Chapter 1:Dead or Alive :Sect.月崎浩司.4-3
ドアノブに手をかけたとたん、部屋からいきなり怒鳴り声に近い声が聞こえた。
「あたしたちが素人なのは、はじめからわかってたじゃないですか!」
思わず手を引っ込めて、耳を澄ませる。
茉那の声に引き続いて、遠堂先輩の怒鳴り声が聞こえた。
あちゃあ。ついにやっちまったか……。
茉那のやつ、そのうち遠堂先輩とぶつかるんじゃないかという気はしてた。
いらないテンションが上がらないように気をつけなきゃ、と思ってはいたけど……。
中の様子をうかがうが、なんでけんかになったのか、全く要領を得ない。
「どしたの、浩司」
お盆を持ったつき姉ちゃんがきょとんとした顔で俺を見ている。
俺は返事のしようがなくて、黙っていた。
「ん?」
つき姉ちゃんも部屋から聞こえる怒鳴り声に気がついたみたいだ。
「あらら」
「どうしよう、つき姉ちゃん」
「んー、入るしかないんじゃない?」
つき姉ちゃんは躊躇なくドアノブに手をかけた。
「あのー。お茶、持ってきたわよ?」
つき姉ちゃんはドアから顔を出した。
俺も、姉ちゃんの後ろから中の様子をのぞき込む。
とげとげしい感じはなくなっているけど、とにかく気まずい。
ここをどう納めたものか、みんなが迷っている感じだ。
つき姉ちゃんはこともなげに中に入って、机にお盆を置くと、手早く紅茶を淹れ始めた。
しんと静まりかえった部屋に、カチャカチャという金属と陶器のぶつかる音が響く。
紅茶の葉を人数分いれ終わると、姉ちゃんはケトルタイプの電気ポットから一気にお湯を注いだ。
ポットを上げたり下げたりしながら注ぐ。姉ちゃんの名人芸、というか、一滴も外にこぼれない。
お湯を注ぎ終わった紅茶のポットにふたをすると、綿でできたキルトをかぶせた。
「ごめんね、ちょっと、畳においてある服、片付けてもらっていい?」
「あ、うん」
茉那が立ち上がったのと同時に、陽本さん、遠堂先輩、桑田先輩も立ち上がって、みんなで丁寧にたたみながら衣装を脇によける。
片付いたのを見計らって、姉ちゃんは一人一人の前に、ケーキの皿を置いた。
「このパウンドケーキ、私が焼いたんだけど。お口に合えば、どうぞ」
陽本さんが目を丸くしている。
遠堂先輩もちら、とお皿を見て、若干驚いた空気を見せた。
つき姉ちゃんのドライフルーツがたっぷりのパウンドケーキ、そこらの店よりおいしいんだよな。
それに今日はちゃんと盛りつけまでしてある。
生クリームとミントが添えてあって、お客さんに出す用だ。
でも、つき姉ちゃんのケーキを今日一番の楽しみにしてた茉那は、まだ決まり悪そうに俯いていた。
遠堂先輩の方を見れない、らしい。
「ほら、茉那ちゃん。食べて? 今日のは自信があるんだから」
つき姉ちゃんは茉那の皿に置いてあったフォークを手に取った。茉那に差し出し、にこりと笑う。
「……うん」
茉那はそのフォークを手に取り、ケーキ皿を持って、フォークでゆっくりとケーキを切る。
「ふふ。
紅茶、そろそろいい頃ね。
浩司、みんなに淹れてあげて。
じゃあね、ごゆっくり」
姉ちゃんはにこりと笑うと、そのまま立ち上がって出て行った。
俺は言われたとおり、ポットのふたを開けて一混ぜしてから、お盆のティーカップに注いでいく。
注ぎながら俺は、どうしたらこの場が回復するかを全力で考えていた。
今日、気まずいまま解散してしまうと、ほんとに遠堂先輩が抜けてしまうようなことにもなりかねない。
これは割と、人生最大のピンチかもしれない。
そういえば、結局、けんかの原因はなんなんだろう。
「どうぞ」
俺はソーサーの上に置いたティーカップを一つずつおいていく。
けど、茉那ですら紅茶を手に取らなかった。
俺は一人、ティーカップを持ち上げた。香りがふわっと漂う。
香りをいっぱいに吸って、一口すする。
美味しい。さすが、つき姉ちゃん。
「熱いうちに飲む方がいいよ。つき姉ちゃん、ほんとに紅茶淹れるの名人だから」
俺がそう言うと、おずおずと茉那がティーカップに手を伸ばし、一口すする。
陽本さんがそれに押されたように、一口飲んだ。
「……なにこれ、美味しい」
思わず、といった感じで陽本さんがつぶやいた。
それを聞いて、というわけでもないだろうけど、遠堂先輩もすすってみて目を丸くしている。
桑田先輩も黙ったままだけど、目をつぶって味わうようにカップを口につけていた。
俺も二口目をすすった。そのときの紅茶の味が、俺の背中を押してくれたような気がした。
俺は、思い切って、口を開く。
「あの、さ。
なにがあったのか、きいてもいい?」
しん、と重たい沈黙が返ってきた。
けれど、ここで俺まで黙ったら、なんにもならない。
「えと……。
遠堂先輩。やめる、とかって本気じゃ……ないですよね?」
「……さあ」
とりつく島のない返事が返ってきた。
「ごめん、月崎君。私が余計な口を出してしまったから。先輩、すみませんでした」
「違うよ、あやまることない。紗来の言ってることは正しいと、あたしは思う」
ギッと強い目で、先輩は茉那をにらんだ。
が、茉那も、先輩の目力に敗けてない。
けども、そんなことより。
「いや、二人とも、そんなにらみ合わずに。ともかく、理由はなんなんでしょう」
「あの」
陽本さんが困ったような顔で、語り始めた。
「先輩が衣装の写真を撮り始めたので、私、それは月崎君の許可をもらった方がいいんじゃないか、って言ったの。
けど、先輩は今後の参考資料のために撮ってらしたみたいで」
「そうなんですか?」
俺が水を向けると、「そーよ。いちいちそんなことで突っかかられてちゃ、今後やっていくのは難しいんじゃないかと、向日葵はおもうんだけど」と、遠堂先輩が言った。
ああ、なるほど。わかった。
と、いうことなら。
「ありがとうございます、先輩」
俺は頭を下げた。
下げた頭を上げて、遠堂先輩を見る。
遠堂先輩は、ちょっと驚いてるみたいだった。
「なに、突然」
「無理矢理巻き込んだみたいなものだったのに、先輩、ちゃんとまじめに考えてくれてるんですね。
ほんと、ありがとうございます」
俺は笑顔を作った。
先輩はこころなしか、顔が紅い。
「そ、そんなんじゃないわ。向日葵は、衣装が欲しいだけだし」
「はい、わかってます。けど、お願いしてもいいですか」
「なによ」
「茉那も言ってたとおり、僕らはほんとに素人で。
わかってないこと多いです。先輩も面倒だと思うんですけど、そういうの教えてほしいです」
先輩は困ったような、怒ったような顔をして、ぷいと横を向いた。
「先輩」
俺が声をかけると、先輩は「……わかったわよ」と、ぼそっとつぶやいた。
俺はほっと息を吐いた。
「あ、そうだ。言い忘れてましたが。
俺が月崎愛里紗の弟、というのも内緒にしておいてください。
あんまりおおっぴらに言ってないことなんで」
「言っていいことと悪いことくらい、わかってるわ」
先輩がそう言うと、桑田先輩が珍しく笑い含みに「そうか?」と言った。
「なによ」
「『やめてもいい』ってのは悪いことに入らないのか?」
「あれはっ! ……こ、言葉の、綾だしっ。あの子が、あんまり突っかかってくるから」
「うん」
茉那はまっすぐに、先輩を見て「私もごめんなさい、先輩」と言った。
「あ。今のごめんなさいは、やめてもいい、って言ったことについて、です。言い過ぎでした、ごめんなさい。けど、紗来が正しい、といった件については謝らないです」
遠堂先輩の片眉が上がった。
「ま、茉那」
陽本さんが慌てて、茉那を止める。
「すみません、先輩。茉那のこと許してやってください。強情ですけど、悪気はないんです」
俺は茉那の代わりに頭を下げる。
ちょっとした沈黙が降りた。
けれど、さっきのような緊張感はない。
「ま、いいけど……」
先輩はケーキの皿を手にとって、フォークでゆっくりと一口分を切った。
「あ。美味し」
先輩の言葉を聞いた茉那の顔が、突然輝くような笑顔になった。
「くふふっ♪ だよねっ」
「なんだよ、茉那」
「うん。先輩、つき姉のケーキ美味しい、って」
茉那は自分のケーキが褒められたかのように喜んでいる。
「なによ。何か、文句でもあるの?」
「ううん。うれしいだけです。えへへっ♪」
先輩は呆れたような不思議そうな顔をして、紅茶をすすった。
「変な娘」
(続く)