第一三一話 和の心
「あ! 皆さんお疲れ様です。それにしてもいつも精が出ますね」
エルフ達の暮らす集落に戻るとイベリッコがそう言って出迎えてくれた。
彼も含め、かつてはエルフの森に隠れ潜んでいたオーク達も今ではすっかりここの住人である。
「当然だ! 俺は先生に少しでも近づこうと日々精進してるんだからな!」
「う~んでもナガレに近づくのって大変よね……なんか一歩近づくのでも無理なんじゃないかって思えるわ」
「否定は出来んのう。何せ妾が本気を出しても二割程度(しかも無量大数分の壱状態でだが)しか力を出してないなどととんでもない事を言い出しとるのじゃ。あれは妾も正直ショックが大きかったのじゃ。でもよく考えたらそこまでいくと諦めもつくのじゃ。考えるだけ馬鹿らしいからのう」
「……中々酷い言われような気もしますが、私も最初から強かったわけではありません」
「ということはナガレっちもやっぱり昔は弱い時もあったの?」
「……そうですね、あったかもしれません」
ナガレは顎に指を添え、少し悩んでから言ったが全員が、これはなかったな、と察した。
ナガレほど察しが良くなくてもこれぐらいは判る。
「あ、ところでナガレさん。前に教えてもらったアレ、そろそろ出来てると思うので出来上がりを見てもらってもいいですか?」
「そういえばそろそろ四八時間でしたね。はい、では行きましょうか」
「あ、それなら私も行くわ!」
「勿論俺たちもだぜ!」
「ナガレ様が考案されたあれを遂にこの目に拝める事が出来るのですね」
「でも凄いよねナガレっち。本当に色々知ってるんだから」
「妾も見に行くのじゃ! 気になるのじゃ!」
「エルマール様が行くなら勿論うちもいくで!」
正直これも別にナガレ考案というわけではないのだが――と少々全員の反応が大げさすぎるなと思いつつも、ナガレは皆と一緒にイベリッコについていく。
辿り着いたのは以前インキによって造られた洞窟であった。ナガレ達が探索した際、一度は崩落して入り口が塞がったのだが、その大きさが、あるものを培養するのに適していたので改めてナガレが合気で入り口を開け、必要な部分だけ開放した形である。
「おおナガレ殿! 待ちわびていたぞ!」
「淑女の皆様方~相変わらずお美しい! 私といい勝負ですね」
「わ~い、皆が来てくれると楽しいよね。僕もワクワクしちゃうよ~」
洞窟に入るとランプ、ロース、フィレの三人が出迎えてくれた。
ランプは更に逞しくなっており、ロースはうざったさが増し、フィレはよりショタっぽく変化していた。
「う~ん、それにしても暑いわねここ……」
「炎の精霊が元気に飛び回っているからのう。当然なのじゃ!」
「頭が沸騰しちゃうよ~」
「ああ、ローザがまた混乱してる……」
「皆これぐらいで情けないぜ。俺はこの程度の暑さ大したことないんだぜ」
「あんた、普段から暑苦しいもんな~」
口元に手をやり意地悪い笑みを浮かべるエルシャスにちょっとだけムッとした表情を見せるフレムである。
「エルマールの言うように、炎の精霊が好みそうな程に火を焚いてますからね。でも流石はみなさん感覚が鋭いですね。きっちり三五度が保たれてます」
ナガレがオーク達を褒めると、彼らも嬉しそうに笑みを浮かべた。
痩せることでほぼ人間と変わらない姿になった彼らだが、気温などを感じる能力は人よりも優れていたりする。
その為彼らには新たな仕事してこの洞窟内で温度管理をお願いしていた。
そしてナガレは目的の物へ向け脚を進める。ナガレが組み立てた木箱の中にそれは眠っていた。表面が繭のようになったそれは手にとって口に含むと自然の甘さが広がっていく。
「わあ、甘いわねこれ。これだけでも調味料に使えそう」
「俺こんなの見たの初めてだ! 流石先生! 俺達の知らないものをこれだけ知ってるなんて頭脳も明晰なのですね!」
「沸騰した頭が爽やかになっていくよ~」
「う~ん、これはでも初めての味だね。確かに凄いよナガレっち!」
「ふむ、しかし確かに流石なのじゃ。全く米というものすら初めて目にしたというのに……」
「それで米麹やなんて。こんな珍しい物作るんやからほんま大したもんやわ~」
一緒についてきた全員が感嘆の言葉を述べていく。米麹はそれ単体でも好評なようだ。
そう、ナガレはこのエルフの森で米麹を見事作り上げた。
ではそもそもなぜそのようなことになったのか? といえばやはりナガレが日本人であったことが要因としてある。
この世界にやってきてそれなりの時間が過ぎ、ナガレもどこか日本食が恋しくなってきたのである。
そんな折、皆とエルフの集落の様子を見に来た時ナガレは気がついてしまったのだ。
このエルフの森が和の宝庫であった事に。
何せこのエルフの森にはまず野生の稲があった。この世界では米を食す文化がない上、ここのエルフは肉を食すし基本狩猟が基本の民だ。
なのでこの稲から米が出来るなどという考えに至ることはなかったのだろう。
更に言えば蕎麦まであった。これにはナガレも年甲斐もなく(見た目は一五だが)胸が震えたものである。
なので当然これを食したいと思うナガレであるが、野生で育つ稲と蕎麦だけでは取れる量にも限界がある。故に畑作をエルフたちに薦めてみたのだ。
これはある意味エルフ達にとっては僥倖とも言えるだろう。エルフも人族から商人を通して売買などの取引をしているが、狩猟がメインのエルフはそこまで取引に使える材料は多くはない。
ナガレ式などの武器を購入できたのは過去の蓄えを使用してのこと(戦闘民族だけにいい武器には目がないようだ)で、実はそのおかげで金銭的余裕はなくなってきているという話もエルマールから聞いていた。
そういった点も考えればここでナガレが教授し、新たな作物やエルフ達の名産をつくり上げることは悪い話ではない。
ただ稲と蕎麦の実の耕作に関して、これまで経験のないエルフ達がなんの利もなく続けられるかといった点がある。
ナガレとは信頼関係は築けているのでナガレが話せば行動に移してくれる可能性は高いが、そうではなく、ナガレとしては自分からこれを栽培したい! と思って欲しい。
なので最初だけナガレは合気によって稲と蕎麦の成長を促進させ、試食用の米と蕎麦の実を成長させ採取した。
そして竈もエルフの集落でオーク達に協力し拵えてもらった。前に一度ハンバーグを作ってみせた時は、頑張った皆へのご褒美みたいなものなのでほぼナガレの手によって作られたが、今回はエルフやオーク達が自分たちの手である程度作れるようにならなければ意味がない。なのでナガレは彼らの出来ることには殆ど手は貸していない。
ただ鍋に関してはそう簡単に作れるものではないので、スチールに依頼して作ってもらった。
それにナガレによって採取された米を入れた後はエルフ達に米の炊き方を教えてあげた。
はじめちょろちょろ中ぱっぱというアレである。そしてそばを挽くための石臼もオークの手で作成され、蕎麦粉を作る。
これですぐに蕎麦にしても良かったのだが群生してる蕎麦の実だけでは(後々必要な種を残しておくことを考えると)量が足りないため、ここは蕎麦掻きにして食してもらう。
味付けは塩だけではあったが、中々好評だった。そして米は他のおかずと合わせてもらうことで全員の目が点になった。
これまでは主食にパンがメインだった彼らには中々衝撃的だったようだ。
こうして実際食べてもらうことでエルフもオークも随分と関心を持ってくれた。ピーチは蕎麦掻きもお米ももっと食べたい! と物欲しそうにしていたぐらいだが、そこまで量は採れないので仕方ない。
種籾は今後稲作をやるのに必要であるし、米はまだ余りはあったのだが、これでナガレはもう一つどうしても作っておきたいものがあった。
それが米麹である。何せこれがあれば味噌が作れるのだから是が非でも作っておきたいところだ。
調味料はこの世界ではやはりナガレのいた世界ほど多くはないので、味噌を作る事が出来ればエルフとしても利が大きいだろう。
ただ、当然だが米麹を作るには先ず種麹が必要となる。そしてこればかりは自然のままでは不可能であった。
その為、ナガレはやはり大気中のそれに近い菌を上手く合気で受け流し、そこから改良して麹菌を作り上げ、そして種麹として形成する。
一度種麹を作ってしまえば後は米麹とは別に、米と木灰で種麹は培養可能だ。
このやり方もイベリッコに説明しておく。どうもこういった発酵品を作るのはエルフよりオークの方が得意そうだ。
ただ、発酵を早める上ではエルフの精霊魔法が役立つ。オークとエルフ、この組み合わせは中々相性が良さそうだ。
何はともあれ、こうして麹菌が作られた事でナガレは次のステップへと進む。
「ナガレってばこんなに大豆なんて買ってどうするのかと思ったけど、今使うのね」
ピーチがナガレの作業の様子に目を向けながらそんな事を言った。
他の皆も不思議そうな顔で見ている。この世界にも大豆があることを知ったのは市場を見に行った時だ。
そこで大豆を見つけた。ただ、この世界では大豆は人間が食すものではなく、動物用、特に家畜の飼料として主に使用されていた。
どうやら大豆を加工したりといった考えは根付いていないらしい。
しかしその為か、大豆の値段は非常に安くエルフの集落の経済状況を考えれば非常にありがたいと言えた。
ただ塩に関して言えば内陸部となる為、やはりそれなりの値段はする。
一キログラムで二〇〇ジェリー程だ。ナガレのいた世界と比べると二〇倍ぐらいの差があるが、これも致し方無いといったところだろう。
ナガレはこの材料を揃え、そしてやはりオークに伝え作成してもらった桶で味噌を作っていく。
水で柔らかくそして膨らんだ大豆を煮て、潰し、ペースト状にした後、出来た米麹に塩を加えた物をむらなくまぶしていく。ちなみに塩が貴重な為米麹を多くすることにした。
後は布を敷き空気を抜き、重石をして熟成させれば出来上がりなのだが――本来これは一年は必要となる作業である。
しかし今回は先ずエルフ達にも食べてもらい興味を持ってもらう必要があるだろう。
その為、今回はナガレも合気を利用し、本来ならば一年は掛かる熟成期間を受け流し、圧縮して、一分間で完璧な味噌を完成させた。
そして――実食。
「ふむ、これは今まで食べたことのない味わいなのじゃ!」
「独特な匂いですが私嫌いじゃないです」
「甘いけど微かな酸味が聞いてるね。なにか凄く複雑な味わいだよ~」
味噌そのものはかなりの好評を得た。それを認めナガレは続いて焼き味噌と定番の味噌汁を皆と一緒に作っていく。
味噌汁自体は出汁の取りかたにある程度コツはあるが、基本的な作り方もそれほど難しくないため、エルフやオーク達もすぐに覚えてくれた。
問題の出汁に関しては内陸部である為魚介類に乏しいという問題があった。しかしそこはナガレである。合気でエルフの森周辺を探し、出汁として使えそうな茸を見つけることが出来た。
それは見た目には大きなマッシュルームといった形の物で、色は茶味がかなり強い。これを煮込むと昆布に近い味が出るのである。
これのおかげで味噌汁に必要な出汁の問題は解決された。味噌汁の具に使えそうな山野草も無事見つける事ができた。
後は焼き味噌だが、これは焼き過ぎると香味が低下してしまうので注意が必要。しかしそこも持ち前の勘の鋭さですぐに理解してくれた。
「ナガレ~私この味噌汁というスープ好きかも。何か凄くほっとする味ね!」
「確かに私のいた世界でも味噌汁を飲んで故郷の味を思い出すという方も多かったですからね」
「う~ん、それにしても味噌ときのこの旨味だけでこんなにいい味になるなんてなあ。これは革命的かも知れへんで!」
「今回は簡単な材料で作りましたが、出汁と具材を変えれば様々な味を作り出せるのも味噌汁の特徴ですね」
「流石先生だ! それにこれならちょっと長旅になりそうな時も旅のお供に持って来いですね!」
「そうですね。鍋はもっと持ち運び可能なサイズの物を作れれば旅にも役立つでしょう。出汁に使えるこの茸も干せば保存食として持ち歩けますし、それを出汁に使えますからね」
「この焼き味噌もいいお味ですね」
「この香ばしさ、私の美しさにも引けをとらない素晴らしい香り!」
「美しさと香りが何か関係あるのかのう?」
「う~ん、米も蕎麦も味噌も僕全部大好きだよ! これが作れるんだったら張り切っちゃうな!」
「うむ! 確かにそのとおりなのじゃ! これらは素晴らしいのじゃ! ナガレの言うように、これは我々エルフとオークで協力して取り組むべきなのじゃ!」
エルマールが勢い良く立ち上がり、そう宣言した。どうやらナガレの提案は受け入れられたようである。しかし勿論それらの栽培を決めたとしてすぐに出来るようなことではない。
「話は纏まりましたが、そうなると後はこの周辺の土地でエルフの皆さんがどこまで自由にしていいかといった点が気になりますね。エルマールは所有権についてはどこまで把握してますか?」
ナガレがエルマールに問う。エルフたちの長がエルマールである以上、彼女に聞くのが道理だからだ。
「へ? 所有、え、え~となのじゃ。え、エルシャス! そういうのはお主に任せとるのじゃ! 答えるのじゃ!」
「え? うち? いや、そない言われても、この森の中は好きにしていいという話やけど、それ以外のことは知らへんで」
「ふむ! なるほど! そういうことなのじゃ! つまりこの森のなかでその味噌や米、蕎麦を育てるのじゃ!」
「ですが、そうなると田畑を作る上でどうしても伐採が必要になってしまいます。精霊と共存しているエルフの皆様は、あまりそういったことは好ましく思われませんよね?」
ナガレが問うと、伐採! とエルマールが目を見開いた。
「当然なのじゃ! この森は自然の恵みなのじゃ! それを切ったり倒したりするなどとんでもないのじゃ~~!」
これはナガレにとっては予想してた通りの答えであった。やはりこの森を開墾するのは無理があるだろう。
「でもそれだと折角いい材料があっても畑作出来ないわね」
「なんだ。折角先生が素晴らしい材料を提供してくれたのに、諦めるのかよ?」
「馬鹿言うななのじゃ! 諦めきれるわけがないのじゃ!」
ピーチとフレムの話を聞き、エルマールはそれにも駄々をこねた。
「そうは言っても畑が作れないんじゃどうしようもないよねぇ」
「何かいい方法があればいいのですが」
「ナガレは何かいい考えないもんなん?」
「いえ、ですので所有権が気になったのですけどね。何せこの森の周囲の土地は手付かずで残っています。これは恐らくここに暮らすエルフ達のことを考慮して敢えて手を出さないようにしていると考えるべきと思いまして、そうなるとある程度周辺の土地も自由に使っていいという取り決めでもなされてるのかと考えたまでですが」
「おお! なるほどなのじゃ! それでは早速周りに畑を作るのじゃ!」
「いやエルマール様、そうは言うてもまだはっきりと使っていいと断言は出来ないちゃうん?」
「そうですね。話を聞く分にはその辺りの区分がはっきりしないまま話は進められたと考えるべきかもしれませんが……どちらにしても一度確認するためにハンマの街に戻るといたしますか」
結局エルフ達では土地の区分ははっきりとは判らず、なのでナガレ達は一旦辞去し、ハンマの街に確認に戻るのであった――