い出し、半信半疑ながらも柄を長めに持った後、突起を下にし、目を瞑りゴブリンの頭に向けて杖を振り下ろした。
その瞬間グシャッ! と森の果実が潰れたような感触。
恐る恐る瞼を開くと、足元に転がるゴブリンの遺骸。
それに少女は驚いた。何せ彼女は魔術師。魔法以外で魔物を倒すなどこれまでありえなかったことだ。
しかも倒すのに利用したのは己が手に持ちし杖である。
これまで数多くの偉大な魔術師や魔道士を眼にしてきた彼女であったが、杖を武器にするなどといった突飛なことを考える者は一人もいなかった。
杖は魔法の威力を増大させたり魔力を蓄えるために必要な道具、それが魔法使いの常識であり、それ以外の用途などあるはずもないというのが根幹にあったからだ。
しかし、今彼女はとても衝撃を受けている。
その後も近づいてくるゴブリンに向けて杖を振り下ろしていくが、尽く頭蓋を潰し、脳漿を撒き散らしゴブリン共が息絶えていく。
まるで熟練した戦士にでもなった気分だ。
確かに杖は魔法銀製ではあるが、かといってここまで威力があるとは……
「きっとこの柄を長く持つというのがポイントなのね……でもそれだけでこんなに非力な私でもゴブリンを倒せるようになるなんて……もしかしてあいつ有名な冒険者か何か?」
そんな事をぶつぶつ言いながらも、喜々としてゴブリンを鈎付き杖で叩きのめしていく少女。
緑色の血を全身に浴びるその姿は既に魔女の如しである。
そして、結局調子を取り戻したナガレの力もあってか、それから数分後にはふたりの周囲にはゴブリンの骸が散乱する事となるのだった――