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老魔女「どうしてこうなった……」

作者: 内野空豆

 淀んだ空気に刺すような臭気。明らかに光量の足らない室内。暗闇も同然の中、この部屋唯一の光源である炎にあぶられ、大きな釜がグラグラ煮える。

 部屋の片隅に置かれた棚には薬草、毒草、動物の皮に魔物の爪、多種多様な物達が規則性の欠片もなく詰め込まれ、その脇にはこれまた乱雑に積まれた本の山が崩れる一歩手前をかろうじて維持しながらそびえ立つ。

 清潔さなど微塵も存在しない空間。そこに不気味な笑い声が響き渡る。小さく、しかし無視できないくらい鋭く。


 ――ここは魔女の工房。魔術を操る者の住処すみか。この世に存在する小さな異界。


 そして、この世のモノとは思えない異臭を放つ灼熱の釜をニヤニヤ笑いながらかき混ぜる老婆こそが、この空間の主。老いた魔術師――老魔女だ。


「ヒヒヒヒヒ。できた、できた」


 混ぜに混ぜた釜の中身をすくい上げ、老魔女の笑いが一層深くなる。

 生理的嫌悪を人に抱かせる様な笑い声は、彼女が上機嫌である証だ。


「あとは、こいつを別の容器に移し替えれば――」

「――婆ちゃん!!」


 薄暗い工房に、唐突に光が差し込む。一拍の後遅れて走る衝撃に、魔女の異界が揺さぶられた。

 まず棚が傾いた。詰めに詰め込まれた中身は当然のごとく溢れだし、部屋の混沌さが加速する。

 次いで本の山に限界が訪れた。埃を撒き散らしながら進む本の雪崩は、撒き散らされた棚の中身を飲み込み押しつぶす。

 そして最後に、老魔女が手を滑らせた。出来を確かめるためにおたまですくった灼熱の液体が、突然の出来事に思わず後ろを振り返った老魔女の手へとしたたり落ちる。


「――熱ッッッちゃーーーーーー!!!」

「婆ちゃん聞いてよ! 婆ちゃんってば!」


 絶叫が部屋を震わした。そこには先ほどまでの不気味さは毛ほどもない。

 ただただ悲痛さだけを感じさせる雄叫びを上げながら、部屋にあった水瓶みずがめに勢いよく手を突っ込む老魔女を一切気にすることなく、来訪者は声を張り上げズカズカと室内に侵入してきた。


「婆ちゃん! 遊んでないで聞いてよ!」

「……またオマエかッ!」


 老魔女が来訪者の姿を確認し、歯ぎしりと共に怨嗟の声を上げる。

 そこにいたのは、十にも満たない人間の少年だった。まだ男としての成長が始まっていない身体に、中性的で整った顔。それ相応の服を着せて身なりを整えさせれば少女としても十分通用しそうな容姿を持ったこの子供は、しかし確かに少年であり、老魔女の秘かな悩みの種だった。


「毎度毎度騒がしく扉を開けて勝手に入って来てっ! もう二度と来るなと何度言ったら――」

「そんな事どうだっていいんだよ! それよりボクの話を聞いてってば!」


 怒りに歪む老魔女を毛ほども気にする素振りも見せず、その怒声を少年が遮る。

 ――このガキ、あの大釜で煮込んでやろうか!?

 自分の怒りをどうでもいいと切り捨てられた老魔女の脳裏に物騒な考えが浮かび上がる。

 しかし、少年はそんな老魔女の脳内など知るかとばかりに一方的にわめき立てた。


「聞いてよ婆ちゃん! マイアスの奴ヒドイんだ!」


 どうやら、この少年もなにやら怒っているらしい。

 図々しくて、頑固で、自分に都合の悪い話は聞こうともせず、そのくせ好奇心と度胸と行動力だけは無駄に有り余っているこの少年は、意固地になると厄介さが更に増す。

 幾度となく迷惑を被ってきた老魔女はそれがよぉく分かっているだけに、沸々と沸く怒りを抑えるために大きな大きなため息をはいた。


「……話は聞いてやるから、終わったらすぐに帰る。いいね!」

「うん! わかった!」


 いつもいつも返事だけはいい少年にぶちぶちと文句を垂れつつ、老魔女は水瓶に入れていた手を拭きつつ立ち上がる。後ろに少年を引き連れ、少々ガタがきている椅子へと腰掛けた。この部屋にある椅子は老魔女が座っている物だけであり、少年の分はもちろん無い。

 その事について文句を言ってきたら問答無用で外に蹴りだそうと思っていた老魔女だったが、残念なことに少年に文句は無いようだった。


「……で、あのガキ大将がどうしたって?」

「そう、聞いてよ! ボクら、今日村の広場で遊んでたんだ! そしたらなんか、将来の夢の話になって、みんなで何になりたいかの発表をしあったんだよ!」

「ほぉ、夢ねぇ」


 少年の話すその子供らしい内容に、老魔女は不覚にも微笑ましい気持ちになった。

 将来の夢についてだなんて。この小憎たらしいお子様も、どうやら中身自体は世間一般の子供たちと大差ないらしい。


「マイアスは騎士団の筆頭騎士。テッドは大金持ちの大商人。カロルはおっきな果樹園を作る。アニーは店の看板娘で、リエラは幸せなお嫁さん」


 並べられたのは全部バラバラ。大層な夢から堅実な夢まで、このぐらいの子供たちの夢というのは多種多様であり十人十色で、しかしだからこそ面白い。

 自分の時はどうだっただろうか。そんな考えが老魔女の頭の片隅にぼんやりと浮かぶ。


「そしてボクが、この国一番の魔術師!」

「……………………はぁ?」


 たっぷりの間、次いで困惑。

 頭の片隅でぼんやりと考え事をしていたのがいけなかったのだろうか。なにやら普通では考えられないモノを聞いたような気がする。

 思いっきり眉をひそめて聞き返してきた老魔女のそんな反応が気にいらないのか、少年はその声を一層張り上げた。


「だから、国一番の魔術師になるのが夢なの!」

「……それは、誰が?」

「ボクが!」

「……この国で一番の、魔術師に……オマエが?」

「そう!」


 呆けたように見つめる老魔女に、少年が自信満々に胸を張る。

 見つめ合う事しばし。じっくりとその内容を反芻はんすうしていた老魔女の顔が、突如としてくしゃりと歪んだ。


「――ハ、ハハハ、ハーッハッハッハッハッハッ! オマエみたいのが、魔術師? ましてやこの国で一番のだって!? こりゃー傑作だ!」

「なんだよ、婆ちゃんまで笑うのかよ!?」


 腹を抱えて大笑いする老魔女。その反応は、少年が先ほど遊び仲間たちに己の夢を発表した時と同じものだった。

 一人には面と向かって馬鹿にされ、他の者たちは口にこそ出しはしなかったが、皆肩を揺らして少年の夢を笑ったのだ。

 

「なんでだよ! どうして笑うんだよ!? マイアスの奴も、他の皆も、そうやって大声で笑ってバカにしたんだ!」


 顔を真っ赤にして憤る少年に、しかし老魔女は涙をふきつつニヤニヤといやらしい笑みを向ける。

 その顔は、日頃のお返しとばかりに目の前の少年を心底小バカにしていた。


「そりゃーバカにしたり笑ったりもするだろうさ。オマエ、国一番の魔術師がどういう存在なのか知ってるのかい?」

「そのくらい知ってるさ! 魔導師長っていうスッゲー魔術師! ジョーシキだよ!」

「そうかいそうかい。――じゃあ、その魔導師長が女しかなれないってのも、知ってるのかい?」

「……え? ええ?」


 老魔女の言葉に、少年の思考が止まった。

 驚愕と混乱で動くことを忘れた少年に、老魔女の笑みが一層濃くなる。


「ヒヒヒヒヒ。ああ、やっぱり知らなかったのかい。そりゃそうだ、知ってればそんなこと言えっこないしねぇ。男のオマエが国一番の魔術師――魔導師長になるだなんて」

「そ、そんなのウソだ! 男の魔術師だってたくさんいるのに、女しかなれないなんて不公平、あるもんか!」

「不公平? ああ、そうだね。確かにそうだ。でもしょうがないのさ」

「なんでさ!?」

「だって、神様がそう決めたんだからね。こればっかりはしょうがないさ」


 老魔女は語った。神の定めた埋めがたい溝。保有魔力量の男女の圧倒的差を。

 男は筋力。女は魔力。神はそのように定めて人間を創造した。

 魔術を使うに当たって魔力は必須。より大規模の魔術を操るには、より多くの魔力が必要となる。保有魔力の差こそが魔術師としての格の差といっても過言ではない。そして個人の差こそあれ、生まれてきた時点での男と女の一般的な保有魔力量の差はおよそ、十倍。修行によって多少の増大こそするが、それでも埋めきれるほど浅い溝ではない。


「アンタの言った通り、男の魔術師だって確かにいるさ。でもその数は女百に対して一いるかどうか。男が魔術師になるだけでも、女の百倍は大変だってことになる。だってのに、ヒヒヒヒ、ましてや国一番の魔術師だなんて、ねぇ」

「わ、笑うなよ! そんなの知らなかったんだ! それに、他人の夢を笑うなんてサイテーなんだぞ!」

「クッ。ククククッ!――アーヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ!」


 顔を真っ赤にして怒る少年の姿に、老魔女はもうたまらないとばかりに顔に手を当て、体を大きくのけぞらせた。


「『知らなかった』? 『他人の夢を笑うのは最低』? ヒャーッヒャッヒャ! アンタは私を笑い殺す気なのかい!?」

「どうしてそこでまた笑うんだよ!? 知らなかったとはいえ、人の真剣に考えた夢を笑うヤツがサイテーじゃなくてなんだって言うんだ!」

「『真剣に考えた』だって!? ヒーッヒッヒ! そーかいそーかい! なら聞こうじゃないか!」

「なっなんだよ」

「――その『真剣に考えた』夢のために、アンタは一体何をしたんだい?」


 向けられたその問いに、少年は息を詰まらせた。

 当然だ。夢のために何かをするだなんて、少年は今まで一度だって考えたことがなかったのだ。

 答えられずに言葉に詰まる少年の顔に、老魔女の顔が一層歪む。


「ヒヒヒヒヒ。おやおや、真剣に考えたんだろ? 何もしてないなんてことありゃーしないはずさ」

「それは、だって……そ、そうだ! 婆ちゃんの魔法薬づくりを見て、ベンキョーしてる!」

「ほう、来ては部屋の中を散乱させて帰るってのを近頃は勉強と呼ぶのかい。そいつは知らなかったねぇ」


 少年の言葉に頬を引きつらせるも、それでも老魔女の笑みは崩れない。


「で、アンタはその勉強とやらから何を学んだ?」

「そ、そりゃぁ魔法薬の作り方や薬草、毒草の扱い方なんかを……」

「ほー、そいつはスゴイ! じゃあ、アンタはそれを誰の前であっても胸を張って言えるわけだ! 『国一番の魔術師になるために、魔法薬の作り方や薬草、毒草の扱い方を勉強してます』って! ――――『夢のために努力してる』って、自信を持って言えるってんだね?」


 問いかけと共に老魔女が少年の顔を覗き込んだ。そこには先ほどまでのニタニタとした笑みはない。その眼には普段とはまた違った鋭さが宿っている。

 老魔女のその眼力に押し負けるかのように、少年の顔がうつむいた。


「…………ません」

「は? なんだって?」

「……言え、ません」

「なんだい下向いてブツブツと。あいにくと歳でね。耳が遠いんだ。もっと大きな声で言っとくれよ!」

「――っ! だって、仕方ないじゃないか! 婆ちゃん、聞いてもほとんど何も答えてくれないし! 魔術だって教えてくれないし!」

「あーあー。やめとくれよ、責任転嫁なんて。『これ何?』って聞いてくるからその物の名前だけ答えてやればそれ以上聞いてこなかったのも、魔術の本貸してやったらまともに読もうともせずに突き返してきたのもアンタの方じゃないか」

「だって、だって…………いいじゃんか、ボクまだ子供だし。これから頑張ればそれで……」

「まだ子供だから? これから頑張れば? 甘えてんじゃないよ」


 うっすら涙を浮かべつつ言い訳を並べ始めた少年を、老魔女は鼻で笑った。


「ガキ大将は手作りの木剣を毎日振り回してる。商家の息子は必死に帳簿のつけ方を覚えてる。カロル坊は自分で植えた苗の世話を毎日してる。嬢ちゃんたちだって、それぞれ家の手伝いを頑張ってる」

「な、なんでそんなこと知って……」

「村の会合に顔だせばいろんな話が聞けんのさ。特に親ってのは自分の子供のことを話したくって仕方ないもんでね。――で、アンタは何もしちゃいない。毎日ただただ遊び呆けてるだけだ」

「ち、ちがッ! ボクだって――」

「違わないね。皆大なり小なり自分の夢のために努力してる。だってのに、一番大きなゆめ言ったアンタだけが何もしてないのさ」


 目尻に大きな涙つぶを溜める少年に対し、しかし老魔女はあくまで冷たかった。

 冷笑を浮かべ、目の前に吐き捨てるように言葉をつなげる。


「――口だけの夢なんざ笑われて当然だね。それに怒る資格は、アンタにはないよ」

「…………うぅっ。グスッ、ヒック」

「フン、口だけのオマエには魔術師長どころか、そもそも魔術師になるのだって無理さ。早めにそれが分かってよかったじゃないか。お喋りは終わりだ。ほら、とっと帰んな。そして二度とここには来るんじゃないよ」


 つまらない物を見るような目で一瞥した後、老魔女が少年を残して椅子から立ち上がる。

 しょうもないことに時間を使いすぎた。作った薬の効能の確認や瓶詰など、これからやることを指折り数えて歩く老魔女。その体が、少しだけ後ろに引っ張られた。

 老魔女が背後へと目を向ければ、ローブの端を握りしめる少年の姿。グシグシと腕で乱暴に涙を拭う少年に、老魔女の顔が不愉快気に歪む。


「なんだい、まだ分からないのかい。いいさ言ってみな! 足りない頭で考えた言い訳なんざ何度だって言い負かしてやる!」


 声を荒げる老魔女に、しかし少年は首を横に振った。

 顔を上げた少年の赤く充血した瞳と、老魔女の視線が重なる。


「……婆ちゃんの、言うとおりだ。ボク、何もしちゃいなかった。真剣に考えたって言いながら、婆ちゃんの後ろ姿を見て何かやった気になってたんだ」

「そうだ。家に帰ってよく考えるんだね、口だけのアンタにぴったりの分相応な夢を」

「婆ちゃんが言いたいこともよく分かった。男が魔術師になるには才能と努力が必要で。それで例えなれたって、国一番の魔術師――魔導師長になるのはムリだって」

「そうだそうだ。その頭にも多少の脳味噌は詰まってたようだね。分かったんならその手を放してさっさと帰れ」


 言いながら、老魔女は不穏な空気を感じ始めていた。

 図々しくて、頑固で、自分に都合の悪い話は聞こうともせず、そのくせ好奇心と度胸と行動力だけは無駄に有り余っているのがこの少年だ。だというのに、今日に限ってはやけに素直で物分かりが良すぎやしないだろうか。

 それに、この少年の目はなんだ。先ほどまで泣いていたとは思えないほど力強い目は。


「婆ちゃん、ボク本気だよ。遅すぎるかもしれないけど、その分人よりいっぱい頑張るから」

「そ、そうかい。そりゃよかったね。せいぜい頑張りな」

「今日、この瞬間から、ボクはボクの夢に本気を出す」

「夢って、アンタ何を言って……自分にはムリだって分かったんだろ? なら一体何に本気を出すって……」

「――諦めない! 確かに今まで何もしてこなかったけど、でも、真剣に考えたボクの夢だ!」


 もう少年のその眼に涙はない。しかし代わりに宿った得体のしれない輝きに、老魔女の額に汗が浮かぶ。

 拙い。何やらものスゴく拙いことになっている。この少年を今すぐ止めなければ、きっと何かとんでもないことやらかすだろう。自分(老魔女)を巻き込んで。

 外れる気は微塵もしないその予知能力じみたその直観に、老魔女が思わず身震いする。


「まだ分からないのかい!? ムリだムリムリ! 男のアンタじゃぁ、ゼェーッタイにムリ!」

「ホントにムリ? ゼッタイのゼッタイ?」

「本当の絶対にだ! 男じゃぁ魔導師長にはなれない! 神様がそう決めたんだ!」

「うん、分かった!」


 ――絶対に分かってない。なんだそのヤル気に満ち満ちた表情は!

 物分かりがよいなど、老魔女の勘違いに過ぎなかった。この少年はやはり頑固で、都合のいいことしか聞いていないし聞こうとしない。後はもう、その身に詰まった図々しさと好奇心と度胸でもって行動へと移すのだ。

 老魔女はもう耳を塞いでうずくまりたくなった。この少年がらみの厄介事などもう沢山だ。だというのに、当の少年はそんな老魔女など気にすることなく一人勝手にそのボルテージを上げていく。


「僕はゼッタイ、国一番の魔術師に、魔導師長になる!」

「もういい喋るな。口をつぐんで今すぐ帰れ。お願いします帰ってください!」

「でも、婆ちゃんは男のボクじゃムリだって言った。だから、ボクは本気を出すんだ!」

「あー! あー! 聞こえなーい! なーんにも聞こえなーい!」


 全てを投げ出し現実逃避を始めた老魔女を余所に、少年は決意を固めた。

 声に出すことに特段の意味はない。これは少年から自分に対しての宣言だ。自分は変わるのだと。夢を笑われるのが当然だと言われるのは今日、この瞬間で終わりにするのだと。自身の夢に本気で挑むのだと。


「ボクは本気で――女の子になる!」


 その強固な意志の発露と共に、少年は右手を振り上げた。



◆◆◆◆◆



 その後の少年の行動力は素早かった。

 翌日には母や友達からお古の服を貰い受け、下着まで女性用のモノに変えたてきた少年は文句や嫌味を全て押しやり、老魔女の弟子として魔術の修行を開始した。


 始めはガキ大将のマイアスを始めとした子供たちに『オカマ』とバカにされ、大人たちからは厳しい叱責を幾度となく受けたが、一月ひとつきが過ぎ二月ふたつきが過ぎ、少年の髪が風を受けて軽やかに舞い上がるようになる頃には、少年の格好に口出しをする者は村の中には誰もいなくなった。

 女の子になるための一環として料理や掃除、裁縫などの家事も行い始めた少年は、その生まれ持った容姿と相まって外見だけならば完璧にお淑やかな美少女。少々お転婆なところも少年の魅力として受け入れられ、いつしか少年を男の子扱いする者も姿を消していった。


 少年の父は「可愛く微笑んで『お父様』って呼んでくれるし、なんかもうどうでもいい」と言って深く考えることを止めた。


 少年の母は「家事も手伝ってくれるし、家の中も華やかになるし、女の子っていいわぁ」と言いむしろ少年の行動を積極的に受け入れた。


 魔術の修行では、本意ではなかったとはいえ一度弟子として認めた以上、老魔女は少年の指導に手を抜くようなことはしなかった。弱音をはくようならすぐさま師弟関係を取り消すつもりであったし、むしろそれを狙って必要以上に厳しくしたのだが、その思惑に反して少年が弱音をはくことはなかった。


 (大変不本意ながらも)少年を弟子とした老魔女から見て、(真に残念ながら)少年は魔術師を目指す者としての最低限の才能は持ち合わせていた。魔力量は魔術師としていささか心もとなかったが男としては多い方であったし、なにより少年は以外なことに魔力制御などの細かい感覚を必要とするものが非常に上手かった。物覚えも悪くはなかったし、老魔女としても(非常に遺憾ではあるが)、魔術師長ほどはムリでも、少年が将来それなりの魔術師になることができるであろうことは認めないこともなかった。


 日々は騒がしく過ぎていった。

 少年に惹かれて工房に押し入ってくる者たちを魔術で吹き飛ばしたり、調子に乗って魔法を暴発させた少年によって工房を半分以上吹き飛ばされたり、少年が錬金術の失敗で生み出したゲル状生物を建て直した工房もろとも吹き飛ばしたり、少年がどこからか拾ってきた竜の幼生体によって新しく建てた工房を吹き飛ばされたり、幼生体を探しに来た親竜によって村ごと吹き飛ばされそうになったり。

 少年を弟子にしてから老魔女の心が休まることはなかった。


 色々な事を経験し魔術師としてなんとかみれるようになったと老魔女に認められた少年は、更に高度な知識を求めて王都の魔術学院に入学することを決めた。王都の魔術学院は数多くの優秀有名な魔術師を輩出してきた名門校だ。現魔術師長もここの出であり、高レベルの施設と講師がそろったこの場所は未だ夢を諦めない少年にとって非常に都合のいい場所だった。入学に課される条件はその分高いが、よほどのことがない限り受かるであろうことはそこの卒業生である老魔女から苦々しい顔でのお墨付きが出ていた。




「――では師匠、行ってまいります。今までお世話になりました」

「………………ああ」


 月に一回だけの王都への馬車便を背に、少年は老魔女に笑いかけた。

 風に弄ばれぬように片手で髪を抑えるその姿には、男らしさなど微塵もない。


「体に気をつけなさいね? 怪しい人に着いてったりしちゃダメよ?」

「あっちに着いたら直ぐに連絡しろ。辛いことがあったら我慢せずに帰ってくるんだぞ」

「もう、お母様もお父様も心配しすぎです。私もいつまでも子供ではないのですよ?」

「どんなに大きくなろうと子供は子供だ」

「そうよ、貴女は私たちのかわいい娘。一人で王都に行くなんて心配ないわけないじゃない」

「ありがとう、お父様、お母様。でも安心して。絶対に国一番の魔導師になって帰ってくるから」


 我が子との別れに涙を流す両親と抱擁を交わす少年を次々と人々が取り囲む。

 始めに寄って来たのは二人組の少女たちだった。


「……本当に、行っちゃうの?」

「こら、リエラ! その話はもう済んだでしょ! 皆で笑顔で送り出すって、夢を応援するって決めたじゃい!」

「だって……だって!」

「リエラ!」

「アニー、いいの。ありがとうリエラ。そんなにも別れを惜しんでくれて、とっても嬉しい。でもできれば『行かないで』じゃなくて『行ってらっしゃい』って言って欲しいの」

「でも、離れ離れなんてっ!」

「これが今生の別れなんかじゃないわ。絶対に夢を叶えて帰ってくるから。それに、もしどうしても会いたくなったならいつでも王都に来て。リエラなら大歓迎だから」

「うんっ。うんっ! 必ずっ、行くから! 直ぐに追いかけるから!」

「大袈裟ねぇ。でも、楽しみに待ってる」


 少年の胸元にぎゅぅっと抱き着きその頭を優しく撫でられているリエラ。

 その姿にもう片方の少女、アニーから呆れの息がはき出される。


「アニーもありがとうね。お店もあるのに見送りに来てくれて」

「いいのいいの。この時間なら私一人抜けたって父さんと母さんだけでもなんとかなるから」

「考えればアニーには世話になりっぱなしね。私が夢のために本気を出そうと決めた時も、一番最初に手助けしてくれたのはアニーだった。その後も色々とフォローしてくれて、本当に感謝してるわ」

「あーもう、いいわよそんなの」

「ありがとうね」

「いいっつってんでしょ! しつこいわよ!」


 顔を赤らめて向きになるアニーに、少年がくすくすと笑う。

 その笑みを見たアニーの顔が一層赤くなった。


「ふふ、他の皆は?」

「……知っての通り、テッドは親父さんの商談に着いてって一足先に王都に行ってるわ。カロルは来るって聞かなかったんだけど、今から旅立つ人に病気うつすわけにもいかないからベッドに縛り付けてきたわよ。一応手紙だけは預かってきてる」

「ありがとう。馬車の中で読ませてもらうわ。カロルにお大事にって伝えてくれる? それと……マイアスは?」

「あのバカのことなんて知らないわ。どっかで剣でも振り回してるんじゃない?」

「……そう。無理にとは言わなかったけれど、来てくれないとやはり寂しいものね」

「いいのよ、居てもうるさいだけだし。あんなヤツ、気にするだけムダよ」


 ふんと吐き捨てるように言うアニーに少年が苦笑いを返す。

 いつでも強気なのがこの少女の売りだ。しかし、次の瞬間アニーが不意に寂しげな表情をのぞかせた。


「……私は店もあるし簡単には遊びに行けないけど、私のこと忘れたりしないでよね」

「絶対忘れない。アニーは私の大切な人だもの」

「……っ!」

「ねえ私は?」

「もちろんリエラもよ」

「うん! えへへ」


 少年が少女二人を抱き寄せる。 

 その絆を確かめ合っていると、三人の正面の人垣が割れた。

 歩み出た来たのは一人の少年だった。


「マイアス、来てくれたのね!」

「……ああ」


 歩み寄ってきた人物に気づいた少年が嬉しそうな笑顔を向けると、その人物――マイアスは顔を反らしつつも不愛想に返事を返した。


「あんまりにも遅いものだから、来てくれないのかと思っちゃった」

「……ちょっと用事があっただけだ」

「そうだったの。ムリに時間を作らせてしまったみたいでごめんなさいね」

「……べつに」

「ふふ、貴方は相変わらずね。来てくれてありがとう」

「………………ん」

「……私に?」


 少年の問いにマイアスが小さく肯定の意を返す。

 反らしているせいで見えずらい頬を赤く染めながら突き出されたマイアスの手には、きれいに咲いた一輪の赤い花が握られていた。 


「……俺も、もう少ししたら騎士団の入門試験を受けに王都に行く」

「そう。なら、王都に着いたら是非声をかけて。マイアスが王都に来てくれるなんて、私としても心強いわ」

「あ、ああ……! 待ってろ、荷物をまとめてすぐに行くから!」


 マイアスは顔を赤くしながらも喜色に染まった顔を上げた。その勢いに押されるように少年に向けマイアスが一歩踏み出そうとしたところで、その進路は二人の少女によって阻まれる。


「そこまでよバカマイアス!」

「それ以上近づかないで。汗臭いのが移るから」

「……おまえらぁ!」


 アニーとリエラ、少女二人の巧みなブロックによって進路を完璧に塞がれたマイアスから怨嗟の声が漏れる。しかし、少女二人はそれに臆することもなくマイアスをさんざんに罵倒し始めた。

 二対一で口喧嘩を始めた三人の姿に、少年の口元が綻んだ。


「ホント、貴方たちって仲がいいわねぇ」

『良くない!』


 直前まで口論していたくせにこちらへの返事は異口同音に返すその様に、少年は笑い声を上げた。




「――じゃあ、そろそろ時間だから。またねみんな」


 別れを惜しみ惜しまれしつつも、少年が馬車へと乗り込む。

 御者の注意の声に人々が道を開けると、馬に鞭が入った。


「行ってらっしゃーい!」「元気でなー!」「頑張れよー!」「絶対に帰ってくるのよー! じゃなきゃ許さないからー!」「待っててー! 私もすぐに行くからー!」「待ってろー! 俺もすぐに追いかけるからー!」


 動き始めた馬車に向け、人々から声援がかけられる。


「行ってきまーす!」


 少年は馬車の窓から身を乗り出し、大きく手を振った。

 見送りに集まった人々がその姿に一層声を張り上げて手を振り上げる。

 夢のために旅立つ少年を笑う人間は、そこには一人としていなかった。




 国一番の魔術師になるために王都の魔術学院へと旅立つ女装姿の少年と、それを受け入れ応援する人々。

 一人静かに周りの様子を眺めながら、老魔女はポツリと呟いた。


「どうしてこうなった……」


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