Ring (4)
一方その頃、瀬原紗由はというと。
少し釣り上っている目を数回瞬かせ、小さな声で「……は?」と問いかける。
そんな女性を見ながら、詩伊瀬木夏は「ですから、玖珂泉様に会いに行くんですよーっ♪」明るい声で言いなおした。
「……いえいえ、待ってくださいよ。泉に逢いに行くってどうやってですか?」
「貴女が今乗られている列車に揺られてれっつらごーです♪」
それを聞いた彼女は暫し唖然とした表情をしていると、息をすぅっと大きく吸いこんで
「……はぁあああああああああああああああああああああ!!!!?」
列車内に響き渡る程の大声で叫んだ。
その声は車両を二つ超えた所にある運転席にも届き、そこに居た彼は小さくため息を漏らしながら「……………一体何があった」呟く。
長めの前髪をゆっくりと掻き上げる。白と金が入り混じった髪の下から群青色の瞳が覗いた。目を細め、ハンドルを少し動かしていると。
誰もいないはずの隣から彼に話しかける声がした。
「結斗ー。お前、前髪邪魔じゃねーの?」
感情を押し殺したような声。それを聞いた結斗が目を隣に向けると「いよっ」小さく手を上げながら、一人の少年がにっと笑う。
黒いパーカーのフードを被っており、そこから癖のある黒い髪が微かに見える。カラスの様な漆黒の瞳に灰色のズボン。
――玖珂泉の魂を刈った死神が、彼に笑いかけていた。
しかし結斗は驚かず、何時も通りの淡々とした口調を崩さずに「……………何故此処にいる?」
問いかけられた少年はきょとん、とした表情をしてから少し口を尖らせ
「いや、だってさ。今回依頼してきたのって玖珂泉じゃん? アイツの魂刈っちまった身としては、見届けるかなーって」
「……………夜美の許可は?」
「得てる。っつーかアイツも適当だよ。『そうかい。ならさっさと行きたまえ』ってさ。追い払われたよ、俺」
「……………それが桃天夜美」
「……うん、思わず納得しちまったよ……」
はぁ、と小さくため息を漏らす少年。彼は少年から視線を外し、運転に専念しようとした。しかしそれを遮るように、少年は顔を上げて話しかけてくる。
「なーなー、結斗ーっ」
「……………何だ?」
「お前さ、彼女っていないの?」
「…………」暫し無言になると「……………居る訳ないだろ」
「ありゃ、結斗って昔っからモテてたからいると思ったんだけど……。存在は異質でも、イレギュラーでも。外見と性格が良かったからなー♪」
異質、イレギュラー。その単語を聞いた瞬間視線を少年に向ける。少年は相変わらず黒いフードの下でにこにこと笑んでいた。
その様子は玖珂泉の魂を刈った時の冷酷な印象と打って変わり、年相応の無邪気な少年そのままだ。
そんな少年に対し、結斗は呆れた様な声で「……………ソウ」少年の名を小さく呟く。
呼ばれた少年――ソウ=レシェンスは小首をかしげながら「ん?」不思議そうな声で答えた。
「……………お前がわざわざこんな列車に乗り込んだ理由。それ以外にあるだろう?」
それを聞き、ソウは面白そうな笑みを浮かべながら膝に頬杖をつく。悪戯っぽい笑みを浮かべながら「ん、あるよ」軽い口調で答えた。
「……………どんな?」
「結斗」一旦区切り、先ほどまでとは打って変わって感情を押し殺したような声で「……お前さ、いい加減、こっちの世界に帰ってこねぇ?」
真剣な面持ちで問いかけてきた少年に軽く視線をやる。鴉の様な切れ長な瞳から感じる切羽詰まった色。それを見ても尚、彼は一言。
「……………否」と、吐き捨てるように呟いた。
反応を見るたソウは呆れた表情をしながら口を開く。が、彼が放っている刺々しい空気を感じて思わず口を噤んだ。
言ってはいけない事の様な気がしたから。
触れてはいけない事の様な気がしたから。
何も言えなくなってしまった少年は軽く視線を彷徨わせる。それを横目で眺めていた彼はゆっくりと口を開き、手元にある無線で「……………もうそろそろ、着く」小さな声で告げた。
視線を前に向けて、外を静かに眺める。真っ青な空に、まばらに浮かんだ雲。鮮やかな色合いのキャンバスから光が差し込んできて、彼の顔を照らした。
一方その頃、詩伊瀬木夏はというと。紗由へと手を差し出し「さぁ、行きましょうーっ♪」と満面の笑みで言っていた。
それに対し、紗由はぶんぶんと首を横に振って「むっ、無理です無理です絶対無理です」青い顔をしながら呟いている。
木夏は小さくため息を漏らすと「何故ですかー? 思い人の玖珂泉様に逢えるんですよ?」
「思い人とか簡単に言わないでくださいますかねぇっ!!?」
「じゃあ、ベタ惚れの方にーっ♪」
「言い方を変えればいいって問題じゃないんですけどね……」
手すりにしがみつく様に掴まりながら冷静にツッコむ紗由。彼女に畳みかける様に木夏は言葉を浴びせ始める。
「じゃあ、玖珂泉様が嫌いだから逢いたくないんですかー……?」
「嫌いなわけないですよ!?」
「あっ、ほらベタ惚れじゃないですかーっ♪」
「……何か誘導された感が……」
「そして、それにまんまとハマった瀬原紗由様ーっ♪」
「誘導した事明るく認めた!?」
「まっ、それはともかくとしてですねーっ」気を取り直す様に一度口を閉じると「何故、玖珂泉様に逢いたくないんですかー?」相変わらずの間延びした声で尋ねる。
問いかけられた彼女はゆっくりと顔を木夏に向けた。釣り上った瞳にはやって来た時と同じく光が余り灯っておらず、何かを抑え込んでいる様な印象を受ける。
カーディガンを引き寄せる様にくぃっと引っ張る。胸元まで引き寄せると、一言。
「……どんな顔をして、逢えって言うんですか?」
「はいー?」
「……アイツと、どんな顔をして逢えばいいんですか?」
地面を見つめながら、呟くように話し始める。
「……さっきは『泉が死ぬわけない』って叫びましたけど……ホントは、分かってますよ」
木夏に聞かせるのでなく、自分自身に語りかける様な小さな声。
「……泉が死んだ事。もうアイツの隣で笑えない事。私の時は進んでいるのに、アイツの時は止まってる事。気軽に話しかけられない場所に行っちゃった事……」
カーディガンの裾をぎゅっと握る、その手は微かに震えていた。
「分かってるけど、認められないんですよ。認めたくないんです。そんな事実、現実を……認めたくないんですよ」
徐々に光が戻ってくる、その瞳は何処にも焦点を合わせていない。まるで遠くを、懐かしい思い出を見ているかの様に。
震える唇を開き、不安な色を瞳に浮かべながら
「……そんな風に想ってるのに、どんな顔して逢えばいいんですか?」
視線を合わせないまま問いかける。問いかけられた木夏は暫し沈黙しながら瞬きを数回する。そしてゆっくりと彼女に歩み寄ると。
彼女の両頬をつまみ「せいっ♪」掛け声と共に頬を引っ張った。
そんな事をされるとは思っていなかった紗由は驚いた表情で「ふぇっ!?」
「みょーんっ♪」
「ふぁ、ふぁにすふんでふか!?」
更に頬を伸ばす木夏。ぱたぱたと手を動かしてなんとか抵抗しようとする紗由。
暫くそんな事を続けていると、木夏はぱっと手を離した。紗由は両頬に手を当てさすりながら「何するんですかぁ……」疲れた様に言った。
「悩んでいた様なので、悩みがなくなる様に……ほっぺた伸ばしてみましたー♪」
「満面の笑みで言う事じゃない……!!」
「でも、悩んでた時よりは思考がはっきりしたでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間、彼女はピタッと行動を止めた。木夏に目をやると、女性はにこにこと笑みながら話を続ける。
「悩んでいる時って、思考が悪い方向へ行ってしまいますからねー。どんどんそっち方面へと回っていって、自然と抜け出せなくなっちゃいますから」
そういう時こそ、思考を止めて頭をクリアにする事が大切なんですよー、と満面の笑みで言ってから
「貴女がどう想っていようと、玖珂泉様の逢いたい、という気持ちは変わりませんよー?」
相変わらずの、間延びした声で告げる。不意打ちに声がでなくなってしまった彼女に対して口を動かす。
「あの方、夜美様が問いかけたら暫く悩んでおられましたけど……」その時の様子を思い出しているのか、優しい光を湛えた瞳を細め柔和な笑みを浮かべながら「『逢いたいって言ったら、誰にでも逢えますか?』って言ってましたよ♪」
その時、夜美は『勿論。誰に逢っても構わないさ。しかしチャンスは一度きりだがね?』頷きなら悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
返答を聞いた泉は顎に手を当てて思案すると、夜美に視線を落とし。
迷いのない声で、こう告げた。
『――じゃあ、紗由ちゃん。瀬原紗由ちゃんに逢わせてくれますか?』
その声を聞いた夜美は一言『了解したよ』とだけ返す。
回想しながら、木夏は嬉々とした声で
「断言する程逢いたいなんて、本当に愛されていたんですねー♪ 妬けちゃいますよー♪」
「…………」
「……あ」そうだった、という様な表情で「言いましたよ。『彼女が生きている時間と貴方が亡くなった時間は離れすぎている。貴方はそれに耐えられるか』と」
「……何て答えたんですか?」
「そしたら、『それでも逢いたいんです』って返ってきましたー♪」
思わず黙ってしまった彼女の前で、笑いながら事実を告げる。
彼の揺るぎない想いを。
「真剣な目で、言ってましたよ。『逢って生死を認識してしまうのは怖いけど、それでも、逢いたいんです』ってー♪」
本当に愛されてますねー、その声を聞いている紗由の頭にはぐるぐる、と色々な考えが回っていた。
そんな中から、ふっとある想いが浮かぶ。まるで水中に無理矢理沈めていた物が力から逃れ、水面へ顔を出す様に。
――逢いたい、という想いが溢れ出た。
想ってしまうと、認識してしまうと。もう歯止めは利かなかった。あの時以来きつくなっていた筈の涙腺が緩み、ぽろっと涙がこぼれ出る。
泣かないって決めていたのに。泣いたら、彼が死んだ事を認める事につながるから、泣かないって決めていたのに。
涙が溢れ、止まらない。
足から力が抜けて地面へと座りこむ。嗚咽が漏れる。涙が床を濡らす。小さな水たまりを作る。それでも、涙は止まらない。
濡れに濡れてぐしょぐしょになってしまった顔をカーディガンで拭う。涙を止めるために目元を強く抑えるが、意思に反してそれは更に溢れ出た。
そんな様子を木夏はどんな表情で見ているのだろうか。気になったが、視線を上げる事が出来ない。気持ちの整理をするだけで精いっぱいだった。
その代わり、彼女の声が脳内に響き渡る。
『本当に愛されてますねー♪』
頭を横に振る。違うんだ、と心の中で呟きながら。
違うんだ。本当に愛しているのは私の方なんだ。そう想いながら涙を流す。
愛しているから、死んだ事を認めたくなかった。愛しているから、現実から目をそむけ続けた。
そして。
――愛しているからこそ、彼と逢いたいと切に望み続けていた。
自覚しながら、本当にいいの? と自問自答する。
逢ってもいいの? 泉と逢って、話してもいいの? と。
すると、口に出していない筈なのに。木夏はぐぃっと彼女の手を引っ張り、無理矢理立たせながら
「いいんですよー♪」力が抜けた声で答えた。
すると、彼女の背後にある窓から日光が放たれる。暖かな陽光が紗由の瞳に届いた。眩しすぎて目を細める。眩い光。暖かな光。
慣れた頃にゆっくりと瞳を開く。その目には強い光を灯しており、それを表すかのように足に力を入れる。
ドアが開いている。其方に目をやると、ゆっくりと静かに歩きだした。一歩一歩、踏みしめるようにしっかりと。
それに近づいていき手をかけた。すると後ろを振り返り、木夏に目をやる。目を細めて感謝の笑みを浮かべながら、口を軽く開く。
「――行ってきます」
それ以外は何も言わずに彼女は外へと足を踏み出した。様子を眺めていた木夏は微笑を浮かべ「いってらっしゃーいっ♪」満面の笑みで送りだす。
告げた彼女も、何時も以上に嬉しそうに笑んでいた。
地面に降り立った瞬間、違和感を感じた。
泉と待ち合わせをしていた、あの煉瓦の道のりだったからだ。
向こうに視線をやる。水が太陽光を反射してキラキラと光り輝きながら空へ向かって上がっていた。真っ白な造りのそれに腰かける人影を視界にとらえる。
見慣れた後姿。その人物を認識した瞬間、息を飲んだ。
――彼女の想い人である玖珂泉が、噴水に腰かけていた。
足をぶらつかせながらつま先に目をやっているので彼女に全く気付いていない様だ。もしかしたら、列車の到着すら気付いていないかもしれない。
喉がからからに乾く。声が出かかっているのに、張り付いている様に出てこない。さっき思う存分泣いたはずなのに涙があふれそうだった。
自分の状態を認識しながら、紗由は走り出す。
泣くなら、彼に逢ってからにしようと思ったから。
彼の元へと駆けて行った。足音が聞こえたのか、彼がふっと顔をこちらに向ける。刹那、双方の目が大きく見開かれて顔が驚愕に染まる。
噴水から腰を浮かせる。どう行動していいか分からないと言う風に棒立ちしている彼に、瀬原紗由は抱きついた。
胸元に顔を埋める。死んでいるとは思えない温もりを感じた瞬間、また涙がこぼれてしまう。
「……紗由、ちゃん?」
懐かしい声が戸惑いを滲ませながら彼女の名前を呼ぶ。それに対してこくこく、と頷いた。言葉を発する余裕なんてなかったから。
ぎゅっ、と彼の事を抱きしめる腕に力を込める。少しでもいいから、彼が此処にいるという事を実感したかった。
彼の体が緊張で強張っているのが分かる。戸惑っている事も感じる。けれど、腕の力を緩めようとしない。
それを感じた彼は、ゆっくりと紗由の背中に手を当てる。昔と同じ温かな体。それを認識すると、恐る恐るという感じでゆっくりと腕を回す。彼女の頭に手を乗せ、髪を軽く梳いた。
目をゆっくりと閉じる。腕の中にある温もりに意識を向ける。
紗由の頭に雨が降った。暖かな雨だった。
更新遅くなってすいません…!! 最近色々と忙しかったので…
多分次回でこの話は完結すると思います それと関係上早めに更新したいなーとも…
では、また逢えましたら♪