Almond(1)
空に一輪の花を咲かせ、笑っていた君を思い出す。
空色の花の下で泣いていた君を思い出す。
あれから、何年も時が経った。
君は変わっても、俺はちっとも変わらない。
瀬原紗由が桜の風に包まれ駅舎から姿を消すと、夜美は「……これで二三か」小さく呟いた。その横に立っている結斗は彼女を一瞥する。しばらく彼女の事を見ていたが、ゆっくりと踵を返して紗由とは反対方向へ向かって歩き出した。
その先には彼が運転を任されている列車が止まっている。茶色い車両に近づくと軽く撫で、少しだけ笑んだ。充実感と達成感が混ざった笑み。その笑みをすぐに消すと、結斗はゆっくりと夜美達の方に向き直り
「…………夜美」
自分の上司の名を呼んだ。彼女はゆっくりと振り返りながら「どうしたんだい?」問いかける。
「…………暇貰いたい」
「暇、か……まぁ長期じゃなきゃいいよ。で、どれくらいかな?」
「…………ほんの数時間?」
「これまた随分と短いねぇ。その短時間で何をするか気になるトコだけど……」しっし、と追い払う様な仕草をしながら「さっさと行きたまえよ」口元に笑みを湛えて囁いた。
「…………あぁ」
それに対して一言返し、歩きだす。暫くしてから線路に降り立って更に歩いて行った。左腕でバランスを取りながら、右腕を軽く上から下へと振る。
刹那、彼の手に二メートルものの棒が現れた。細い木製の棒の上は楕円型に彫られており、金色に塗られた鉄が十字架の様に埋め込まれている。楕円と棒の間には水色のリングがつけられていた。
それをくるっと回すと、楕円の方が地面に着く様に構える。十字架の面を上にしながら何かを口の中で呟くと、彼の背中に翼が生えた。
左は白、右は黒の翼だった。しかし一般的な鳥の様なイメージとはかけ離れた、電子じみたゆらゆらと揺れる大翼。
危うい両翼をゆっくりと、確かめる様に動かす。不具合が無いのを確認してからトンッと地面を軽く蹴った。彼の体が空に浮かぶ。木の棒を軽く一回転させながら、列車の向こう側に広がっている大空へ飛び出した。
行き先は人間界。
恐怖心などない、とでも言う様に真っ青な空から目的地へと高度を下げ始める。
そんな結斗をじっと見つめている少年が居た。
ソウ=レシェンス。現役の死神である彼の象徴ともいえる鎌の柄を地面に突き立て、少し体重を預けながら
「アイツ、やっぱあそこに行くんかなぁ……」呆れた声音で呟く。
その言葉を聞いて夜美が見上げてくると、ふっと諦めた様に笑んで「だって、アイツだし。どーせ縁切ろうとしてねーんだろ?」
「さぁ。ボクはプライベートまで管理する気はないからね、プライベートは個人の自由さ」
「ふーん……ま、それは置いといて、だ」
どこに? と小声で問いかけてくる彼女に対しうっせ、と返す。体勢を直しながら鎌の切っ先を上空へ向けた。陽光を受けて光るそれを見ながら薄く笑み
「俺、アイツの勧誘しに来ただけだからもーそろそろ帰るなー」
自らの象徴を肩にかけ直し、ばいばい、と手を振ってくる。木夏が笑みを浮かべて振り返す中、夜美はむすっとしながら追い払う仕草をしていた。
その行動だけは年相応だよなぁ……、と小さく呟きながらその場を一回転した。彼を中心に小さな突風が発生する。フードが揺れ、鎌につけられたキーホルダーがぶつかって音が鳴る。数瞬したのち、彼の姿は消えていた。
烏の様な、漆黒の羽を一枚残して。
一方その頃、未架西結斗はというと。ゆっくりと小さな丘に降り立っていた。
人の手入れが入っていないらしく、雑草が伸び花が咲き乱れている。頂上には一本の広葉樹があり、太い枝をそよ風で揺らしていた。木の下まで歩いていき、そっと触れる。懐かしいざらっとした感触。思わず笑みがこぼれた。くすくす、と口元に手を当てて笑ってしまう。
すとん、と地面に腰を下ろした。滑る様に立ちあがらないまま寝転がる。頭の下に左手を置き、右手は木漏れ日に当てて遊んでみる。淡い仄かな光を感じながら、すっと群青色の目を閉じた。
瞼の奥に浮かぶ、少女の笑み。
この木漏れ日の様な、淡い仄かなそれでも強い光を纏った笑み。
右手を目の上に置く。じんわりと温かくなったそれをなだめる様にしながら、小さく「…………会いたい」と呟いた。
体を現代に置き、気持ちを過去に引き渡す。
小さく嗚咽を漏らした。右手の下から流れ落ちる雫を感じながら、拭う事もせずに過去に思いを馳せ始める。
今から二年前の事。
黒いパーカ―のフードを被った少年が、同じ場所で寝転がっていた。
違う点と言えば、その日は雨が降っていて葉と葉の間から絶え間なく水が降っていた事だろうか。そんな中、少年は気にする様子もなくぼぅっとしていた。
手には古びた羊皮紙を持っており、ペンで書かれた名前を流し読みしていく。最後まで読み終えると、もううんざりだとでも言う風に羊皮紙をぐしゃっと握りしめた。
その横には十字架のマークが刻まれた棒。それを軽く撫でながら、やってられるか、と内心で毒づいた。同時にそれに生れついてしまった自分を恨む。
雨の中に羊皮紙を投げ出した。黒いインクが落ちていき、少しずつ滲んでいく。それをじっと眺めていると、羊皮紙を拾い上げる手があった。
真っ白な小さな手が拾い上げ、軽くふっと息を吹きかける。紙が無事なのに安堵したらしく「よかったー」小さな声で囁いた。
ゆっくりと視線を上にあげる。右側から一人の少女が少年の事を覗きこんでいるのに気がついた。背中程の長さである黒髪をポニーテールで結っており、くりっとした黒目をパチパチと瞬かせていた。空色の綺麗な傘の下、暖かな笑みを浮かべている。
白い生地に赤いラインが入ったセーラーに同色の大きなリボン。その上から紺色のカーディガンを羽織っている。右手で傘を支え、左手で羊皮紙をひらひらとさせながら
「紙を水の下に放りだしたら滲んじゃうって、先生に習いませんでしたかー?」
楽しそうに笑み、毬の様な弾んだ声で呟いた。
それを受けた少年は、少女の視線から逃れるためにごろっと寝がえりを打つ。背中を向けながら「…………わざとやった」ふてくされた様に言い放つ。
「わざと? わざとやる理由なんてあったんですか?」
少女はめげずに問いかけながら立ちあがる。紺色のスカートの中が見えない様に押さえながら、少年が逃れた方へとことこと移動して座り込んだ。
「というか、そんな所で寝転がっていたら風邪引いちゃいますし襲われちゃいますよ?」
「…………男を襲う趣向の奴なんていないだろ」
少年はまたも視線から逃れようと、ごろっと体勢を変える。それを見ていた少女はむーっと微かに頬を膨らませながら
「そんな屁理屈言っても……居るんですよ世の中には!!」
「…………いないだろう?」
「いますって!」少女はややむきになりながら「……そんなに分かってくれないなら」
言うが早いか、彼の顔に大きな影が落ちた。少し視線を向けると頭上に少女の顔と空色の傘が。羊皮紙をわきに挟んで、空いた左手でゆっくりと彼の髪を触り、囁く。
「――私が襲っちゃいますよ?」
その声は、少女にそぐわない妖艶なもの。妙な艶やかさを感じ、思わずばっと起き上がる。手元にあった棒でガードをしていると、少女はからからと笑いながら
「やっとこっち見てくれましたねー♪」
「…………」
「凄い警戒されてます……。睨まれてますよ私……。襲いませんから、大丈夫ですって!!」
そう言っているにも関わらず、少年は警戒心を緩めようとしない。その様子を見て野良猫みたいですねーと思いながら「……じゃ、こうしましょうよ」指を一本立てて口元に持っていく。
「私が貴方を襲わない代わりに、貴方の名前を教えてください」えへへ、と可愛らしく笑みながら「私の名前は芦垣茉那といいます。貴方の名前を教えてくれませんか?」
笑みのお陰か、名前を明かしたお陰か。警戒心が和らいだらしく少年は構えていた棒を地面に下ろす。興味津々な少女――茉那の視線を感じながら、ゆっくりとフードをおろした。
雨に濡れ、光沢が普段よりある金髪。しかし一部分は銀髪という複雑な髪色をしていた。目元にかかっている前髪は顔に張り付いており、その隙間から群青色の切れ長な瞳が覗いている。
じっと茉那を見つめながら、少年は口を開く。小さな声で、囁く様に名を呟いた。この少女が早く自分の元から去る事を願いながら。
「…………サンドラ=ユリェウス。死神、だ」
これは、未架西結斗がサンドラ=ユリェウス、という名前であった時の物語。
彼が死神を名乗っていた時の物語。
――できそこないの死神と、死に愛された少女の物語だ。
久しぶりの投稿ですねー……と言う訳で、空中列車新連載です!! 今回は結斗の過去です!!
今までの調子での話は暫しお休み、になりますがどうかよろしくお願いします…!
こちらも同じような雰囲気になるよう頑張りますので、楽しんでいただけたら幸いですー
次回は、結斗もといサンドラが何で「できそこない」なのか、何で茉那が「死に愛されている」のかについて書いていきたいなぁ、と…
今後の展開に関わってくる事なので、どうかよろしくお願いします!!
では、またー♪