ハナナス (1)
毎日が嫌で嫌で仕方が無かった。
生きるのが辛くて辛くて苦しかった。
だから、そんな人生と離れたくて。
だから、そんな人生を終わらせたくて。
彼は――
その日、空を飛んだ。
彼が空を飛ぶ、数分ほど前の事。
彼は開け放たれた学校の屋上で黄昏ていた。
黒髪に青縁のメガネ、黒い瞳。ブレザー型の制服に身を包んでいる。顔立ちは整っているほうであるが、真面目なオーラなので話しかけるのを躊躇わせた。
そんな少年は、ぼぅっと空を眺めていた。どこまでも遠くを見据えている様にも感じる。
そして、そんな少年は小さくため息を漏らした。
(……つまらない、こんな人生は実につまらないな)
そう想いながら更に深くため息を漏らす。
(つまらなすぎて、欠伸が出るほどに)
実際に欠伸をしてみせ、彼は薄く笑った。
(あぁ、本当につまらなくて退屈だ。何処までも何処までも。幾度となく同じ日を繰り返していく、ただそれだけの人生だからな)
朝起きて、学校へ行って、勉学に励み、友人たちと談笑し、帰宅し、何か娯楽をしてから寝る。
起きる時間、登校する時間、勉学の内容、話の中身、帰宅時間、娯楽内容は一日として同じではない。
だが、流れとしては毎日同じなのだ。
そんな平々凡々な人生に終止符を打ちたくて。
そんなつまらない人生に爆弾を落としたくて。
彼は、ガシャッという音を鳴らしながらフェンスに足を乗せる。
そして顔には生きていた頃には絶対に見せなかったほどの無邪気な笑みを湛え。
これからこのうんざりする程の最低最悪な人生から解放される、と思うと「ははっ!!」という笑い声が口からもれだし。
それでもまったく悔いは無い、という表情で。
――空を飛んだ。
彼が目を覚ますと、そこはとある野原だった。
大きな木の下に寝そべっており、木の葉の隙間から陽光が彼に降り注ぐ。手で日を翳し、軽く目を細めた。
そして自分に残っている記憶をさかのぼる。
フェンスを蹴った後、彼の体は地面へと落ちて行った。
重力に逆らうことなくどんどんと落ちていき、予想よりも早く地面へと体がぶつかる。
激しい衝撃が彼を襲い、周りの一拍遅れた甲高い悲鳴が響き渡る。
近くで練習していた野球部員が「おい、大丈夫か!?」と声をかけてくる。
だが、その声もどんどん遠ざかって行って。
彼の意識はすぐに途絶えた。
その時の事を思い出していると、ひとつの事実が思い浮かぶ。そして彼はさして驚きを見せることなく
(……あぁそうか、俺は死んだのか)
そう想いながらくつくつと笑ってみせた。
ゆっくりと体を起こすが痛みなど全くなく、逆に生前よりも動きやすい気もする。
周りを軽く見渡し、地面に咲き誇っている花たちを一瞥した。
色合いは白、紫、赤の三色。それを見ながら、彼は花の名前を呟き始める。
「シロハギ、ハナナス、大文字草、シロバナマンジュシャゲ、ヒヨドリジョウゴ……って何だ、このセンスは」
そこに咲き誇っている花たちを見つめながら彼は首を軽く傾げた。
その様子を遠目から眺めていた人物はゆっくりと歩を進め始める。
さくっと土を踏む音が聞こえたので、彼はそちらを振り返る。するとそこには。
大きな駅長の服を着た少女が立っていた。
肩口で切りそろえられた黒髪、少し釣り上った瞳は深い深い緑色をしている。年は一三ぐらいだろう、その所為か成人男性用の駅長服はだぼだぼで彼女の小さな手も隠しているほどだ。
彼が少女を眺めていると、少女の手の中に紙の束があるのに気がつく。
少女はぱらぱら、と中を捲りながら彼に歩み寄り続け
「……斎場 潤一、没年一七。一〇月二七日午後四時三六分死亡、死亡理由自殺……か」
ふぅ、と息を漏らしながら彼女は紙を捲る手を止めて彼へと向き直った。
そして深い深い緑色の瞳にて彼を射抜き。
「本来、死者の管轄は木夏なんだが、致し方が無い。アイツが用事があると言っていたのだからね」
さて、と言うと言葉を区切り。
「――キミの最後の想い残しを叶えて差し上げようじゃないか」
どこまでも、どこまでも妖艶に笑んで。
どこまでも、どこまでも可愛らしい声で。
少女――桃天 夜美は死者に対して問いかけた。
「いくら自殺を志願して死んだとはいえ、心残りぐらいはあるだろう? さぁ、言ってみたまえ。ボクが叶えてあげようじゃないか」
その問いかけを聞き彼は一瞬茫然としたが、すぐにくつくつと笑みをこぼす。
その態度を不服に感じたのか夜美は眉を潜め「……人の発言を聞いてからその様な笑いをするとはキミは随分と失礼なようだね」
言葉を耳にした彼、潤一は顔を上げて少女を見上げる。少女は少女でまるで見下すような視線を彼に向けていた。
潤一は一体何が面白いのか、更にくつくつと笑む。
そして、小さく口を動かし始めた。
「……ここは死後の世界、死んだ後の世界ということか。……非日常。終わってしまった魂が集う場所、終わったはずの人生が再出発される場所。――あぁ」
そうだな、ひとつ心残りがあるとすれば――と言うと彼は言葉を区切り、実に恨めしそうな視線を夜美に向け
「――また、人生を送らなければならないという事だな」
吐き捨てるように、呟いた。
えっと、という訳で新たな短編です!!
今回は自殺した少年の話でして……前回とは打って変わって悲しさの方が大きいと思います……。
まぁ、最後はむりくりハッピーエンドに繋げますけどね!!
では、また♪