第一四話 一日目終了
「え? あれ、もしかして待っててくれた?」
壁際で姿勢よく立っていたナガレに、お風呂あがりのピーチが声を掛ける。
上気し火照った顔はちょっとした色香も匂わせていた。
「えぇ、夕食も食べに行きますし、それに私もさっき出たばかりですしね」
「そ、そう――」
火照った顔を軽く背け、呟くように言う。水分を含んだ桃色の髪からは洗いたての良い匂いがした。
ナガレはピーチと一緒に食堂に向かう。食堂には四人掛けのテーブル席が七セット設置されていた。
間隔は十分に空いており、窮屈な感じは受けない。
夕食を摂っているのは二組程なので、ゆったりと食事を楽しめそうだ。
「いらっしゃいませ。ご宿泊のお客様ですね。それではすぐにご用意いたしますので」
水差を持ってきた少女に部屋の鍵を見せると、そういって奥へと引っ込んでいった。
ロングスカートに白いエプロン姿、三つ編みで元気のある可愛らしい少女だ。
年齢は今のナガレよりも二、三歳若いだろう。
奥の厨房ではハの字型の髭を生やした逞しい男が鍋を振るっている。
「奥の男性がママの旦那さんで、今水差を持ってきたのが娘さんね」
ピーチの説明にナガレは頷く。娘と聞かされた方は、そう言われてみると受付をやっていた女性にどことなく似ている。
勿論体格はぜんぜん違うが。
「ママさんも旦那さんも元は冒険者なのよ。ねぇ、どっちのランクが上だったかナガレに判る?」
「奥さんの方ですよね」
あっさりと答えたナガレに、ピーチは目を丸くさせ、そしてつまらなさそうに唇を尖らせる。
「もう、なんですぐわかっちゃうかな」
「ははっ、まぁ雰囲気でなんとなく」
ちなみにナガレには察しが付いていたが、奥さんの方が元Bランク冒険者、旦那の方が元Cランク冒険者だ。
旦那の方は、見た目とは裏腹に戦闘は苦手で料理のほうが得意だったらしい。
だからか、引退後に宿の経営に乗り気だったのは旦那の方だったようだ。
「お待たせ致しました~本日の分はこちらになります。ごゆっくり~」
テーブルに食事の乗せられた木製トレイが置かれた。
判っていたことだが、この世界での主食はパンである。
そこは米を愛する日本人のナガレとしては少々残念なところではあるが、贅沢を言っても仕方がない。
郷に入っては郷に従えである。
とはいえパンが固いという事もなく、一緒に用意された豆類を煮詰めたスープも、兎の肉にタレを付けて焼かれた物も十分に美味しかった。
「元冒険者というだけに、冒険者にとって十分な栄養を取れそうなものを計算してくれているようですね。それに家族経営であればその分経費も安く抑えられる、このレベルでも格安に部屋を提供できるのは、そういった部分も関係してそうですね」
「え? なんで家族でやってると宿が安く出来る理由になるの?」
スープを啜る手を止めて、疑問符を頭に浮かべるピーチ。
「……そうですね。家族で経営すれば人件費が、つまり使用人を雇う必要がない分出費が抑えられます」
ナガレの発言に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を見せ。
「そうか! 言われてみれば確かにそうね! なんでこの料金で出来るのか不思議だったけど、それなら納得。てかナガレ結構頭いいのね」
そうでもありませんよ、と微笑みつつ改めて料理を口にし。
「ふむ、この宿は材料も中々いいものを使用してそうですね。このあたりは元冒険者という経歴がいきてるのでしょうか」
ナガレが呟くようにいうと、ピーチがまた、なんで? と言いたげに首を傾げた。
「冒険者という仕事を続けていれば、色々な方と知り合う機会も多いでしょうからね。中には農業に精を出す方もいるでしょうし、そういった方と顔なじみになっておけば、こういった宿を経営するときに融通して貰えることだってあるかなと思いまして――」
「あんた」
ナガレがそこまでピーチに聞かせてあげていた時、ふと厨房から調理担当の夫が顔を出し、ナガレに向けて声を発した。
「もしかして同業者かい?」
「いえいえ、私は今日この街で登録したばかりのしがない冒険者ですよ」
柔和な笑みを浮かべつつ、そう返答すると、ほぉ、と彼は顎を擦り。
「まさか冒険者がそこまで判るとはな……だが、できればその話は他言無用にして貰えるかい?」
若干眼力を強めにお願いしてくる彼に、えぇ、とナガレは返事し。
「外で話したりはしませんよ、ご安心下さい」
そう言葉を紡ぐと、どことなくホッとした表情をみせ、再び厨房の奥へと引っ込んでいった。
「何か問題のあることでも言ったのナガレ?」
その様子をみていたピーチが不思議そうに問いかける。
「まぁ、宿を切り盛りするのも大変ということですよ」
ナガレの答えに、ふ~ん、とピーチが返事し、そして食事を再開する。
夕食を楽しんだ後は部屋に戻り、異世界での一日目の活動が終わりを告げた。
次の日はピーチの案内で魔法の袋を購入し、ギルドで初めての依頼をこなすことになるだろう。
そんな事を考えつつ、ベッドに横になりナガレはすぐに意識を手放した。
◇◆◇
(一体あいつは何者なんだろうな)
冒険者の憩い亭で調理を担当する料理人であり、受付を任せてるバーダンの夫でもあるビルは、ナガレとピーチのふたりがいなくなった後、一人厨房で唸り声をあげていた。
その理由はあのナガレの発言である。
何せ彼は、たった一度この宿に泊まり、ビルの作った料理を食べただけで、この宿の秘密を全て言い当てたのである。
宿の経営というのは一見気楽に見えるが、実のところは考えるべきことは多岐にわたる。
特にある程度大きな街ともなれば、存外同業者との競争も激しい。
この街で宿でもやろうかと最初に言い出したのは彼の妻だ。
だがそれに最も乗り気だったのはビル自身である。
戦うことより料理が好きだった彼にとってみれば、稼ぎの安定しない冒険者よりも好きな料理をいつでも作って振る舞える食堂つきの宿屋経営の方が魅力的に思えた。
だが、ふたりは冒険者としてはともかく、宿を開くとなると全くの新参者である。
開業資金事態は冒険者時代の蓄えもあり、商業ギルドの許可も問題なくおりた。
だが、いざ開業となった時、他の店との差別化という部分で問題が生じた。
既に多くの宿が常連を集めている環境において、当たり前の経営を当たり前にしていては客などより付くはずもないからだ。
その為、現在の独自路線を切り開くため、ビルは三日三晩その方法を寝ずに考えたものだ。そしてその結果辿り着いた答えが、冒険者である利点をいかした冒険者の為の宿を経営しようと言うことであった。
そう思いついた後のビルの行動は早かった。冒険者にとって一日の疲れを取るのに最適な料理は何か研究に研究を重ねた。
だが、日々の研究によって確かに冒険者にとって理想の食事を提供する目処は立ったのだが、そこでどうしてもぶつかった問題が材料費だ。
基本この街の宿は材料を街の商人から買い付ける。ある程度纏まった量が必要になるので市場に卸してる商人から買い付けるのが基本だが、それがどうしても抑えることが出来ない。
当然である、それは他の宿もやっていることであり、それと同じことをやっても限界があったのだ。
だが、ビルは知っていた。冒険者は上を見れば下手な貴族よりも稼ぐ者もいるが、下を見れば毎日の寝床も安定しない貧困ぐらしが多い。
そんな冒険者が気楽に立ち寄れる宿を経営したい。
その目標を達成するにはそのままのやり方では駄目だった。
ならばどうするか? そんな時に、当時はまだ一〇歳だった娘が店を手伝いたいと言ってきた。
その言葉で先ず一つ思いついた。そう、使用人を使わず、家族だけで経営する分にはその分の給金が浮く――まさにナガレの言っていたとおりである。
そしてもう一つ、これもあの男の言っていたとおり、冒険者時代に依頼で出会った中には、畑作に精を出す農民も数多くいた。
そういった顔の効く知り合いに自ら出向き、商人を通さず自ら買い付けを行ったのだ。
こんな事普通であれば無茶な話だが、ビルと違って社交的で人に好かれやすい妻の存在が大きかった。
結果的にふたりはいくつかの農村に協力を約束してもらい、そのおかげで材料費もかなり抑えることが出来ることとなり――その結果、稼ぎの少ない冒険者でも気軽に利用できる食堂つきの宿を経営出来るようになったのである。
(なぜこんなに安い料金で食事付きで部屋を提供できるか、ライバル店が探りを入れてくる事も何度かあった。だがそんな連中も結局うちの秘密に気がつくことは無かった。それなのにあの男はたった一度で……全く)
そんな事を思いつつも、ふっ、とどこか嬉しそうな笑みをビルはこぼし呟いた。
「だが、あの男は信頼できる」
ナガレの知らぬ間に、彼の実力に心を奪われた男がまた一人。これもまた、神薙流合気柔術を極めしナガレの魅力故である――
ここまでお読み頂きありがとうございます。
第二章はこの後間話を挟み第三章へ!ナガレの活躍にどうぞご期待ください。
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