ラビット・アイ (4)
佇んでいる、服装もこの雪景色の中を出かけた時と同じ淡いピンク色のコートにロングスカート、真っ白なマフラーにブーツという格好の少女。髪型も声音も笑い方も何もかもが変わっていない少女。
その少女を見て、勇人は一瞬あっけに取られた。対して少女――友恵は「何で黙っちゃうのー?」と怒っている。
「……え、いやちょっと待って。色々思考回路おいつかねぇ。え、何でさっきまで桜とか舞ってたのに急に雪景色? 何で友恵居んの?」
「えっとね、雪景色なのは……何かね、ここって死者が最後に見た印象的な景色を見せるんだって。だから私は雪景色っ♪ それと私が勇人呼んだのに私が居なかったら可笑しくない?」
言いながら笑う少女を見て、勇人は更に混乱してしまう。
「え、ホントーに待って。友恵? 何で友恵が居んの? さっきまで友恵に逢えるって言われてたけどいざ逢ってみると情報処理が追いつかねぇ!!!」
「うー……ひどいよひどいよー!!」友恵は涙目で叫んでから顔をふぃっと背けつんつん、と両人差し指を合わせながら「……だって私勇人に逢いたかったんだもーん」
「…………」未だに混乱状態である彼は少し頬を赤くしてから想い人を見「……友恵、だよな?」
「私以外の何かが存在するの!?」
「いや、一応気になっちまって……。……そっか。友恵、かぁ……」
彼はそう言うと少し嬉しそうに口元を綻ばせた。そんな彼に対して、友恵は「……えっとね、コレ。言っておきたかったんだよ」と話し始める。
「言う前に死んじゃった、から、さ。今言わせて貰うね。……私ね、何度も生まれてこなきゃよかったって思ったんだよ?」
「………は?」
「だって、生まれてこなきゃ辛い目に遭わなかった。生まれてこなきゃ人生がほとんど病室で終わるなんて事も無かった。だから、生まれてこなきゃよかったーって思ったの」
幾度も、幾度も。想って、願って、考えて。
「それでも、ね。……生まれてきてよかったーって思えた事もあったんだ」
「…………それって何だ?」
「もー、昔っから勇人は鈍感さんだよね。……あれ、だよ。私はね……」えへへ、とはにかむ様に笑いながら「勇人に逢えたから、生まれてきてよかったーって思えたんだよ?」
「………俺?」
「そ、勇人。……私ってさ。ほら、入院ばっかで学校もろくに行けなかったし、外でも遊べなかったし。『友達に恵まれる子になってほしい』って意味の名前なのに友達全く居ない人生だったし」
彼女は軽くステップを踏みながら「こうやって歩いたりステップ踏んだりする事もできなかったし。外で遊ぶって滅多に出来なかったし。ずっと死におびえてる人生だったし」
それでもね、と彼女は言葉を区切る。くるっと回転して勇人を見つめ、にこっと笑いかけながら言った。
ずっとずっと想っていた事を。
「勇人が毎日お見舞いに来てくれたから。勇人が外の世界を話してくれたから。勇人が外出許可出た時に色んな所へ連れてってくれたから。……私、辛いだけじゃなかったんだよ?」
笑う。笑って笑って笑って。もはやこれ以上は笑えない、という程に笑って。
そんな人生だったけど勇人が居てくれたから幸せだった、と告げる。
そして――
「何時の間にか、私は勇人が好きになってしまってたみたいです♪」
そう、楽しげに、嬉しげに告げた。
その言葉を聞き呆然となっている想い人を見つめ、友恵は更に面白そうに笑う。
「――私は千崎勇人が好き、です。千崎勇人は…どうですか?」
問いかけられた少年は「……えーっと」と照れくさそうに頬を掻き
「……言いにくいけど………俺も好きだよ。友恵が」
「……そっか。そっかぁ……。あははっ、私が死んでから両思いって分かるなんてねー♪」
凄い皮肉な話だねーっ♪ と笑うが、目だけは悲しそうだった。
そして、その悲しみを紛らわせるつもりか「ね、あのマスコット貸して?」と手を出す。「ん」とだけ言いながら彼は手の上にぽん、と乗っけた。
「あははっ、もしこう握っただけでウサギが見てた世界が私にも流れ込んできたら面白いよねー♪」
そう言いながら、ぎゅっとウサギを握った。と、そのウサギが発光し始める。
「「……へ?」」
思わずほうけた声を出す勇人と友恵。
勇人から見れば友恵が光に包まれただけなのだが、友恵からしてみれば劇的な変化が訪れていた。
先ほどの言葉どおり、ウサギの見ていた情景が急に頭に流れ込んできたのだ。
刹那彼女の脳内に、ある声が響いてくる。
『――その願い、聞き届けましたーっ♪』
間延びした、のんびりとしたほわほわとした声。もしこの声が実体化したのであれば雲の様にほわほわほわーっとしていたのだろう。そう想う程。
そしてすぐに……彼女の周りを声が、景色が、巡り始める。
まず最初に机の脚が見える。次に男子生徒のガクランのズボンが見え、活気付いた声が聞こえてくる。
(……教室、かな?)友恵は微かに首を傾げ(多分、コレ勇人の足だ……。足首に赤いミサンガつけてるし……)
想い人が小さい時から左足首にミサンガを付けていたのを思い出しながら予想を立てる。
それと同時に自分がウサギ視線で見ているという事に気がついた。やはりウサギだからなのか、何時も以上に周りの音が聞こえている気もする。
そして、流れ込んでくる記憶は恐らく……自分が死んでからの話だろう、と。
生前彼はこのウサギを付けている所かしまい込んでいた筈だ。それなのに何かにぶらさげているというのは、唯一の形見となったからだろう。
そんな事を考えていると机の真上からバン! という何かを叩く音が聞こえ『あたっ』という幼馴染の声が小さく響いてきた。
『よぉ、勇人はよーっす!!』
『……んぁ? ……おぉ、はよー』
『お前また寝てたんか? 家で寝てねぇのかよ?』
『んあー……』眠たそうな気だるげそうな声で『家じゃ全然眠れねーの。逆に机の方が寝れる……』
『それはまた特殊な……』
彼の友人だろう少年の声にてその映像は途切れる。次に映し出されたのは何処かの図書館。
しん、と静まり返った中でウサギの耳が拾ったのは彼のシャーペンの音。かりかりかり、という音をさせながらマジメな表情でノートを見つめている。
(何だかんだで成績良かったらしいからねーっ♪)
普段は見ないマジメな表情を見、ほんのりと頬を赤く染める。バックは机の上においてあるらしく、彼の表情を細かく彼女に流し込んだ。
かりかりかり、という音が止まったと思えば消しゴムをかけ始めたり、行き詰ったのか額にシャーペンのノック部分を何度も当てて悩んだり。分かったら少し嬉しそうにしてからシャーペンを動かしたり。
その姿を見て少しくすっと笑む。次はまた教室らしく、またもや彼の足だけが見える状態だ。
そんな中で頭上から声が響き渡る。
『テメェこんにゃろぉ勇人ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
『何だよ唐突に!? 俺の耳元で叫ぶなって!!』
『おまっ……お前、そのチョコの量は反則じゃねぇか!?』
どうやらこの日はバレンタインデーらしく、彼は大量のチョコレートを貰ったらしい。
それを聞きむぅっと頬を膨らませながら(勇人のばーかっ。受け取るなんてさー……)
するとそんな彼女の声に答えるかのように、彼の友人に対する返答が響いた。
『いや、コレは机の上とかロッカーの中とか下駄箱とかにあった奴。直接来たのは全部断ったぜ?』
『……直接来たのは全部断ってその量ってこの裏切り者ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
その声は悲痛そうであり、どんどん遠ざかっていく。しかし全く気にしていないのか勇人はため息混じりで
『いやー……勝手におかれてたモンは断れな――ってアイツ何処行った?』
『お前がとどめ刺したんだよ……』
不思議そうな勇人の声に対し、別の少年がため息を漏らしながら返す。
(……ふーん、断れるのはちゃんと断ってたんだ……)
その事実にほっと安堵すると同時に彼がそこまでモテていたという事実に驚愕する。
(確かに勇人ってカッコいいし優しいし頭もいいし……だ、だけどそんな子達の誰よりも私が一番勇人の事好きなはずっ!!)
そう自己暗示の様に想っていると更に場面は転換される。今度は外の様で、丸裸となった木が連なっている場所で男女の喋り声が届いてきた。
『……で、一体何の用事?』
真っ白い息を吐き出しながら、勇人は目の前に居るクラスメートである女子に問いかける。ウサギの目は木に向いているらしく勇人と女子の顔は全く見えない状況だ。
『ん。……え、えっとね!!』
女子は少し慌てた声で返し、バックをがさごそと漁り始める。
(何……? え、まさか告白!?)
そう想いながら友恵が冷や汗を一筋垂らしていると『コレ……受け取ってもらえないかな?』という声と共にカサッとした音が聞こえた。
恐らく、中身はチョコレート。女子達の一大イベント、バレンタインデーなのだろう。
その様子に対して勇人は暫し無言を貫き『……悪ぃ。貰えねぇや』と本当に申し訳なさそうな声で呟く。
『……何で?』
『いや、俺さ……。そういうの貰えねぇんだよ……だから本当に悪ぃ』
パン、と手を打ち鳴らす音が寒空の下響き渡った。手を合わせて謝ったのだろう。そんな勇人に対して女子は『……じゃ、じゃあ義理って事で!!』と言って食い下がらない。
『……義理でも貰えねぇよ』
『……何、で?』
『……俺。ずっと想い続けてた奴が居たんだ。ずっと一緒にいたいって望んだ奴が居たんだ』
彼はポツポツと自分の想いを語り始める。
『そいつ、最近……死んじまったんだよ。優しくてさ、一緒に居たら楽しくてさ、心が温かくなる奴でさ……。それなのに、何で死んじまったのか未だに分からねぇよ』
神様っつーのが居たら理由を聞きたいレベルで、と言って彼は一旦口を閉じた。マフラーを少しいじりながら足元に視線を落としてまた口を開き始める。
『そんで、俺……時間が経ったとしたら、アイツの事忘れちまうのかなって想ってたんだ。ずっとずっと。そんな心配を抱いてた』
でもな、と彼は少しだけ嬉しそうな、それでも悲しそうな声音で。
『……逆で。時が経つにつれてアイツの事忘れる所か思い出しまくってんだ』
『……へ?』
『だから、アイツが好きなのは未だに変わらねーし……多分、これから先一生変わらねーんだと想う。だから……正直に言っちまうと、アイツ以外の奴のチョコって貰いにくいんだよなぁ……』
だから本当にゴメンな、と言って彼はまた謝る。それに対して女子は『……ううん、平気だよ』と悲しそうな声で返す。そして次にこう続けた。
『……千崎君がそんなに想い続けられてるなら……凄いいい子だったんだねっ♪』
純粋にそう想ったらしく、女子はそれだけ言うと笑って家へと向かっていった。
満面の笑みで手を振ってきた女子に勇人は手を振り替えしていたが――姿が見えなくなった瞬間手を下ろした。そして無意識にウサギのマスコットを触る。
更に、小さく、小さく。声を漏らし始めた。
『……確かにいい奴だったよ』
友恵の視線がどんどん下がっていく。どうやら勇人がしゃがみ始めているらしい。そりゃバックに付けられているウサギの視線も低くなるだろうという話だ。
『……そりゃもうどうしようも無いほど優しい奴だったよ』
それなのに、と彼は小さく嗚咽の様に呟いて。
『……何で、アイツが死ななきゃならなかったんだよ……』
うっ、とまるで泣くのをこらえる様な声が聞こえた。
『そりゃぁ、死ってのは平等に誰にでも訪れるモンだよ……』
でもな、と彼は震える声で続けて。
『……友恵は、まだ生きてても良かったはずだろ……?』
その言葉を聞いて――ぽたっ、と友恵の頬に何かが垂れた。
何だろう、と想って頬に手をやると目から涙が溢れている事に気がつく。
(……何で私は泣いてるんだろ?)
一瞬想ったがすぐにあぁ、そういう事かと納得する。
――生きていて欲しかった、と言われたから。
(私だって生きてたかったよ……そりゃぁ体は自由に動かないし親にも迷惑かけてばっかだったし外の世界にも滅多に出られなかったし)
それでも――
(――勇人ともっと一緒に居たかったから)
どんなに辛くても彼と一緒にいたら楽しかった。嬉しかった。幸せだった。
恐らく、人生でたった一つだけの一番良好な出会い。
好きだった。いや、過去形ではなく今も好きだ。
だからこそ……彼女は最後の願いにコレを選んだのだろう。
――千崎勇人に逢いたい、と。
あと一話くらい、ですかね…
最後まで、どうかお付き合いお願いします…!!