第一三八話 交渉とエルガのお願い
「む、むぅこれは……」
ナガレが用意した料理を食べ、思わずピエールが唸る。あまりの美味しさに言葉も出ないといったところなのだろう。
「ナガレ様、これは素晴らしいですわ! 味噌汁というものもどこかほっとする味わいですし、焼きおにぎりは何個でも食べられそうな後を引くお味です!」
気に入って頂きなによりです、とナガレは口にし、更に焼きおにぎりを追加していく。勿論焼きおにぎりは表面に味噌を塗り焼き上げたものだ。
味噌と米、両方の利点を活かす上ではこれは最適な料理と言えるだろう。
焼きおにぎりは人の心を魅了する。更に味噌汁との組み合わせとなれば相乗効果で更に人を引き付ける魅惑の料理とかす。
「これはエルフの森で採れた蕎麦を利用し作った蕎麦団子です。まずこれだけでお召し上がり頂き、お好みに合わせてこちらの味噌を合わせてみてください。お口に合えば宜しいのですが」
ナガレが三品目に選んだ料理だ。これは先ず最初に蕎麦の風味と香りなどの楽しんでもらい、その後は味噌の組み合わせを味わってもらう。
こうすることで蕎麦と調味料としての味噌、両方を評価してもらう。
さらに言えば焼きおにぎりにしろ蕎麦団子にしろ一つ一つの大きさは小さく、そして味付けも比較的軽めに後味の良さを重視させた。
これは事前に晩餐会である程度食事を摂っていることを配慮してのことである。
晩餐会で用意された食事は豪勢でどれも美味しいが、全体的にみれば重めだ。この世界では油も比較的よく使われるし、丁重に作られたソースも素晴らしいが味付けが濃いのが多いのである。
その点和食はさっぱりした味付けが特徴とも言えるので、重たい食事の後にはよりその良さが際立つ。特に味噌汁は最後の締めにもぴったりだ。
「むぅ、最初食べた時は少し物足りない気もしたが、こうして順番に食べていくとそれが丁度いい味付けであることがわかるな」
「ふむ、妾も野菜が苦手であったが、味噌汁というものに入っていると不思議と抵抗なく食せるのじゃ。何度食べてもやはり不思議な味わいじゃのう」
「それにこの焼きおにぎり言うんは、肉料理にも合うんちゃう? 食事のおともに常に置いておきたいわ~」
「それにしてもこの料理、やはり味噌の効果が大きいのですね。流石はナガレ様。このような料理をこの短い時間でつくり上げるなんて……私、もしこの味噌が手に入るならリーダーにも是非作ってあげたいです」
「わ、私も是非、この料理の作り方を教わり、今度はナガレ様に――」
ナガレの用意した料理はどれも皆に好評であった。騎士団長のヒネーテも感服したといった様子。
そして何故かエルガの頬が紅い。
ただ執事のピエールは今も難しい顔をしている。料理は気に入らなかったわけではないだろう。食べてる時の表情は料理と言うより、味噌、米、蕎麦が所有権を認める材料として相応しいか見極めようという感情がにじみ出ていた。
その上で考えあぐねている様子だが――そこでナガレは更に判断材料として申し分ない追撃を見せる。
「さて、本日は味噌、蕎麦、米の三点をお持ちいたしました。ですが、もし所有権を認めて頂けるなら、更に今後の利益に繋がるであろう材料を提供することも可能と考えております」
「何? こ、これ以上何かあると?」
「はい、まずこの米から新たな酒が作れます」
「まあ、お酒が?」
「はい、それに醤油という調味料もあります。それに先ほどの蕎麦団子ですが、もう少し量が採れれば蕎麦という、そうですね、皆様にはパスタと言う方が馴染みが深いと思いますが、それに近いものも蕎麦粉から作ることが可能です」
「しょ、醤油であるか? それがどのようなものかはわからぬが……しかし味噌でさえこのインパクト――」
ヒネーテがゴクリと喉を鳴らす。やはりナガレの手は完璧であった。胃袋を落とされては誰も文句のつけようがない。
それは執事のピエールとしても一緒であり――
「確かに認めざるを得ないようですな」
ナガレをしっかりと見据えそう述べる。それにエルフのふたりも喜んだ。
だがそのレンズの奥には未だ挑戦的な輝きが放たれ続けていることをナガレは見逃さない。
「ですが……それだけで所有権を認めるかと言えばそれは別問題ですよ」
「へ? な、なんでやねん! 今認めると言うたやろ!」
ピエールのこの発言にエルシャスが噛み付いた。エルマールも納得がいかないといった顔を見せるが。
「確かに認めました。この味噌は調味料の新たな可能性を示してくれましたし、米はパンとはまた違った味わいの主食として、また保存食としても素晴らしい。蕎麦の味わいも十分市場で通用するものです。その他の材料もこの様子であれば期待に足るものでしょう。ですが――いくら優先的に取り引きすると申されても少量であれば意味がありません。なので是非ともこれらが一体どれだけ生産可能なのか、商品としてどれほど提供可能なのか――それぐらいはしっかり提示していただけないと首を縦に振るわけにはいきません」
「な、そないなこと急に言われても――」
「それではこちらを参考資料として提示させて頂きます。宜しければご確認を――」
ピエールの質問に、思わず鼻白むエルシャスであったが、ナガレの切り返しは早かった。
なんとナガレはこんなこともあろうかと既に資料の類は作成済みだったのである。
しかもコンピューターのないこの世界で表計算ソフトでも使ったかのような完璧な資料である。やはりナガレの合気は完璧だった。
そして渡された資料を食い入るように見やるピエールであるのだが――
「こ、これは畑の面積あたりの予想収穫量とそれに見合う単価――それに付随する領地への影響……なるほど味噌を作る上では逆に大豆をこちらから仕入れる必要があると、それであれば確かに、なるほど……」
ピエールは受け取った資料を捲りながら一枚一枚しっかり目を通していく。
「……そういうことですか。確かに最低でも二年掛かるのであればその間、借地にしても借料は支払えない――貸付にするという手もあるが、そうなると当然収穫したり生産した分に対してその分が上乗せされる……その負担を考えれば――むぅ確かに所有権を認めこの価格で抑えられれば……」
顎に手を添え資料に目を通しながらも一人自問自答を続けるピエールである。
だが雰囲気的に好感触であることはナガレにも察しがついた。
そして当然ナガレにはこれも想定内。何せ今回の件、最も肝となるのは領主側に対して優先的に取り引きを行うという権利である。
もし、取り引きする相手がグリンウッド領の商人だけであるなら、この話がそこまで有利に働くことはないだろう。
だが、グリンウッド領、特にハンマの街に関して言えば南に位置する自由商業都市コネルトの通り道でもある。
コネルトの商人達はいい意味でも悪い意味でも商売に関して貪欲である。
もしそんなコネルトの商人たちに米や味噌などといった物のことが知れ渡ってしまったなら、彼らは意地でも手に入れようとエルフ達の下へ押し寄せてくるだろう。
エルガの代わりに席についたピエールとしては、この品物の価値を知った以上それだけはどうしても避けたい筈なのである。
そして――
「……どうやら――私の負けですな。確かにこれだけの資料を用意されては……しかもこれだけの量を優先的に取り引きして頂けるとならば所有権を認めてでも応じる価値があります――それがこのピエールの見解でございます。最終的な決断はエルガ様に取って頂く必要がありますが……」
「……ありがとうピエール。貴方の働き立派でしたわ。私は貴方にお願いしてよかったと心から思います」
遂に折れたピエールの答えを耳にし、エルガが彼を労うように微笑んだ。
勿体無いお言葉です、と返礼し、ピエールが席を立つが。
「ピエール様、この取り引きに勝ち負けはありませんよ。それに私はピエール様と交渉できたことを嬉しく思います。そしてこれからも宜しくお願いいたします」
ナガレは男も見惚れそうなほどの爽やかな笑みをこぼしそう告げた。
そしてお互い固く握手をかわす。その様子にエルマールとエルシャスも喜びの声を上げた。
ただ交渉は当然これで終わりではない。今後は更に細かいことを取り決めていく必要があるし、所有地の範囲を仔細に取り決める必要もある。
勿論最終的には書面に残る形で契約を結ぶ必要もあるだろう。
また、どちらにしろ商売として成立させるまでには最低でも二年程度は待って貰う必要がある。
米にしろ味噌にしろそれぐらい時間の掛かる物だ。
尤もそれも理解した上で、今後エルフ達と取り引きする価値が十分あると判断してくれたわけだが。
そしてピエールに代わりエルガがナガレの前に座る。そしてニコリと微笑み言った。
「私はピエールもナガレも信じております。ですので、エルフの皆様の所有権は認めさせていただきますね。ただ、一点だけお願い事があったのですが宜しいでしょうか?」
エルガがナガレの目をじっと見つめながら口にする。その言葉に、お願い? とエルフのふたりも不思議そうに繰り返すが。
「……実は、東の辺境伯にお呼ばれされまして、父の代から懇意にしていただいており、ただ父が亡くなってからは私も一度も顔を見せていなかったもので――それでどうしても今回は出席する必要がありまして」
「お待ち下さいエルガ様、まさかあの件を?」
「はい、ナガレであれば私も安心してお任せできるので――」
そこまで話を聞き、ナガレも頼みごとが何かをいち早く察した。
そしてエルガの願いはナガレの予想通りのものであった。
「そこで私の旅の護衛をお願いしたいのですが宜しいでしょうか?」