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Almond(8)

 切っ先は、雨を受けても微動だにしなかった。異常な少女、芦垣茉那の首元とわずか数ミリの間隔で静止している。


 それなのに、彼女は振り返ってサンドラに向かって微笑んでいた。


 微動だにしない刃の様に、彼女の頬笑みはこの状況でさえも一切揺らがない。


 まるで、顔に張り付けた決して表情の変わらない仮面の様に。


 まるで、人と一定のラインを引いて接するように。


 そんな彼女は表情を一切崩さずに言い放った。


「――サンドラさん。やっと私を殺して下さるんですか?」


 酷く嬉しそうに、酷くうっとりとした声で。




 それを受けたサンドラは、ぐっと下唇を噛みしめた。自分の歯が起こす痛みが唯一この状況が現実だと教えてくれる。


 雨に濡れた所為か、寒さや冷たさはいつの間にか消え去っていた。


 ただ、重苦しい感情が足かせになっている感覚だけ残っている。


 一度唇を薄く開き、閉じた。視線を茉那から逸らすと暫く思考する。何をどう伝えるべきか考えたが、単刀直入に聞いた方が早いと結論付ける。


 群青色の瞳をゆっくりと向けた。悲しみの色が浮かんだ瞳のまま


「…………問いたい」


「何でしょう?」


 こてん、と小首をかしげる茉那。内心とぼけるな、と思いながら


「…………ソウ、同じ死神、お前に接触してしまった奴から聞いた。……死神の生まれ変わり、なんだってな」


 自分でも頭の中がしっかりと纏まっていないまま、問いかけた。何を問うべきか、何を聞きだすべきか、何を知るべきか、纏まらない中の質問。


 と、彼女は人差し指を右頬に添えると片手で支えている傘を軽く揺らし


「そうですよ。そんな今更な質問、どうなさったんです?」


「…………この質問は、今更か?」


「ええ、今更です。何となしに、自分でも気付かない心の奥の奥深くで貴方も感づいていたんじゃないですか?」


 くるり、傘を回す。留まっていた水滴が彼の頬を打った。


「本来人間には死神さんは見えない筈なのに、私には見えていました。何の恐怖心も猜疑心も持たないまま、貴方を死神さんだと、死神さんの存在さえ肯定しました」


 幼かったなら、と言って一旦口をつぐむ。ほんの少し困った様な笑みを浮かべ


「認めて当然ですが、あいにく私は学生の身。社会を知り、現実を知り、ファンタジーは現実に早々あり得ないと知っている歳なのに簡単に信じ込む何て、大方しませんしね」


 それなのに。そうだというのに。


「――最初言った展開どうのこうのは嘘で。私自身が、死神さんの生まれ変わりだから。認めざるを得なかったんです」


 悲しそうに、悲痛そうに、苦しそうに、諦めきった声で呟く。


 黙って見つめているサンドラに対して少々気まずさを持ったのだろう。茉那は優美に笑むと


「けれど、これでその虚しさも終わりです。私は最高の死を迎えられるんですから」


 心底嬉しそうな声で言う。


「偶然的な事故でも、突発的な病気でも、継続的な精神的疲労でもなく。私が殺してほしいと願った死神さんに、直々に殺してもらえるんです。これほど、嬉しい事がありますかね?」


 これこそ私の願った死です、と彼女は言った。次いで早く魂を奪って下さい、と願った。


 右頬に添えていた人差し指をそっと下ろす。ずっと持っていた傘を手放し地面へと落下させた。


 そっと目を閉じて、数ミリ先にある刃に全てを託した。サンドラに自分の存在の消滅を託した。


 顔に雨が降り注ぎ、頬が濡れ、泣いている様にも見てとれた。だが、閉じられた瞳からは実際に涙が流れる事は無い。


 ただただ、早く死ぬ事を願っている。


 それを冷めきった目で見つめていたサンドラは、噛み直していた唇から血が出るのを感じ取った。鉄錆の味が、徐々に口内に広がり始める。


 こくり、と飲み込んでも味は消えず口の中に残り続けた。鎌を持つ手が震え始める。


 降りしきる雨の中で、徐々に濡れていく彼女を見る。全身に視線を滑らせ、ある一点に目を留めた。


 彼女の感情とは、願いとはそぐわない反応をしている箇所。


 生を望み死を嫌う死神は、その一点に望みを賭ける。


 それが寒さ故でないと信じたかった。自身が神であるにも関わらず、空の向こうに居る筈の神に願い始める。


 どうか、どうか。あの小さな手が起こしている現象が。






 ――彼女の本心でありますように、と。






 願ってしまったら、信じたいと想ってしまったら、するべき事は一つだけだった。


 震えていた己の手を、鎌の柄から指を一本ずつ外していく事。左手から順に指をほどき、右手一本で鎌を支えた。


 最後に残った右手を、思い切って一斉に離す。と、カラン、と思っていた以上に軽い音を立てて地面へと転がった。


 現状が変わって来た事を感じ取ったのだろうか。開いた彼女の瞳には驚愕だけが色濃く映っている。


 まだ理解しきれていない彼女の手首を、左手でそっと掴んだ。目を閉じて、それを感じ取る。


 僅かながらも、確かに震えるその小さな振動を。


「……何の、つもりですか」


 声を受けて視界を復活させた。彼女に向けると、顔を伏せた状態でぽつりと呟いている。


「…………何が?」


「私を、ころさ、ないんですか」


 区切り区切りで問うてくる。あぁ、と簡潔に答えた。


「殺して、くださいよ。さっさと、この世から消えたいんですよ。もういや何です。死神さんの生まれ変わりだからって、人の余命が見えたり死神さんが見えたりする人生は」


 それは、ソウも聞いていなかった彼女の視界から見える風景。少々驚きつつもあぁ、と答えた。


「知ってるんですよ、おじいちゃんもいっちゃんも余命が短い事を。おじいちゃんは仕方がないと割り切れても、いっちゃんはまだ高校生ですよ? さっちゃん先輩って言う、可愛い彼女さんもいらっしゃるんですよ?」


 独白に対してもあぁ、とだけ答えた。彼女の顔が上がり、空虚な瞳が彼を射抜く。


「さっちゃん先輩の余命は長いんです。さっちゃん先輩は、いっちゃんが死んだ後一人で生きていかなきゃならないのも知ってるんです」


 珍しく笑みが消えた彼女の顔を見詰めたまま、あぁ、と答える。


「それなのに何もできない私なんです。死神さんの生まれ変わりであったとしても、なぁんにもできない私なんです。そんな私こそ、おじいちゃんよりいっちゃんより先に――」


 ――死ぬべきなんですよ。


 だから殺して下さい、と懇願する。お願いですから、と切望する。


 降りしきる雨の中、彼女の姿は最早びしょ濡れだった。スカートも靴下も長い黒髪も全て彼女の体に張り付いている。


 地面に落下しさかさまになった傘の中は水が永遠と溜まり続け、傾き、地面へ許容量外を零していった。


 その中で死神は、ゆっくりと口を開く。


「…………そうだと、俺は想わないがな」


 視線を地面に落とし、水を吸い込んだスニーカーを見つめながら。


「…………この際、正直に生きたらどうだ。他者に何もできない、知ってるのに何もできないだ何て人間皆一緒だろう。お前はその現状が特殊かつ特別、ただそれだけだ」


 視界の中に映る黒髪が軽く揺れる。


「…………とりあえず、俺は」


 そっと、彼女の手首を持ち上げた。相変わらず震えているそれを、割れ物を扱う様に両手で包み込む。


「…………これが、お前の本心だとありがたいんだが」


 この震えが、このわずかな振動が。本心である様に。


「…………お前が、本心では死にたがってないとありがたいんだが」


 願い、そっと軽く握りしめた。


「……それは」茉那は同じ様に地面に視線を落とし「……ただ、サンドラさんが殺したくないだけですよね」


「そんな事は無い」


 珍しく、間合いを開けずにきっぱりと言い放った。驚いて目を上げる彼女の視界で、ずぶ濡れの死神は普段の無表情を一転させにっと笑うと


「…………お前の本心がどうであれ、俺は――」


 ――生きてほしいと、心の底から願っているよ。


 死神として、不適切な事を願った。けれど、これでいいじゃないかとも想う。


 世界を破滅するからだとか、存在している意味がないからだとか。そうだとしても芽生えている感情は一切揺らがないのだから。


 たった一つの、小さな願いだったとしても。


「…………俺は、お前の笑ってる顔が、実を言うと好きなんだ」


 多少迷惑がっていた。彼女の存在を疎ましく想っていた。


 けれど、その笑みを見て、救われた事も事実だ。


「…………だから、お前が笑う事が出来る未来の為の、選択肢を選んでくれ」


 人から見てどうのこうのだとか、自分が余りにも無力だからとか。そんな付加情報は一旦無視し、己の感情に正直に生きてみろ。


「…………お前は、一体、何を願い、何を選ぶ?」


 優しい声音で問いかける。と、彼女の垂れさがっていた手がサンドラの手に添えられた。


 震えが増し、冷たい雨とは違う温かい雫がぽつりぽつりと降り始める。


 小さな嗚咽が耳に届いた。サンドラの手を目元に持って行き、額に当て泣きじゃくる。


 爪を立てて、この手を逃がすまい離すまいと力を込めてくる。


 その間も、温かい雫はぽつりぽつりと彼と彼女の間に零れていった。




 どれくらいそうしていただろうか。ようやく嗚咽が消えた中、肩を震わせながら彼女は小さな声で言った。


「……ゆる、される、の。なら……」


 顔を上げた。うさぎを連想させるほど真っ赤になった瞳で、必死に彼を見つめる。


「……わた、しは……」


 本当は、とかすれる声で呟くと



「――まだ、生きていたい。です」




 言い切ると、更に涙を零し始める。


 本当は生きたいと切望していた死にたがりの少女に、異質な死神は笑いかけて小さく言った。





 お前が生きたいなら、現状がどんなに酷かったとしても生きていくべきだ、と。





 雨はいつの間にか、やみ始めていた。


 水色の傘が、風にあおられて柄の部分が下へ向き中に溜まっていた水を一斉に押しだす。


 感情の水は地面をこげ茶色に染めると、時間をかけて、ゆっくりと、それでも確かに染み込んで行った。


…………←土下座。

更新遅くなってしまい、申し訳ありませんでした……。

自分でも納得いく内容がようやく書けたので、更新となりました…!

この過去編もあと数話で終わりを迎えると思います。

最後まで、サンドラの過去に付き合っていただけると幸いです。

では、高戸優でした!

次回お会いできます事を!

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