Retrospective
「いぬはびょうびょうと鳴き‥?‥、‥」
‥びょうびょう‥。
‥ありえない‥。
何てぬるっとした言葉なんだ。
明治時代の小説に書かれている犬の鳴き声。
現代の人間として目の当たりにすると、さすが、夜中の場面によく書かれているはずである。
艶やかな幽霊が化けてでる話であるが、この作者が、物語の中にこの言葉を入れた事で、"びょうびょう"という言葉が、夜霧にいびつに響いて伝わる鳴き声の様子を顕すことに成功してる。
"びょうびょう"が、この物語に冷たい気持ち悪さを添えらている所が何ともシュールだ、と感じる。
如何にも、何かわるいものが出る予兆、或いは前兆として書かれているとおもわれてもしょうがない。
狙って書いたのか、意図せずに書いたらこうなったのか。
そういえば昔、真白猫を初めて見たのは、丁度昼と夜との間だったっけ。
逢ふ魔が時?
昔、と自分で敢えて意識して考えてみると、そうか、と。
あれからもう20年程経ってる。
20年も昔のことなんだ‥。
―――――――――
明後日で連休最後という朝、早く起きすぎたわたしは、もう今は亡き祖父が生前買い集めたまま残して逝った文庫本を読み漁っているが。
-にゃー-‥
毎日二回餌をあげて、甘えてくるので、遊ばせる。
足下に擦り寄っては、レギンスに抜毛を引っ付け、飼い主が起きたと知れば読書の邪魔をする、そんなうちの猫'まぁ'。
親猫とはぐれて貰い手なく、もう少しで保健所にいってしまうという生後2ヶ月ごろにわたしが貰ってきた。
'まぁ'は、そりゃあもう、仔猫の頃からお転婆だった。
何でも狩猟遊びの道具にして、わたしの大事なものを引掻きするのは日常茶飯事だった。
当時御気に入りだった、ビニールコートのメイクポーチも、極めて早い段階でお仏様の所にいった記憶がある。
今でこそお転婆は落ち着いてくれたけど。
'まぁ'は、あの猫ほど落ち着いた性格でもないし、脱走したら、直ぐ車に曳かれてもしまうだろう。
気を付けてあげないと。
―――――――――――
元々猫とは縁のない人生を歩んでいたのに、 自分で猫を飼う決心をした、22歳。
それには、あの真白猫の存在は大きかったのだろうと凄く思う。
真白猫がわたしの実家と公会堂に巣くってよく居眠りしてたのは、一年半程だった。
秋だったのに妙に蒸し暑かった夕方。
斜陽の作り出した赤黒い空間、その鋭角の先で初めて目にした、緑の中で一際目立った真っ白。
首輪はなかったと思う。
それまでは誰かに飼われていたのかも知れない。 庭にわたしが出ていると、大体の頻度で、近くに歩いてきて佇み、近くない、遠くもない場所に、わたしの方を見て座っていた。
少し近付いたり、おいで、のポーズをしようとしては逃げていくのに、結局あの猫はわたしにどうしてほしかったのか、本当に最後まで解らなかった。
本のページの角っ子を爪で撫でながらボンヤリしていると、やっぱり早く起きすぎだったのか睡魔が出てくるが、近付いてくるエンジン音に目を向ければ、前日に包装した野菜を出荷し、戻ってきた父の乗った軽トラック。
そして台所では調理棚を開ける音がする。
わたしは母の朝食の用意を手伝う為、栞を挟み、本を閉じた。
――――――――――
‥―「ただいまぁー‥。」
9月最初の土曜日、体育祭の予行演習があったこの日は、妙にじっとりと汗が流れる。
からっとしてるって予報してたのに、汗じとっ。
そしてだくだく。
絶対、からっとじゃない‥!
山一つ越えての自転車通学なので、予行演習の後着替えずにそのまま身につけて帰ってきた体操着は一刻も早く洗ってしまいたい。
そしてお風呂にいきたい。
ただいまと言っても、わたしが早く帰ってきたのと、真理恵はちょっと離れた短大に行ってるし、祖父はこの時もういない。
祖母は何時もの通学路の途中にある畑で精を出していたし、この頃の両親は仕事にも行ってたので、結局誰も居ないのだが。
体操着を洗濯機に放り込む。起動させるには、ピッと人差し指で押す、のではない。
0から、表示されている数字まで、ツマミをぐるっと回すのだ。
0に戻って洗濯が終わったら、右にある脱水曹に自分の手で洗濯物を移す。
この頃はこれが普通だと思っていた二曹式洗濯機。
何とレトロな洗濯機か。