あの娘と見あげた空
初めて書いた「真の勇者」は勢いで投稿してしまい、第1章を完結させるまでが大変でした。今度はとにかく自分の書きたいものを書いてみようと自分の感情の赴くままに書いてみました。読んで頂けると嬉しいです。
「恭ちゃん、ゴメーン」
由美は走りながら恭平に言った。
由美が約束の時間に来る事は殆んど無い。
いつも10分遅れで今日のように慌てて走って来る。
ハァハァと息を整えながら恭平に向かってバシッと両手を合わせる。
「ゴメン、恭ちゃん。服を選んでたら迷っちゃって」
「いいよ。俺は待つのは慣れてるし。由美こそそんなに慌てて走って来るなよ」
えへへ、と由美は頭を掻いた。
由美と恭平は同じ高校に通う高校生。由美は1年生で恭平は2年生。
2人はいわゆる幼なじみである。幼稚園から始まり高校まで同じ進路を歩んで来た。
由美の成績ならもっとランクが上の高校に行けたはずだが由美は恭平と同じ高校に入学して来た。
由美が恭平と同じ高校を受験する、と言った時は恭平は「バカか?」と言った。
2人は街を歩きだした。
今日は日曜日だからたくさんの人がいる。雑踏の中で由美は恭平の手を握ってこう言った。
「ねえねえ、あたし達って人から見たらラブラブカップルに見えるかな?」
恭平は素っ気なく言った。
「仲の良い兄妹だろ」
「あ、ひどーい」
由美は頬を膨らませながらも握った手は離さなかった。
由美は愛くるしい顔だちと明るい性格で男子生徒の間でも人気があった。しかし彼氏はつくらずいつも恭平にべったりとくっついていた。
「で、今日はどこに行く?」
恭平が訪ねると
「いつものとこ」
そう言って先に立って歩きだした。
「…また、あそこかよ」
「いいじゃない。どうせ恭ちゃんヒマなくせに。こんな可愛い女の子と一緒に歩けるのを感謝しなさい」
「自分で言うなよ…」
そう言いながらも恭平は由美と手を繋いで歩きだした。
2人が着いたのは小高い丘の上だった。目の前には2人の通っていた幼稚園が見える。
「んー、今日も良い天気」
そう言って由美は空を見あげると
「わ!恭ちゃん。すごくキレイ!」
そう言って空を指差した。
恭平も空を見あげた。今日は晴天で雲ひとつない空は鮮やかな青い色だった。
「ただの空じゃん」
そう言う恭平に由美は怒ったように言った。
「もう!恭ちゃんには感受性ってものがないの!」
そう言うと由美は両手の手のひらを開いて真っ直ぐに腕を伸ばした。
「見てよ。あの透き通るような青い色。あそこに行ったらずっとあの色の世界にいられるのかなぁ」
由美の顔はちょっと哀しげだった。
「由美はホントに空を見るのが好きだよな」
「…そりゃあね」
由美は淋しそうに笑った。
「あたしはいつ、あそこへ行くかわからないし」
恭平はその由美の呟きを聞こえないフリをした。
由美は空を見あげるのをやめしばらく佇んでいた。が、くるっと恭平の方に向き直ると明るい声で言った。
「ねぇ、恭ちゃんの好みの女性ってどんなタイプ?」
「なんだよ、急に」
「んー、聞いておきたいなって思って」
恭平は考えこむフリをして言った。
「俺は熟女が好きなんだ」
もちろん、それは冗談だったが由美はポカンと口を開けた。
「じゅ、熟女〜?」
そう言うと腕組みをしてなにやら考え始めた。
その時間があまりに長かったので恭平が声をかけようとすると由美はダッと恭平に詰め寄った。
「恭ちゃん!」
「は、はい」
「熟女って何歳くらいの人の事を言うの!」
恭平は唸った。
冗談のつもりだったが由美は真に受けたらしい。しかし由美の真剣な表情を見るとなにか答えねばならなかった。
「え、えーと。40歳くらいじゃないかな」
「40歳…」
由美はまた考え込んだがすぐに両手の拳を握りしめて言った。
「じゃあ、あたしも40歳まで生きて恭ちゃんがビックリするような熟女になってやる!」
恭平は笑いながら言った。
「おう。期待してるぞ」
「なによー。あたしは本気なんだからね!」
こうして2人はしばらくの間じゃれあっていた。
しばらくして由美はたびたび学校を休むようになった。
恭平は心配したが登校してきた由美は恭平の顔を見ると大丈夫大丈夫というように笑って手を振った。
土曜日に由美から明日、改装されたばかりの水族館に行きたいとメールがあったので恭平は駅前で由美と待ち合わせる事にした。
相変わらず由美は10分遅れでやって来た。
少し顔色が悪いようだったが心配する恭平に「大丈夫だよ」と笑顔を見せた。
由美は改装された水族館の目玉である大水槽が楽しみのようで電車の中ではその話ばかりしていた。
そしていざその大水槽の前に立つと感嘆の声をあげた。
「すっごーい。こんなに大きいなんて」
恭平の感想も同じだった。
「そうだな。これ程とは思わなかった」
それから2人は手を繋いで黙ったまま水槽を見つめた。
さまざまな種類の魚が所狭しと泳いでいた。
水槽の底では砂の上を蟹が歩き回っていた。たくさんのヤドカリや貝もいた。水槽の中は逞しい生命力に満ち溢れていた。
握っている由美の指が少し震えているのを感じた恭平は由美の顔を見た。
由美は無表情だったが瞳には涙が溢れていた。
「…生きてる」
由美は呟いていた。
「皆、生きてるんだ。あんな小さな魚まで」
由美の頬を涙が流れたが由美は拭こうとしなかった。
「…生きてるんだ」
恭平は呟き続ける由美の指をより強く握りしめた。
駅からの帰り道2人はいつもの丘に行った。
陽は暮れかけて空は真っ赤な夕焼けに包まれていた。
「わー、恭ちゃん見て見て。すごくキレイ!」
由美はいつものように空を指差して無邪気に笑った。
「由美は青い空が好きだったんじゃないのか」
そう言う恭平に由美はアカンベーをした。
「あたしは空の色ならなんでも好きなの」
そう言って再び空を見あげた。恭平も同じように空を見あげた。
「確かにキレイだな」
「でしょ。でしょ」
そう言って由美は恭平に寄り添ってきた。
恭平は以前より少し痩せたような由美の肩に手をおいた。
2人は今日の水族館の時のように黙ったまま夕焼けを見つめていた。
「あぁ、こうやってずっと恭ちゃんと空を見ていたいなぁ」
恭平は力強く言った。
「見ていられるさ。ずっと」
「ホント?」
「ホントだよ」
由美は嬉しそうに恭平の肩に自分の頭を乗せた。
次の日から由美は学校に来なくなった。
正確に言えば来られなくなった。
由美は難病を患っていた。
由美が産まれた時、由美の両親はこの子は長くは生きられないだろうと医師から宣告された。
それは由美自身も知らされていたし、恭平も知っていた。
そんな由美が16歳まで生きてこれたのは奇跡的な事だった。
由美は自分がいつ死んでもおかしく無いと知りながら今を懸命に生きようとしていた。
恭平も幼い頃からそれを知っていて自分の本当の妹のように支えていた。
普段の由美はとても元気で恭平は由美の病気は治っているのではないかと思う事もあったが病魔は陰で確実に進行していた。
医師から入院しても意味が無いと言われた由美は自宅のベッドで過ごしていた。
恭平は学校帰りに毎日のように由美の顔を見にきた。
由美は「恭ちゃん、毎日来なくても大丈夫だよ」と笑った。
恭平はしだいにやつれていく由美の顔を見るのは辛かったがそれでも毎日会いに行った。
そんな生活が2週間続いた頃、夜中に由美からの電話があった。
これからあの丘に行きたいと言うのだ。
そんな無茶なと恭平は言ったが両親の許可はとってあると言う。
恭平は急いで由美の家に行った。
今日の由美は今までよりは元気そうだった。
車で送ると言う由美の両親の申し出を断って由美を背負っていつもの丘へ向かった。
背中に感じる由美の身体がとても軽いのが悲しかったがそんな事はおくびにも出さず丘に向かった。
丘に着くと由美を座らせ恭平はその隣に座った。空は満天の星空だった。
2人は静かに星空を見あげていた。
由美の身体が少し震えた。
「寒いのか」
「うん。ちょっと」
恭平は由美の正面に回ると由美を抱きしめた。
「…あ」
「少しは暖かくなったかな」
「うん。恭ちゃんの心臓の音が聞こえる」
由美は恭平の胸に自分の顔を押しつけた。
「あんまり無茶するなよ」
「だって恭ちゃんとはいろんな空を見たけど星空は見た事なかったもん」
「そうだったかな」
「そうだよ。だから最後に恭ちゃんと星空を見たかったの」
しばらく恭平の胸に顔をうずめていた由美はふり返って星空を見あげた。
「前に恭ちゃんが教えてくれたよね。あたしが見ている星は地球から何億光年も離れているって」
「うん」
「それでその星は今はもう存在しないかも知れないけど光だけはやってくるって」
由美は一人言のように話し続けた。
「考えてみたらスゴイよね。星はもう無いのに光だけが飛んできて、あたしの目の中に飛び込んでくるなんて」
由美はふうっとため息をついた。
「そんなふうに、あたしが死んでもあたしの想いが皆の心に届くといいな」
由美はそれきり無言になった。
恭平が由美の頬に手を触れようとすると由美は恭平にしがみついて泣き叫んだ。
「あたし死にたくない!死にたくない!」
恭平はしっかりと由美を抱きしめた。
「死にたくない!死にたくないよぉ!恭ちゃん!」
「もういいんだ由美!もうガマンしなくていいんだ!由美!」
恭平は知っていた。
病気を知らされてからの由美の明るい態度や笑顔は由美がむりやり作っていたものだという事を。
「もう俺の前では無理しなくていいんだ。由美」
由美はしゃくりあげながら言った。
「あたし知ってたよ。恭ちゃんがあたしの病気の事を知ってて知らないふりをしてくれてた事」
「……」
「だからあたしは恭ちゃんの側にいるだけで幸せだったよ。恭ちゃんはあたしの事を判ってくれてた。それだけであたしは強くなれたし嬉しかったの。これは本当の事だよ」
せきが切れたように由美は喋り続けた。
「あたし恭ちゃんが好き!妹だと思われててもかまわない。世界中で恭ちゃんが一番好きだよ!」
「俺もそうだよ」
「え」
「一人の女の子として由美が好きだよ」
それでも何か言おうとした由美の唇を恭平は自分の唇でふさいだ。
驚いたような目をした由美だったがやがて静かに目を閉じた。
唇を離した2人は静かに見つめあった。
由美の頬は少し赤らんでいた。
「…恭ちゃん。今のあたしのファーストキスだよ」
「俺だってそうさ」
「あたしで良いの」
「由美だから良いんだよ」
由美はうっとりと目を閉じた。そして恭平に言った。
「恭ちゃん。あたし今、世界中で一番幸せ」
これが恭平が見た由美の最後の笑顔だった。
恭平は一人でいつもの丘に立っていた。
空を見あげると由美の好きだった真っ青な空だった。
「やあ、由美。また会いに来たよ」
恭平は空に向かって語りかけた。
「由美はこの空になったんだよな」
空は由美の好きな透き通るよいな青い色だった。
「由美の言う通りだったよ。この空がある限り由美の想いは俺の心に届いてるよ」
空に浮かぶ雲のひとつが恭平が見た最後の由美の笑顔のように見えた。
「また由美の本当の笑顔を見にくるからね」
そう言って恭平はゆっくりと丘をおりて行った。
終り
由美の心の中の葛藤をもう少し詳しく書きたかったのですが、なるべく文章を簡潔なものにしたいと思ったのでこのような形になりました。この7年間、僕の心の中にずっとあったある想いを文章にしたいと思って書きました。読んで頂いて本当にありがとうございました。